第5話:絶対幸運
リズは、駆け抜ける。
やり過ぎた。
襲撃に対する対処として、追いついた魔獣を一体一体屠る。
だが、どこからわいてくるのか、狼種の魔獣は次々と現れて、リズの行く手を阻む。
そこで、その発生源を先に潰すことにしたのだが、
「あえて言います・・・・・・。召喚、ですか」
見つけた空き家の中に、それはあった。
薄く光を放つ円形の陣だ。
魔法陣とも呼ばれるそれは、魔法の発動を自動で行うためのものだ。
最初に設定した魔法効果を発揮することしかできないが、知覚内でしか魔法を行使できない魔法使いからすると、知覚外で魔法発動ができる、という便利なものだ。
「あえて言います・・・・・・。ふん」
律儀に口癖のあとで鼻で笑い、リズは魔法陣に対して、小さな火球を叩き込んだ。
魔法陣の弱点は、その脆さにある。
ほんの少し欠けただけで、効果を失ってしまうのだ。
だが、
「あえて言います・・・・・・。む」
召喚から飛び出してきた魔獣が、その火球を受け止めてしまった。
「あえて言います・・・・・・。おやおや」
それどころか、次々と魔獣が出てきた。
「あえて言います・・・・・・。面倒なので、纏めて吹き飛ばしましょう」
そうして、頭上に巨大な火球を生みだしたリズは、魔法陣の置かれた空き家へと、力一杯に叩き込んだ。
だが、その火球が、空き家の壁を破壊した時点で、いきなり収縮して消滅した。
「あえて言います・・・・・・。おや?」
そして、離れたところで爆発音が響いた。
「あえて言います・・・・・・。・・・・・・転送魔術?」
どうやら、魔法陣のあった空き家には、転送魔術の魔法陣が仕込んであったらしい。
もっとも、現在の転送魔術で送ることができるのは、実体のないエネルギー、光や音、魔術で起こった現象ぐらいが限界だが。
「あえて言います・・・・・・。利用されましたか」
納得の表情で頷き、
「あえて言います・・・・・・。急ぎましょう」
リズは、細かな火球をいくつも作り上げ、空き家の建物に触れないようにして、魔法陣を跡形もなく破壊すると、走り出した。
** ++ **
世界が爆裂に飲まれた。
咄嗟の防御は、傍らのエリシアを庇うことだけだった。
いや、というか、爆発の衝撃に飛んできた何かが体に当たり、エリシアを抱き締めるような状態に自然に至った、というべきか。
まるで、何かがエリシアを守らせようと、モリヒトの体を動かしたような感覚だ。
「・・・・・・痛い」
体に力は入らないが、意識はある。
おかげで、痛みがひどいが、
「治療を・・・・・・」
「ルイホウ。周辺の警戒。敵がいる」
「ッ!!」
ルイホウは、周囲を見回し、どうしようか、とうろたえる。
珍しい、と思うが、
「大丈夫、動けないほどじゃない」
無理すれば、という言葉を飲み込み、モリヒトは立ち上がった。
体に感覚はないから、気を抜くとすぐに倒れてしまいそうだが、
「ルイホウ。俺を守れ」
「・・・・・・はい」
頷き、ルイホウは周囲の警戒を始める。
「エリシア? 大丈夫かい?」
「それは、こちらのセリフですの!! モリヒト様は大丈夫ですの?!」
「問題なし・・・・・・とは言わんが、命に別状はないさ」
言い切った。
そんなわけないのに。
不幸体質のモリヒトが、こんな事故で無理を通せば、どんな状態になるかなど、火を見るよりも明らかだというのに。
「・・・・・・エリシア。泣くな。前が見えなくなる。逃げられなくなる」
朦朧とする意識で、モリヒトは告げる。
自分でも、何でこんなことを言っているのか分からない。
そんな状態でも、モリヒトの手は、優しくエリシアの頭を撫でた。
手の感触を、エリシアは呆然と見上げる。
「ああ、俺の手じゃ、綺麗な髪に血が付いちゃうな・・・・・・」
苦笑を浮かべ、モリヒトは手を放した。
** ++ **
エリシアは、呆然とモリヒトの顔を見上げる。
血に塗れた全身で、それでも自分を労わる青年。
この人は、一体何者なのだろうか。
ルイホウとともにいるということは、彼女の縁者だろうか。
召還の巫女は、子供のころに王宮へと上がり、そこで他の巫女候補と共に育てられるため、男の縁者と言うと、城勤めの衛兵か文官か。
ただ、モリヒトからは、戦う者特有のたくましさは感じない。
「・・・・・・モリヒト様」
「ん?」
こちらに向けてくる眼差しは優しくて、
「ごめんなさい」
「謝ることはない。君を守ると、約束した。だから、守る」
うん、と頷き、モリヒトは歩き出した。
図らずも見ることになった背中の傷は、思わず息をのむほどにひどいもの。
「・・・・・・ごめんなさい、ですの・・・・・・」
口の中だけで小さく呟く。
絶対幸運。
女神補正。
そう呼ばれる、エリシアの特殊な体質。
それは、生まれ持った莫大な魔力と、急速にかつ強制的に回復する体質に所以する。
通常、魔力の回復には体力を消費するが、エリシアはそれがない。
しかも、魔力が完全なら、魔力が増えることはないが、エリシアの場合は完全でもさらに強制的に回復する。
魔力創造能力とも呼ばれるエリシアの体質は、それゆえに、周囲に自らの魔力を溢れさせてしまう。
その体質は、エリシアに一つの恩恵をもたらした。
それを絶対幸運と名付けたのは、エリシアの兄だ。
エリシアは周囲がどれほど危険な状況であろうと、その身に傷がつくことがない。
莫大な魔力によって肉体自体が頑健になっている、ということもあるが、周囲に溢れる魔力に与えられた、エリシア自身の無意識の指向性が、エリシアの身を守ることに向くからだ。
過去何度も襲撃を受けたというのに、エリシアはただの一度も負傷したことはない。
周囲の人が、どれほど傷ついても、エリシアにだけは、傷が付かない。
今のこの状況。
モリヒトの怪我は、正しくそのためだ。
それでも、誰もエリシアを恨まない。
それが、当然だから。
無傷で立つことが、エリシアが守られる意味だから。
エリシアが、セイヴの妹、たった一人の家族だから。
「・・・・・・私が・・・・・・」
エリシアの莫大な魔力故の欠点。
「私が、魔術を使えたら・・・・・・」
莫大な魔力を制御できないエリシアには、魔術は使えない。
仮に使えるなら、その魔力量にものを言わせて、モリヒトの傷を何とか癒すこともできるかもしれないのに。
「・・・・・・ごめんなさい、ですの・・・・・・」
** ++ **
リズにとって、エリシアは複雑な感情を抱く相手だ。
主の愛する妹。
それだけで、リズが彼女を愛する理由は十分だ。
だが、彼女の幸運体質は、彼女の意思を無視して、彼女を絶対とする。
故に、最強であるはずの己の主ですら、彼女を守るために負傷することがある。
いや、それどころか、絶対幸運の能力は、主の能力よりも勝るかもしれない。
主の最強を、主が守ろうとするものが汚してしまう。
それが、リズには許せない。
だが、それでも主は笑う。
まだまだ上を目指せるのだと。
「あえて言います・・・・・・。貴女には、傷つかれては困るのです」
だから、リズは走る。
主の命令を守るのだ。
最初にこの世界に現れ、主の手に握られた時、初めてその手と交わした約束。
「あえて宣言します! 我が名『炎に覇を成す皇剣』は、主の最強を証明する!!」
それは、守りたい人。
たった一人の家族たるエリシア。
その身に、
「一切の傷をつけぬこと!!」
そしてリズは、一陣の炎風となって、王都の空を駆け抜けた。
** ++ **
夜の王都。
夜明けにはまだ少しある暗闇の中、黒装束を身に纏う者達が、続々と集結していた。
人数は、おおよそ三十人以上。
確実に仕留めるため、気配を消して周囲を取り囲む。
あとは、一斉に飛び掛かるだけだ。
「・・・・・・」
目標に同行する二人。
一人は召還の巫女で、今もほぼ無傷で周囲を警戒している。
もう一人の男は、すでに相当な深手だし、さほど警戒する必要はないだろう。
とにかく、召還の巫女を何とかして排除し、目標を狙う。
しかし、召還の巫女は厄介だ。
召還の巫女は、王を召還すること以上に、召還した王やその守護者の護衛、補佐に就くことがより重要な役目となる。
当然、戦闘能力は折り紙つきだ。
単純に、魔力量の桁が違う。
だが、巫女は襲撃者の目標を護衛しているのではない。
巫女が護衛するのは、目標と同行している男の方だ。
だったら、男の方を狙えば、巫女には隙ができる。
その隙に、目標を拉致なり殺害なりする。
そこまでを、並列化した思考の中で決定し、襲撃者達はタイミングを合わせる。
そして、動いた。
** ++ **
ルイホウより早く、襲撃者にモリヒトは反応した。
その理由は、分からない。
単純に、瀕死の状態が、さらなる危機に反応したのだろうが、
「・・・・・・――ああ」
めんど。
そう、思考した瞬間、傍らのエリシアの肩を掴んで引き寄せていた。
走り出そうとして足をもつれさせ、転ぶ。
だが、それが功を奏した。
おかげで、倒れ込んだ背の上を、何かが通過した。
「! モリヒト様!!」
どちらが叫んだのかは分からないが、
「ルイホウ。囲まれてる」
「!?」
地面に倒れ込んだ後、エリシアが傷を負っていないかが気になった。
一緒に倒れてしまった以上、怪我したかもしれない。
起き上がる。
体が、どう動いているかが分からない。
暗い。
だが、何か光の点のようなものが見える。
腕の中には、まるで太陽を一点に凝縮したようなそれが。
傍にも、それなりの大きさのものがある。
さらに、周囲には一つの環のように連なった光が、こちらを囲んでいた。
「・・・・・・」
その環を睨んで、大きく息を吸う。
肺が痛むが、息がなければ力が出ない。
少し、環として繋がる光が薄くなった気がする。
「?」
疑問には思うが、今はそれを無視しなければ。
腕の中の莫大な光。
モリヒトは、その明るすぎる光の奥に、ほんの少しの陰りを見つける。
それは、モリヒトが息を吸った瞬間、僅かに緩んだ光の奥に見えたものだ。
息をしたおかげで、全身に多少なりとも力が入った。
ならば、後は、ルイホウの足手まといにならないようにするだけだ。
既に、ルイホウは何人かを倒したらしい。
だが、まだ数は多い。
と、少し離れたところに、すさまじい速度でこちらへ向かってくる光を感じる。
それは、炎のように燃えながら、空を駆けてこちらへ向かってくる。
まだ、少し距離がある。
息を吐いた。
息を吸った。
もう、歩ける。
気付く。
莫大な光のすぐそば。
そこに、光を吸収する何かがある。
思わず、それを手に取った。
「きゃ・・・・・・?!」
小さくエリシアの悲鳴が聞こえたが、構ってはいられない。
「―・――・―
雷よ/輝きの雷鳴よ/駆け抜けろ/疾く/疾く/疾く/断ち切りの雷刃/其は竜の牙/顎を開け/噛み砕け/咆哮せよ/其の真なる姿はここに在り/」
詠唱。
これで、全てが終わる。
「――――――――」
モリヒトは、そこで意識を手放した。
** ++ **
エリシアのイヤリング。
それは、確かにある程度、発動体としての能を持っている。
だが、それは本来、エリシアの莫大過ぎて溢れる魔力を、周囲に悪影響を与えないように、エリシアの絶対幸運を多少強化するように、自動発動するように組まれている。
それを、モリヒトはいきなり掴んだ。
「きゃ・・・・・・?!」
話した覚えもないのに、モリヒトはそれを発動体だと認識したようだ。
「―・――・―
雷よ/輝きの雷鳴よ/駆け抜けろ/疾く/疾く/疾く/断ち切りの雷刃/其は竜の牙/顎を開け/噛み砕け/咆哮せよ/其の真なる姿はここに在り/――――――――」
朗々とした詠唱。
怪我がきついだろうに、その詠唱にはよどみなく。
唱え終わった瞬間、がくり、とモリヒトの体から力が抜けた。
「・・・・・・~!!」
少女の体で、気絶した成人男性を支えられるはずもない。
モリヒトが倒れるのに引き倒されるように、エリシアは膝を突いた。
だが、次の瞬間には、モリヒトの詠唱の結果が結実した。
生まれるのは、莫大な雷光だ。
イヤリングから立ち上がった雷光は、周囲を取り囲む襲撃者達へと殺到する。
視認すら困難な速さに、ルイホウがひそかに肝を冷やす中、襲撃者達は大きく顎を開いた小さな雷竜達によって噛みつかれた。
いや、噛み砕かれた。
噛みついた雷竜は、その場で放電。
周囲は雷の気配に包まれる。
さらに現象が動く。
帯電の空気が収束し、囲んでいた襲撃者達を集うように、環のように回転。
そこから中心へと螺旋に収束。
巨大な雷竜の頭が、天へと立ち昇っていく。
「・・・・・・何が・・・・・・」
ルイホウが、ぽつりと天を見上げて漏らした。
** ++ **
王都の中から立ち上る、巨大な雷の竜。
それは、王都の外にいたセイヴからも見えた。
「・・・・・・何だあれは・・・・・・?」
魔術現象、と見ては、あまりにも現象が巨大すぎる。
しかも、ただのエネルギーである雷に形を与えるなど、消耗魔力が大きすぎる。
自分のことは棚に上げて、セイヴは現象の派手さに素直に驚いた。
あれだけのものを生み出すのに、どれほどの魔力を必要とするのか。
「・・・・・・少なくとも、俺様の魔力総量をはるかに凌ぐ。・・・・・・エリシアか?」
だが、妹は魔術は使えない。
召還の巫女も、あの規模には及ばないはず。
だとすれば、
「あの男か」
目つきが鋭い以外には、特徴がなさそうな男。
「・・・・・・ふむ・・・・・・」
面白い。
にやりと笑うセイヴの見ている先、天へと昇った雷竜は、折り返し、王都郊外へと、顎を大きく開きながら落下していった。