第4話:銀の少女
銀髪の少女、エリシア。
その顔を見ながら、モリヒトはふむ、と唸る。
腕の中に抱えている時は小さく見えたものだが、こうして下してみると、自分が思っていたより大きいことが分かる。
大体、アヤカと同じくらいの年齢だと、あたりを付けた。
現在位置は、ルイホウの言っていた門の詰め所の前である。
さすがに、エリシアを抱えたままでは、詰め所の扉を開けることができないため、地面に下ろしたのだが、
「・・・・・・」
モリヒトは詰め所の扉に手を掛けたところで、足を止めていた。
「・・・・・・どうかしましたの?」
「気付かないか?」
自分でもはっきりと分かるほどに声が固い。
あえて言葉にするなら、
「死の気配」
人がいるはずの向こう側に、異常に冷たい空気を感じる。
それは、背筋を撫でるような、冷たい気配だ。
モリヒトは、全身の鳥肌が立っているのを感じた。
周囲には人影どころか、人の気配がない。
「・・・・・・エリシア。ここを離れるぞ」
地面に立って体を伸ばしていたエリシアに声をかける。
「・・・・・・どうかしましたの?」
「ん?」
「顔色が、悪いですの」
そっと手を伸ばして、エリシアがモリヒトの頬を撫でる。
「・・・・・・そうか?」
「はいですの」
うまく言葉にはできないが、体、というか心の深いところに、この気配を恐れている自分を、モリヒトは感じていた。
それが何を起点とするのかが、モリヒトには分からないが、
「気分が悪いのは事実だな」
もしかしたら、詰め所の扉を開けても、何もないかもしれない。
だが、モリヒトには、それを開くことはできなかったのだ。
「・・・・・・まあ、気にするな」
「・・・・・・はい、ですの」
頷き、エリシアがそっと手を伸ばした。
「? ああ・・・・・・」
一瞬首を傾げ、思いついてその手を取る。
「よし、行くよ?」
「はいですの」
手を引いて、走り出した。
** ++ **
モリヒトは、基本的に気分屋で、面倒くさがりだ。
興味が向いた物事をつまんでは、別のところへ興味を向ける、という生き方をしている人間で、何かを成し遂げるということには向かない人間だ。
それでもやり遂げるには、一種義務に近い感覚を自分に課さなければならない。
だが、今エリシアの手を引くモリヒトは、そういった感覚とは別の感覚で走っていた。
もちろん、エリシアを守らなければならない、という義務感はある。
とはいえ、それは無視しても良かった感覚のはずで、
「・・・・・・俺はいつから、自分から面倒抱え込む性格になったのかね、と」
やれやれ、とため息をつきながら、モリヒトは走る。
最近はそうでもないから周囲は忘れがちだが、モリヒトは不幸体質だ。
周囲の面倒事は、基本的にモリヒトに降りかかる。
慣れているモリヒトは、大体それを一人で解決する癖がついている。
異常事態に対する適応の早さも、その経験に起因するものだ。
ただ、もともと面倒臭がりなモリヒトである。
「・・・・・・何だかなあ・・・・・・」
七人の敵に囲まれた時点で、モリヒトは抵抗をあっさりと諦めていた。
「で? あんたらの狙いは、この子かい?」
「・・・・・・」
周囲を囲む黒装束は無言。
短剣などを取り出し、こちらに向けている。
「・・・・・・参ったな」
これは、交渉とかそういうのは無視で、モリヒトごと殺すつもりであることが分かる。
「さて?」
こういう時は、
「・・・・・・どうすっかな?」
壁と自分の背の間にエリシアを挟んだ状態で、モリヒトは周囲と対峙する。
ルイホウがこちらを見つけるのに、それほど時間はかからないだろうが、だからといって、それまでの時間、敵が待ってくれるとは思えない。
「切り札は一回・・・・・・」
指にはめた指輪を使う時があるとすれば、ここなのだろうが。
詠唱の時間は絶対にくれない。
何せ、既に敵はこちらにかかってきている。
モリヒトは、その刃をかわすことなくその身に受けた。
「モリヒト様?!」
この子も様付け体質かー、などと思いつつ、モリヒトは腹部に突き刺さった刃を掴む。
動揺が伝わる。
敵とて、こちらが避ける動作も、防ぐ動作の一つも見せず、無抵抗に刺されるとは思っていなかったのだろう。
体を斬り付けたのは三つ。体に刺さったのは、腹と左腕の一本だ。
残りの二人は、動いていない。
「―リング―
雷よ/迅く奔れ/紫の蛇は纏いつく/二十八の大蛇/五十六の眼/百三十二の牙/染みいる毒に/防ぐ術なし」
リングが砕け散り、魔術は実現する。
七人の襲撃者の足元に、紫電の蛇が這い寄っていく。
気付いて飛び退ろうとしたものもいたが、既に遅い。
蛇の姿をしていても、それは魔術の雷だ。
地面からしか襲えないわけじゃない。
加えて、重みもなにもない蛇に纏いつかれても、気付くのは難しいようだ。
足元から這い寄ったのは、十匹程度。
それ以外は何もない中空から発生し、すでに体に纏いついている。
結果として、
「・・・・・・はい。おしまい」
何人かが蛇を切り裂いたが、この蛇は纏いついた時点で終わりだ。
一匹にでも纏いつかれれば、それだけで動きは奪われる。
そういう風にイメージした。
だから、
「・・・・・・む、貴様! 何を・・・・・・?!」
初めて襲撃者から声が漏れたが、
「そこまでです。はい」
上空から、水の槍が降り注ぎ、襲撃者達を地に伏せさせた。
「・・・・・・遅かったな」
「そのようですね。はい」
上空から降りてきたルイホウは、ボロボロのモリヒトを見て、眉をひそめた。
「・・・・・・モリヒト様。大丈夫ですの?」
膝をついたモリヒトを、エリシアが心配そうに見るが、
「・・・・・・大丈夫、だろ、多分」
血を流し過ぎた感じはするが、
「死にゃあしない、はず」
「確証もないのに強がらないでください。はい」
ルイホウがため息をついて、
「とりあえず、城へ向かいます。今、傷だけふさいで血を止めますので。はい」
ルイホウが杖をかざす。
「―サロウヘイヴ・メイデン―
涙よ/優しく/傷を撫でよ」
水の塊がモリヒトの肌の表面を這い、モリヒトから血を洗い流して、傷が塞がる。
「・・・・・・へー」
痛みはあるが、立ち上がれないほどではない。
ゆっくりと立ち上がったモリヒトを、エリシアが脇から支えた。
「大丈夫、ですの?」
「歩くぐらいは、な」
ふう、とため息をついた。
「大がかりな治癒となると、専用の設備が必要になります。はい。城にしかありませんから、帰りますよ。はい」
「む。・・・・・・分かった」
何だか、ちょっとルイホウの声にとげがある。
怒ってるな、と思いつつ、モリヒトは歩き出したルイホウに素直に従う。
「・・・・・・他に敵は?」
「ほぼ全て、片付いたと思います。ちょっと離れたところで、派手に火を吹いて暴れている人がいましたので、そちらへ向かったものと。はい」
「・・・・・・火?」
首を傾げる。
「あ、それ多分、お兄様ですの」
「へー。強いんだ」
「世界一ですのよ?」
自信満々に言い放つエリシアを、ルイホウが苦笑交じりに見つめる。
その視線に、エリシアは微笑み一つを返し、
「でも、モリヒト様は、無茶しすぎですの! 頭に刺さってたら、それだけで終わりでしたの!」
「怪我しないように、ってのは無理だからなー」
俺の実力じゃ、というモリヒトを、ルイホウとエリシアは睨みつける。
「それなら、もっと確実に逃げればいいんですの! 結界でも張れば、ルイホウさんが来るまで待つことだってできましたのに!!」
「・・・・・・なるほど」
ルイホウさん、というエリシアの呼び方に、ほんの少し引っかかりを覚えつつ、モリヒトは頭をかいた。
「結界、かあ。・・・・・・そういうのも、あったよなー」
ちょっと遠い目になったのは、全く思いつかなかったからだ。
「練習したことなかったから」
「そういえば、そうでしたか? はい」
ルイホウが首を傾げ、エリシアがむ、と頬を膨らませる。
「ルイホウさんが、モリヒト様に魔術を教えたんですの?」
「はい。あくまでも、魔術の発動方法などの、基礎的な部分のみですが。はい」
「それでは、モリヒト様の詠唱は、オリジナルですの? わたくし、あんな魔術は見たことがありませんの」
不思議そうな顔のエリシアに、モリヒトは首を傾げる。
「うん? ないのか? ああいうの」
「魔術は、最初に注入した魔力量以上の仕事は致しませんの。でも、モリヒト様の魔術は、途中から威力を強くしていたように見えましたの」
「魔力の使い方の問題じゃないか?」
「そう、なんですの? でも、何か違和感がありますの・・・・・・」
うーん、と悩み始めたエリシアの銀髪を撫でて、
「まあ、今は考える時じゃない。できるだけ早く、安全な場所に移動する時だ」
「・・・・・・分かりましたの」
それで、エリシアは考えるのをやめたようだ。
城へ向かうモリヒト達一行。
その脇の家屋が爆発したのは、その直後のことだった。
少し先を歩いていたルイホウは、その爆発に巻き込まれることはなく、エリシアは、モリヒトが爆発した家屋側を歩いていたため、モリヒトが盾となって無傷で済んだ。
「・・・・・・な、モリヒト様! ご無事ですか?! はい!」
一瞬呆けたルイホウが、慌てて近づく。
「大丈夫、じゃない・・・・・・」
ばた、とモリヒトは倒れた。
** ++ **
時間を少し巻き戻す。
セイヴは、街の外へと出ていた。
襲撃者の数が、予想以上に多かったからだ。
倒すのは簡単だが、街に被害を出すのは、あまりよくない。
特に、炎を扱うセイヴは、攻撃範囲が広くなる傾向にあるため、建物ならともかく、人に被害を出しやすいのだ。
それゆえに、城門から外に駆け出し、
「・・・・・・来なくなったな」
暇を持て余していた。
「あえて言います・・・・・・。私は、敵の狙いがエリシア様だと言いましたが?」
その隣で、無表情に地面の草を引き千切るのは、真紅の少女、リズだ。
「・・・・・・かといって、街の中に戻るわけにもいかんだろう」
腕を組み、街を眺めるセイヴに、
「あえて言います・・・・・・。・・・・・・私だけ、行きましょうか?」
リズがそう提案する。
「ふむ。そうだな。そうしてくれ」
「あえて言います・・・・・・。分かりました」
手を払って、街の中へ駆け込んでいく。
その背中を見て、
「・・・・・・やっぱり、あの口癖は、どうも変だよなあ・・・・・・」
そんなことを、呟いた。
** ++ **
街の中へと駆け込んだリズは、魔力の探索を用いて、高い魔力の持ち主を探す。
「・・・・・・?」
通常、感覚を研ぎ澄ませれば、エリシアの持つ膨大な魔力の感覚はすぐに分かるのだが、
「あえて言います・・・・・・。・・・・・・薄い?」
あえて表現するなら、そんな感じだ。
だが、エリシアは魔術を使えない。
使うと、制御しきれずに暴発させてしまうため、使うことを禁じられている、という方が正しいが。
だが、波長から、大体の方角は分かる。
だから、そちらへ走り出した。
敵の気配を感じないのは、
「あえて言います・・・・・・。近くに、巫女の魔力波長を感じます。あの方が、全て打ち倒しましたか?」
疑問調だが、ほとんど確信に近い思いだ。
リズは、アートリアだ。
その本体は、セイヴの持つ、『炎に覇を成す皇剣』という。
だから、リズは人間ではない。
戦い方も、技の種類も、魔力の波長も、セイヴとかなり似ており、戦闘能力のみを取り出すなら、おそらくセイヴとそう変わらない。
だが、いかに魂が宿る女神の器といえど、物であることが、リズの感覚を鈍らせる。
いや、それは、セイヴの手元を離れたことによる、無自覚な能力低下なのかもしれない。
とにかくリズは、魔力波長を感知することに集中した結果として、自分がどれほど目立つかを失念していた。
炎を印象付ける、真紅の髪に真紅の相貌。
いかにも鮮やかなそれを持つのは、大陸広しといえど、アートリアたる彼女だけだ。
そして、鈍っていた感覚は、魔力を持たない、ただの力の接近を見過ごした。
すなわち、
「あえて言います・・・・・・。油断しました」
こんな時でも、しっかりと口癖を言い放ちながら、リズは大きく跳躍した。
向かってきたのは獣だ。
魔獣なら、魔力を持つから分かる。
だが、今回都市部に送り込まれているのは、調教されたと思しき大型の狼種。
一体一体が、大体人の肩ぐらいまでの高さのあるものが、七体だ。
よく調教されているらしく、炎をイメージさせるリズに対しても、怖じることなく突っ込んでくる。
それに対し、リズは手に纏わせた炎を打ち付けた。
二体はそれで炎に包まれる。
残りは五体。
右腕を振るえば、そこから放たれた炎弾が、三体の狼を吹き飛ばした。
あと二体。
だが、その二体が退いた。
「あえて言います・・・・・・。?」
前置きを無視して何も言わずに首を傾げ、リズはその後を追った。