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竜殺しの国の異邦人  作者: 比良滝 吾陽
間章:帰還
217/436

6:仏前

 一つ、深呼吸をした。

 高本、という表札を掲げた家がある。

 インターフォンを押し、チャイムを鳴らす。

 しばらくして、扉が開いた。

「どうも、ご無沙汰しています」

 記憶にあるより、老いた顔だった。

 こちらの顔を見る、驚いた顔を見て、モリヒトは頭を下げた。


** ++ **


 かつては、よく訪れた家だ。

 幼いころ、それこそ、まだ妹である燈子にものごころが着く前から、この家とは付き合いがあった。

 同時期に妊娠し、同じ地域であるためか、同じ産婦人科を受診していた。

 その関係で、病院でよく会うことがあり、その縁で母同士の間で交流があったらしい。

 そして、夫婦ともに人が良かった。

 それこそ、いかに幼馴染とはいえ、他人の子供を嫌な顔一つせずに家に上げ、三食振舞って寝床を提供するくらいには。

 両親が離婚して、父に引き取られたモリヒトは、それこそ、家族同然に扱われた。

 さすがに遠慮を覚えた中学以降は、アパートで寝泊まりするようにしたものの、小学生の低学年のころなどは、一年の大半をこちらの家で過ごしていたくらいだ。

 だから、間取りなども勝手知ったる、である。

「・・・・・・あ」

 いや、見慣れないものは一つあった。

 仏壇だ。

 記憶にはなかったが、仏壇が一つ、リビングに置かれている。

 なぜ置かれたのか、などとは、聞く必要はないだろう。

「しかし、守仁君が、まさかなあ・・・・・・」

 許可を得て、手を合わせる。

 そうしていたモリヒトに、高本のおじさんは声をかけてきた。

 手を放し、目を開け、おじさんへと目を向ける。

「・・・・・・すいませんでした。いろいろ、迷惑をおかけしたみたいで・・・・・・」

 頭を下げる。

 モリヒトにとって、目の前にいる人物は、育ての親とも呼べる相手だ。

 それこそ、交わした会話は実父とのそれより多い。

「迷惑なんてことはないさ。私にとっては、もう一人の子供のようなものなんだから」

 面映ゆい。

 そういう思いで、モリヒトが苦笑を浮かべると、

「はいはい。こちらにおいで。お茶を淹れたから」

 幾分か、テンションの高い声で、おばさんが二人を呼ぶ。

「ありがとうございます」

 リビングの椅子に座り、お茶をすする。

 向かいに高本夫妻が座り、しばらくお茶を飲む静かな時間となった。

「それで・・・・・・」

 そのあと、おじさんの方が、窺うようにモリヒトへと口を開いた。

「今日、ここに来た、ということは・・・・・・」

「・・・・・・仁美のこと、思い出しました」

「・・・・・・そうか」

 モリヒトの返答を聞いて、おじさんは何とも言えない笑みを浮かべ、だが悲しそうな声色を出した。

「思い出してくれたのか」

「すいません。忘れていたなんて・・・・・・」

「いいや。謝ることではないよ。・・・・・・君にとっては、それほどにショックなことだったんだろう」

 先輩がモリヒトの記憶の欠落に気づき、母がモリヒトを医者に検査させた結果は、夫妻にも共有されていたらしい。

 原因としては、それだけショックなことがあったのだろう、と、そういうことだった。

「なんていうか、自分がどれだけバカヤロウだったのか、と」

 溜息を吐き、肩を落とすモリヒトを、夫妻は労わるように声をかける。

「大丈夫。こうして思い出してくれた。それだけでも十分さ」

「・・・・・・はい」

 頷き、モリヒトは茶に口をつける。

 口の中を湿らせてから、もう一度口を開いた。

「・・・・・・聞いていいですか?」

「何だい?」

「どうして、火事の後の見舞いで、仁美のことを俺へ聞かなかったんですか?」

 火事の後に入院した時も、モリヒトのところへ見舞いに来て、だが仁美のことは一言も話すことはなかった。

 あの時、仁美のことを聞かれていたら、モリヒトの記憶の欠落について、もっと早く分かっていたかもしれない。

「・・・・・・一つは、我々も心の整理がついていなかったこと」

 モリヒトの問いを聞いて、夫妻は少し考え、それから答えた。

「我々だって人間だ。大事な一人娘を失って、動揺もしていた。そんな状態で、守仁君に仁美のことを聞いていたら、仁美のことについて、君を無用に責めていたかもしれない」

「そんな・・・・・・」

 それこそ、やってよかっただろう。

 そうするだけの権利はあるはずだ。

 だが、おじさんは首を振った。

「よくない。怪我をして、ふさぎ込んでいた君の顔を見て、それをやる、というのは、あまりにも、と思ったんだ」

「冷静に聞く自信もなかったから、お互いにもっと落ち着いてから、と、二人で話し合ったの」

 できた人達だ、とモリヒトは思った。

 一人娘を失ってショックだっただろうに、それでもモリヒトを気遣う選択ができるなど。

「もう一つは、警察から口止めをされていたことだね」

「え?」

 それは、意外な言葉だった。

「どういうことですか?」

「そのままだ。そもそも、仁美はウチの子だ。なのに、どうして君のアパートに行って焼け死ぬのか。・・・・・・君と仲がいいとしても、当時君はあのアパートにはいなかっただろう?」

「はい」

 事件当日、モリヒトは奨学金を使って高校に通うため、その制度についてのもろもろの手続きなどのために、高校を訪れていた。

 アパートには不在だったのだ。

 だとしたら、モリヒトのいないアパートに友人が訪れるのはおかしい。

 くわえて、

「当日、あのアパートから若い女性と男性が口論している声がする、と情報があったみたいでね」

 事件当日の状況を考えると、有力なのは仁美とモリヒトの父であったそうだ。

「あの二人が・・・・・・」

「そう。それで、あの火災は放火だったんじゃないか。何か、事件があったんじゃないか、と」

「別に守仁君に仁美のことを聞いちゃいけない、と言われたわけじゃなかったんだけど、勢いのままに何を口走るかわからなかったから、それを言い訳にして、何も話さないことにしたの」

 おばさんからそう言われて、なるほど、とモリヒトは頷く。

 どちらにせよ、モリヒトは何もわからなかっただろうが。

「最後に、君の状態だ」

「・・・・・・」

 おじさんは、モリヒトを一瞬厳しい目で見て、それから視線を和らげた。

「あの時、病院のベッドにいる君は、私たちを誰か分かっていなかった」

「そう、でしたか」

「ああ、あの時、見舞いに行った君からは、どこか他人行儀な雰囲気を感じていた。今までにないことだし、そもそも君には仁美が火事で死んだことを伝えられている、というのに、君からは一言もそれについての言及がなかった」

 この時点でおかしいと思ったらしい。

 どこか、噛み合わない雰囲気を感じて、高本夫妻は、モリヒトに仁美について聞くのをやめたらしい。

 気勢をそがれた、とおじさんは苦笑する。

「正直ね、君にはいろいろ聞くべきだ、と最初はそう思っていたんだよ。だけれど、君を見たら、なんというか、そんな気が失せてしまった」

 そういうことを聞いてはいけない、とそういうふうに思ったのだという。

「あの時点で、もしかしたら、という予感はあった」

 それから半年ほどして、モリヒトの母から検査結果が伝えられ、大いに納得したという。

「だから、思い出してくれたことは、とてもうれしい」

 そう言って、おじさんは笑った。


** ++ **


 しばらく、思い出話に花を咲かせた。

 仁美のことについて、モリヒトと夫妻がともに知っていることを話していく。

 積み重ねるようであり、すり合わせるようであり。

 ともあれ、話し合う、というのは、それなりに長い時間がかかった。

 そうしている間に、

「お邪魔します」

 モリヒトの母が来た。

「いらっしゃい。明恵ちゃん」

「仕事で遅くなって、ごめんなさい」

 確かに、見れば、外は既に暗く、

「・・・・・・おじさん」

「うん?」

「今日、平日だったと思うんですけど、仕事どうしたんですか?」

「ああ、そんなことか。それなら、最近はリモートワーク、というのが流行っていてね」

 へー、とモリヒトが感心したところで、

「嘘よ? その人、明恵ちゃんから守仁君が帰ってくるって聞いて、今週有給取ってるの。『守仁君がくるかもしれない』って、そう言って」

「当たったじゃないか。こういうカンはよく当たるんだぞ? 私は」

「いいんですけどね。別に」

 夫婦のそんな会話を聞いて、モリヒトが苦笑する。

 こういう家だったな、と。

「・・・・・・それで、守仁。仁美ちゃんのこと、思い出したって?」

「うん。なんかさらっと」

「さらっと、ねえ」

「まあ、それはいいんだ。思い出したことで、悪いことなんて何もないし、むしろ、思い出せてよかったし」

 忘れたままでいるのは、それこそよくないことだろう。

「そうか」

 うんうん、とおじさんが笑っているのを見て、苦笑する。

「でも、守仁。どうして私を呼んだの?」

 モリヒトの隣に座り、明恵がモリヒトへと聞いた。

「思い出したこと。もう一つあって」

 姿勢を正したモリヒトを見て、

「うん? 何だい?」

「あの日、仁美は俺を待ってたんです。書類やら手続きやらの話は、昼前に終わるはずだったし」

「・・・・・・そうね」

 その場には、守仁だけではなく、母もいた。

 親として同席するのは当然だが、結果として、

「あなた、仁美ちゃんが待ってるからって、私がお昼誘ったの無視して帰ったしね」

「・・・・・・まあね」

「一緒でもよかったのに」

「いやいや」

 デートじみたことを、親同伴でやるのは、さすがに気恥ずかしい。

 その程度には、互いのことを意識していたのだ。あの頃は。

「俺の方が、仁美を家まで迎えに行くつもりだったんですけど、仁美の方から迎えに来てたみたいで」

 持っていた携帯に、そう連絡が来て、だから家まで迎えに行った。

「・・・・・・で、帰ってみたら、家が燃えてたわけですが」

「・・・・・・」

 なんとも言えない空気になった。

「俺は家に入った。鍵を開けようとしたら、もう開いていて、父さんがいるのか、と」


** ++ **


 ドアに入れば、玄関には父の靴と、仁美の靴があった。

 二人ともいるのか、中に入っていくと、妙に暑いと思った。

 熱気は、火のせいだった。

 父が寝室としているところが、すでに燃えていて、父は火に包まれていた。

「警察が調べたところによると、寝たばこって話だったね」

「らしいわね。酒に酔って、たばこに火をつけたまま眠って、それが床か何かに引火した、とかなんとか」

 明恵が引きついだ言葉に、モリヒトは頷いた。

「実際のところ、多分間違ってはないでしょう。俺は、もう父は手遅れだと思いました。何せ、火に包まれているのに、ぴくりともしてなかった」

 それで、モリヒトは仁美を呼んだ。

「父の寝ているところは、玄関から入ってすぐの部屋なんで、もう燃えてるんですよね。奥の部屋へ続くふすまにも火が回ってたし、それで、とりあえず大声出して、そしたら、携帯に連絡が入って」

「・・・・・・仁美の携帯から、君の携帯に、だよね。聞いたよ。『私は外にいる。早く出てこい』」

 その通りのメッセージが届き、モリヒトは安心して外に飛び出した。

 だが、集まり始めている野次馬に、仁美の姿はなく、

「・・・・・・俺は、取って返して部屋に飛び込みました」

 もう、火は回り始めていて、天井まで燃えかけていた。

 そこに飛び込み、燃えている父を無視して、奥の部屋を開けた。

「・・・・・・仁美がいました」

「そうか・・・・・・」

「守仁君は、仁美を助けようとしてくれたのね?」

 夫妻がモリヒトを気遣うように声をかけてくるが、モリヒトは首を振った。

「違うんです。・・・・・・中に入った時、まだ仁美は燃えてなくて、助けられると思った」

「仁美は、無事だったのか・・・・・・?」

「仁美は・・・・・・」

 言いよどむ。

 だが、思い出したことを、言わないといけない。

「仁美は、頭から血を流してました。服まで血が垂れてて、意識もなかった」

「な?!」

「え? どういうこと!?」

「・・・・・・多分、父が仁美を殴ったんです。酔ってたんでしょう。それで、仁美は奥の部屋に逃げ込んで、父は転んだか何かで倒れて気を失い、たばこの火が引火した」

 そういうことが起こるかもしれないとは、思っていた。

 モリヒトが中学になってからの父は、時折暴力的になっていた。

 そこに巻き込まれてはいけないから、仁美には家に来ないように言っていたのだ。

「言い争いしてたっていうなら、何かで父がキレたんでしょう。・・・・・・とにかく、俺は仁美を連れて逃げようとしたんです。・・・・・・でも、すぐに火が回って、天井から火が落ちてきて、仁美に引火して・・・・・・」

 それでも、助け出そうとした。

 その直前に、消防隊員が突入してきて、モリヒトを連れ出した。

「・・・・・・仁美は、全身やけどで病院に運び込まれて、ほどなく死んだんだ」

 消防隊員は、助け出し、救急車に乗せた。

 だが、間に合わなかった。

 おじさんが、モリヒトの肩を優しく叩く。

「俺が、先に奥の部屋を確認してれば・・・・・・」

 うつむいた視界がにじむ。

「そうしたら、多分君も逃げ遅れていたよ。だから仁美は、君に嘘でも連絡を入れたんだろう・・・・・・」

 おじさんの声は、優しかった。

 肩を、背を、頭を優しく手が撫でる。

 それは温かい感触で、ただ、雫が落ちる腿だけが、冷たかった。

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よろしくお願いします。


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