閑話:ある町の片隅で
こん、こん、と、槌をうつ音がする。
かり、かり、と鑿が石を削る音がする。
一抱え程の大きさの石に、鑿が当てられ、槌が打たれ、削られていく。
石は硬い。
だが、石は石だ。
彫って彫れないものでもない。
一抱え程の石は、一つ鑿で削られるたび、少しずつ形をあらわにしていく。
それは、獣の形をしていた。
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若紫色の真龍の座所である、山。
その周辺地域には、山から算出された石を加工する職工都市がある。
その内の一つ、石都『ルブルベアナ』。
作り上げるものの多くは、算出された石を利用した日常的な道具が多い。
大陸で日常的に使われる素材、というのは、やはり真龍の座所に由来するものが多い。
たとえば、ヴェルミオン大陸の場合。
漆黒の真龍の座所である、黒の御山の周囲には、黒の森、と呼ばれる巨木の樹海が存在する。
そこから取得される素材は、樹木だ。
だから、オルクト魔帝国では、日常品には多く木材が使用される。
山に登れば石を取れなくもないのだが、森の方が広大だし、山から石を切り出すのは非常に手間だ。
黒の御山は、かなり切り立った峻厳な山であることや、森に住まう『森守』の一族との協力関係もあって、木材の供給の方が安定しているのだ。
一方で、カラジオル大陸の場合は、というと、石材が中心になる。
若紫色の真龍の座所は、かなり広大な石の大地だ。
砕けた石などが転がっていることも多く、また、石切り場も多い。
逆に、山の周囲には森などは少なく、少ない森林地帯は魔獣の生息域となっており、危険な場所だ。
そうなると、あまり多くの木材は取れない。
それもあって、石を使うことが多い。
包丁の柄や、ペンの軸、他にも様々なところで、石は使われている。
それだけ、硬いのだ。
それなりの石でも、鉄より硬い、というのはままある話。
さらに言うと、若紫色の石を加工し、その硬度や柔軟性を上げる技法、というのも、伝統技術の一つして伝わっている。
それもあって、石を使ったものは、日常に広く浸透している。
そういう石細工、というか、日用品を扱う店がある。
当然、扱う店があるなら、作る工房もある。
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大き目の街の一角に、石細工を作る工房があった。
一人の老人が構える工房だ。
普段は主に、石を使った飾りを作っている店である。
作っているのは、指先に乗る程度の小さなものだ。
それをボタンやカフスなどといったものに加工している。
あとは、石の台座に、金や銀などを貼って飾りとしてしてやれば、それ相応の見栄えになる。
そういうものを作っている工房である。
その工房の最奥の一角である。
普段、工房主である老人は、表側の工房で弟子への指導をしながら、自分へ来た注文の品を手掛けている。
そして夜になると、奥まった、人一人が座るのがやっとなような大きさの作業場で、一人静かに石を彫って、像を作っている。
売り物にするわけでもなく、出来上がったものは、工房の外の庭に、雑然と置かれている。
像を彫る老人の顔は、普段の好々爺としたものでもなければ、弟子たちに厳しく当たる一人の職人としてのそれでもない。
追い詰められたような、あるいは、悔いているような。
ひどく、切羽詰まった顔である。
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「失礼」
その日は、月のない夜であった。
か細い蝋燭の明かりを頼りに、老人は像を彫っている。
そこに、作業場の入り口から、声がかかった。
若い男の声だが、奇妙に甲高い響きがあり、あるいは作っているようにも聞こえる。
「・・・・・・なんじゃい。お前さんか」
老人は、入り口に立つその人物を一瞥し、また像を彫る作業へと戻った。
「ご無沙汰しております」
「そうじゃの。ずいぶんじゃった」
慇懃無礼、という形容が合いそうな口調の男に対し、老人の口調は低く平坦だ。
老人は、男に対してそれほどの興味を持っていないように見える。
「・・・・・・・・・・・・」
「最近は、いかがです?」
「ぼちぼちじゃの。幸い、弟子たちはよう仕事をしてくれるし、わしもこうして、趣味に没頭できておる」
言いながら、老人は静かに像を彫っていく。
やはり、獣の像。
だが、その像に彫られる獣が、この大陸にいないものだ。
石材から彫られた石像ではあるが、石が特別だからか、あるいは腕がいいのか、精巧なその像は、今にも動き出しそうではある。
「相変わらず、よい腕ですな」
「これで食っておる。当然のことよ」
驕るような響きはなく、逆に卑屈な響きもない。
淡々とした、平常の声。
そして、男が口を開かなければ、老人は男に背を向けたまま、ただ像を彫ることに集中してしまう。
しばらくの沈黙ののち、一つ、ため息を吐き、男は口を開いた。
「仕事をお願いしたい」
「・・・・・・何じゃ?」
はあ、という、深いため息の後、老人は応えた。
男は、おもむろに懐から紙束を取り出す。
「これを、作っていただきたいのです」
ちら、と男に視線をやり、像を彫る手を止めて、老人は紙束を受け取る。
ぱらぱら、と流し読み。
それから、傍らになげうった。
「三日寄越せ」
「かしこまりました」
そうして、男は消えた。
「・・・・・・・・・・・・ふん」
気配が遠ざかったことを知り、老人はまた像を彫る。
「・・・・・・まったく、何を企んでおるやら・・・・・・」
どうでもよいことか、と老人は首を振り、像を彫ることに集中するのであった。
** ++ **
「さて・・・・・・」
老人の元を辞した男は、夜の街を歩きながら、顎に手を当て、考えていた。
「・・・・・・」
その隣に、静かに並び歩くものが現れる。
「いかがでした?」
唐突に並んできたことに驚きもせず、男は問う。
そして、並んできた影の方は、静かな声で返した。
「まず、件の魔獣ですが、剣は討伐者に回収されたようです」
「そうですか。・・・・・・まあ、モノ自体はいいですからね?」
「回収は?」
「不要でしょう。何の仕込みもありませんから、今はただのいい剣でしかない」
それより、と男は横に並んだ影に目を向けた。
「『彼ら』は、仕事をしましたか?」
「はい。調査を終え、『何もなかった』と」
「・・・・・・ほう?」
ぴくり、と男が反応した。
「『何も』、ですか」
「はい。いくらかの壊れた家具類の他は、特に何も残ってはいなかった、と」
「ふむ・・・・・・」
なるほど、と男は唸る。
「他には?」
「途中、林を通った際にそこに住んでいた魔獣を脅かしたそうですが、こちらは既に収束しています」
「・・・・・・ま、よいでしょう」
「は」
「『彼ら』には、報酬を渡しておいてください」
言って、男は影に革袋を渡す。
中で金属の擦れる音がした。
「では、引き続き、『彼ら』とのつなぎを頼みます」
「承りました」
言って、影は音もなく消えていった。
「・・・・・・なるほど。『何も』ありませんでしたか」
『何か』あるはず、と行かせたが、すでにない。
ならば、誰かがそれを持ちだした。
「・・・・・・まあ、しばらくは暇ですし、市場でも見回ってみますか」
男が動くまでには、まだいくばくか、時間がかかる。
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