修羅を征く the final
殺生放逸の者が……
高明を裏切る事により貴族の地位を得、落ち目の兼家に従い続けた結果として、更に出世を重ねた満仲。何をやっても結局は勝つ。振り返って見れば、人生の選択を間違えなかったのだ。苦渋も舐めたが結局は勝ち続けて来た満仲である。
気にするほどの事では無いと思っているが、最近、やはり気になる出来事が有った。
「只今、門前に妙な老僧が来ておりまして、殿にお目に掛かりたいと申しております」
或日、郎等の一人がそう言って来た。
「老僧? はて、誰であろうか」
満仲には心当たりが無い。
「出家前の俗名、西院の小藤太と申せば分かると申しております」
「西院の…… 小藤太」
満仲がぎろりと目を剥いた。
「連れは何人おる?」
と郎等に問い質す。
「いえ、連れなどおりません。本人のみです」
腕を組み、満仲は暫し瞑目していた。
「西に有る寺の境内にて待てと伝えよ。その後、戻る振りをして気取られぬよう跡をつけろ。そして、いっときほど様子を見てから報せに戻るのだ。誰かと繋ぎを取らぬか注意して見張れ。良いな」
と命じる。
「畏まりました」
腰を浮かせて下がろうとしている郎等に、
「それと、このこと、くれぐれも他言無用じゃ」
と釘を刺した。
「委細承知致しました」
郎等が出て行くと、満仲は腕組みをして、首を捻った。
『千晴がなぜ?』
と思う。
『まさか、麿を殺そうとする程の戯けに成った訳でもあるまい』と思う。
探って来た者の報告に寄ると、全くの一人だと言う。となれば、源満仲ほどの者が逃げ隠れする訳には行かない。又、郎等を引き連れて行くのも沽券に関わる。何のつもりかは分らぬが一人で行くしか無いと思った。
笠を被り粗末な直垂を着て、満仲はひとり寺に向かった。誰も国守とは気付かない。そんな出で立ちである。
境内に入ると、成るほど、老僧がひとり庭石に腰掛けている。こちらも笠で顔は見えないが、痩せこけた老僧である。
「あれが、本当に千晴なのか」
満仲はそう思った。満仲の知る千晴は、痩せ形ながら、鍛え上げられた肉体を持った精悍な男だ。ゆっくりと歩んで老僧の前に立った。老僧もゆっくりと立ち上がる。
顎紐を解き老僧が笠を脱いだ。かなり、老け込んでいる。
「何用か? 麿を殺しに来たのか」
満仲が静かに尋ねる。
「まさか」
そう言って、千晴は静かに笑った。
「見ての通り、杖以外持ってはおらぬ。それに、この体では立ち会っても負けるわ」
と千晴は自虐的に言って笑う。
「で、あろうな。それほど愚かに成ったとも思えぬ。だが、麿に対して、それ以外の用が有ろうとも思えぬ。まさか、単に恨み言を言いに来た訳ではあるまい」
油断無く鋭い視線を千晴に浴びせながら、満仲が言う。
「恩も恨みも情も捨てた。今は無名と名乗っておる。要は名無しじゃ。ここに居るのは、もはや、藤原千晴などでは無い」
満仲の隙を狙っている素振りはまるで無い。『ではなんの用か?』と思った。
「禅問答に興味は無い。用件を申せ。結構忙しい身でな」
すると、思いも寄らない言葉が千晴から返って来た。
「ならば率直に申そう。仏門に入る気は無いか?」
「何? 馬鹿も休み休み申せ。何が悲しくて麿が出家せねばならんのだ。やはり呆けたか、千晴」
千晴は平静な表情を崩さない。
「そうか、思い悩むことは無いのか。それならば良いが」
と千晴は思わせ振りに言う。
「何が言いたい。ふん、分かったぞ。坊主の形をして尤もらしいことを申しておるが、やはり恨み言を言いたいのであろう。もし、高明様が失脚しなければ、その右腕として、汝は今の麿と同等の立場に立っていたはずだったのだからな。高明様を見限った麿を許せぬであろう。だが、そんな持って回った言い方でしか麿に恨み言を言えぬとすれば、藤原千晴も落ちたものよな。はっきりと罵られた方が、まだ気分が良いわ」
満仲はそう言い放った。
「罵られることには慣れていると申すか。気の毒にな」
満仲がキッと目を剥いた。心の奥底を見透かされたような気がしたのだ。
「哀れな姿を見ては斬る気も起らなんだが、愚弄する気なら斬り捨てるぞ」
そう脅す。
「そうしたければするが良い。もはや惜しい命でも無い。だが、坊主を殺すと七代祟ると申すぞ。そう成ることは本意ではあるまい。世間の陰口を気にせず汝がひた走って来たのは、弟達や子や孫に美田を残してやりたいが為であったのであろう。世間からは鬼のように言われても、汝には、そう言う、家族思いの優しい処が有る。麿と違ってな」
満仲が何とも言えない妙な顔付きをした。
「気色の悪いことを申すな、心にも無く」
「いや、今は真底そう思っておる。確かに、あの頃は汝を蔑んでおったし、警戒もしていた。島に居た頃は、汝を殺す為に生きて帰る。日々そう思って過ごして居た。だが、生まれて初めて飢えと言うものを知り、病をも得て、我が命、もはやこれ迄かと悟った時、ふと気付いたのだ。汝に取っては、負け犬になるか、あの生き方をするかのどちらかしか無かったのだとな。麿は、父の残してくれた美田の上に胡坐を掻き、兄弟達の助けも有って、ただ、ひたすら高明様に仕えることが出来ていたのだとな。それに引き換え、汝には何も無かった。どんな手を使ってでも、己で掴み取って来なければならなかったのだな。そう気付いた。そして思った。もし麿が汝の立場だったらそこまで頑張れたであろうかとな。恐らく、負け犬に成っていたであろう。そんな風に立場の違う者が、簡単にひとを『善だ。悪だ』と決め付けて良いものだろうかと思った。汝に謀られたからでは無い。負け犬となったのは、己自身の身から出たものだと気付いた。だが、更に考え続けると、何が勝ちで、何が負けなのかと思うようになった。本音を言えば、汝同様、麿も出世しか考えていなかったのよ。こんなことを言い出すと、それこそ、負け犬の遠吠えとしか聞こえぬであろうが、生き方に付いて何かと考えるようになり、結局、己で答を出すことが出来ず経を読み仏に縋った」
満仲は、自分は、なぜこんな戯言をいつまで聞いているのかと己自身で思いながらも、
『もう良い。失せろ』
と言ってその場を立ち去ることが出来無いで居る自分に苛立っていた。
「浮き世も戦場と同じ、善も悪も無い。有るのは勝ちか負けかだけだ。麿が勝ち、汝は負けた。それだけのこと、わざわざ仏に聞かずとも自明のことだ。屁理屈を並べてみても、腹の足しにもならんぞ」
「仏に教えを乞いたいのは、そのようなことでは無い」
「なら、仏には会えたのか?」
満仲は、意識してこともなげに尋ねた。
「いや、まだだ。心は未だ彷徨っておる」
「妻や子、孫達には会うたか?」
「情は捨てたと申したであろう」
「ふん、下らん。いつまでそんな話に付き合っておれんわ」
そう言い残すと、満仲は踵を返して歩き出した。千晴は、それを無言で見送る。
満仲が振り返った。
「無名とやら、二度と麿の前に現れるな」
凄みを効かせて、千晴を睨む。
「汝の曾祖父は清和の帝。皇孫たる身がこのままで終われるかと言うのが、汝の出世欲の源であったのでは無いのか。そして、帝の血を引いていると言うことが、唯一の誇りであったはずだ。前帝にしたことに対し奉り、今、心苦しくは無いのか?」
己の悩みをずばり突かれて、満仲は内心ギクリとした。
「何のことを申しておる」
と惚ける。
「いや、良い」
再び踵を返して、満仲は歩き始めた。
「世迷い言を抜かしおって」
そう呟くが、ずっしりと重い物が載し掛かって来るような気がした。弱気など起こしてたまるかと己に言い聞かせる。
ところがそんな満仲が、間も無く、夜毎悪夢にうなされるようになってしまった。思い余って高僧に救いを求めたが、その僧も結局俗物でしか無かった。満仲自身、心の揺れが信じられない。自分はそんな気弱な男では無いと、己に言い聞かせるが、どうにも落ち着かない。ふと、僧となっている五男の源賢の話を聞いてみようと思った。
延暦寺の許しを得て、満仲は源賢を館に呼んだ。
「麿の寄進をなぜ断った」
呼び出した源賢に満仲はいきなりそう問い質した。以前、源賢の僧としての地位を上げてやろうと叡山へ寄進をしようとした際に、源賢が断って来た事が有ったのだ。
「申し訳御座いません。父上のお心を無に致しました」
源賢は本当に済まなそうに頭を下げた。満仲とすれば親心と思ってした事なのだ。
今や僧も公卿の従者も変わりが無い。財を使って上司の機嫌を取れば、役も職も得られる。そう言った駆け引きは満仲の得意とする処だ。それを、何が不満で断ったのか、まず聞きたかった。
「まだまだ、修行が足らぬ身。今せねばならぬことが山ほど有ります。地位が上がってしまったら出来なくなることも有るのです」
そう弁解したが、満仲には理解出来ない理屈である。
「それが何かは知らぬが、そんなことは下の者にやらせれば良い」
と不機嫌そうに言った。
「己がすべきことをひとにやらせたりしたら、何の為の修行か分からなくなります」
と源賢が応じる。
「麿の子とは思えぬ人の良さじゃな。ついこの間会うて来た高僧など、まるで欲の塊じゃった」
源賢は僅かに微笑んだ。
「どなた様かは存じませんが、父上の思い違いと言うことも御座いましょう」
満仲が目を剥く。
「麿の目を節穴と思うてか。人を見る目に間違いは無い。特に、胡散臭い奴は直ぐ分かる」
正しいかどうかは別として、揺るぎない信念を以て生きて来た父の言葉を否定する訳には行かない。
「ひとのことはもう宜しいでは御座いませんか。それより、本日のお呼び出しはお叱りの為で御座いますか?」
源賢は話題を変えようとして、そう言った。
「うん? 用件か。そうであったな。では聞こう。仏法とは何か?」
満仲は出し抜けにずばりと聞いた。
「これはまた、いきなり難しいことを聞かれますな。日々それを学んでおりますが、万分の一も理解出来ておりません」
父らしいと言えばそうに違いはないのだが、無茶な事を聞くものだと源賢は思った。
「いや、難しい理屈は要らぬ。麿に分かる範囲で簡単に申せ」
と満仲はせっついた。
「ならば、ごく簡単にお答え致します。
生きることへの執着、病に倒れることへの不安、老いることの悲しみ、死への恐れ。人は皆、それらを思い患いながら生きております。又、そこから欲に絡む数々の煩悩が生じて参ります。その苦悩から脱するには、己を見詰め拘りを捨て、己を無にするしか御座いません。これを解脱と申します。解脱出来れば、苦悩は無くなり清浄な日々を送ることが出来ます。しかし、言うは易く行うは難し。道程は遥か永遠とも思える難事で御座います。そこで、如来、即ち悟りに達した御仏のお言葉を学び、悟りに至る手順をひとつひとつ実践して行くのです。これも簡単ではありません。それが仏法の修行です」
真剣に見詰めていた満仲がニヤリと笑う。
「無理じゃな。そんなこと、天地がひっくり返っても麿には出来ぬわ」
満仲は首の辺りを擦りながら、源賢から視線を逸らし、庭の方に視線を投げた。意気込んで問い掛けたものの、到底無理と思い興味が薄れたようだ。
「ご心配無く。今申し上げたのは、我等修行する者の立場でのことです。お釈迦様は『全ての衆生は往生出来る』と仰っているのです」
満仲が不思議そうに源賢を見た。
『まさか、こ奴、親の麿を誑かすつもりではあるまいな』そう思った。
難題を吹っ掛けて置いて、いきなり、簡単に出来る方法が有ると囁く。人を陥れる時良く使われる手だ。何を血迷って居たのかと、己を顧みて、満仲は思った。
『悪夢も突然襲って来るやりきれなさも、全て疲れのせいだ。体と心の疲れが死霊に付け込む隙を与えているのだ。吾ながら少し働き過ぎだと思う。任せられることはもう少しひとに任せ、少し休暇でも取れば、悪夢も見無くなるだろうし、気鬱も晴れるに違いない。ひとを頼ろうと思ったことが間違いであった。吾らしくも無い。それも、疲れから来た迷いであったのか』そう思った。
だが、せっかく源賢を呼んだのだから、仏法に関し日頃疑問に思ってはいるが他人には聞けぬことを、この際だから聞いてみようと思った。それで我が子がどれ程の修行を積んでいるかも、大方の察しは付く。
「以前、或る者を切り捨てた時、ひと太刀では死なず、その者はまだ息が有った。火付け、押し込み、人殺し、“何でもござれ”の男だった。ところがその男、苦しい息の下で『なんまいだ、なんまいだ』と呟き始めた。何のつもりかと聞いてやった。すると『これで吾は極楽往生出来る。満仲、貴様はいずれ地獄行きだ』と抜かしおった。麿は、それならばさっさとあの世へ往けと言ってとどめを刺した。この話どう思う?」
満仲が源賢を見据えた。源賢は穏やかな表情で答える。
「悪人でも念仏さえ唱えれば極楽浄土へ往けると言うなら、誰も好き勝手に生きれば良いと曲解する者もおります」
「曲解では無かろう。無知蒙昧な者達にそう教え込んで信徒を増やしているのではないのか」
仏教界全体が俗化していると日頃感じている満仲は、そう突いて出た。
「阿弥陀仏に身命を捧げて服従し、お縋りしますと言う心が無ければなりません。仏様を信じる心、即ち“信心”です。信心が生まれれば心の在り方が変わり、自ずと心が正されます。死ぬ前に一度唱えれば良いと言うものではありません」
「なるほど。そんな安易なものであれば、寄進も僧の修行も意味が無いことになるからな。ところで源賢。如来とは八百万の神々のように大勢御座すものなのか? 浄土教では阿弥陀如来、天台では釈迦如来、真言宗では大日如来と申すではないか。大体、仏法とは釈迦が始めたものと麿は思うておったが、他にも色々な仏法が有ると言うことなのか?」
日頃から疑問に思っていた事ではあるが、僧に聞いてみても、己の宗派に都合の良い説明しかしないに違いないと決め付けていたので、今まで聞いた事は無い問いだった。
「如来とは悟を得た方のことですから大勢御座します。お釈迦様入滅以前にも数多くいらっしゃいました。お釈迦様は、天竺の然る国の王子としてお生まれになり、人の生病老死の愁いをお悲しみになり、地位を捨てて出家されました。やがて悟を開き布教されたのですが、入滅を前に弟子達にこう語られました。
『実は私は、始めて悟を開き如来と成った訳では無い。前世もそのまた前世も久遠の遥か昔から如来で在ったのだ。そしてこれから先も、いつの世にもそこに在る』
そう仰いました。法華教の本門に書かれていることで、お釈迦様を久遠仏と称します。例えて言うなら、お釈迦様が月で、他の諸仏は棚田に映った月とお考え下さい。それが、天台法華の考え方です」
「ふん。そなたも坊主らしく成ったものじゃのう。坊主は訳の分からんことを申して人を煙に巻きおる」
満仲がそう混ぜっ返したが、源賢は続けた。
「入滅の時期と悟られ、弟子達を前に最後の説教をされた時のことです。薬王菩薩達などの大勢の菩薩は、お釈迦様の命に従い末法に法華経を広めることを誓いました。しかし、お釈迦様はそれを拒否されたのです。
『仏法に帰依した男子よ。汝等がこの経を護持せんことを用いず』
そう申されたのです。お前達はこのお経を広めなくて良い、と仰っているのです。薬王菩薩たちは戸惑ってしまいます。
お釈迦様は『我が娑婆世界には大勢の菩薩が居る』と述べられました。そうしますと大地が振動して六万恒河沙(ろくまんこうかしゃ:ガンジス川の川砂のことで、無限に近い数)と言う菩薩が湧出して来ました。みな金色の光明に輝いていました。そして、この大地から涌き出た『地涌の菩薩』の上首が上行・無辺行・浄行・安立行の 四大菩薩で、四大菩薩はお釈迦様に向かい奉り合掌して『世尊(釈迦)は安楽にして少病少悩に居られますが。衆生を教化することにお疲れは有りませんか』と挨拶をされました。
この様子を見ていた弥勒菩薩達は、これらの高貴な菩薩はどなたかを問われます。弥勒は『今まで師の側に仕えて参りましたけれど、この方々を一度も見たことも聞いたことも無い。どう言うことでしょうか?』と尋ねられました。お釈迦様は『吾、久遠よりこれらの衆を教化せり』と答えられます。弥勒は『師は三十歳に成道され、まだ四十年ほどしか経っていないのに、いつの間に教化されたのですか、まるで二十五歳の青年が百歳の人を我が子であると言い、また、百歳の人も青年を指して我が父であると言っているようで信じられない』と言います。
これに答えたのが法華経の如来寿量品です。お釈迦様は『皆は自分が王子と生まれ十九歳に出家し、三十歳で成道した仏と思っているだろう、しかし、実は久遠の昔から仏で在った』と述べられるのです。
『地涌の菩薩は、お釈迦様が久遠から教化して来た弟子であり、地から湧き出たことでそれを証明している』と教えたのです。皆が今まで思っていた仏とは、菩提樹の下で始めて仏と成った『始成の仏(今世で初めて成仏したと言うこと)』であったけれど、本当は「久遠の仏」であったことを説かれたのです」
満仲は話し半分として聞いていた。
「そのような事、誰が見たのか? 誰が聞いたのか?」
と追求する。
「弟子達です。ここで言う菩薩とは弟子の内、或る程度の修行の域に達した者達とお考え下さい。人です」
「それを誰が書き残したのか?」
と更に満仲が問う。
「それも弟子達です。お釈迦様の入滅後、結集と言う会議を開き纏めました。
お釈迦様入滅時に一人の比丘(びく:男性修行者)が『もう師からとやかく言われることも無くなった』と放言したことが切掛けで、これを聞いた大迦葉(だいかしょう:摩訶迦葉)と言う高弟が、お釈迦様の教説(法と律)を正しく記録することの大切さを仲間の比丘達に訴え、聖典を編纂したと言うことです。
その後、解釈を巡って対立が起きるごとに、百年後、二百年後など、結集は四回ほど行われたそうです。それで経典の数も多くなり、どの経典に重きを置くかで解釈が分かれ、本仏とする如来も違って参りました。
天台では法華一乗と言う立場を取り、釈迦如来を本仏とし、法華教を根本経典とする立場を取っております」
「菩薩とは?」
「修行僧の中で最高の段階です」
「その時、釈迦の弟子達は人であったであろうが、地涌の菩薩達は既に人ではあるまい」
「はい。菩薩の位は五十二位有り、その最高位は妙覚と言い、一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一です。既に悟りを得ているにも関わらず、成仏を拒み、仏陀の手足と成って活動する菩薩もおります」
「それが、地涌の菩薩か?」
満仲は、他の宗派を頭から否定する事をせず“天台では”と自らの立場を説明する源賢の姿勢に好感を持ち、話の中に入って行く姿勢を見せている。
「お釈迦様は多くの弟子達に対して、滅後、末法に法華経を広めるのはこの娑婆世界に住する地涌の菩薩であることを宣言されたのです。法華経の本門では弥勒菩薩を筆頭とする、お釈迦様の弟子又は他方の世界から来臨した菩薩は、本仏が分身した迹仏が教化した迹化の菩薩とされます。それに対して地涌の菩薩は、久遠の本地に本仏が教化した本化の菩薩とされます。即ち末法の大衆を救済するのは迹化の菩薩では無く、久遠の本地の菩薩である地涌の菩薩であるとされているのです。
本仏の化身であるお釈迦様の化導を受ける普賢・文殊・観音・勢至・弥勒・薬王などの菩薩は迹化の菩薩であり、数多の地涌の菩薩を本化の菩薩と申します。また、本仏が教化し久遠の法を持つ地涌の菩薩は本仏の化身であるお釈迦様、即ち、当時、生身の人間としてこの世に在ったお釈迦様より尊いが、それではお釈迦様在世の衆生が困惑してしまうので、父がお釈迦様、子が地涌の菩薩という形を取ることで、末法の世界の人々が受け入れ易いように、お釈迦様が説法をしたと言うことを法華経は説いております」
満仲は首を捻った。
「何か良う分らんようになって来た。それに付いてはもう良い。末法と申したが、今は末法なのか?」
と話題を変える。真剣に聞いてはいたが、やはり満仲には理解し難い話となってしまったようだ。
「そうだと申す者もおりますし、末法は近いが、未だそうでは無いと申す者もおります」
満仲は曖昧さを嫌う。
「いずれじゃ。又、何を以て末法と言うのか?」
と源賢に詰め寄る。
「お釈迦様がこの世を去ってから最初の千年の間を正法の時代と言い、教えがきちんと伝わる時代のことを指します。その次の千年を像法と言い、影だけが伝わる時代で、その後の千年を末法と言って、お釈迦様の教えが廃れてしまって、世の中に混乱が起こると言われています。正法を五百年と言う説も有り、又遠い昔、天竺でのことですので、お釈迦様の入滅が何年前だったのかに付いても諸説有ります。入滅されたのは、凡そ今から千五百年前、正法を五百年とすると、あと数十年で末法と言うことになります」
源賢は満仲を説き伏せようなどとは思っていない。ただ、持てる知識を父に分かる言い方で伝えようとしていた。
「なるほど。仏法とて時が経てば忘れ去られるか。尤もじゃ。ふん。今の世の有り様を見ていると、麿は、とっくに末法が始まっていると思うがな。だが待てよ。久遠の仏はいつの世にも在り、末法には法華経を広める数多の地涌の菩薩が現れると申したではないか。それなのになぜ世は乱れる? 本仏や数多の菩薩の力を以てしても、世も人の心も変えられぬと言うことか?」
「世はまだまだ乱れると思います。手前は、やはり末法に入るのはこれからだと考えております。今から六拾五年後の壬辰の年から末法が始まると考える者が多数御座います。その時には、必ず、数多の菩薩がこの世に現われ、衆生を救おうと必死に働くものと手前は考えております」
源賢が満仲を見詰め真剣な表情で答える。
「そもそも、久遠仏と数多の菩薩がおって、なぜ末法と成ることを防げぬのかと聞いておる。六十年以上先では、麿は元より、そなたとて生きておらぬであろう。何とでも言えるわ」
我が子以外の僧にこんな事を言ったら、屁理屈が帰って来るに違いないと満仲は思った。
「仏教の根本原理を三法印と申します。仏教を特徴付ける三つの真理のことで御座います。そのひとつが諸行無常。即ち、全ての存在は、姿、形、その本質も常に変化・生滅するものであり、一瞬といえども、存在は同じでは無いと言うことです。仏法も、娑婆世界に於いては、それを免れることは出来ません。そこで、末法の世に於いては、教えを取り戻す為の努力が必要となるのです。この真理を知った上で、あらゆる物事を良い方向に変化させて行くような前向きな生き方に目覚めよと言うのがお釈迦様の本意です」
「麿の死んだ後のことだ。確かめようも無いな」
『やはり仏法など屁理屈か』と満仲は思うが、切り捨てられない不安も残っている。
「他にも聞きたいことが有る。『因果応報』と言う言葉が有るが、これをどう思うか?」
「どう思うかとは?」
「良い行いをすれば良い結果が生まれ、悪事を行えば仏罰を受けると仏法では説いているのではないか?」
「大方そのような意味になる教えは御座います」
「さぞかし麿などは仏罰を受ける方の立場であろうが、これは、そなただから聞けることで、例え高僧であろうが、他人には決して聞けぬことじゃ。心して答えよ」
満仲が真剣な表情で源賢を見詰める。源賢は、そこに父の苦悩の正体を見た。
「はい」
源賢も真剣な面持ちで答える。
「その名を口にすることは憚られるが、ここに或る一族が居ると思え。この一族は十代を越えても、尚、繁栄を誇っている。他のいかなる氏族よりもじゃ。永きに渡り、この一族の中心に居る者がこの国を動かして来た。ここまで言えば、名を出さぬ意味は殆ど無いが、他国でのいずれの時代かの逸話と思って聞いてくれ。だが、この一族のして来たことと言えば、裏切りと謀略、そして骨肉の争いの連続じゃ。一族の地位を脅かす者が現れれば抹殺し、他氏を排斥して来た。時には、やんごとなき辺りの方々までも陥れる。
なぜこの一族は繁栄を続けられるのか? それに答えられなければ、仏法など絵空事と言われても仕方有るまい。ただ、この一族の長は、決して自らの手で人を殺めたりはせぬ。穢れを嫌い、又恐れるゆえ、誰かに殺らせるのだ。その一方で、この一族の者は仏法に帰依する者が多く、大枚の寄進をしたり、多くの寺社を建立したりしておる。自らの手を血で汚すこと無く、大枚の寄進をしたり豪華な寺院を建立して功徳を積んだりしているから、仏はこの一族を擁護し続けていると言うことなのか?」
誰にも吐露した事の無い、満仲の本音である。皇孫である源氏の己が、本来臣下の家系であるべき藤原に仕えて来たことへの屈辱と自己矛盾とも言うべき心理である。満仲は実利の為に誇りを抑えて来た。だが、仏教などが言う綺麗事に接すると、憤りが湧き出して来る事が有るのだ。
源賢の表情が悲しげに曇る。
「仏法が邪法であるとお思いですか?」
と満仲に尋ねる。
「そこまでは申さぬ。だが、全ての衆生を救うなどと申しながら、結局は財と権力が無ければ成仏も出来ぬのでは無いか。財と権力さえ有れば、ほかで何をしようと成仏でき、一族の繁栄も得られるでは無いかと申しておるのじゃ」
「父上があの御一族に着いてそのようにお考えとは、思ってもみませんでした」
「だから、他の国のいずれの時代かの逸話と断ったであろう。別に誹謗している訳では無い。現実をどう見るかと問うておるのじゃ」
「仰ることは分かります。確かに今、寺院は多くの荘園を持ち、又、権門からの多額な寄進を得て成り立っております。又、霊場には腰に大太刀を吊った僧俗が跋扈し、喧嘩三昧も度々のこと。なればこそ、今は像法の時代だと考えるのです。先程、像法とは影だけが伝わる時代と申しましたが、詳しく申せば、仏法と修行者は存在するが、それらの結果としての証が滅する為、悟を開く者は存在しない時代と言うことです。像法とは、正法に似た仏法と言うことで、“像”には『似る』と言う意味が有り、仏法に似て非なるものと言うことです。なればこそ、貴人は莫大な寄進をしたり寺院を建立したりして仏心厚きように装っておりますが、真の信心を持たぬ方も多数御座いますし、僧体を取りながら俗物と変わらぬ者も少なくありません」
満仲は源賢の本音を垣間見たと思った。
「因果に付いては何と答える?」
と次の問いを放つ。
「仏法とは、生病老死の苦悩から脱し、悟を開き、涅槃に至る道で御座います。それに至る方法と手順をお釈迦様が説かれたものです。確かに、俗世で代々栄華を誇っている家系は御座います。その行いが例え正しく無くとも、それは厳然たる事実です。しかし、お考え下さい。地位が高く多くの財を持っていれば、それらを失うのが恐ろしいはず。病に因ってその職を辞すようなことになれば、直ぐに他の誰かに取って代わられます。まして、死を迎えれば、栄華、財産、名誉。その全てが一瞬にして失われる訳です。あの方々の苦悩は凡夫よりも遥かに深いのです。
仏の教えでは、あらゆるものへの執着を捨て、己を無にすることによって悟が開けると説いております。あの方々はあらゆるものに執着しており、失うことを恐れているのです。およそ、悟とは真逆の心根です。世俗的には栄華を誇っているかに見えても、心の中は闇、苦悩は深いと思います」
「ものは言いようよのう。南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行け、今までと同じ豪奢な営みが出来る上に苦悩も無くなると説いておるから、寄進もし、寺も建てるのではないか。さすがに死ぬ前に唱えるだけで良いとは思うておらんようで、普段から寄進したり、寺院を建立したりして功徳を積んでいるつもりなのであろうよ」
「貴族は声を出して念仏を唱えたりは致しません。観想念仏と言って弥陀のお姿や浄土を思い浮かべ、心で念じるのです。称名は庶民に広める為に考案されたものです」
「そうであったか。それすらも知らなんだ。
『世俗的には栄華を誇っているかに見えても、心の中は闇、苦悩は深い』者達の端くれには、麿も入るのであろうのう」
「そもそも、父上は仏法などには全く関心の無い方と思っておりました。こうしてお話を聞いて頂けることは無上の慶びでは有りますが、何がそうさせたのでしょうか?」
満仲が戸惑ったように目を泳がせた。
「うん? …… まあ良い。今それを聞くな。それより、仏道の修行とは真逆の考えの者が、念仏で阿弥陀の浄土へ行けるのか?」
そう聞いた。
「そもそも浄土教は古来より存在しますが、法華経の中には阿弥陀様が二箇所登場します。化城諭品第七と薬王菩薩本事品第二十三です。
化城諭品第七には『西方に二人の仏が在り、一人を阿弥陀といい、二人目を度一切世間苦悩と言う』と有り、薬王菩薩本事品第二十三では「女人在って、この経典を聞いて説かれた通りに修行したならば、ここで命を終って、そして安楽世界の阿弥陀仏の偉大な悟りを求める修行者衆が取り巻いて住んでいる場所に行き、蓮の花の中の宝座の上に生まれるだろう』と女人成仏を説いた部分に阿弥陀の御名が御座います。法華経に有るのはこれだけですが、念仏は『無量寿経』と言う経典に基づく考え方です。無量寿経には、過去久遠の昔、法蔵菩薩が無上なる悟りを得ようと志し、生きとし生ける者を救済する為の本願として四十八願を立て、途方も無く長い間修行を重ねた後、本願を完成して、今から十劫という遥か以前に阿弥陀仏と成り、現に西方の極楽という世界、つまり浄土に住して説法していることを述べ、次いで、極楽浄土の優れた室礼を詳しく描写し、この極楽への往生を願う人々を上・中・下の三輩に分け、念仏を中心とした種々の実践法に因っていずれも浄土に往生し得ることを説いているものです。善行も戎も守り切れない下輩の者は、例え僅かな回数でも、一心に念ずれば往生が定まると説かれています。そしてお釈迦様は、偈文を読み、教えを聞き、阿弥陀仏を敬い、極楽への往生を勧めるのです。さらに浄土に往生した聖なる者たちの徳を説かれる。 次にお釈迦様は弥勒菩薩に対して、煩悩の有る世界、これを穢土と申しますが、そこに生きる衆生の苦しみの理由を、三毒・五悪に因ると示し、誡めます。続けて弥勒菩薩に、そのままではその苦しみから逃れられないことを説き、極楽に往生することが苦しみから逃れる方法であると説かれます。それは、ただ無量寿仏の名を聞いて、たった一度でも名を称えれば、つまり念仏すれば、功徳を身に供えることが出来ると説いたと書かれています。この教えを聞いたものは、後戻りすることは無く、必ず往生出来ると説かれます。無上功徳の名号を受持せよと勧め、時が流れ一切の法が滅しても、この経・無量寿経だけは留め置いて人々を救い続けると説かれているのです」
満仲が首を捻った。
「うん? 釈迦が『今まで面倒なことをあれこれ申して来たが、阿弥陀は吾よりも優れているので、実はその名を称えるだけで極楽往生出来るのだ』と言ったと書いてあるのか?」
と問う。
「良くぞお気付きになりました。仏法とはお釈迦様が創始したものです。その主体である釈迦が『私の説いて来たことは分かり難かった。簡単に出来る方法が有るから、今後は阿弥陀に従いなさい』などと申したら、自ら仏法の主体としての立場を放棄したも同じことです。
現に、この無量寿経を学ぶ者の一部には、唯一の久遠仏は阿弥陀如来であると考える者達が出て来ております。もちろん、根拠は無量寿経です。これが、先程父上が尋ねられた如来が複数御座すことの疑問へのひとつの答となりましょう。
仏法とはお釈迦様が開いた教えです。仏典、即ちお経とは、お釈迦様の遺された教えを、弟子達が結集を開き纏め、書き残した物です。結集は、百年後から百年或いは数百年ごとに数回行われました。又、原典は天竺に於いて梵語で書かれましたが、周辺諸国を経て唐などに伝わり漢訳され我が国に齎された物です。その間に、実際にはお釈迦様が仰っていないことが入り込んで来る余地は十分考えられます。これは何も無量寿経に限ったことでは無く、数ある経典の中で、何を基本として見るかで立場が分かれて行きます。我等が始祖・伝教大師(最澄)様は法華経こそ根本原理と説かれております」
「ふ~ん。その伝教大師様とやらは、間違ってはおらぬとそなたは思っていると言うことか」
「はい」
源賢は、父が大きな悩みと苦しみを抱えていることを察していた。元々、父には悪評が付き纏っている。そして、それを気にも止めないのが、また父であった。仏法の話を聞こうとすること自体珍しいことであり、源賢は、そこに父の悩みと苦しみの深さを見た。
『父が悩み苦しんでいるのであれば、僧籍に在る自分が是非救いたい。いや、救わなければならない』と思った。だが、説得しようとすることは逆効果になる。父はそう言う人だ。今は、父の疑問にひたすら答えてやるのみ。そう思っていた。
「最後にひとつ聞く。麿は地獄に落ちる者と思うか?」
やはり、悩み、苦しみの元はそれであったか、と源賢は思った。
「本来仏教では、どこかかに『地獄』という場所が有るとは言っておりません。自らが生みだす苦しみの世界、それが地獄です。地獄に落ちると言う発想は、極楽浄土に行き成仏することとの対比として、大無量寿経の中に、「従苦入苦従冥入冥」とお釈迦様が仰ったと書かれております。
即ち『苦より苦に入り、闇より闇に入る』と言うことで、この意味は『この世で苦しんでいる人は、死んだ後も地獄の苦を受ける。この世の自業苦から死後の地獄へと堕ちて行く』ということです。
だから、生きている今生で阿弥陀仏の本願に救われて自業苦が業苦楽にならないと、死んで極楽には往けないと説いています。つまりは『阿弥陀を信じ、念仏を唱え、全てをお任せすれば、極楽往生出来るが、そうしなければ地獄に落ちる』と説いているのです」
「生きている間の行いが良ければ極楽往生出来、行いが悪ければ地獄に落ちると言うことでは無く、単に阿弥陀仏を信じ念仏を唱えるか否かで、地獄行きか極楽行きかが決まると言うことか? 公卿達が飛び着く訳だ」
『絡繰りが分かったぞ』とばかりに満仲がほくそ笑む。
「公卿の方々ばかりでは無く、これは、庶民にも受け入れ易いので、今、浄土教は盛んになっております。庶民、特に賎民などは、食べ物も満足に得られず、毎日が苦しいことばかり『なんまいだ』つまり『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで、極楽往生出来るなら、こんな苦界から脱して、早くそちらに行った方が良いとさえ思うようになるでしょう。浄土教は、難しいと思われていた仏教を庶民に近付けました。それは確かです」
「文字も読めぬし、説法を聞いても意味の分からん者達に取っては、確かに分かり易い教えであろうのう」
「阿弥陀教の説く処は、末法になると、修行して悟を開ける者は誰も居なくなる。もはや、人が己自身の力で成仏することは不可能となる。唯一の道は、阿弥陀如来を信じ、全てをお任せして、唯ひたすら、念仏を唱えるより他に方法は無いと言うことです」
「ふふふ。麿も念仏を唱えれば極楽往生出来ると言うことか。愉快じゃ」
満仲はそう言って笑ったが、心からそう思っているとは思えない。
「しかし、どうでしょうか。そもそも仏法とは己を無にして苦悩から脱する法で御座います。極楽へ行く為の法ではありません。悟りを開き涅槃に入ることと、衆生救済が目的です。天竺の小国に生まれた人である王子が、生病老死に起因する苦悩から脱する為出家し、最初は、荒行を重ねますが、それが無意味と知り、ひたすら己を見詰めます。
そして、己を無にし、あらゆる執着を絶ち切ることで初めて悟りを開く訳です。菩提樹の下で瞑想し、無我の境地に至る迄に襲って来る数々の煩悩。それが、いわば地獄です。その煩悩を絶ち切り、悟を開き涅槃に入ることで浄土に至る。地獄も浄土も人の心の中に有る。そう思います」
「言うことは尤もだが、それは、覚悟を以て修行しようと思う僧にしか出来ぬことであろう」
「はい。そこで仏法には方便と言うものが御座います」
「ふふ。確かに『嘘も方便』と言う言葉が有るな」
「一般には相当誤解して使われておりますが、到底無理と思ってしまうことを、段階を踏んで理解させる手法のことです。法華経の前半を迹門、後半を本門と申しますが、この迹門は比喩・例え話で構成されております。
例えば『三車火宅の譬え』これは、或る長者の家が火事になりますが、遊びに夢中な三人の童達は、火事に気付かず逃げようとしません。そこで、長者は、それぞれが欲しがっている玩具が外に有る。早く行ってそれで遊びなさいと嘘を言って童達を逃がします。童達を救う為についた嘘、これを方便と申します。意味としては、長者、即ちお釈迦様は火事に気付かない童達。即ち、仏の道を知らぬ衆生を救う為に仮の教えを説くことが有る。迹門ではそんな例がいくつか語られます。しかし、童達の欲しがる玩具と言うのが、羊の引く車、鹿の引く車、牛の引く車で、羊や鹿の引く車など我が国には御座いませんから、話としては分かっても心に響くところまでは参りません。当時の天竺では、庶民でもなるほどと感心するような例え話だったのだと思います。そこで、手前は例えば「化城の譬え」と言う例えを民に語る時、こんな風に変えて話します。
「長旅が初めての子を連れて坂東から上洛しようとする人がいます。都までの実際の距離や歩かねばならない日数を知ったら、童は恐れを成して、行きたくないと駄々を捏ねることでしょう。そこで、その人は、富士を指差し、あの麓に都が有る、『さあ行こう』と子を促します。富士は坂東から良く見えますし、高い山は、より近く感じます。子は行こうと言う気になって歩き出してくれます。富士の麓に都は有りません。嘘をついた訳です。しかし、富士まで辿り着く頃には、童も旅に慣れ、旅の楽しさも知って足も丈夫になっていることでしょう。本当の都はもう少し先に有る。もうひと頑張りしよう。
最初から全てを話せば尻込みをして歩き出そうとしない人を導く為の方法。それを方便と申します。地獄、極楽も手前は方便と捉えております」
「輪廻転生に寄り魂が地獄に落ち、永遠に彷徨い続けることは無いと申すか」
「永遠に彷徨う魂などと言うものは、仏法では否定されます。輪廻転生とは、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄と言う六道に生を繰返すと言うことで、それ自体が苦と言うことになります。しかし、これは当時の天竺で広く信じられていた考え方で、他の宗教でも多く取り入れらていた考え方です。解脱した直後にお釈迦様はこう仰いました。『生は尽きた。清浄な行いは成し遂げられたのだ。成すべき事は成された。もはや生まれ変わる事は無い』これは、当時の天竺で常識だった輪廻転生の考え方を、悟に因って否定した言葉であると思います。迷いの原因をはっきり突き止められたのです。苦界を彷徨い続ける原因は己自身の中に有りその原因を滅却すれば、迷いの世界は消え、輪廻転生など存在しなくなる。それを見極められたのです。これを以て、仏法とは、解脱し、果てしない輪廻転生から逃れる法と思う方もおられますが、そもそも、天竺に有った輪廻転生の考え方を否定したものと手前は考えます。仏法の根本である三法印に立ち帰って見ればそれは明らかです。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を三法印と申しますが、
三法印の一。世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものは無いと言うことであれば、永遠に輪廻転生を繰り返す魂など最初から有り得ません。また、諸法無我、即ち、あらゆる事物には、永遠・不変な本性である『我』が無いということでもあります。また、三法印に『一切皆苦』を加えて四法印と呼ぶこともありますが、楽もその壊れる時には苦となり、不苦不楽も全ては無常であって生滅変化を免れ得無いからこそ苦である、と言うことです」
「麿が地獄へ行くことは無いのか?」
と満仲が聞く。有るか無いかを知りたいのでは無い。源賢がどう答えるかを測っているのだ。
「全ての衆生は成仏出来ます。地獄は人の心の中に御座いますので、あらゆる執着を断ち切り、己を見詰め直し、清浄な心に至れば、涅槃に入り、そこが浄土となりましょう。正しく見、正しく思い、正しい言葉で話し、正しく行い、正しく生活し、正しく務め、正しく念じ、正しく心を整える。これを、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定と申します。それが、悟りに至る道で御座います」
「いきなり難しいことを申すな。『正念場』と言う言葉だけは知っておるが、あとのことは、麿に出来る訳無かろう。しかし、話は面白く聞いた。そなたは、兵にするには弱過ぎると思い寺に入れたが、麿の見立て違いであった。厳しい修行に堪え、良う学んでいるようじゃ。弱いのでは無く、優しい心根を持っておっただけであったか」
満仲は柔らかい笑みを湛えて、そう言った。
「父上、仏門にお入りになりたいと思われているのですか?」
源賢は思い切って尋ねてみた。満仲が源賢を見て今度は不敵に笑う。
「戯け。己の親がどのような者か分からんのか。正見、正思、正語、あと、なんじゃったかな? そんな面倒なこと、麿に出来ると思っておるのか」
強がりなのか、いつも満仲が見せている自信と信念が顔を覗かせている。
「熱心に聞いて頂けたと思いましたが」
源賢は少し気落ちした様子で、そう言った。
「もし、地獄と言うものがあって、そこに落ちねばならんとしたら、どんな所かと思って聞いてみた迄じゃ。悪行と言われることも数々やって来た。今更、浄土へ行きたいなど虫の良いことは思うておらぬわ。だが、その悪行のお陰でそなたの伯父達や兄弟達は地位を得、財を成しておる。己の来し方を振り返って悔いることなど何も無いわ。一切皆苦と申したな。同じ苦なら、残すべきものを残した上での苦の方が良いであろう。そなたの申すような生き方をしている者がどこにおる。今の世には、悪人か何も出来ぬ者かのどちらかしかおらぬわ」
父が強がりを言っていることは明白だった。かと言って、打ち拉がれた父を見たかった分けでは無い。源賢は微笑みを湛えて、父に暇を告げた。
また夢を見た。誰も彼も笑顔。中でもこの日の主役である高明は、今日ばかりは晴々しい笑顔を振り撒いている。
白の合わせの直衣姿、紅と藍を掛け合わせた二藍の裏地が袖口から覗いており、二藍の紅の色が比較的濃い為、白い表地に紅が透けて、通常は若年の貴族が着る、いわゆる『桜の直衣』のような華やかさを見せている。五十四歳になるはずだが、その整った顔立ちと発する若々しい雰囲気の為、余り違和感は無い。立烏帽子を被り右手に扇を持って、その扇で時折首の辺りを軽く叩いている。十月に正二位に上り、十二月十三日に、右大臣から左大臣に転じた祝いの宴。
太政大臣と成った藤原実頼が上に居ることは居るのだが、高齢である。実頼とは会談を重ね、お互いの立場の調整は取れている。後は娘の夫である為平親王が立太子されるのを待つばかり。高明の人生も最後の仕上げを待つばかり、となっている。
為平親王の立太子を支障無く運ぶ為、高明が譲歩し、実頼が太政大臣と成り最後の花道を飾ることを了承したのだ。その実頼も高明の隣で笑顔を見せている。大納言から右大臣に転じた師尹、大納言・在衡、中納言から大納言に転じた源兼明、参議から権大納言に躍進した伊尹、中納言・師氏ら錚々たる顔ぶれが座を連ねている。
源満仲、藤原千晴の両人も末席を与えられてはいるが、従者として公卿達に奉仕することで、座を温める暇など無い。嬉々として公卿達に奉仕する千晴を横目で見ながら、満仲は実頼を見た。屈託無い様子で、高明と談笑している。伊尹はと言うと、甥に抜かれてしまって甚だ面白く無いはずの伯父・師氏の機嫌を取ろうとしてか、盛んに杯を勧めている。普段、ひとの機嫌を取るような男では無いが、今は摂関家の結束が何より大事と思っているのだろう。今が盛りで、間も無く運命が暗転することなど、高明自身は知る由も無い。それを知っている摂関家の者達は見事に腹の内を秘して、笑顔を振り撒いているのだ。
ふと見ると、父・経基が居る。
『なぜ父がこの席に?』と思ったが、次の瞬間、そこは生家の父の居室に変わっていた。
「太郎、物要りが有ってのう。少し回してくれぬかな」
済まなそうに見えて実は強かな表情を見せて父が言った。
「何を仰っているのですか。父上の解き放ちの為に、麿がどれだけ公家達に頭を下げて回ったかご存知ですか。公家達を動かせる程の物は持って行けませんでしたが、それでも、手土産くらいは持って行かねばならなかったので、財など全く残ってはおりません。母上や弟達をこの先、どのように養って行ったら良いか悩んでいるくらいです」
「何を吝嗇なことを申しておるのじゃ。大分貯め込んで居るのではないか?」
いつの間にか、場所は多田の舘に変わっている。『父が尋ねて来たのか』と思う。
「父上」
と語り掛けようとすると、前に座っているのは無名と名乗った千晴である。
「二度と麿の前に現れるなと伝えたはずだ」
そう強く言った。
「救ってやろうと思い、せっかく出家を勧めたのに、拒んでいるようじゃな」
千晴は静かに言う。
「汝に指図されるようなことでは無い!」
思わず満仲は怒鳴った。
「満仲。仏敵・第六天魔王と成ったか。かくなる上は、吾、阿修羅と成りて汝を討つ」
満仲は笑った。
「痩せ坊主が何を申すか。返り討ちにしてくれるわ」
太刀を掴もうとした。だが、手元にそれが無い。狼狽して探すが、どこにも無い。千晴を見る。上半身肌脱ぎした千晴の体は、筋骨隆々としている。そして、その姿が仏法の守護神・阿修羅へと変わって行く。『はっ』として一歩退くが、その時、己の手に抜き身の太刀が握られていることに気付いた。
夢中で斬り掛かる。『ぎゃー』と言う悲鳴が上がった。倒れたその姿を見て、満仲は凍り付いた。倒れているのは、千晴でも阿修羅神でも無かった。
「麿は帝を弑逆してしまった」
倒れているのは花山帝であった。全身の力が一挙に抜けると共に、真っ暗になった。何も見えない。暫く経って、上から声がした。
『満仲。やってくれるであろうのう』
見上げると、兼家が、仁王立ちになって、見下ろしている。
『はい。邪魔が入らぬようしっかりと護衛致します。もし、奪おうとする者が現れた時は、誰であろうと斬り捨てます』
『もし、それでも奪われそうになるか、或いは、飽くまで出家をやめて戻ると仰せになり、言うことを聞いて頂けぬ時は、分かっておるな』
『それだけはご容赦下さい』と言おうと思った。だが、その言葉が口から出て来なかった。満仲は黙って頭を下げた。
『貴様は地獄に落ちる。分かっておるな満仲。貴様の行く所は地獄しか無い』
斬り捨てた、あの賊の顔が迫って来た。肩から斬り下げた斬り口からは血が滴り落ち続け、目と口許からも血が流れている。
『吾のことも忘れるなよ』
そう言って別の顔が迫って来た。そしてまた別の顔が。いずれも斬った覚えの有る顔だ。斬ったのは賊ばかりでは無い。又、個人として恨みの有る者とは限らなかった。
『わあ~!』
と叫んで、満仲は太刀を振り下ろした。ガツンと刃が何かに食い込んだ感触が有った。体を押さえ付けられ、
「殿!」
と叫ぶ複数の声が聞こえた。衝立に食い込んだ太刀が目に入った。そして、その下には、郎等の蒼白な顔が有った。何が起きたか理解出来る迄に五つ数える程の時が掛かった。悪夢を見て声を出し、無意識のまま起き上がって、驚いて飛び込んで来た郎等に斬り付けたのだ。郎等は腰を抜かして後ろに倒れた為、命拾いした。更に、運良く後ろに衝立が有ったお蔭で刃を受けずに済んだのだ。昔から仕えてくれていた郎等で、老人であった。
『衝立が無ければ殺していた』
そう認識するのに更に少しの時を要した。初めて人を斬った時、顔に浴びた返り血の感触が蘇った。血の臭いに咽た記憶。柄を握ったまま硬直した指を一本一本伸ばしながら外した修羅の記憶。満仲の中でそうした生々しい感覚が渦を巻いていた。
「済まぬ。悪夢にうなされた」
満仲を押さえ付けていた郎等達が手を放し、膝を突いた。満仲も座り込み、手を突いて、
「済まぬ。許してくれ」
斬り付けた郎等にそう詫びた。
郎等に手を突いて詫びるなど、満仲の生涯で初めてのことであった。
「いえ、悪夢とあれば…… しかし、寿命が縮みました。悪夢を度々ご覧になるようですが、悪霊でも憑いているのでしたら、除霊せねば」
「いや、やはり地獄が我が心の中に有るようじゃ。もう大丈夫だ。皆下がってくれ」
そう言われても、郎等達は戸惑っていた。取り敢えず、侍女に着替えを持たせ、本当に良いか満仲に念を押した上で下がって行った。この処の満仲の様子の異常には、郎等達も気付いていた。特に、昔から仕えていて、数々の修羅場を共に潜って来た郎等達の中には、同じ心の疼きを抱えている者も居た。主同様、己も何かに祟られるのではないかと恐れる者も居る。
翌日から満仲は、人を近付けず居室に籠ってしまった。
四日目に、五人の妻達、息子達、郎等達とその妻達、侍女達などを全て広間に集めた。
「思う処有って、職を辞し、家督を嫡男の頼光に譲り、麿は隠居することにした。隠居後は仏門に入る」
満仲がそう切り出した。頼光は四十歳に成る。母は嵯峨源氏で前近江守・源俊の娘である。
前年より、東宮・居貞親王の春宮坊で権大進を努めている。位階は従六位下であるが、居貞親王即位後の出世が見込まれる。郎等達から色々聞いていたので、頼光は驚かなかった。年も四十歳。十分、家督を継いで良い年頃である。
「我が家の今日の繁栄は、全て父上のお蔭。一同、どれほど感謝してもし切れないと思っております。しかし、この処の父上にはお疲れの様子が窺えると耳にしております。ご隠居されると言うことであれば、この頼光、及ばずながら、全霊を以て父上の作り上げて来たものを守り、更に積み上げて行く所存です。どうぞ、ご安心下さい」
満仲は満足げに頼光を見る。
「そうか。それで安心じゃ。頼んだぞ」
「殿、ご出家されると言うことであれば、我等もお供しとう御座います」
古参の郎等の一人が、そう申し出た。
「ならば、吾も是非」
別の古参の郎等もそう申し出る。
「吾も、吾も」と言う申し出が続き、女達も含めて数十人になる。
道兼に謀られ一人虚しく剃髪した花山帝の姿が脳裏を過ぎり、業の深い己の身にこんなことが起きて良いのかと思う。千晴の本心さえ察する余裕が己には無かったのだと気付き、柄にも無く、満仲の両の目から涙が溢れ出た。
ひとつには、郎等達に取って満仲は案外良い主であったのかも知れないし、もう一方では、満仲に従ってやって来たことに不安を感じていた者が多かったのかも知れない。
「分かった。源賢を呼んで相談するつもりじゃ。出家したい者は、その時一緒に話を聞くが良い。その上で決めよ」
少しの後、やっとそう言う事が出来た。
こうして、満仲と一族の出家の話は進み、郎等十六人及び女房三十余人と共に出家して満慶と称した。
この出来事は『あの満仲が出家?』『そんなにも多くの郎等達が満仲に従ったとは……』そんな驚きと共に京人の口端に上ることになる。
藤原実資は、その日記・小右記に『殺生放逸の者が菩提心を起こして出家した』と記している。
尚、今昔物語集に
「源賢が、天台座主・院源と仏法を満仲に説き出家させた」
という説話が有るそうだが、この時の天台座主は、師輔の十男であり、兼家の異母弟である十九代・尋禅である。
「院源」はこれよりかなり後の二十六代座主としてその名が有る。
『殺生を窘められて前非を悔いて出家した』
と言うのが定説ですし、そう言う物語は数多く有ります。しかし、我が強く思い込みの強い人が、他人に説得されたくらいで簡単に信念を変えるでしょうか?
まして、失敗したのなら兎も角、満中は成功者なのですから。都で噂になったり『殺生放逸の者が菩提心を起こして出家した』などと日記に書かれるくらいですから、それなりの段階と手順を示さなければ納得されないと思って、そこに持って行くまでを逆算して積み上げたつもりです。
法華経の内容など具体的に書いたら、読み始めた人でも多くが面倒臭くなるだろうとは思っていました。小説としては良い手法とは言えないと思います。しかし、満仲が何を思いどう出家の方向に向かって行ったのかは、具体的に書かなければ意味が無いと思ったのです。ですから、その結果読まれなかったとしても仕方無いと言う気持ちが有りました。
第一話 貴族への道
「正」は『貴族への道』であり、謂わばテーゼであり、漢字から受ける正しいと言うニュアンスではなく、寧ろ勧善懲悪とは逆に裏切りにより出世した話を提示しています。
第二話 嵌められた帝
「反」は、帝を陥れる手伝いをしたことにより、またも出世した話ではあるのですが、実は、満仲の潜在意識の中に影を生み出していると言う意味で、内面にアンチテーゼが生じていると言うつもりです。
第三話 殺生放逸なる者が
「合」とは潜在意識の中の影が顕在化し、出家と言う結論に至るクロージングと言うつもりです。