5:記憶
呆然とした。
「・・・・・・大丈夫?」
対面に座る先輩の問いに、モリヒトは応えられない。
「頭痛い・・・・・・」
頭を押さえて、天を仰ぐ。
「本当に、大丈夫?」
「・・・・・・正直、なんでなんだろうって言う感じです」
「何が?」
「いや、なんで、今まで、そのことをすぱっと忘れてたのかって」
頭を押さえる。
こめかみを揉む。
「・・・・・・うわー、まじだ。なんで存在忘れてたんだ?」
「あれ? あっさりと思い出してる・・・・・・」
あれやこれや、と思い出し始めたモリヒトの様子を見て、先輩は首を傾げた。
その様子に、モリヒトも首を傾げる。
「え? どうしたんですか?」
「・・・・・・ええっとね? 守仁君。私が怒った一番の理由って、何かわかる?」
「はて?」
「あの日、私がお墓参りしないと、って言った時、守仁君は、誰のって聞いた」
「はい」
そこははっきりと覚えている。
「私その時、仁美ちゃんの名前出したのよ?」
「・・・・・・そう、でしたっけ?」
「そう。・・・・・・私はあの時、仁美ちゃんの名前を出した」
きゅ、と眉を寄せ、睨むように、先輩はモリヒトに告げる。
「でも、守仁君は、それが聞こえていないようにふるまった。はっきりと目の前で言ったのに、守仁君の中で、その存在は完全になかったことになってたの」
「・・・・・・やばいやつじゃないですか」
「そうよ」
愕然とモリヒトが言うと、先輩ははっきりと頷いた。
「最初は、ごまかしているのか、いないことにしているのか、って、ひどいことをしているって、そう思った」
「それは・・・・・・」
「私は、仁美ちゃんがいないのをいいことに、守仁君に近づいたって、罪悪感があったから」
先輩にとって、複雑な感情があることだ、と言うことだろう。
モリヒトにとっては、どうにも反応に困る話だ。
「とにかく、守仁君が仁美ちゃんに執着してないのはいいけれど、でも、仁美ちゃんのことを軽く扱うのも許せなくて・・・・・・」
「で、あの剣幕ですか」
人としてどうかと思う、とか、そういう類の言い方で起こられた。
今思えば、もっともなことを言っている、と思うが、当時は相当理不尽に感じた。
「んー・・・・・・」
「とはいえ」
唸っていると、先輩はモリヒトを見て、
「あの反応って変だなって」
「頭のおかしいやつですよね。どう考えても」
「・・・・・・正直、喧嘩別れしちゃったショックと、怒りが冷めなくて、受験に集中しちゃったから、気づいたのは、合格決まって、落ち着いて考えられるようになってからなんだけど」
「いや、俺のせいで大学落ちた、とかならなくてよかったと思いますよ」
そうなっていたら、今頃モリヒトも罪悪感を抱いていただろう。
そうはならなかったことは、素直によかったと思う。
「で、どうしようかと思って、守仁君のお母さんに連絡取ったのよね」
「・・・・・・母に?」
「ええ」
「・・・・・・母と会わせたこと、ありましたっけ?」
「守仁君と一緒に会ったことはないね。・・・・・・仁美ちゃんと外で偶然会った時ね、守仁君のお母さんと会ったの」
仁美は幼馴染で、その家族とは当然付き合いがある。
仁美の方も、モリヒトの家族とは付き合いがあった。
それこそ、互いの家に行き来するくらいだ。
母と会って過ごすより、仁美の家族と過ごした時間の方が、長かったかもしれない。
家に帰りづらいモリヒトが、仁美の家に泊まることだって、何度となくあった。
仲のよかった相手で、
「・・・・・・あ、おじさんとおばさんに、高校入ってから合ってないな」
「・・・・・・そっちも連絡取ったよ。守仁君の状態を話したら」
「お、分かります。母さんに、いきなり病院に連れていかれて、いろいろ検査受けさせられた時ですね」
二年に上がる少し前のころだ。
何も言われず、いきなり病院に連れていかれて、それから様々な検査を受けた。
問診のようなものを多く受けたし、MRIとか、スキャンとか、よく考えると頭を中心に検査されていた気がする。
「そっか、あれ、そういう・・・・・・」
「そうだよ。あの後、守仁君が、事故の辺りのこととか、仁美ちゃんのこととか、忘れているって、分かったの」
「マジすか・・・・・・」
事故のショックだろう、とそう診断されたのだという。
「どうするかって話になったんだけど、仁美ちゃんには悪いけれど、ショックを忘れてしまっているものを、無理に思い出させてもって、話になってね」
「・・・・・・・・・・・・」
結果、そっとしておく、ということになったらしい。
思い出さないままだったとしても、不都合になることはないだろう、という判断からだ。
言っては何だが、忘れていることは、故人のことなのである。
「でも、そう決まったら。今度は、どうしたものかって」
「それは」
「喧嘩したこと。謝ろうと思っても、じゃあ、何を怒ってたんだって聞かれたら、私答えられないじゃない?」
それで、思い悩んだらしい。
結局、そのまま別れた状態で、ずるずるとやっている間に、モリヒトは高校を卒業し、大学進学を期に、地元を離れてしまった。
それから、悶々としたまま過ごしていたらしい。
「でも、そしたら、今日のんきにぶらついてるし」
「ははは・・・・・・」
「しかも、なんか割と平然と受け入れてるし」
「・・・・・・そうですね。俺もちょっと自分で意外です」
不平じみた言い草に苦笑しつつも、モリヒトは頷いた。
「まあ、ちょっといろいろあって、自分の昔のこと、思い出す機会がありまして」
黒の山に登った時、見えた幻影。
あの中で、決定的な場面こそ見なかったものの、あそこで何かを忘れている、という感覚は得ていた。
それを時に思い出そうとしては、頭痛にさいなまれてそれ以上を思い出すことは叶わなかった。
それが、
「さっき、先輩に言われた時、ふ、と思い出せました」
「・・・・・・大丈夫?」
「まあ、大丈夫です」
頭が痛い、重い、とそういう感覚はある。
だが、それ以上に、心が痛い。
「なんだか、不思議と、思い出せます。・・・・・・なんで忘れようとしてたんですかね」
「ショックだったから」
「はは。かも、しれません」
はあ、と大きく息を吐いた。
「・・・・・・先輩、ありがとうございます。教えてくれて」
ぺこり、と頭を下げる。
「・・・・・・守仁君」
その姿を見た先輩は、何か言いたそうにして、だが、言葉を引っ込めた。
「・・・・・・うん。どういたしまして」
** ++ **
「・・・・・・だめだなあ。あれは」
店を出て、モリヒトと別れ、仁恵は歩く。
「ヨリを戻す、とか、そういうの、一切考えてない」
はあ、とため息を吐いた。
完全に、終わった関係ってことなんだね、と口の中でつぶやく。
「・・・・・・仁美ちゃんといた時と一緒。一番大事な人が、ちゃんといるときの雰囲気」
新しい彼女かな、と思ったが、
「違うなあ・・・・・・仁美ちゃんとも、あれだけ仲良かったのに、結局付き合ってなかったし」
仲が良すぎて、そういう地点を通り過ぎてしまったような二人だった。
だからといって、その間に入り込めそうな隙間はなかった。
今も多分、そういう感じ。
守仁は、きっと意識をしているし、相手もそういう雰囲気を持っていて、でも決定的なことをしていない。
「・・・・・・なあなあで付き合うとか、できないタイプだもんねえ。守仁君は」
しかたない人だ、と仁恵は笑った。
「・・・・・・うん。でも、大丈夫そう」
うん、と頷く。
振られたような気分でもあり、きちんと決着をつけられた気分でもある。
「・・・・・・がんばれ」
振り返れば、守仁が行く背が見える。
「・・・・・・がんばれ」
** ++ **
「・・・・・・はあ」
足が重い。
だが、行かないといけない。
確かめる必要がある。
「・・・・・・」
行き先は、馴染んだ道だ。
だから、行く。
途中、高校生時代に住んでいたアパートがあり、そして、
「・・・・・・母校ってやつだよな」
かつて通っていた中学。
変わらないもの、と思っていたが、
「なんか増えてるし」
四角い建物だったと思ったが、とがった屋根の校舎が増築されている。
時間が流れて、何か建て替えが終わったのだろうか。
「・・・・・・変わるねえ」
通り過ぎ、そして、進む。
やがて、
「・・・・・・おー・・・・・・」
ビルがあった。
記憶の通りなら、ここに、かつてアパートがあった。
中学まで住んでいたアパート。
火事で焼け落ちたアパートだ。
だが、今はもう、新しいビルに建て替えられている。
「・・・・・・ふう」
そうして、その先だ。
その先に、家がある。
区画を一つ跨いで、そこまで。
歩きなれた道だ。
道順は、身体が覚えている。
そして、そこに、家がある。
表札には、『高本』とあった。
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