101話 統率者として
梟の鳴き声が暗闇を縫う。
夜も明けぬ午前四時半過ぎ。シュリアの到着を待つルカ達は明かりのついた薬舗『タルタロス』へと集結していた。
「回復薬、持った……魔力回復薬、持った……万能薬、持った……解毒薬、これが氷結瓶で……」
「姉ちゃん確認もう九回目だぞ……大丈夫だって」
「わ、わかってるわ!? でもこういう時にヘマするのが私だから……」
「……そのために私達がいる。皆もいる」
椅子に座りアイテムポーチに収納した道具を確認するのはマシュロだ。自他共にポンコツと認め認められる彼女は、何度も何度も道具の数量や種類を数えていた。
ルカ達が来る前から何度も行われていた作業は未だに衰えを見せない。サキノも任務用のアイテムポーチを括りつけ、ルカとポアロにも【夜光騎士団】の予備を貸し出しているので、マシュロだけの負担ではないとゼノンやクゥラが諭すも、不安が尽きないマシュロには言っても無駄であった。
「マシロん心配性やなぁ。ルカりんおるんやさけ、どーんと余裕持ってええんやで?」
「マートン、ルカだけに押し付けないで。それに貴方はもう少し緊張を持った方がいいと思うよ?」
出立前の軽食として机に並べられたサンドイッチを、マシュロの正面に座っているポアロは口に放り込む。椅子の上で胡坐をかき完全にリラックスモードのポアロにはこの先の不安など皆無に等しかった。
都市外の任務を初とする故の暢気さか、それとも自信かはサキノには判然としなかったが、命の懸かった任務では適度な緊張は持つべきである。
「真面目やなぁサキるんは。僕に緊張とか絶対似合わへんやろ。それにまだ始まってもないねんから、今から緊張してても疲れるだけちゃう?」
「うっ……」
ポアロの正論に苦虫を噛み潰したかのような表情へと変貌する端麗な美顔。険悪とはいかないまでも警戒の解けないサキノに「……これでもどうぞっ」とクゥラがカップを手渡す。カウンターの前でルカと立っているサキノは己よりも年下のクゥラに気を遣わせてしまったことを少々恥じ、カップに口付けた。
香りのよいハーブティー。温かく飲みやすい紅茶は心を安らげ過度な緊張を除去してくれる。任務の成否、ポアロの監視。知らずの内に気負っていた憂慮をサキノは一度リセットした。
「それとサキるん、何よりも大事な事一つ言うといたる」
「……何?」
神妙な顔で顎をもぐもぐと上下させるポアロにサキノは向き合い、ポアロの重大発表を待った。
「僕、実は二重人格やねん。で、マートンはもう一人の僕の名前。やから僕の事はぽーちゃんでもアロちゃんでもええさけ名前で呼んでやぁ! 堅っ苦しい名前は、堅っ苦しいもう一人の僕だけで充分やねん!」
大事な話は前半の一部だけ。後は願望をぶーたれるポアロにサキノはカップを取り落としそうになった。
「そんな可愛い名前は似合わないと思うけれど!?」
「こんなに可愛えのに!?」
「可愛い要素が一つも見当たらないけれど!?」
ポアロなりの諧謔なのだろう。気が張りつめているサキノを、そして場を和ませようとケラケラ笑い言い合うポアロを横目にルカはカウンターにも置かれたサンドイッチを腹へと流し込んだ。
夜明け前に広がる雑談に程なくして、カランカラン、と。
鈴の音が入口扉から響き、全員の視線が集まった。
「遅くなってしまったかしら?」
「おはようシュリア。時間には余裕があるから大丈夫だ」
姫のように泰然とした身のこなしで入店してきたのは本日の依頼人のシュリア・ワンダーガーデン。白と水色のフリルのドレスが歩行と同時に揺れ、蒸栗色の長髪が後を追う。兎のようにふわふわな長い耳の間にあるのは巨大なキャンディのようなリボン。姫らしからぬ包帯が今日も腕に巻かれている。
ルカとサキノの眼前にまで歩みを寄せたシュリア。ルカがバケットに入ったサンドイッチを差し出すとシュリアはお礼を言って一つ手に取った。
十回目の道具確認を始めるマシュロに、頭で手を組むポアロ。サキノとルカの顔を軽食を啄みながら順々に眺めたシュリアは淡く微笑んだ。
「素敵なメンバーね。改めてラグロックまでよろしくお願いするわ」
シュリアの気品ある礼によって彼等の準備は整った。
時刻は五時。
東の空からの曙光がやおらと店内を彩り始める頃、彼等はぞろぞろと『タルタロス』を出た。
全員の脚が向くは西方ゲトス山地。短い西門までの路程を消化していると、門前に僅かな人だかりが。
微かに明るくなり始めたものの、正体は判然としない中一番に反応したのは夜目の利くマシュロだった。
「団長っ! チコさん、クレアさん!」
マシュロが駆け寄った先にいたのは【夜光騎士団】のキャメルとチコ、そしてクレアだった。
耳をピコピコと動かし興奮気味のマシュロ。そしてその影にいた人物に反応したのはサキノだ。
「団長!? それにレラまで!? どうしてここに!?」
「部下の安全と健闘を祈って見送るのは当然だろう?」
「そうそう~、大事な大事なサキちゃんだからね~。見送らずにはいられないっしょ?」
早朝からわざわざ都市の最西端まで出張ってくれた騎士団員達にサキノは思わず笑みが溢れる。
ルカやポアロにはわからない騎士団の温かみを感じる女子達。「なんかええな」と漏らすポアロと共に、二人に追い付いたルカに各団長達は詰め寄り発破を飛ばす。
「マシュロを傷つけさせたら許さんからな」
「ローハート、シュリアとサキノをよろしく頼むぞ」
「はい」
少々脅しのような激励も見られたが、ルカは動じず気概を見せる。
と、そこでこの場にいる全員の視線が自身に会している事に気がついたルカは、何かを求められているような感覚に「ん?」と首を傾げる。
任務自体が初めてのルカにとっては不測の事態。サキノは事態を説明すべく一歩前に出た。
「この任務はルカが仕切ってくれないとね?」
「俺が?」
「危地へ赴くには必ず統率者が必要だ。咄嗟の判断を誰が下せばよいのか、誰に従うべきなのかを予め決めておかないと取り返しのつかないことになる。一瞬の判断が皆の命を救い、一瞬の判断で仲間を失う事にも繋がる。統率者とは皆の命を預けられる信頼に足る人物でないとならない」
ソアラの説明を聞きルカは迷った。
サキノは自身が仕切るべきだと言うが、これまで受動的に流されてきた己が取り仕切ってもよいものなのか。
経験豊富で団体行動に知見があるサキノやマシュロに託すべきではないのか。
決してそういう役目は己ではない。
「だったら俺より適任なんているだろ?」
ルカはサキノ、そしてマシュロへと視線を飛ばした。
しかしそれを肯定する者はいない。
「私はルカさんでなければ自ら出向こうとは思いませんでした。ルカさんだからこそ力になりたい、そう思ったのです。信頼してますよルカさん」
「ルカりんじゃなかったら僕もここにはおらんで。わざわざ危ない目にあうなんてごめんやしなー」
マシュロとポアロがそれぞれにルカを否定する。
そしてサキノがルカの眼前に立ち、凛然と対面した。
「私は確かに団長に任務を与えられたけれど、騎士団員以外の任務はルカだから同行するの。ルカになら背中を預けられる。ルカになら私の命を預けられる。ルカが仕切る理由、皆からの信頼じゃあダメかな?」
サキノは柳眉を下げながら柔らかく笑った。
全幅の信頼。
ルカだからこそ彼等彼女等はここにいる。ルカを助けたいからこそ皆が集まった。
それ以外にこの場にいる説明がつかないと彼女等は語る。
ルカは一度瞑目し、彼女達の決意を、信頼を受け止める。
救うも落とすも自分次第。
ルカは大切な者達の意志を心に焼き刻み、眼を開いた。
「わかった。大きなことは言えないが……無事にシュリアを送り届けて、皆でリフリアに帰ってこよう」
「うんっ!」「はいっ!」「せやな!」
「それじゃあ、行こう!」
初々しいながらも英姿な鼓吹に、全員の士気が上昇した。
それを眺める騎士団の皆も自然と笑みが顔に浮かんだ。
「ふふ、とってもワンダーね」
シュリアが羨ましげに零し、ルカ達の後を追う。
ゼノン、クゥラ、【クロユリ騎士団】、【夜光騎士団】に見送られながら、徐々にその姿は小さく。
魔界の太陽が目覚め、眩く暖かな光を背中に浴びながら、ルカ達は初めての騎士団混合任務に発ったのだった。




