第2話:森、ケーキとモンスター
正直、何やってんだか、と思う。
こんなどこぞとも知れない森の中で、見知らぬ少女と二人で、ケーキを食べる。
「・・・・・・いや、ほんとに何やってんだ?」
苦笑して首を傾げる。
近場に、腰掛けるのによさそうな岩を見つけ、二人並んで腰かけて、少女が持っていたケーキを口にする。
ちなみに、中身はスタンダードにイチゴのショートが二つだった。
味はいいが、周囲の環境のせいで、妙な味に感じてしまう。
「・・・・・・ふむ」
ぱくぱくと食べ終え、ユキオにちらりと目をやった。
何か思うところがあるのか、イチゴを指先でつまんで、ケーキ本体と見比べている。
どちらから先に食べるのか、悩んでいるようだ。
綺麗な子だ。
そう思う。
顔立ちは整っているし、怜悧ともいえる美貌なのに、どこかあどけない仕草と豊かな表情が、それらを逆方向に魅力的にしている。
今も、じっとイチゴとケーキの二つを見比べる顔が、子供っぽくて微笑ましい。
結局、イチゴを先に口に入れて、次にケーキを食べだした。
真面目なのか、制服の着こなしに乱れはなく、口元についたクリームをポケットから出したポケットティッシュで拭っている。
しかし、と思う。
こんなところで、この子と縁ができるとは思っていなかった。
学校が違うからユキオは知らないだろうが、モリヒトが高校に通っていた当時、ユキオはその近辺の高校では、超美少女として有名だった。
モリヒト自身は興味もなかったし、特に関わる用事もなかったから、向こうがこちらを知っていることはないだろうが、モリヒトの友人がやたらと興味を示してモリヒトに教えていたため、顔と名前だけは知っていたのだ。
まあ、どうでもいいか、と内心で呟き、モリヒトはケーキを包んでいた包み紙を、紙箱の中に放り込む。
ユキオも食べ終わり、同じように紙箱に包み紙を入れた。
「・・・・・・これ、ゴミですね」
困ったような顔をしているのを見て、
「ふむ」
モリヒトはとりあえずそのまま畳んで丸めてしまうと、鞄のポケットの一つに放り込んだ。
「あとで捨てよう」
「ありがとうございます」
礼を言われるほどのことでもないが、
「どういたしまして」
と返しておく。
立ち上がり、周囲をもう一度見回した。
「・・・・・・」
異常はない。
だから、
「行くか?」
「はい」
ユキオが頷いて立ち上がり、モリヒトは先に立って歩き出す。
森の下草を踏み抜くようにしながら、森の中を進んでいく。
後ろからユキオの足音がついてきているのを聞きつつ、モリヒトは歩く。
「・・・・・・。ちょっと待ってください」
後ろから声をかけられ、モリヒトは振り向く。
ユキオはじっと右を見ていた。
かなり真剣な顔をしているため、モリヒトはユキオの視線と同じ方向に目を向ける。
「・・・・・・何か、いる?」
「みたいですね。・・・・・・タヌキでしょうか?」
ユキオが首を傾げるが、モリヒトは草木のわずかな揺れを見る。
「・・・・・・タヌキ、ねえ? そんなでかさか?」
「・・・・・・もっと大きいですね・・・・・・」
「・・・・・・ふむ」
ぼう、と眺めていたところで、草木の揺れが大きくなった。
「・・・・・・なあ、これは何だろう?」
現れたものを見て、さすがに行きを呑んだ。
「くま、かな・・・・・・」
ユキオも呆然とした声を出している。
まず、熊より巨大だ。さらに、凶暴そうだ。そして、唸っている。
四本足で立っているが、モリヒトと同じくらいの高さがある。
頭に水牛のような角を生やし、赤く光る眼が左右二つずつ縦に並んでいる。
「・・・・・・敵意むき出しっぽいな」
「このままだとまずくないですか?」
まずいかな、と呟き、モリヒトはゆっくりと鞄を下ろした。
「モリヒトさん?」
「荷物は下しとけ。ただし、ゆっくりとな」
「あ、はい」
そうして、二人は少しずつ後ろに下がる。
それとともに、熊も少しずつ前に出てくるが、いきなり飛び掛かってはこない。
ゆっくりと下がったところで、熊がモリヒトの鞄を嗅ぎ、引き裂いた。
「・・・・・・」
モリヒトは特に気にすることもなく、
「・・・・・・まずいか?」
首を傾げた時だ。
熊が立ち上がって吼えた。
立ちあがって気付いた。
この熊は六本足だ。前足と後ろ足の間の二本の足は、腹の前で組んでいたために、見えなかったらしい。
「・・・・・・敵、だな」
認定。
とはいえ、相手はこちらなど前足の一振りで殺せそうな巨大な生物だ。
どうしたもんかな、と考えたところで、
「・・・・・・ユキオ?」
自分より小柄な少女の背中が、モリヒトの前に立った。
** ++ **
「・・・・・・ユキオ?」
背中から声が聞こえて、ユキオは口の端に笑みを浮かべる。
守らなければならない。
そう思った。
だから、いつの間にか前に出ていた。
「大丈夫」
負ける気がしない。
体に力が溢れているし、熊もどきの動きがひどく緩慢に見える。
「・・・・・・勝てる?」
口の中だけで呟く。
「・・・・・・モリヒトさん。下がっていてください」
「倒す気かよ・・・・・・」
「がんばります」
「いやいや。頑張る前に逃げた方がよくないか?」
「大丈夫、です」
熊もどきをじっと見ていたから、モリヒトがどんな顔をしていたかは見ていない。
ただ、足を前に踏み出した。
熊もどきが唸りを上げてモリヒトから、自分に注意を向けた。
「そう。あなたの敵は私。あなたを倒すのは私。・・・・・・だから、私から目を逸らすな」
熊もどきにそう告げて、ユキオはさらに前へと踏み出す。
ユキオの親友には、古武術を継承している家の子がいる。
自分もそこである程度、護身術に収まらない域の武術を学んでいる。
熊と戦ったことはないが、自分の師匠は熊を倒したこともあると聞いている。
だから、大丈夫。
私ならやれる。
言い聞かせながら、前へ。
「・・・・・・はあああああ」
息を大きく吸い、大きく吐いて、
「・・・・・・」
にらみつける。
熊は、ユキオとモリヒトを交互に見ているようで、気は抜けない。
「・・・・・・ところで、左手が光ってるけど、それ何だ?」
言われて気づいた。
「・・・・・・本当だ」
この数珠は、妹が誕生日祝いにくれたものなのだ。
そして、それが光を放っている。
熊もどきから目を逸らさず、左手を目の前に持ってくる形で知る。
「・・・・・・」
気にしても仕方がない、と思ったところで、
〈・・・・・・〉
数珠の燐光が、拍動した。
それとともに、体がものすごく軽くなった。
そこまで感じたところで、熊もどきが向かってきた。
「!」
はっとした。
体重と体格が違いすぎる。
だから、こっちから先制しないといけなかったのに。
「まず・・・・・・っ!!」
一か八かで、その右前脚の攻撃を、両腕を使ってガードして、
「・・・・・・え?」
衝撃に合わせて跳ぼうと思っていたのに、予想以上に軽い感触とともに、熊もどきの一撃を受け止めていた。
「うそ・・・・・・」
いくらなんでも、自分はここまで人間離れはしていなかったはずだ。
思ったところで、先ほどの左腕の数珠の燐光が、全身に及んでいるのを確認する。
「これのおかげ?」
考えている暇はなさそうだ。
だから、踏み込んで、思い切り拳を熊もどきの腹に叩き込んで、
「・・・・・・おお・・・・・・」
後ろで感心する声が聞こえた。
熊もどきが、木々をなぎ倒しながら、数十メートルを吹き飛んでいく。
「・・・・・・・・・・・・怪力だな」
「ち、違う!! いくら私でもあんなことできません!!」
人間相手ならともかく、と内心で付け加える。
振り返ると、モリヒトが苦笑していた。
その表情が、恐れや怯えなどを内包したものであることを見て取って、少しの違和感を覚えた。
「まあ、いいんじゃないか? とりあえず、あれだけやればしばらくは向かってこないだろ。・・・・・・今のうちに離れた方がいい」
モリヒトの言葉に頷き、自分の鞄を拾った。
「さて、と」
モリヒトも自分の鞄を拾ったが、
「あ・・・・・・」
それが裂けて、中身が全部下に落ちた。
参考書などが落ちる。
「しょうがないな。置いていくか」
あっさりと鞄の残骸を投げ捨て、モリヒトはこちらに手招きした。
「何ですか?」
近づくと、左手を取られた。
「え・・・・・・」
驚く。
モリヒトは、こちらの左腕を見ている。
「・・・・・・これか。・・・・・・まあ、多分こいつのせいだろうな、と」
数珠を確認し、モリヒトは手を離す。
「とりあえず、君はこれがあれば人間離れした力が手に入るわけだ。失くすなよ? 君にとっての命綱だ」
「あ、はい・・・・・・」
さっきまでの自信が霧散して、こくこく、と頷く。
「よし、行こう」
そして、こちらに背中を向けて、モリヒトはまた歩き出した。
「・・・・・・」
その背中を、少し呆然とした思いで見守る。
良くも悪くも、他人の先陣を歩き、他人の上に立つ。
ユキオはそんな少女だ。
特に、自信満々、テンション上々の状態の自分は、誰よりも自分が一番上だと思っているし、態度から他人にもそれが伝わるのか、他人は皆遠慮して、ユキオの前を歩こうとはしなかった。
この森の中、はじめにユキオがモリヒトの後ろを歩いていたのも、ユキオにとっては慣れないことだったし、いつもの自分を取り戻しても、なおモリヒトが前を歩きだす、と言うのは、本当にユキオにとっては初めての経験だった。
そのことから、不思議な情動がユキオを襲う。
そして、それを制する方法を、ユキオは知らない。
「・・・・・・? どうした? 来ないのか?」
ついてこないユキオに振り返り、モリヒトが言う。
「い、今行きます!」
ユキオは、慌ててその後を追った。