規格外とパイレーツと魔獣
「アリュ、ナンシーシャマ、じぶんでたべりゅ」
アルペジオの膝の上で、あ~ん、パクッを繰り返していたナンシーは、小さな手を伸ばしてスプーンを欲しがった。
「駄目だよ、ナッシー。これは、私のお仕事だから、取らないでくれる?」
ヒョイッヒョイッとナンシーの手を避けて、アルペジオは、二口目のヨーグルトを彼女の口元まで運んだ。
パクッ。
もう、条件反射のように差し出されたものに食い付いてしまうナンシーは、不満げに口を尖らせた。
そんな彼女の頭を、アルペジオは、スプーンを持つのとは反対の手で、優しくなでた。
『君がいなければ、私は、どうなっていたんだろうね?』
アルペジオは、心の中で、ナンシーと出会うまでの自分を振り返る。
生まれた直ぐから、強過ぎる魔力のせいで、両手両足首に魔力量吸収リングを装着された。
決して、心地の良いものではない。
常に、ピリピリと神経が細い針で突かれるような痛みとしびれを感じた。
そこまでしても、大した改善は見られず、女性にしては魔力量が豊富な母ですら、長時間アルペジオを胸に抱くことは出来なかった。
その事を余程哀れに思ったのか、更に魔力の強い父が、忙しい公務をぬって、アルペジオを抱っこしてくれた。
しかし、先王の突然の崩御で、若くして王とならざるを得なさった父に、許される時間はさほどなかった。
それ以外の時間は、どれだけ泣いてもベビーベッドに放置され、兄二人も、心配そうな表情で遠巻きに見守るのが精一杯だった。
誰かが悪いわけじゃない。
しかし、年齢を重ねる毎に加速度的に増える魔力量は、アルペジオから人を益々遠ざけていった。
そんな彼の元に、天使が現れた。
ナンシーと居るだけで、アルペジオは、自分が普通の少年になれた気がした。
こうやって、無邪気にスプーンを奪い合うのも楽しい。
ナンシーは、やっと手に入れたスプーンでヨーグルトをすくうと、満面の笑みで、アルペジオに差し出してきた。
「あーーーーん」
口を開けろと急かす婚約者に、アルペジオは、おずおずと口を開けた。
ナンシーの手が、どれだけドロドロのベタベタでも関係ない。
彼女限定で、普段は潔癖症に近いアルペジオが、全てを受け入れる。
「おいちぃ?」
「あぁ、美味しいよ」
アルペジオの返事に気を良くしたナンシーは、もう一度スプーンでヨーグルトをすくおうと悪戦苦闘。
結局、中身の殆どを床に落として、今日の朝食は終了した。
こんな何気ない日常が、アルペジオにとっても、ナンシーにとっても宝物ものだった。
この世の中での異質と異質。
それが、二人合わさって、初めて普通になれた。
「また、お昼にね」
アルペジオは、ヨーグルト塗れのナンシーの頬にキスをしてから、そばに控えていたメイに手渡した。
これから、ナンシーは、またお着替えをするのだろう。
その後、腰に剣代わりの枝をさして、森の中を探検するのだ。
大人にとっては、それほど大きくもない人工の森だが、ナンシーにとっては大冒険らしく、いつも昼食を食べながら新たな発見を話してくれる。
それを聞きながら食べる昼食を楽しみに、アルペジオは、退屈な授業を耐えるのだ。
「アリュ、バイバーイ」
手をフリフリ去っていくナンシー。
アルペジオも、彼女を笑顔で見送ってから、気持ちを切り替えて立ち上がった。
本来、ここから学園まで、馬車を使うと30分くらいかかる。
しかし、アルペジオなら、秒で移動可能だ。
人差し指を突き出すと、慣れた手つきで、空中にサラサラサラと文様を描いていく。
それがブワッと光を放ったかと思うと、周りの風景は、学園内に設けられた彼の部屋へと変わっていた。
転移魔法と呼ばれるこの術は、決して珍しいものではない。
しかし、本来は、ポータルと呼ばれる場所と場所を繋ぐ為の大掛かりな設備が必要であり、このように任意の場所に自分の魔力だけで移動するなど規格外も甚だしい。
使い方次第では兵器にもなり得る危険性をはらんでいるが、今のところ、ナンシーの為にしか使うつもりはない。
アルペジオは、ナンシーとの食事で汚れた服を着替えると、教室へと向かった。
学園内に、始業を告げる鐘が鳴り響く。
大きな講堂に入ると、教師と他の生徒たちが既に座っていた。
アルペジオが一番うしろの席に座ると、教師が授業を始めた。
彼の魔力圧に耐えられる距離を保つと、人との距離は、大体こんなものだ。
ナンシーとの触れ合いで、本当は、もう少し側に寄っても魔力酔いは起こさなくなっているはずなのだが、長年刷り込まれたイメージとは、なかなか払拭されないものらしい。
アルペジオは、先程までナンシーが座っていた自分の膝に手を置くと、小さくため息をついた。
「ずっと、のせてちゃ駄目だよね?」
密かな願望を自嘲した後、アルペジオは、昼ご飯までの時間を欠伸を噛み殺しながら耐えた。
チュンタカタンタンターン
チュンタカタンタンターン
木漏れ日が煌めく森を、ナンシーは、メイに作ってもらった海賊帽を被り、木の枝を剣に見立てて振り回す。
気分は、パイレーツ。
陸地だけど、パイレーツ。
後ろから、メイが、お水やタオル等のお世話セットが入った籠を背負って付いていく。
メイのモットーは、常にナンシーお嬢様を清潔に、美しく保つこと。
日に何度着替えたって、ドンと来い。
乳母直伝のメイド術で、お洗濯だってチョチョイのチョイ!
そんな、いつも完璧なメイだったが、何故かこの日は、ツイていなかった。
ザワザワっと風もないのに木が大きく揺れ、太陽の光が真っ直ぐに下へと伸びてきた。
その光線が運悪くメイを直撃し、目の前が真っ白になる。
とっさに目を閉じて、クラクラする頭を左右に振った。
次に目を開けた瞬間、
「ナンシー様!!!」
ナンシーが忽然と消えていた。
慌てふためくメイは、必死に周りを探した。
すると、叢の中をテケテケテケテケと走り去っていくナンシーの後ろ姿が見えた。
どうやら、何か小動物を見つけて、それを追いかけているようだ。
メイは、背負っていた籠を下ろし、ウエストの留め金を外してストンとスカートを下に落とした。
下には短パンを履いており、太ももには、小型のナイフが括り付けられている。
そのナイフを手にすると、身を低く構えたメイは、足音もなく走り出した。
彼女が男爵家に来たのはナンシーが生まれた少し後。
ナンシーの世話に人手が必要だった使用人達は、テキパキと何でもこなす十七歳の少女を諸手を挙げて受け入れた。
それが、まさか貴族宅に盗みに入っては、貧乏人に金をばら撒く義賊『夜の聖者』とも知らず。
戦争孤児だったメイは、戦争を起こしたくせに、魔力があるだけで人々の上に立ち、自分達だけ贅沢に暮らす貴族を恨んでいた。
しかし、メイの誤算は、男爵家がさほど金持ちでなかったことと、産まれて間もないナンシーに懐かれてしまったことだ。
抱っこするとキャッキャと喜び、離れようとすると指を掴んで離さない。
乳母は、自身の子の世話もしなくてはならないため、授乳以外はメイが担当することが多くなった。
必然的にナンシーの愛らしさに絆され、気づけば敏腕メイドとしてナンシーに仕える日々を送っていた。
かと言って、彼女の腕前が落ちるわけではなく、逆に元傭兵のジムの手解きを受け、更に能力に磨きがかかっている。
あっという間にナンシーに追いつくと、視界に映った光景に、さっと戦闘態勢に入った。
ナンシーが追っていたのは、マジックラビット。
見た目は可愛い兎だが、額に魔力の塊である魔石が埋まっている。
本来は、こんな人工の森に生息するはずのない魔獣。
しかも足に怪我をしているようで、ナンシーに向かって牙を向き、威嚇行動を取っている。
毛を逆立て、ビリビリと空気を揺らしているのは風魔法を操るマジックラビットの特性だ。
口から音速に近い速度で空気を吐き出す『エアーブレイド』は、正に鋭い刃のように相手を切り刻む。
冒険者ギルドでは、中位ランクのハンターが駆逐依頼を受け持つ、なかなか厄介な魔物だ。
魔力を持たないメイには、攻撃を避けつつ、物理攻撃で潰すのがセオリーだろう。
しかし、ナンシーに危険がおよぶ可能性がある以上、逃げの一手しかない。
メイは、敵を刺激しないよう距離を測りつつ、いかにしてナンシーを確保して、ここから離脱するかを必死に考えた。
それなのに、
「ぴょんぴょ〜ん」
そんなことはお構いなしに、ナンシーは、ニコニコと魔獣に近づいていく。
緊張感が限界に達したマジックラビットは、大きく口を開けると、
「シャーーーー!」
エアーブレイドを放った。
メイは、ナンシーを庇うために、咄嗟に地を蹴り前に飛び出す。
しかし間に合わず、空気の刃がナンシーに一直線に迫った。
もうダメだ!
「ナンシー様!」
メイは悲鳴のような叫び声を上げた。
その目の前で、
シュン
と音を立ててエアーブレイドが霧散した。
必殺の攻撃が全く効かなかったことに驚いたマジックラビットは、ギュッと目を閉じて固まっている。
その上から、ナンシーが、
「ぴょんぴょ〜ん、かぁいぃ〜~」
と悶えながら、のしかかった。
「キュイーーーー」
マジックラビットは、必死に逃れようとバタつくが、ナンシーの高速モフモフから逃れられない。
「かぁいぃ〜かぁいぃ〜かぁいぃ〜」
可愛いを連呼しながら魔獣をモフり続けるナンシーのすぐ横で、メイは、腰が抜けてしまった。
「もぉ、ビックリさせないで下さい」
メイとて、ナンシーが、自分の身に触れた者の魔力を吸い取り無力化する事は、勿論知っていた。
ならば、攻撃魔法が効かないのは当然のことなのに、まだ震えが止まらない。
その後、モフり尽くしたナンシーは、満足してマジックラビットを手放した。
そして、再び探検を始めたのだが、何故か、その後ろをずっとマジックラビットは付いて歩いた。
時々、物欲しそうな眼差しで、ナンシーを見上げながら。
余程、モフられたのが気にいったのだろう。
結局、このマジックラビットは、屋敷の住人(住獣)となり、「ぴょんぴょーん」と言う名で親しまれるようになったのだった。