4:先輩
午前中の空気の中、電車が駅に止まる。
モリヒトは、電車を降りて、駅を出る。
大学の近くではなく、実家の最寄り駅だ。
もっとも、モリヒトにとって、実家と呼べる家はない。
中学を卒業するまで暮らしていた場所は、ぼろいアパートで、そこは既に火事で焼け落ちている。
高校生の間は、小さなアパートで独り暮らしをしていたが、そのアパートはもう別の誰かが住んでいるだろう。
母の家は、寝泊りする場所ではなかったため、実家という感覚はない。
故郷、とは言えても、実家はない。
「・・・・・・」
駅前の光景は、懐かしいとは思う。
だが、やはりどこか他人事のように感じる。
「そういうものかね、と」
妹の部屋に残されていた着替えなどを適当に詰めたカバンを持ち、モリヒトは歩き出した。
「・・・・・・さて?」
母からもらっていた鍵で玄関の鍵を開ける。
今日は平日だ。
母は仕事である。
だから、誰もいない家に入る。
靴を脱いで中に入り、リビングへ。
そうすると、リビングのテーブルの上に、手紙が置いてあった。
「・・・・・・」
家の中のこと。
どこで寝泊まりすればいいか、と書かれている。
客間の一つが開いているし、そこに布団が出してあるから、そこを使え、と書いてあった。
「・・・・・・さて」
他に特に何かが書いてあることもない。
ともあれ、その客間に荷物を置いて、モリヒトはどうするか、と考える。
今、特に思いつくことがない。
ともあれ、昼に近い時間帯である。
何か、昼食を摂るため、モリヒトは家を出た。
** ++ **
昼食として、チェーン店の牛丼を食べ、店を出て、数分ぶらついた。
生まれてから高校を卒業するまで、この街にいた。
このチェーン店も、高校の時はよく来ていたし、今も変わらず店はあった。
食べて、外に出て、左に行けば高校。右に行けば、当時暮らしていたアパートだ。
そのアパートをさらに行くと、通っていた中学があるし、さらに行けば、中学まで住んでいたアパートがある。
ちなみに、母の家は、中学の近くまで行って、そこで曲がる。
ふう、と一つため息を吐いた。
時間は、まだ昼過ぎの時間だ。
母が帰宅するのは、夕方。
それまでは、適当に時間を潰したいところだ。
だから、なんとはなしに、高校の方へと足を向けた。
その途中であった。
懐かしい顔と、再会したのは。
** ++ **
「・・・・・・あ」
「・・・・・・あ」
** ++ **
近場の喫茶店で、向き合って座る。
記憶にあるよりは、少々年上になったと思える女性だ。
最後の記憶が高校生の頃の話で、今の相手からは学生っぽさはない。
落ち着いた、とも、あるいは、大人、ともいえるような感じだ。
とはいえ、分からないほどに変わってはいない。
互いに飲み物が届いた段階で、先に相手が口を開いた。
「・・・・・・久しぶり、だね? 守仁君」
「お久しぶりです。先輩」
「・・・・・・・・・・・・ん」
その呼び方に、何かを言いたげにして、だが、相手は結局、頷くだけだった。
「どうしてた?」
「どうも何も、普通に大学生ですよ」
「そう、なんだ・・・・・・」
どうにも、歯切れが悪い。
仕方ないか、とも思う。
中学のころから、先輩後輩としての付き合いはあった。
モリヒトが入学した後、それほど時を置かず、告白される形で、モリヒトは彼女と付き合うことになった。
付き合い自体は、半年ほど続いたものの、仲たがいをした後、彼女が受験勉強に入り、会うことも少なくなれば、自然となくなった。
決して、悪い付き合いをしていたわけではない、とは思う。
ただ、一方で、こうして向き合ってみると、どうにも気まずさはある。
「ええっと・・・・・・」
久しぶりに出会い、つい話を誘ってしまったが、
「よく考えたら、先輩、こんな急に誘って大丈夫だったんですか?」
「え?」
「いや、先輩、もう大学卒業してるでしょ」
年を考えれば、そのはずだ。
先輩は大学に浪人せずに入学していたし、モリヒトが異世界に行ってから、二年が過ぎている。
すでに先輩は、大学は卒業している年のはずだ。
「あ、うん。それは、平気。今は院生だから」
ある程度は、時間に自由はあるという。
「そうですか」
「うん・・・・・・」
しばらく、沈黙した。
モリヒトが様子を窺えば、先輩はちら、とモリヒトを見て、視線が会うやいなや、視線を逸らす。
こういう人だったけか? と、内心首を傾げる。
当時、中学卒業間近になって、アパートの火事に巻き込まれ、モリヒトは怪我を負って長期入院していた。
高校の入学自体は問題なかったため、退院してから高校には通ったものの、出遅れは致命的で、どうにも馴染めずにいた。
そこに、中学からの付き合いがあった先輩が部活へと誘ってくれて、部活では同学年の仲間もできて、そこからなんとか高校に馴染んだ、という感じだ。
それだけに、先輩には感謝があるし、一方で、最後の仲たがいのあれだけは、どうにも納得がいかない。
「・・・・・・先輩は、どうしてました?」
「え?」
だから、聞いていた。
ルイホウのことを思い出す。
ルイホウに、過去の女遍歴を聞かれた時、一番、というか、唯一思い出したのが、先輩のことだった。
「私は、大学に行って、勉強してて、今は院生で・・・・・・」
段々と小さくなる声に、なんとも言えず、飲み物を口に含む。
それから、少し考えて、声を出す。
「大学で、誰かいい人見つけましたか?」
「え?」
呆然、あるいは、唖然。
モリヒトの問いに、先輩はそんな顔をした。
「な、なんで、そんなことを聞くの?」
「正直、俺、未だに先輩が何を怒ってたのか、わかってないんです」
「・・・・・・あ」
付き合い自体は、うまくできていた、と思うのだ。
恋愛感情の面でも、モリヒトは先輩が好きだった自覚がある。
好かれていた、という自負もある。
付き合い始めてから半年、順調だった、と思う。
だが、秋口に差し掛かったころ、前触れなく、先輩はモリヒトに対して、怒りをあらわにした。
何に怒っているのかもわからず、理不尽を感じたモリヒトも、売り言葉に買い言葉で応戦し、あとは喧嘩別れだ。
ただ、別れてから、高校で、あるいは、大学で、モリヒトは声をかけられたことはある。
その誰とも付き合おう、とは思わなかったのは、先輩のことが影響していなかったわけがない。
「・・・・・・俺は、先輩のことが好きでしたよ」
「・・・・・・うん。私も、そうだよ」
頷かれて、だからこそ、モリヒトはさらに首を傾げた。
「・・・・・・聞いていいですか?」
「う、うん」
「なんで、あんなに怒ってたんですか? 何に、怒ってたんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
モリヒトが、じっと見つめる。
その視線を受けて、先輩は、しばらくうつむいていた。
「・・・・・・ずっと、好きだったんだ」
「?」
そうして、しばらくの時間が経った後、先輩はぽつり、と口を開いた。
「中学で、初めて守仁君たちを見た時、仲良しなんだなって、そう思った」
たち、というところに、モリヒトは疑問を持つ。
中学で、仲のよかった友人はいる。
ただ、それだったら、先輩も同じはずで、先輩がうらやましがるような関係の友人に、モリヒトには心当たりがなかったからだ。
「・・・・・・それで、君達を見てるうち、私は、守仁君が好きになった。とても仲がよくて、それから、とても、優しかったから」
先輩は目を伏せて、だが、柔らかい笑みを浮かべて、大事な思い出を語るため、懐かしそうに言う。
「中学の間。私は守仁君のことが好きで、進学しても変わらなくて、高校で守仁君が一人だったから、付き合おうって言ったんだ」
そこで笑みは消え、先輩は、モリヒトを窺うように見る。
「・・・・・・付き合うことを了承してくれたことを喜んで、でも、罪悪感を抱えてた。私は、ずるいのかなって」
疑問が、ある。
だが、モリヒトの中で、それがうまく像を結ばない。
「・・・・・・うん。分からないんだ。やっぱり?」
そんなモリヒトの戸惑いを見て取ったか、先輩は悲しそうに笑った。
「だから、悲しくて、怒ったの」
「え・・・・・・?」
「ごめん。私が、気付くべきだったんだ」
突然、先輩はモリヒトへと頭を下げた。
「あの、先輩。一体どういう・・・・・・?」
「ごめん。誰も、言わなかったから、気付かなかったんだよね」
モリヒトは、ぐ、と胸が締め付けられる痛みを感じた。
胸を押さえ、先輩を見る。
「先輩・・・・・・?」
「私はその時、守仁君が、ごまかしているんだと思った。私をからかっているのか、あるいは、気遣っているのか、どちらかで」
先輩は顔を上げ、モリヒトを見る。
その目は、まっすぐにモリヒトと目が合った。
強くて、鋭い目だ。
少しだけ、ルイホウに似ている、と、そんなことを思ってしまった。
「あの時、私が最初に守仁君に言ったこと、覚えてる?」
「えっと・・・・・・」
戸惑い、言葉をなくすモリヒトに、先輩は胸に手を当て、こう言った。
――『受験が終わったら、お墓参りに行こう』――
先輩は続ける。
「そしたら、守仁君はこう言った」
――『誰のですか?』――
「最初は、急に言ったから、思い至らないのかなって、そう思った」
だが、その後、言葉を交わすうち、
「守仁君が、本当に、誰のお墓なのか、分からなくなっていることに気づいた。・・・・・・それどころか」
は、と、漏れたのは、モリヒトの息だった。
だが、先輩は続けた。
「守仁君が、『あの子』の存在を、完全に忘れているんだって、そう気づいた」
『あの子』
その言葉だけが、モリヒトの中で存在感を持つ。
「私は、動揺したよ。君と付き合っていること。そのことについて、ずっと『あの子』に罪悪感を抱いていたのに、守仁君は、あんなに大事にしていた『あの子』のことを、すっかり忘れていた」
先輩が好きだったのは、
「私が好きだったのは、『あの子』と仲が良くて、『あの子』に優しい守仁君だった。それを自分に向けてもらえないか、なんて、浅ましいことを考えて、実際に向けてもらえたことに喜んで・・・・・・」
違う、と先輩が言う。
「このまま、付き合い続けたら、私は、『あの子』の代わりになってしまうんじゃないか。そう思ったの」
視線を落とし、先輩は言う。
「そう思ったら、怖くなった。私がしていることはすごくずるいことで、すごくいけないことだって」
その怖さのまま、八つ当たりのようにモリヒトに怒りをぶつけ、別れてしまった、と先輩は言う。
「・・・・・・先輩、俺は・・・・・・」
「私が言っていることの意味が、分からない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・ううん。分かる、よね?」
答えられない。
だが、胸を締め付ける痛み、頭を指すような痛み。
鼻の奥に漂う、焦げた匂いと、人の血の匂い。
「・・・・・・守仁君。私の名前。言える?」
「・・・・・・先輩は、・・・・・・ひとみ・・・・・・」
「うん。守仁君は、喧嘩した時、私の質問に、そう答えたよね」
先輩は、悲しそうに微笑んで、自分の胸に手を当て、言った。
「違う。私の名前は、仁恵」
付き合っていたころ、先輩、としか呼んでいなかったから、名前を呼ぶことなんてそうはなかった。
あっても、名字の方を呼んでいた。
名前を呼んで、と言われたのは、喧嘩をした、あの時だけ。
「ひとみ、仁美っていうのはね、『あの子』の名前」
一呼吸を置いて、先輩、仁恵は、モリヒトへと告げる。
「高本仁美」
その名前を聞いて、モリヒトは、はっと、息を飲む。
「あのアパートの火事で死んだ犠牲者」
それから、
「守仁君が、生まれたころから一緒だった、守仁君と一番仲良しの、幼馴染の女の子」
告げられた言葉に、モリヒトは、ただ、言葉もなく、息を飲んだ。
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