第1章:エピローグ
意識が沈み込む。
眠い。
ただひたすらに眠く、目を開けることすら億劫だ。
目を閉じているのではなく、まぶたの裏を見ている。
そんなふざけたような、けだるい感覚がある。
儀式中のモリヒトは、そんな状態だった。
起きているのに、夢を見ているような。
もしかすれば、寝ているのかもしれない。
じわじわと、全身が温かく、右腕がひやりとしている。
不思議だ。
暖かい部屋にいて、冷えた外に右腕だけを出したようだ。
だから、妙に右腕の感覚がはっきりしていく。
だが、まだ、つかめない。
そうしていたとき、不意に、それは来た。
** ++ **
「・・・・・・眠りましたか。はい」
「はい。呼吸、脈拍、安定しています」
儀式陣の中央に横たわるモリヒトが意識を失ったのを、ユエルは確認した。
「・・・・・・先輩。少し休んでください。儀式の発動時が、一番魔力を消費します」
心配を滲ませ、ユエルはルイホウに声をかける。
実際、こういった地脈の力を借りる魔術は、地脈との接続さえできてしまえば、あとは地脈からの魔力供給を受けられるため、自前の魔力を消耗することはない。
だが、その接続までが大変だ。
まず、儀式の陣と地脈を接続すること。
地脈のある場所は深い場所だ。
初めての儀式場なら、地脈への接続に相当てこずるものだが、この儀式場は、ルイホウにとっては慣れた場所であり、接続は容易く、魔力の消費量は比較的少なくて済む。
比較的というだけで、相当量の魔力を消費することには変わりないが。
次に、地脈から流れ込む魔力量を調節すること。
これが難しい。
流れすぎれば、儀式陣そのものが破裂する。
少ないと、途中で止まってしまう。
調節するなら、少なめ。
途中で止まった程度なら、もう一度発動すればよいのだから。
通常なら、何度か調節を繰り返し、最適な流入量へと調節する。
多少時間はかかるものの、正確な量を調節できるし、接続を短く済ませることで、消費魔力の総量を少なく抑えることができるからだ。
だが、ルイホウは一度目で、正確に最大の効果が出る量に調節した。
調節を繰り返すと、流入する魔力量が一時的とはいえ不安定となり、最終的な結果に多少の悪影響が出る。
さらには、最初の魔力量が定まらないことで、最終的な治療完了時間までの時間が長くなる。
この二点の問題点を解決するには、最初の一回で量の調節を終えることだ。
「問題ありません。はい」
そのために、通常なら数分程度の接続を数回繰り返すところを、一時間という長時間、接続し続けた。
単純に、無茶だ。
「・・・・・・とはいえ、少し疲れたのは事実ですね。はい」
ルイホウは、はあ、と大きく息を吐いた。
そこに、確かな疲れを感じて、ユエルは眉を寄せる。
「先輩。もう問題はないと思います。私が様子を見ていますから、しばらく仮眠を取ってください」
「・・・・・・そうですね。そうします。はい」
素直に聞き入れてもらえたことに、良かった、と安堵のため息を吐く。
儀式場の隅の仮眠室へと入っていったルイホウを見送り、ユエルはモリヒトへと目を向けた。
周囲の儀式陣は、最初のころとはまるで違う輝きを放ち、モリヒトの呼吸と合わせて、鼓動を打つように光の強弱を変えている。
「・・・・・・さすがです」
欠損部位の再生儀式は、かなりの高難易度魔術だ。
回復、治癒系の魔術は、適正を持つ使い手が少ないこともあり、独学に頼る部分も多い。
だから、慎重になるのが普通なのだが、ルイホウは一発で決めてしまった。
「まだまだですね。私も」
はい、とルイホウの口癖を真似て頷き、ユエルは微笑んだ。
** ++ **
暗く、明るい空間だ。
無限の広がりを持つかのような、広い空間で、視界を妨げるものはない。
塗りつぶしているのではなく、何もないから、暗い。
色は白だ。
だが、暗い。
変な感覚を味わいつつ、モリヒトはふむ、と唸る。
「・・・・・・なにこれ?」
さっぱり分からない。
だが、
「・・・・・・地脈、かな。あれは」
遠く、あるいは足元、あるいは上。
様々なところを、光る流れのようなものが動いている。
方向は一定。
全て、モリヒトが今見ている方から来て、後ろへと流れていく。
これを地脈と呼ぶのなら、
「弦みたいだと思っていたけれど、これは・・・・・・」
川みたい、というのとも違う。
足元にあるのは巨大な束だが、上流を見れば枝分かれがある。
遥か遠くには、巨大な球形の何かがあり、そこから流れが生まれているのが見える。
印象は川の流れにも、弦を波が伝うようにも見えるが、違う。
水のように何かが流れているのではないく、糸を振動が伝うように、何か力のようなものが、その流れを伝っている。
だが、弦と呼ぶには、束が太い。
布が風にはためいている。
そちらの方が、イメージには近いかもしれない。
「・・・・・・だけど、何かがあって、そこを力が伝っている。このイメージに違いはなし。・・・・・・それとも、これも、俺のイメージが勝手に生み出しているものなのかね?」
かもしれない、とふと思った。
「あれか。地脈の上で、地脈の力を借りた儀式だから、地脈に変な風に接続しちまったか?」
ふうむ、と唸る。
「しかし、ここ、地脈の中っぽいんだよなあ・・・・・・」
瘤の時は、地脈は遠く、下に見えた。
だが、ここは上下左右、音が聞こえそうなほど近くにある。
さらには、妙な感覚が続く。
なんというか、自分が自分ではないような感覚だ。
それが、夢のような感覚を与えてくる。
「・・・・・・?」
ん~、と首をかしげ、腕を組もうとして、右腕しか動かないことに気がついた。
「あ、右腕・・・・・・?」
視線はあちこちに向けられるが、体で動くのは右腕だけ。
「っておい・・・・・・。まさかこれ、切り離した右腕に繋がったのか? 意識だけが・・・・・・?」
だとすると、と、流れの先へと視線を向ける。
すると、流れの一箇所にから、不自然に細い流れが上へと昇っていた。
その先には、小さくて見えないが、何か模様のようなものがあるのではないかと思われる。
「地脈を通して、儀式場の俺の意識が、地脈に解けた俺の腕に接続されている、か?」
突飛な推測だが、正しいような気はする。
「・・・・・・ま、儀式の間はこの状態かな・・・・・・」
しょうがない、と肩をすくめたつもりになる。
「・・・・・・落ちつかねえ・・・・・・」
思ったからだの動きに対し、反応がないことがここまで落ち着かないとは思わなかった。
この違和感が、幻肢痛に通じるのかもしれない。
** ++ **
モリヒトは、しばらく自分の体の違和感を得ていたが、やがて飽きた。
しょうがないので、周囲を観察することにする。
遠く、流れの元となった部分に、強く光る光がある。
一番近いところは、絹のような黒の光で、上質な喪服のような、不思議と清潔な印象を受ける。
遠いところには、橙色の光がうっすらと見える。
他にも、赤や青、緑、黄色など、強い光があり、そこが流れの源となっているようだ。
「・・・・・・あれが、地脈に魔力を通しているのか・・・・・・」
何かは分からないが、世界にとっても重要なものだろう。
右腕は色々動くので、そちらを使って色々試す。
流れに触れようとすると、上質で滑らかな布のような手触りがあった。
それ以外にも、この空間で魔術が使えないか、とか色々と試してみたが、
「結局、飽きるまで眺めるだけ、と」
この声だって、出しているとは思うものの、耳には聞こえていない。
はあ、とため息を吐いたつもりで、また周囲を見回す。
何せ、目を閉じることもできないので、他にやることがないのだ。
「・・・・・・飽きる・・・・・・」
さて、どうしようか、と思ったとき、ふと、違うものを見つけた。
「・・・・・・」
じっと見つめる。
それは、白い光だ。
周囲、光る地脈と遠くの大きな光以外は、白い暗闇となっている。
だから、気づきにくかった。
だが、気づくと分かる。
白い光は、ゆったりと浮かび、そこにあった。
「・・・・・・」
そして、その光から、視線を感じる。
視線かは分からないが、注意を向けられている。
それが分かるくらいには、見られている。
「・・・・・・何か用か?」
問いかけてみる。
―・・・・・・―
こういうのを、頭の中に直接響くような、というのかもしれない。
そういう無言の返事があった。
「・・・・・・見に来ただけか?」
―・・・・・・あなた?―
「何がだよ?」
どういう問いかけだ。
―これ、あなた、の?―
白い光の一部が伸びて、こちらの右腕を突いた。
「そうだよ」
―・・・・・・もらっていい?―
「え? だめ」
―!―
ショックを受けた、らしい。
何となく、高校時代の後輩を思い出す。
人の後ろを無邪気に付いてまわり、ちょっと意地悪されると、似たような反応を返してきたものだ。
信頼している先輩に対しては、誰に対しても似たようなことをしていたが、リアクションがおもしろいので、誰からも愛されていた、とても面白かわいい後輩であった。
「・・・・・・うむ」
―?―
こちらの頷きを訝しく思ったようだが、白い光は、こちらの右腕を相変わらず突いてくる。
―・・・・・・―
「・・・・・・そんなに欲しいのか? こんなのが」
―ん―
短い頷きだった。
そして、妙に期待のこもった雰囲気を向けられる。
「・・・・・・なくなると困るんだが・・・・・・」
―・・・・・・・・・・・・―
じー、と見られている感じがする。
普段ならあっさりと断っていることだろうに、どうもこの空間、この白い光相手だと、勝手が狂う。
「・・・・・・しょうがないか・・・・・・」
自分で切り離した、本来なら戻ってくるのを諦めていたものだ。
だから、別にいいだろう。
そう、モリヒトは自分を納得させることにした。
「あげるよ。君に」
―ほんとう!?―
「代わりにさ」
―ん?―
「名前、教えてくれるかい?」
―・・・・・・・・・・・・―
沈黙が長い。
「・・・・・・おーい?」
―・・・・・・う・・・・・・―
泣き声みたいなのが聞こえた。
「え? おい! どうしたよ!?」
―なまえ、ないの・・・・・・―
「・・・・・・あ~」
それは考えてなかった。
「・・・・・・じゃあ」
―・・・・・・う?―
一瞬、シロ、と安直に名付けそうになり、思いとどまる。
さすがに、それはない。
だから、白い光を見て、ふと、思い出した。
少し昔のこと。
白い光を放つものを、お守りと呼んだ、ある人のことを。
だから、
「マモリ」
―・・・・・・マモリ・・・・・・?―
「そう。名前がないなら、その名前をあげよう。・・・・・・どうかな?」
―マモリ。なまえ?―
「そう、気に入ったなら、だけど」
―マモリ! マモリのなまえ! マモリ!!―
気に入ったらしい。
「・・・・・・うん。じゃあ、名前を教えてくれる?」
―マモリ! マモリのなまえは、マモリ!!―
「うん。教えてくれてありがとう」
子供を相手にしているようだ。
―ありがとう!―
「うん。どういたしまして」
―えへへ・・・・・・―
うれしそうに、白い光は右腕に纏いつき、あちこちを突いている。
少しくすぐったい。
「・・・・・・そんなうれしい?」
―うん!―
力いっぱいの頷きに、小さい女の子の顔が重なって見えた。
頭を撫でてあげたいなあ、と思う。
―ずっと、まってた!―
「待ってた?」
―はんぶん! はんぶん、もってるひと!!―
「・・・・・・はんぶん、て?」
―はんぶんは、はんぶん。マモリは、はんぶんだから、やらないといけないことできなくて、たくさん、こまらせて! でも、これで、こまらせなくていいから―
「困らせる? 誰を?」
すごく興奮していて、聞きづらい。
―ありがとう! はんぶん、もっててくれて、ありがとう! もってきてくれて、ありがとう!!―
ふと、思う。
右腕に纏いつく白い光、マモリは、もしかすると、モリヒトがこの世界に来た原因に、繋がっているのかもしれない。
「・・・・・・えっと・・・・・・」
何か聞いたほうがいい。
だが、マモリは幼い。
うまく聞かないと、多分いい返答はない。
「マモリ、あのな・・・・・・」
―あ―
「あ?」
―これいらない―
「え?」
一瞬、腕のことかと思ったが、マモリがいらないと言ったのは、いつのまにか右腕にくっついていた、鎖のようなものだ。
「・・・・・・何だ? これ」
―ここにいらない。これいらない―
「・・・・・・あ、マモリ!」
取り外し、どこかへやろうとするマモリに、慌てて声をかける。
この空間で、きちんと存在している。
きっと、何か特殊なものだ。
「それ、俺にくれないか?」
―・・・・・・ほしいの?―
正体のわからないものに対して、一瞬躊躇があるが、今ここで頷いておかないといけない、と、そんな直感があった。
「ああ。欲しい」
―・・・・・・わかった。かえす―
不意に、背中を引っ張られる感触があった。
「あ、時間か・・・・・・」
治療が終わるのかもしれない。
―・・・・・・?―
「ここでお別れみたいだ」
―おわかれ・・・・・・? ん、しかたないの―
物分りのいい子だな、と思う。
―でも、またあえるの―
「そうなのか?」
―これ、もらったから。またあえるの!―
右腕を示して言うマモリに、よく分からないまま、頷く。
「分かった。じゃあ、また会おう」
―うん! また会おう!―
一瞬、白い光に、幼い少女の幻影が重なって見えた。
そうして、意識が浮上する。
** ++ **
きっと、大事なことなのだ。
目をうっすらと開けながら、モリヒトは思う。
右手の中に、鎖の感触がある。
それ以上に、頭の中に響いた声が、重なった女の子の姿が、とても大事に思える。
「・・・・・・モリヒト様、調子はどうですか? はい」
「おう。いい感じ」
起き上がり、ぐるぐると右腕を回す。
違和感はない。
あの謎の空間
ルイホウとユエルがいる。
「大丈夫だ」
頷いてみせると、ルイホウが綺麗に笑ってくれた。
「よかったです。はい」
「おう、ありがとう。二人とも」
鎖を持ったまま、モリヒトは考える。
マモリは、また会えると言った。
だが、自分でも、少し動きたい。
この世界に来た理由は、自分でも調べたい。
マモリと出会えたことで、色々動く方針が出てきた気がする。
「・・・・・・ルイホウ。結構面白くなりそうな気がする」
「はい? 何がでしょうか? はい」
「色々と、思いつくことがあってな。まあ、後で聞いてくれ」
「はあ、・・・・・・分かりました。はい」
ん、と伸びをする。
「さて、眠い!」
「何を力いっぱい・・・・・・。はい」
「いや、何か、腹減ったし眠いし、えっと、どうしようか?!」
ルイホウとユエルの二人に問いかけるが、妙に疲れたような反応をされた。
「とりあえず、腹ごなし、ですね。はい」
それでも、笑うルイホウに、モリヒトは頷くのだった。
第1章完了しました。
間に閑話を挟むかもしれません。
第2章は、ちょっと置きます。
評価などいただけると励みになります。
よろしくお願いします。