第13話:発動体を探す
べちゃり、べちゃり、と足音がする。
** ++ **
「ただいまー」
クルワが山小屋に戻ると、アバントが顔を上げた。
部屋の中央の宅の上に、まとめられた荷物が三人分置いてある。
「おお。おかえり。・・・・・・その顔じゃと、うまくいったのかね?」
「あー・・・・・・」
アバントの質問に、なんと答えたものか、と唸るクルワ。
そのクルワの顔を見て、アバントは首を傾げた。
「どうしたね?」
「それがねー・・・・・・」
クルワに手招きされ、山小屋の外へと向かう。
そこから、さらに石垣の外へと向かい、
「・・・・・・む? なんじゃ、この生臭い・・・・・・」
アバントが、鼻を衝く異臭に顔をしかめる。
「脂」
「脂?」
「脂肪」
「脂肪とな?」
アバントと言い合いながら、クルワは小屋を囲む石垣の外へと出た。
そこに、臭いの元がいた。
「・・・・・・うーむ・・・・・・」
なんとも言い難い、という顔で、アバントが唸る。
そこにいたのは、何かよくわからない粘液状のものでコーティングされた、モリヒトである。
「・・・・・・なんじゃそりゃ?」
「あのワニ。体の大部分が脂肪っていうか、油分だったの」
「うむ?」
「で、倒したら、その体を支えてた魔術的な性質が切れちゃって」
「ほう」
「で、その足元にいたモリヒトの上に、ちょっと溶けたような脂肪が、どばーって」
上から下に、どばー、という様を示すクルワに、なんと、とアバントは驚いて見せる。
「この脂、取れねーんだ」
「温めても融けないし、燃やそうとしても火が点かないし、ぬぐおうにも粘度が高すぎて余計絡まっちゃうし、で、もう大変」
肩をすくめるクルワ。
アバントがモリヒトの後ろを覗き込むと、どう歩いてきたのか、というのがよくわかる。
ぬらぬらとした線が、ずっと続いていた。
「ナメクジが這った後のようであるの」
「言い得て妙だわー」
「言ってる場合か」
ああくそ、とモリヒトが唸る。
「爺さん、湯を沸かしてくれ」
「む? 湯で取れるかね?」
「分からんが、試してみんとどうしようもない。水がないし、クルワは水は出せねえっていうし」
粘液っぽいが、正確には肉の脂身であるという。
「倒したところは、もっとひどいぞ?」
「そうなのか?」
「あー、うん。アタシの火の魔術で温まってたのか、もしくは、動き回って温まってたのか。とにかく、普通の脂みたいに溶けて落ちたのも結構あるから」
モリヒトは、その両方を被ったために、取れなくなってしまっているのだ。
白っぽいそれは、確かに動物の脂身の色だろう。
「うーむ」
「下手に焼くと、逆に固くなっちゃうんだよねー」
「なるほどのう・・・・・・」
どれ、とアバントは唸ると、
「クルワよ。手伝っておくて。まずは、たらいを出してこんとの」
「はいはーい」
二人が山小屋に入っていくのを見送り、モリヒトは、はあ、とため息を吐いた。
** ++ **
「・・・・・・あー、なんかまだ臭い気がする」
魔獣の脂身は、結構匂いがひどかった。
生肉の脂身のそれより、もっと鼻に来る匂いがあった。
山小屋にたどり着いた時には、もう鼻が麻痺していたほどである。
「うーむ。それで、倒した素材はそのままかね」
アバントが聞いたのは、倒し終わった、ワニの魔獣の存在についてだ。
ちょっとした窪地で倒したワニの魔獣は、周囲に溶けた脂が落ち、今は冷えて固まって、脂の沼のようになっている。
「石を使って、簡単な結界は張ってきたけど、放っておいたら、腐るか食べられるかしちゃうかなー」
「あんな脂身だらけの肉、食べたがる動物なんかいるのかね?」
け、と吐き捨てるモリヒトに、クルワは苦笑を浮かべつつ、石鹸とお湯を付けた布でモリヒトの髪をぬぐう。
髪の隙間から融け出た脂が、その布についた。
「まだ残ってる」
「まじかー」
くそー、と唸りつつ、たらいのお湯に頭をつけて、ばしゃばしゃと洗う。
おおきなたらいは、魔獣の皮のなめしなどに使うものだが、人も入れる大きさは、ふろおけとしても使える。
お湯を張ったそれは、もはや風呂だ。
モリヒトは、下着一枚になって、全身を洗っていた。
石鹸を使ってぬぐっていけば、なんとか脂は落ちていったが、
「お湯、捨てないとねー」
脂の浮いたお湯を見て、スープか、とツッコミを入れつつも、クルワは笑っている。
「こうだ」
たらいをひっくり返すと、ざばー、と流れていく。
石垣の外だからできることだ。
「・・・・・・アタシもお風呂入りたいなー?」
たらいのお湯は、これまでに三回入れなおした。
井戸から汲んだ水をお湯に変えたのは、すべてクルワの魔術である。
「水汲みならしてやる。沸かすのは自分でやれ」
その労力を考えれば、モリヒトとしても労わりたいと思うが、モリヒトがやるより、クルワがやった方が早い。
「はいはーい」
そのことは分かっているのか、クルワの返事も軽い。
ともあれ、
「俺はもう終わったから、次はクルワだな。・・・・・・石垣の中でいいよな?」
「構わぬよ? 洗い場に置いたらええ」
モリヒトが石垣の外で洗っていたのは、モリヒトにへばりついていた脂は、下手に洗い場で流すと排水溝に詰まる恐れがあったからだ。
クルワが風呂として使うなら、別に中でいい。
外は、決して安全でもないし、目隠しもないのだから。
ごろごろとたらいを転がして、石垣の中へと運ぶ。
「あと、覗かれても文句言うな」
「言うわ!」
「目隠しもなんもないんだから」
「見なきゃいいでしょ」
「男に、お前の風呂をか? は! 無茶言うな」
言っては何だが、クルワは見目麗しい少女である。
それが風呂に入っているのに、目隠しも何もなければ、見てしまうのは仕方がない。
「・・・・・・褒められてるんだと思うんだけど、怒るからね?」
「へいへい」
たらいを洗い場に置き、井戸から水を汲みながら、あちら、こちら、と目をやって、
「じゃあ、これでいいか」
たらいを水で満たした後、山小屋と洗い場の間に棒を二本立て、紐を張って、その紐に余っていた毛皮を垂らす。
「・・・・・・ちょっと隙間あるけど、ほとんど見えんだろ」
「・・・・・・まあ、いいか」
クルワは表と裏から毛皮のカーテンを見て、少々不本意そうだが、頷いた。
「俺らは小屋の中にいるから」
「はーい」
すぐさま、水が蒸発する音が響く。
クルワが、魔術の火をたらいに突っ込んだのだろう。
「やれやれ」
肩をすくめながら、モリヒトは山小屋へと入った。
** ++ **
山小屋の中で、アバントは茶を淹れている。
少し離れたところから、水音と調子の外れた鼻唄が聞こえてくるが、二人は努めて無視した。
「・・・・・・あー、茶の匂いが落ち着く」
鼻の奥にまだ脂の匂いが残っている気がするモリヒトは、カップから漂う茶の匂いを嗅いで、はあ、とため息を吐いた。
「大変であったのう」
苦笑するアバントに、まあな、と返す。
「動き回ってたのはクルワだけど、俺ばっか狙ってくるからよ」
「うん?」
「俺の方が、クルワより魔力量が多いからな」
常に魔力を吸収しているモリヒトは、見かけ上は周囲より魔力量が高い。
「ほう? というと、やはりモリヒトに発動体がないのは、少々もったいないのう」
「それは、俺もひしひし感じてる。魔術使える方が、できることの幅が違う」
肉体強化なんかの原始的な、魔術とも言えないようなものなら、いくらでも使える。
ただ、攻撃手段には乏しい。
「ふうむ・・・・・・」
しばらく、アバントは唸っていたが、
「そうじゃのう・・・・・・」
しばらく悩んだ後、奥の棚から何かを引っ張り出してきた。
それは、地図のようだった。
「モリヒトも元気になったしの。少々、冒険をしてみんか?」
「うん?」
「発動体は、高価なもの。加えて、言ってはなんじゃが、武器じゃ。お主とクルワでは、手に入れるにも一苦労であろう」
「あ、やっぱ管理されてるんだ」
「うむ。儂の口添えでどうにか、というのも考えたが、『守り手』に挑もうというなら、市場で手に入るレベルでは心許ない」
そこで、とアバントは、地図の一点を指す。
「今儂らがおるのが、ここじゃ」
そこから、すっと指が動く。
「この辺り、探索をしてみるとよい」
「・・・・・・何があるんだ?」
「もう、四、五十年ほど前になるかの? この山で、少々怪しげな研究を行っていた集団がおってな。この辺りに、その拠点があった、とされておる」
「なんだ? そのされておるってのは・・・・・・」
「集団自体は、国軍によって摘発。すでに殲滅されておるのだがな。その拠点は、発見できておらぬのよ。何せ、ここは『守り手』の領域のぎりぎり内側じゃ。軍では、調査ができぬ」
「・・・・・・なるほど」
人数がおおければ、それは見つかりやすくもなる。
だから、軍では調査ができなかった。
「じゃが、お主とクルワの二人なら、調べることもできるはずじゃ」
「見つからないか?」
「内側まで入ったならばともかく、端の方なら、例の石布をまとっておけば、ある程度はごまかせるじゃろ。中を調べれば、発動体の一つくらいはあるかもしれん」
「ほう・・・・・・」
冒険、とはそういう意味か、とモリヒトは頷く。
「んー、何、何の話よ?」
頭を拭きながら、クルワが入ってきた。
湯上りの薄着にしっとりとした雰囲気だが、ずいぶんとさっぱりした顔だ。
「おう。爺さんが、発動体があるかもしれん場所があるってんでな」
「へー・・・・・・」
クルワが、地図を覗き込む。
「儂は、麓に下りて、例の魔獣の死体の回収の手配をしよう。あれだけ脂が取れるなら、それはそれで使いどころがある」
「じゃあ、俺は調べに行くけど、クルワは?」
「それ聞く?」
ふふん、クルワは胸を張って、
「もちろん。行くに決まってるっしょ!」
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