117話 王女伝染(コンテイジョン)
クゥラ・アセト・ノルベール。ノルベール家の長女にして第二王女の十歳。
彼女は非力だ。自覚するほどに怯懦で、兄ゼノンの後をつんだって歩かなければ、己で何も決断出来ない事を知っている。兄のように堂々と振る舞う事も王族として繕う事も出来ず、常に兄の背後に隠れてはこれまでやり過ごしてきた。
それに比べて兄は何でも出来る。両親や権力者に物怖じしない事は勿論、権威を放棄してでも信念を押し通す心の強さを持ち、行動に移すことが出来る。それを可能にするほどの薬学知識や調薬技術、天性の勘や機転、そして惜しまぬ努力。
兄には何も敵わない。足元にも及ばない。
クゥラが初めて尊敬の念を抱いたのは、誰よりも近くで背を追い続けていたゼノンだった。
(……私には、何も無い)
クゥラはこれまで何度も自己嫌悪に陥っていた。
己には何も無い。クゥラは己が王族の末裔である事に引け目を感じるほどだった。
突出した才能も無ければ毅然を繕う事も出来ない自分が嫌いだった。
けれど厳しくも優しい兄は決してクゥラを見捨てなかった。他の有能な弟妹や王族との繋がりを持つ同世代の子供達が挙ってゼノンへ近付いても、側に置いていてくれるのは必ずクゥラだった。双子だから、妹だから、そういった感情を一切抜きにして。
何も出来ないクゥラを側に置いている事をゼノンは奇異な眼で見られたこともあった。疎まれ、クゥラの陰口を耳にした事もあった。それでもゼノンはクゥラの存在を一切否定しなかった。
『クゥラがいると何でも出来る気がする』
ゼノンの口癖だ。一種の呪いの様に大一番でよく口にするその言葉が何を意味するのか、クゥラにはわからなかった。
ただ、似たような事を何度か耳にした事はあった。宙城に出入りする騎士団員、都市外の護衛に当たる近衛の戦士、偶然話す機会に恵まれ送り出した人々が時を置いて礼に訪れた事が何度かあった。
『クゥラ様のお陰でいつも以上に力が出せた気がします。ありがとうございました』
故にクゥラは薄々気付いていた。
己に人を奮い立たせる能力がある事を。
双子のゼノンですら漠然と感覚でしか把握出来ていないその正体。
自動支援能力『王女伝染』。
クゥラが自発的に物事を決めた際、対象者の士気を上下させる能力だ。
クゥラがやる気に満ち溢れれば能力を通じて士気は上昇し、逆に悲嘆にくれれば周囲の士気は低下するといった、本人の気概によって左右されるトンデモ能力だ。
それは円月花確保の為に強行軍に努めたヒンドス樹道でも発揮されていた。恐怖はありながらも姉を救うという目的の為に奮起した士気はゼノンに伝染し、また、魔物達に追い詰められ絶望に暮れた際にはゼノンの思考を停止させ同じように絶望へと誘った。
クゥラが戦闘職であったのならば、確実に戦場の趨勢を握るであろう稀少な能力だ。
つまり遠からずゼノンの口癖は的を得ていた事になる。クゥラが意図しないところで士気は伝染し、ゼノンに活気と自信を付与していた。
特性を把握していないながらも実感として残る援助に、ゼノンはクゥラを相棒として選んでいたのだ。誰よりも無力で、臆病な少女を。
だからクゥラは此度己を奮い立たせる。
都市を守るために数多の力が必要ならば。
姉の重荷を解放するために力が必要ならば。
他種族嫌厭の世界を正せる英雄を救うために。
自分の力が必要ならば、もう迷わない。
「もう懐には入れさせないってか……!? 攻撃が出鱈目過ぎる!」
足元に張り付くサキノとマートンを煩わしく思ったのか、足元を振り払う不規則な防御を継続しながらも、残りの腕で四人を狙うヘカトンケイルに誰もが距離を強いられていた。
遠距離砲は腕に防がれ碌なダメージにはならないためマシュロも攻撃の二の足を踏む。羽衣を操り中距離から膝を狙うマートンも次々飛来する腕の回避にまともな攻撃を行えていない。
接近戦が主体のサキノは果敢に飛び込もうとするも、振り子のように多方から飛んでくる拳に停滞を余儀なくされていた。
明らかな数不足。巨人というだけでも厄介な存在である上に、百の腕が相手となれば実質四対百だ。
サキノが汗を弾き飛ばしながら白刀で拳を受け流し衝撃に手を痺れさせる。
「手数が多過ぎるっ! このままじゃジリ貧にしか――」
次の新たな策へと移行しない事には押され気味の現状を打破出来ないとサキノは声を張り、巨人相手には心許ない十程度の紫電重閃を解放するか思い悩んだ。
その時、ボドォン! と。
『グオオ……?』
ヘカトンケイルの側頭部に蒼き閃光が五発撃ち込まれ、更に巨大な火球や氷弾が次々とルカ達の視界を過っていった。
魔法は惜しくも腕に阻まれたが、ヘカトンケイルの不規則防御に回っていた腕が数を減らし、実質的な防御へと送り出される。
回避の傍ら、ルカ達の一瞥した先には詠唱を唱えている数多くの亜人族の戦士達の姿。更にはルカ達の周囲に陣形を張る者達、方々に散らばりヘカトンケイルの周囲を位置取る者達、その数およそ百。
「ったく! やるしかねえんだろ!? 俺達が遠距離で奴の気を引くからお前達は自由に動いてくれ!!」
「距離を詰めすぎるんじゃないよ! 一撃貰ったら終わりだと思いな! 特殊電磁銃も駆使して攻撃の手を緩めるな!」
「これは貸しだぜ人族ぅ……頼むぜマジで……」
クゥラから士気を授かった亜人族達が次々とヘカトンケイルへと立ち向かっていく。
一致団結した亜人族達の姿に多量の汗を流すルカ達は言葉を失い――そして笑った。
どこまでも素直ではない亜人族達。奮起はしても接近戦はルカ達に任せると言った及び腰に、しかし四人は多くの助力に心から感謝を抱いた。
「ありがとう。ヘカトンケイルを倒すぞ!」
各方面から撃ち出されていく遠距離砲に、手薄になった足元へと四人は再び飛び込んでいった。
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文字通り細切れになった肉片が散乱していれば、原型が何の魔物だったのかも判然としない程に爆砕された黒焦げの欠片が散らばる暗然としたヒンドス樹道。
「はっ、はぁっ……ふっ……うぐっ……終わりだよ……もう助からないよ……」
「ぜっ、ぜぇっ、うるせえ! 泣き言言ってる暇があんなら回復に努めやがれ!!」
ヒンドス樹道突入からおよそ十五時間。『亡霊』との連続交戦からおよそ八時間。体力も回復道具も尽き、生存に値する魔力のみしか残されていない一同は各々に地面や木に背を預けながら消沈していた。
現在ヒンドス樹道低層、周囲にはまだまだ数多くの魔物が蠢いている。そのどれもが原型を留めておらず、さながら本物のアンデッドのようだ。
その魔物達に見つからないように休息を取れているのは【ヘリオス騎士団】幹部のテンショウ・結華の『異空隠蔽』の魔法によるものだ。一言で言えば次元の狭間。内部から外部の様子を窺う事が出来るが、外部からは内部の様子も気配も探知不可能な稀少な隔離魔法。気が滅入るほどの超長文詠唱と万全の魔力が必要となるが、一度解放してしまえば数十分の継続は可能。本人の承認があれば出入りは自由だが、本人が空間外へ出ると全ての者の隠蔽も解ける。疲労の濃い一団を守るため、なけなしの万能薬を使っての苦肉の策だった。
「まだまだぁ~!!」
誰もが疲弊しきり異空間で体を休める中、翡翠のサイドポニーを持つ少女はたった一人、地獄で舞い踊っていた。
それはレラ・アルフレイン。
「あの体力バカ……どうしてあいつだけあんなに元気なんだよ……」
「何時間経ったかわからないけれど、戦い続けて消耗しない方がおかしいんだよガイル。あれは僕達と一緒にしたら駄目な生き物だ」
「楽戦家……戦いを楽しむって言うよりかもはや戦闘兵器だろ……」
ヤハトとガイルの会話に混じった不穏な単語に、半身吹き飛んだグリフォンを豪快に両断してレラはギロリとガイルを睨んだ。
「……おいテンショウ、ここは会話も漏れてねえんだろ?」
「はい~、その筈ですが……」
「じゃあどうしてあいつは今反応出来たんだよ……」
「え、と……喧嘩するほど仲が良いから、でしょうか……?」
「馬鹿を言うんじゃねえ! あの貧相女なんかと仲が良いわけあるかぁ!」
「止めてくれガイル、僕の団員を虐めないでくれ」
「俺が悪いみたいに言うんじゃねえ!?」
頭部に黒髪でお団子を作った結華があわあわと慌てながら【ヘリオス騎士団】の上司とガイルの仲裁に入る。
天性の勘と言うべきか、野生の本能と言うべきか、己の陰口には例え視野的障害があろうとも過敏に反応を示すレラにガイルは辟易した。今も居場所が分かっているかのようにS字の如く様相を象る鎌『獅駆真』で斬り刻んだ魔物をガイルの方角へと弾き飛ばしている。
「ソアラ、レラに任せきりで大丈夫なのかい?」
とはいえ何時間も戦いっぱなしで常に矢面に立ち続けているレラに、ヤハトは憂いを発した。それは休息を取っている一同も同じようで、生存と言う一縷の望みを託すように余すことなくレラへと視線が集中している。
「少々思うところはあるが、あいつから任せてくれと言ったのだ。こと持久戦ならレラの右に出る者はいまい」
部下には負けていられないとソアラもレラと共に奮闘していたが、結華の『異空隠蔽』に司令役がいなければと諭され現在に至る。もっともレラにとっては己が暴れたいという私欲的な目的が一つと、銃撃戦が主なソアラとゾンビ化した魔物の相性が悪く、ソアラの負担を減らす目的が介在していた事も否めないが。
ソアラはレラの実力を知る唯一の者で、その実力に十二分の信頼を置いているため今回のような一騎当千の如く、酷とも無謀とも取れる行為を許している。
他騎士団の者達もレラの桁外れの体力や治癒力を認知はしているものの、永続的な魔物の不死の脅威に憂慮は抜けない。
「とは言え彼女も人間だ。いくら無類の体力が備わっているとはいえ流石に無理しているだろう? 限界が来てからでは遅いんじゃないかい?」
「……ふむ、正論だな。だがもう暫く待ってくれ。もうじきレラに別の限界が来る」
「?」
ヤハトもソアラと同じくまだ体力的には余裕があったものの、休息と言う名目で『異空隠蔽』に押しやられた口だ。一人に負担を強いられずいくらでも出張ると申し出るヤハトだったが、ソアラの意味深な発言に眉を寄せ小首を傾げた。
そんな軍内談が次元の狭間で交わされる中、影を伝って背後から奇襲を仕掛けてきた新たなハティがレラに牙を剥く。咄嗟の屈伸で躱すと同時に魔力を纏った刃を進行方向にただただ添え置き、目論見通りハティは停止する事も出来ず自ら刃の餌食になった。
続けて迫り来る大軍を足技で払い除けながら、拡張した魔力の刃で周囲を一掃。最低限の動きで大軍を始末したレラに数多くの戦士達は戦慄した。
しかし魔物達は執拗に立ち上がる。頭部を失っても、四肢を失っても、心臓を貫かれても動き続けるゾンビ達に、遂にレラは深い溜息をつき、
「団長~ちょっと~」
ソアラを呼んだ。
飛びかかってくる魔物を屠りながらキョロキョロとソアラを探すレラの呼びかけに「言っただろう?」とソアラは薄く笑い、結華に断りを入れて次元外へと抜け出た。
突如眼前に現れたソアラに魔物達は標的を分散させるが、的確な高火力の狙撃により次々と頭部を吹き飛ばされていく。
「そろそろだと思ったぞ。飽きたか?」
「さっすがダンチョ~! ウチの事分かってるぅ~! でね、皆の逃走の体力も回復しただろうし、この無限ループにも飽きちゃったからさ~、そろそろ出口作ろっかな~って思うんだけどどう?」
出口の消えたヒンドス樹道。出口を作るという荒唐無稽なレラの提案にソアラは――微塵も驚きを見せなかった。寧ろ同意見だと言うかのように首肯するが「ふむ」と思い悩む仕草を垣間見せ、言葉を引き継ぐ。
「出口を作るのは賛同するが、お前の能力が皆に露見する事だけが懸念だ」
「そうそれ! ウチの能力って正直無敵じゃん? でもウチはリフリアの地方アイドルだしいつまでも乙女でありたいわけ。だから皆につお~い所を見られたくないんだよね~」
「団員の幻想を撃ち砕くのも団長の役目か」
「酷っ!? それは地方でもアイドルになり切れてないって事!? それともいつまでも乙女ではいられないって事!?」
「両方に決まっているだろう」
「ぐうううう~! 団長には団員を思いやる気持ちが足りないよぅ!」
「案ずるな。お前の実力は女子力を凌駕する」
「全っ然フォローになってないからねっ!?」
ぎゃいぎゃいと騒ぎ立てながらも、再起不能なまでに確実に魔物を漸減していく二人に油断も慢心も無い。
ステラⅢの団員達がぶるっと粟立つ隣で、アルアが肩を竦めながらも誇らしげに二人を眺めていた。
「ふっ。だがしかし私にどうしろと言うのだ? 流石に全員の眼を欺く事など出来んぞ?」
自身を呼び出したと言う事は目的があっての事だとソアラは確信をもって問う。
しかしレラは空いた左手をブンブンと振り回し、確と否定の意を表明する。
「そんな必要ナイナイ! そのために結華に『異空隠蔽』使って貰った訳だし」
「どういうことだ?」
「他騎士団と交流してると入ってくるんだよね~色々と。団長には結華に内部からの情報を遮断するよう交渉して貰うだけだよ。レラたんネットワークによれば内部からの視覚遮断も可能だからね」
レラの処世術は誰しもが認める長所で、団長のソアラとはいえども見習うところはある。無警戒に懐に潜り込む美質、虞を感じさせない常の開放的な振る舞いは、都市で偶然出くわした際の与太話程度でも意図せずともレラに多くの情報を呼び寄せる。それが例え他騎士団の秘匿情報であったとしても。
「知っていてこの時を待っていたのか?」
「当たり前じゃん? これが誰も損しない最善手でしょ?」
合同任務一行全滅の危機に瀕しようがどこまでも冷静に。
他騎士団員を憂慮しながらも己の手の内は見せないレラの計算高さに。
底知れない陰影を見たソアラは口角を僅かに引き上げた。
「……全く、味方ながら恐ろしい奴だ」
「えっへへ~そんなに褒められると照れちゃうな~。じゃ、後はよろしくぅっ!」
「我ながら女子力を凌駕するとは上手い事言ったものだ」
レラは残り僅かとなった自由時間に、翡翠の瞳に炎を灯し魔物の群れの中へと飛び込んでいった。
滅多に遭遇出来ない一騎による蹂躙劇を楽しむレラの姿はまるで水を得た魚。ガイルが零した戦闘兵器と言う言葉も偏見とは言えないかもしれない。どこまでも戦う事に楽しさを見出すレラを見送って、ソアラは再び次元の狭間へと戻っていく。
戦場で舞踊する人物がレラ一人のまま玉響の刻を置き、ソアラが再び外へと出る。承諾を貰い準備は整ったとの報をレラに伝えると、巻き添えを回避すべくソアラは次元の往復へと転じ、姿を消した。
「怒ってるヒンドス樹道には悪いけど、そろそろ帰らせて貰うよん」
すぅ、と空気が変化した。
戦闘を楽しんでいた節があったレラの冷ややかな空気に魔物達も異変を感じ、総員でレラへと急迫する。
鯨波のように全方向から迫り来る魔物達に、巨大な鎌を肩に背負うレラは一切動く素振りも見せずただただにこやかに。
「ごめんねっ!」
一言。
たったの一言で猛烈な衝撃と同時に全ての魔物達の意識が――姿が消し飛んだのだった。
× × × × × × × × × × × × ×
揺れる。視界が揺れる。
次元の狭間にまで鳴動する強烈な揺れに、多くの戦士達は困惑を呈すと同時に、何かの終わりを直感した。
次第に治まっていく揺れに、ソアラの魔法解除司令を受けた結華は『異空隠蔽』を恐る恐る解除した。そこには樹木の天井は無く、赤く染まる夕陽が戦場の生存者たった一人を照らしている。その周囲には一体の魔物の影もなく、そして骸も肉片も一切見当たらない。まるで広範囲の爆撃に見舞われたかのように荒れ果てたヒンドス樹道の一帯。その先に続く山のように厚い岩壁を突き破った出口に、誰もが開いた口が塞がらなかった。
「にゃはは、ちょっと張り切り過ぎちゃったかにゃ?」
能天気に頭の後ろで手を組むレラ。満足気に笑顔を浮かべる飄々とした姿に恐れをなした者は多い。
とはいえ示された光明に、安堵と信頼を得た者もまた。
「一帯が再生を始めている。皆急ごう」
ソアラの指示によって放心していた者も含めて皆が出口に向けて駆け出した。
彼女等の後を追う魔物も一切おらず、ヒンドス樹道は二度目の敗北を認め、修復に精力を注ぎ込んでいく。人知れず木々と岩盤塞がれた唯一の出入口が開け、時間をかけて元の姿を取り戻していった。
所要時間二十二時間、禁足地収監時間十八時間。
死亡者数ゼロ。
予期せぬ厄災に見舞われながらも奇跡的な結果を以て、上位派閥の幹部達による合同任務は幕を下ろした。




