第9話:エリシアの案内
目を開けた。
絵画を描かれた豪奢な天井。
窓際に目をやれば、レース編みのカーテンが風に揺れている。
まだ薄暗くはあるが、これから明るくなるだろう。
「む」
体を起こし、伸びをする。
モリヒトは、ふう、と息を吐いた。
ベッドは柔らかく、身を起こして見える内装は、豪華なものだ。
ベッドから降りれば、毛足の長い絨毯に足が受けとめられる。
「おはようございます。はい」
先に起きていたらしいルイホウに声をかけられた。
こちらは寝巻だが、ルイホウの方はすでにいつもの巫女装束だ。
「・・・・・・・・・・・・おはよう」
声がかすれているな、と思う。
「お水です。はい」
差し出されたコップから水を飲んで、一息ついた。
「・・・・・・早いな。ルイホウ」
「大体いつもこの時間に起きておりますので。はい」
ルイホウはにこりと笑う。
昨晩は同じ部屋で寝泊まりしている。
ベッドは二つ並んでいて、窓際がモリヒト、奥側にルイホウが寝たのだ。
ベッドの間には衝立があったので、寝顔は見えなかったし、ルイホウは寝息も聞こえないほどに静かだった。
別の部屋を用意するか、とも聞かれたが、ルイホウがモリヒトの護衛も兼ねているので、と固辞した結果、同じ部屋になった。
何も起きなかったが。・・・・・・いろいろな意味で。
「・・・・・・さて、朝飯食いたい」
「ふふ。もう少し待っていてください。その前に、身だしなみを整えられるとよろしいかと。はい」
ルイホウが示すのは、水を溜められたたらいと、着替えだ。
「そうだな」
** ++ **
朝食を終え、モリヒトとルイホウは、与えられた客室でのんびりしていた。
案内に来た侍女の話によれば、セイヴとビルバンは昨晩からなにがしかの会議を重ねており、政務に就いている者はなにがしか動き回っているという。
となると、セイヴの方に暇はないだろうし、モリヒトにどうしたものか、と考える。
「大人しくしておく方がいいだろうが、それはそれで暇な」
「そうですね。問題が起こっている以上は、下手に動いて迷惑をかけてしまうようなことは避けるべきですね」
そうやってのんびりしていたところで、部屋の戸がノックされた。
「どうぞ」
「失礼いたしますの」
入ってきたのは、エリシアと、あと見たことのない侍女だ。
おそらくは三十前後、と言ったところか。
菫色の髪と優しい風貌をした、侍女服の女性である。
「おはよう。エリシア」
「おはようございます。エリシア様。はい」
「おはようございます。モリヒト様、ルイホウ様」
立ち上がって挨拶をした二人に、エリシアは綺麗な板についた礼をして見せる。
「そちらは?」
「アンナですの」
「初めまして。エリシア姫様の侍女をさせていただいております。アンナ・ベッカーと申します。お二方には、姫様が大変お世話になったそうで・・・・・・」
深々と一礼する姿からは、確かな謝意を感じる。
モリヒトは気にするな、と笑い、手を振った。
「それで、どうした?」
「ええ。お兄様が忙しくされているので、お二人のお相手ができず、かといって、お客様を放置しておくのも失礼なので、私がお二人に城内を案内しようかと」
「ほう? それはありがたいな! 今日一日この部屋で暇するのもどうかと思ってたんだ」
「ふふ。それはよかったですの」
エリシアが手を打って笑みを見せる。
「といっても、お二人を案内できる場所は限られますの・・・・・・」
「構わないさ。部屋で暇してるよりは」
モリヒトの言葉に、安心したようにエリシアは笑い、
「では、ご案内しますの」
そう言って、先頭に立って、部屋を出て行ったのだった。
** ++ **
エリシアが最初に連れてきたのは、城の中央部分にほど近い場所だ。
「帝都のお城は、中央に皇族の住まう区画。外周に政務区画、と別れていますの。お二人の客室は、大体その間位にある、賓客用の客室ですの」
「ほう?」
「帝国では、基本的に来客は、政務区画のさらに外縁に、客室を備えております。内側を使うのは、本当に大事な賓客か、皇族の血が流れる方くらいでございます」
アンナもまた、その説明に補足する。
「今回は、私もお兄様も、是非に、ということで、お二人には賓客用のところに泊まってもらったんですの」
エリシアが自慢げな顔をして、胸を張っている。
「それはありがとう」
「どういたしまして、ですの!」
エリシアは満面の笑みを浮かべている。
その顔が微笑ましい、と思い、その頭をそっと撫でる。
「あう・・・・・・」
「かわいらしいねえ」
赤面したエリシアにくつくつと笑いつつ、
「さて、次に行こう」
モリヒトが促すと、エリシアは髪を撫で付けつつ、先に立って歩き出す。
「しかし、本当に広いな・・・・・・」
城の廊下が、相当に長い。
モリヒトの記憶にある一番長い廊下というと、テュール異王国の王城、次いで、もとの世界の学校の廊下くらいだ。
それらに比べると、まず圧倒的に幅が広い。大人数がすれ違っても全く問題ない広さは、廊下というよりトンネルの方が印象が近い。
天井など、ちょっとやそっとの台に乗った程度では届きそうもない。
「国の規模が規模、と言いたいですが、そもそも政務の内容によって建物ごと区画分けされている、というのが正直なところです。はい」
「ルイホウはこの城来たことが?」
「先代の異王陛下の時代に一度。当時から巫女長だったらライリン様の部下としてでした。はい」
「ほう?」
「おそらく、『竜殺しの大祭』が無事に終われば、ユキオ様がユエルを伴ってこちらを訪れることになるかと」
そういうものか、とモリヒトは頷く。
独立国とはいえ、テュール異王国はもともとオルクト魔帝国の領地だ。
現在でも、盟主国と属国、というような関係性はあるのだろう。
国としての規模が、違い過ぎる、とはっきりと分かる。
「本当は、いろいろと案内して差し上げたいのですが、実際、モリヒト様達をお連れできる場所は結構限られますの」
「そりゃそうだろう。客として扱ってもらっちゃいるが、俺自身は他国人だし」
「でも、案内できる場所はたくさんありますのよ?」
そう言って、エリシアはこっちですの、とモリヒトの手を引いていく。
時折、そんなエリシアにすれ違う者たちが礼を送り、エリシアに手を引かれるモリヒトに、なんとも興味深い視線を送る。
興味本位ならまだ軽い方で、にらむようなものも、まだ軽い。
微笑ましい、というような気恥ずかしさを覚えるものもあれば、驚きの視線もある。
特に、城内警護に就いている騎士達からはにらむようなものが多く、一方で、位が高そうな者達からは、驚きの視線がよく飛んでくる。
侍女たちからは、微笑ましい、が多いが、年配になるにしたがって、どこかほっとしたような視線が飛んでくる。
いろいろと、エリシアの立場が想像できてしまいそうな視線だ。
それらを甘んじて受けながら、モリヒトはエリシアに手を引かれて歩く。
文官たちが休憩に使うサロン。
武官たちが巡回の合間に立ち寄る詰所。
あるいは、王城の上方にある見張り台。
時折移動用の乗り物に揺られながら、特に見ても問題がなさそうな場所を、モリヒトは案内されていく。
大体、城内を一周するくらいだろうか。
ちょっと意外だったのは、エリシアの踏み込める範囲が、結構広い、ということだ。
エリシアは魔皇セイヴの妹であり、オルクト魔帝国の姫である以上、その身の安全を守ことは、最重要項目の一つのはずだ。
それがどこに行くにも、城壁の上のような、外に体をさらすようなところへさえ、特に止められることもなく入っていく。
自由に立ち歩いていい身分ではないだろうに、そうそう止められるようなことがないのは、セイヴの影響か。
エリシアには、莫大な魔力量に裏打ちされた天然の護りがあるとはいえ、それでいいのか、と思わなくもないが。
「・・・・・・一番上があれじゃなあ・・・・・・」
言っても仕方ないか、とモリヒトはため息を吐いた。
「とりあえず、これで一周ですの!」
モリヒトの嘆息など知る由もなく、エリシアはにこにこと笑いながらモリヒトを振り返る。
「やっぱり、すごい広いな」
「今日みたいに歩き回ることは、私でもそうありませんの。・・・・・・毎日歩き回っていたら、やっぱり疲れてしまいますので」
エリシアは苦笑している。
その様子を見て取って、モリヒトは提案する。
「俺も、少し喉が渇いたし、ちょっとお茶がしたいな」
「分かりましたの。お付き合いしますの」
ちら、とアンナが目くばせを受け、一礼をして下がっていく。
すぐあとに、近くのサロンにお茶が用意され、モリヒト達は一息をつくのだった。
評価などいただけると励みになります。
よろしくお願いします。