010話 ありがとう
ココが文献を探し出し、ルカへ貸出処理を行った時には既に始業の時間が迫っていた。最上階から外を眺めると大勢の生徒が登校しており、学園の周囲は大混雑していた。その様子を見て、ルカはラヴィの眠る仮眠室へと赴き、涎を垂らしながらすぴー、と幸福に没頭する彼女に声をかける。
「ラヴィ、そろそろ起きろ。講義始まるぞ」
「ルカぁ、服は脱がしたら手洗いで……」
「何の夢を見てるんだコイツは」
「この女豹……叩き起こすわよ?」
「勘弁してやってくれ……」
本を直上に掲げたココと辟易するルカにラヴィは未だ気付かない。
平和な朝を満喫するラヴィに、委員長の権限が神格化したかのようにココの周囲に怒気が渦巻く。
「ラヴィリア、いい加減起きないとローハートのを潰すわ」
「待て、なんで俺? というか何を!?」
「んぃっ!?」
怒りの矛先が己に向いたことと、ココの不穏な発言にルカは頬を僅かに引きつらせる。
間の抜けた声を上げ、ようやく上体を跳ね起こしたラヴィは状況が把握しきれず辺りを見回す。焦点が眼前に立つルカに合うと、ようやく頭が起きてきたのか双眸を見開いた。
「ル、カ……? 何でここに……?」
「相変わらずのお花畑ね」
「へ? ココ……?」
夢現のラヴィへ怒気を収束させたココは、何事もなかったかのように悪態をつく。ラヴィは混乱に追い打ちをかけられ、更なる混乱に呑み込まれる。
ココは大きな溜息を衝き、小さな人差し指でラヴィに下を見ろと無言で指示をする。頭一杯にハテナを浮かべたラヴィが己の体躯を見つめるとそこには乱れた着衣、黒色の下着を覗かせたふしだらな格好が碧眼に反射する。
カタカタと顔を引きつらせながら右方を見ると、鏡に映った己の姿。そこには二つの位置が合っていない未完成の金髪ツインテール。
「ぎ……ぎゃあああああああああああああ!?」
目覚ましにしては大きすぎる大絶叫が、爽やかな天空図書館の中で反響した。
「信じられない! 信っじられないっ!!」
顔を盛大に赤面させたラヴィが音速の如くカーテンを閉め、着衣の乱れを直していく。
「何に対して怒っているのかわからないけど、信じられないのはアンタの頭。そもそもいつもローハートのこと襲ってるくせに何を今更恥ずかしがってんの?」
「それとこれとは話が別なの!!」
ココの遠慮も婉曲さの欠片も含まない高純度の罵倒をよそに、もぉ~、と羞恥に悶えるラヴィは自分の記憶を辿る。
「何でこんなことになってるの!? あたしは何で天空図書館にいるのぉ!?」
「俺の気配がしたって言って、半分寝ながら通学路に来たけど」
「犬ね」
「うるさいココっ! そんなことあるわけないじゃない!? あるわけ……?」
涙目で反対側から発せられる説明を求める声に、ルカはありのままを伝えた。
己の醜態を晒したラヴィはココに反発の意を示すも、どこか歯切れの悪い返答で狭間の記憶を必死に手繰り寄せようと試みる。
(夢にルカが出てきた気はするけど……え? あれは夢? それとも現実?)
「離れたローハートの気配を察知できるってアンタの頭にはローハートのことしかないわけ? だから色ボケ乳魍魎って呼ばれるのよ」
「初めて言われたんだけどぉ!? え、そんな風に言われてるの!?」
「栄誉なことじゃない。御膳上等な二つ名で」
「ごぜ……ちなみにさ、魑魅魍魎ってどんな意味?」
「化け物よ」
「悪意ひゃくぱーじゃんかああああああああ!?」
鏡に向かって艶のある金髪を直していたラヴィが、うがー! と吠える。犬猿の仲らしい、しかしどこか気心の知れた仲のようなやりとりを帷帳越しに二人は交わす。
無表情だが鼻を鳴らし、面白がるように揶揄うココは満足したかのように「後はアンタに任せる」とルカに告げると仮眠室を出ていった。
受付に戻った幼女はちょうど居合わせた生徒、そして次々列を成していく生徒達の対応に整然と移っていく。
ぐぬぬぬ……と呻くラヴィの声を聞き、ルカは一度鞄に入れた異世界共生譚の文献を手に取り、本の表紙を凝視した。
人族と亜人族が手を取り合うも、間に亀裂の入った表紙。軋轢を表した悪意とも受け取れる上紙が、日常の裏に影を作っていた事実。
ぼうっと眺めていたルカには、人族と亜人族が二人並んだイラストが己とサキノに重なってしまった。
(何を抱えている……?)
そんな思考に耽るルカの正面の帷帳が勢いよく開かれた。
「おっまたせぇ! ごめんね、何か色々迷惑かけたみたいで……えへへ」
少し照れ臭そうに、申し訳なさそうに謝罪を告げるラヴィの姿はいつも通りの身なりで、ふわっとしたツインテールが結われていた。
準備の完了したラヴィを目に、ルカは鞄を手にし異世界共生譚の文献をしまう。
「大丈夫だ、気にするな」
「ん、ありがとルカっ」
破顔一笑する彼女の相貌にルカは、秘境での死に際の光景が重なった。
「ありがとうはこっちの台詞だよ」
僅かな、本当に僅かで不器用な笑みを作り、自然と口からそうこぼれていた。
前日のラヴィの、サキノの別離の言葉と笑顔がなかったら、自分はどうなっていただろうか。一度は諦念が頭を支配し命を投げた自分が、今ここに立っているのは彼女達が何気なく口にした言葉があったからだと、ルカは痛感していた。
「へ? なんか言った?」
そんな感謝の意を汲めずにきょとんとした顔で尋ねるラヴィにルカは動じず、踵を返した。
「ん-や、何も。行こうぜラヴィ」
「うんっ!」
非日常が入り混じった日常が、ルカの足音から響いていた。




