閑話:アップルパイ
閑話です。
市場で、林檎に似た果物を見つけた。
アプルというらしい。
何代目かの異王の守護者が栽培したものだそうだ。
林檎好きな守護者が、似た植物を世界中巡って探し出し、わざわざこの土地に合うように品種改良したとのことだ。
だから、守護者もアプルと名づけたとか。
本物と違うと思ってアプルと呼んだのか、単純にアップルがなまったのかは分からないが、結果として、この国の数少ない特産の一つということになる。
扱いも林檎と同じでいいだろう。
あちら側のスーパーで見るものより、小粒で赤みが強い。
一つもらって、かじってみた。
向こう側のものより、かなり酸味が強い気がする。
あと、少し硬い気もする。
「まあ、ありかな」
適当に見繕い、一抱えほど買い込んだ。
** ++ **
厨房に入る。
今は、休憩時間のようで、雑用係が掃除をしており、少し離れたところに料理長がいる。
責任者である彼に話をして、厨房と少しばかりの食材を借りる交渉をする。
何を作るか聞かれたので、
「アップルパイ」
答えておいた。
** ++ **
「・・・・・・モリヒト様は、料理もできるのですか? はい」
「上手くはないけど、な」
そうは言いつつも、モリヒトの手際にはよどみがない。
もはや慣れた動きだと言う様に、いや、実際に慣れているのだろう。
軽量スプーンのすりきりなどの手順をよどみなく行い、正しく材料を計っていく。
次が何か、と確認するような動きはなく、手慣れた順番に並べた材料と、手慣れた手つきで混ぜ、形を整えていく。
しばらくして、砂糖を煮込む甘い匂いが厨房へと立ち込める。
「・・・・・・」
鍋を見るモリヒトの目には、特に何かの感情を見ることはない。
「なんというか、慣れていますね。はい」
横から見ていたルイホウが、少し感嘆を混ぜて言った。
「何度も作ったからな」
それに対して、モリヒトの答える口調は、どこか平坦だ。
料理に集中しているようにも見えるが、あるいは、何かを感じさせないようにしているようにも見える。
「・・・・・・誰か、特定の相手にですか? はい」
ルイホウの問いは、何かを探るような響きを持っている。
「・・・・・・まあ、同級生の女の子には沢山振舞ったけどね」
ルイホウの問いの響きに何かを思うように、モリヒトは、くく、と含んだような笑いを漏らす。
「大人気だったよ。意外な特技だとさ」
「・・・・・・」
モリヒトが肩をすくめて告げると、ルイホウはちょっと面白くなさそうな顔をした。
横目にちら、とだけ見て、モリヒトは小さく笑う。
「普段あんまり女子と関わらんでも、こういう甘いものを持っていくと、一時でも人気者になるんだよなあ」
「ほうほう・・・・・・!」
材料の片付けを手伝ってくれていた雑用係が、妙に感心した様子で頷いている。
その様子を見て、モリヒトは笑みを浮かべると、
「・・・・・・人のモテ方を真似する奴は、まずモテない」
その言葉を聞いて、雑用係は落ち込んだ。
笑いながらその背を叩き、モリヒトはさらに料理の続きに戻る。
煮込んでいた鍋を下ろし、次はパイの生地作りに入る。
こちらの手際にも淀みがない。
ボウルの中身を混ぜ合わせ、丁寧に生地を作っていく。
出来上がった生地を大きめなボウルに入れ、また次の生地を作り始める。
「・・・・・・そういえば、冷蔵庫、ってあんの?」
練り上げた生地をボウルに入れながら、モリヒトは聞いた。
「冷蔵庫、ですか? はい」
「ものを冷やす箱」
「・・・・・・ものを冷やすときは、魔術を使います。はい」
それを聞いて、モリヒトは、あー、と唸る。
「・・・・・・そうなるのか」
「なぜ、冷やす必要が? はい」
「そういう料理もある」
簡単に答えて、モリヒトは料理長へと目を向けた。
「ここに、そういう施設は?」
「氷室はあります。保管には使いますが、料理に使うことはまずありませんな」
「なるほどねえ」
頷く。
「・・・・・・しゃあない、冷水でどうにかするかね」
生地を入れた大きなボウルの下に、それより大きな、もはやたらいとでも呼ぶような入れ物を置く。
モリヒトは、腰から短剣、ブレイスを抜き、
「―ブレイス―
水よ/満たせ/氷よ/欠片と/浮かべ」
たらいに向けたブレイスから水が現れ、たらいを満たし、さらにそこに氷が浮かぶ。
生地を入れたボウルをそこに浮かべると、蓋をかけておもりを乗せる。
「よし」
「生地は、冷やす必要が?」
料理長が聞いてきたので、モリヒトは首を傾げた。
「俺にもよく分からない。ただ、上手い人から聞いたやり方だと、生地は一度冷やしながら寝かすといいらしい」
よく分からん、と言いながら、モリヒトはため息を吐いた。
** ++ **
オーブンに入れ、火を入れる。
しばらくすると、厨房に甘い匂いが立ち込める。
それは、砂糖を煮込んでいるときとは、また別のにおいだ。
ただ甘いだけではなく、香ばしさがあり、食欲を誘う。
誘われるように、ユキオが現れた。
アトリや、アヤカも続く。
「おやおや、何だ何だ? 案外、皆食いしん坊だな」
くっくっく、とモリヒトは笑った。
** ++ **
完成したアップルパイを並べる。
包丁を入れ、皿に取り分けていく。
「食べていいの?」
ユキオが聞いてくるが、苦笑を浮かべる。
「食べたくて来たんだろうが」
皆が手を伸ばすのを見ながら、モリヒトはふと思い出した。
** ++ **
それはまだ、両親が離婚して、そう間もないころの話だ。
学校の家庭科で、お菓子を作ってみよう、という実習があった。
とはいっても、限られた授業時間の中での話だ。
教師の手によって下ごしらえのされた材料を、教えられた通りに並べ、あとはオーブンに放り込んで決められた時間にタイマーをセットしただけだ。
出来上がったアップルパイは、それなりに美味しかった。
授業の終わった後、モリヒトは、母親に手伝ってもらって同じものを作った。
それをどうするのかは、その時は決めていなかった。
ただ、やたら楽しそうに手伝ってくれた母親は、少し迷う素振りを見せた後、父親に食べさせてみてはどうか、と言った。
少し迷い、モリヒトは頷いた。
だが、父親に持っていくことは、できなかった。
妹がそれに手を出したからだ。
まだものごころがついたかどうかというくらいだった妹は、何気なくアップルパイを口に含み、吐き出した。
見た目はそれなりに整っていたが、味はひどいものだった。
母親は、苦笑していた。
多分、作っている途中でどれだけまずいかは想像ついていたのだろう。
ただ、その後に妹を引っ叩いたこちらを見て、慌てて宥めていた。
それがトラウマにでもなったのか、未だに妹はアップルパイが食べられないらしい。
悪いとは思うが、中学に上がってからは特に関わりもなくなってしまい、なんとなく謝れないままだ。
** ++ **
「わ、おいしい・・・・・・!」
感嘆の声が上がる。
見れば、それなりの人数がいて、多分すぐになくなってしまう。
やれやれ、と苦笑しながら、モリヒトは次を作り始めた。
** ++ **
結局、五皿近くを作って、モリヒトはやっと自分の分に手をつけた。
いつもどおりの味、とはいかないのは、素材の差だろう。
「・・・・・・まあ」
いつもよりは、美味いと思う。
モリヒトにしてみれば、気まぐれな料理だ。
何だかんだといいつつも、モリヒトはこれを作ること自体が、好きなのだ。
** ++ **
誰のために練習したか、と言われれば、母親と妹のため、ということになる。
そこを否定する気はない。
ただ、その一方で、父親のため、というものも否定できない。
自分でも分からない。
ただ、モリヒトにとって、父親は暴力を振るってくる相手ではあったが、明確に家族と言えるたった一人の相手でもあった。
たまに働き始め、酒を飲まなくなったときは、たまに土産も買ってくる父親だったのだ。
だが、短い間にクビになり、酒を飲んで帰ってくると、殴られる。
そんな父でも、自分を引き取って育てる、と母に言ったのは確かだったし、生活費も何もかも、苦労しない程度にはもらえていた。
そして、そんな父に隠れて会う母は、どちらかというと親切な小母さんの印象が強い。
仲良くしたい相手は、父だったのだ。
もっとも、それ以降に数度の練習の後に、それなりにうまく作れるようになったアップルパイも、結局父に食べさせたことはなかった。
父がいなくなった後も、一人暮らしの合間に、時折気が向いたら作っていた。
料理なら、工夫の一つも入れただろうが、これだけは、いつも同じ手順で。
持って行ったなんてルイホウには言ったが、学校に持って行った回数なんて数えるほどだ。
作るのは、大体が休日だったし、一つ作って食事の代わりに一日で全部食べるようなことをしていたおかげで、作った回数に比べると他人に食べさせた回数は少ない。
ただ、よく食べさせた相手はいる。
** ++ **
「美味しいわね」
「美味しいです」
「よく作れるなー。こんなん、私は無理だわ」
「ていうか、意外な特技」
「作り方教えていただきたいです」
** ++ **
ふと、そういう相手達を思い出す。
食堂でわいわいと自分が作ったものを食べながら騒がれている光景は、なんとなく昔に見た光景と重なって見えて、少し感傷に浸る。
「モリヒトさま? はい」
「・・・・・・ん。なんでもないさ」
自分の分の一皿を持って、ルイホウを伴い、モリヒトも食堂へと向かうのだった。
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