第30話:地脈を汚す、精霊の血
こちらの魔術の攻撃が当たったジュマガラを見て、モリヒトはレッドジャックを構え直す。
手傷を与えた。
だが、ここからどうしたものか、とモリヒトは悩んでいた。
とどめを刺すには、近づいた方がいい。
だが、ジュマガラには近寄りたくない。
何をしてくるか分からない不気味さは健在だ。
できれば、このまま遠隔で無力化したいところだが、そううまくいくだろうか。
「・・・・・・困りましたね」
ジュマガラが、声を上げた。
手には、閉じられた本。
「・・・・・・思うんだけど」
そうしていたら、後ろから声をかけられた。
クリシャが、モリヒトの隣に並ぶ。
「モリヒト君の、その発想というかなんというかは、一体どこから来るんだい?」
「魔術においては、イメージが重要っていう、ふんわり法則が全部悪い」
「いや、それでうまくいくのが何かおかしいっていうか・・・・・・」
クリシャは首を傾げるが、そこはモリヒトの異世界人としての面目躍如、とでもいうべきものだ。
こちらの世界にはないものも、あちらの世界にはある。
スチームによる掃除なんていうのは、こちらではないものだ。
できるできないで言えば、魔術を使えばできるのは、モリヒトがやって見せたとおりだ。
だが、だからこそ、と言うべきか、それが効果的である、という発想を、こちらの人間は持つことができない。
例えば、モリヒトが蒸気を魔術で発生させ、汚れを落とす様を見せたとする。
では、それで他の人間が同じように蒸気で汚れを落とす魔術を発動できるか、といえば、答えは否である。
なぜなら、モリヒトの魔術を見たところで、それが蒸気によって汚れが落ちたのか、それとも魔術によって汚れが落ちたのか、それを判別する術が、こちらの世界の人間にはないからだ。
そうなると、モリヒトの真似をして蒸気を発生したところで、それで発生する現象は限定的なものになる。
モリヒトが、蒸気で油汚れを落とす魔術を見せたとして、それを見た人間が同じように蒸気で落とせるのは、同じ油汚れまでである。
モリヒトのように、相手の発動体となっている本を破壊する、ということになれば、魔術で発生させた蒸気で同じことをやるのは不可能だ。
モリヒトにそれができたのは、蒸気が汚れを落とす、というのが、ふんわりとでも知っていたからである。
そして、『教え導かれし人』を構成するのが人体であり、インクなりなんなりに油分が含まれていることを想像でき、それらを蒸気が落とすことができる、とイメージで連想できたからだ。
この連想がなければ、どんなに頑張っても、蒸気で敵の発動体を破壊する、という魔術は使えない。
たとえ使えたとしても、破壊できる発動体が『教え導かれし人』のみになるだろう。
クリシャでも使えない魔術である。
「で? あっちの様子は?」
「とりあえず、人質になっていた人たちは、避難させたよ。ちょっと乱暴に吹き飛ばしたから、やっぱり怪我をしているのはいたけどね」
「・・・・・・そうか」
「悪いとか思わなくていいよ。ああしておかないと、余計にひどいことになってたと思うから」
モリヒトの表情を横目に見て、クリシャはぽん、とその肩を叩いた。
それに応えることはせず、モリヒトは前を見る。
「でも、どれだけ揺すっても、意識が戻らない。・・・・・・多分、あいつが魔術か何かで意識を奪ってるんだ。どっちにしろ、あいつをどうにかしないことには、ね」
「む・・・・・・」
「一応、この石堂の外には運んだけどね。ナツアキ君には、様子を見てもらってる」
本当は、助けを呼びに行かせたかった、とクリシャは言うが、戻る途中には、ガーゴイルに襲われてミケイルが乱入してきた広場がある。
ナツアキを一人で戻らせた場合に、そこで何か起こらないとは限らないため、一人で戻らせる、というのは断念したということだ。
「・・・・・・クリシャによく効く方の発動体は、まだ残ったままだぞ?」
「分かってるよ」
『教え導かれし人』は無力化できるとしても、もう一方の『精霊殺し』はまだ残っている。
あちらを使われれば、クリシャは厳しいだろう。
「だから、援護メイン。・・・・・・護衛のつもりだったのに、ごめんね」
言って、クリシャは一歩後ろに下がる。
モリヒトは、レッドジャックを構え直した。
そうして、モリヒトがクリシャと会話している間、ジュマガラはじっと『教え導かれし人』の表紙を眺めていたが、
「やれやれ、どうしてそこまで邪魔をなさるのか」
「お前が嫌いだから」
「・・・・・・なんとも、個人的な感情ですか?」
「どんな正義を並べ立てるより、分かりやすくて納得できるだろう?」
「・・・・・・なるほど。言われてみれば」
軽口をたたくモリヒトに、ふむ、とジュマガラは頷いた。
「では、私もあなたが嫌いということで、いやがらせをさせていただきましょう」
そう言って、ジュマガラは本を掲げた。
「起きなさい」
「何を・・・・・・?」
どん、と、石堂全体が鳴動した。
一度は消えた魔術陣が、再度光を取り戻す。
「・・・・・・何をした?」
「先ほど、集めた人質をここの外に出した、と言いましたか」
ジュマガラが、ふ、と笑う。
「彼らには、この『教え導かれし人』を使って、眠りの魔術をかけてあります」
「・・・・・・それが?」
嫌な予感がする。
気になるのは、ナツアキの方だ。
「また、この陣を書くための塗料もすべて、この『教え導かれし人』の魔術を用いて、固定しました」
足元、光っている線を蹴りつけても、線がかすれたりするようなことはない。
彫り込んでいるわけでもないのに、どういうことか、と思ったが、そういうことか、と納得する。
「この『教え導かれし人』は、少々、特殊な発動体でして、発動体でありながら、魔術具でもあります」
不愉快になるくらい、自慢げな声だ。
モリヒトが、次の魔術を唱えるべきかどうか悩んだところで、
「ああ、どのような能力を持っているか気になるでしょう? 教えて差し上げます」
「・・・・・・」
「『教え導かれし人』の魔術具としての能力は、『教え導かれし人』を発動体として発動した魔術の影響を受けている存在は、見えない場所にあったとしても、魔術の対象として魔術を発動できる、というものです」
「それがどうした?」
「ああ、単純なことですよ。先ほども言いましたが、あなた達が連れ去った彼らは、未だ私の魔術の影響下にあり、また、この石堂全体の陣もまた、私の魔術の影響下にある」
つまり、
「別に陣の上にいなくとも、彼らを儀式発動の生贄にするのに、何の不足もない」
「ち!」
詠唱しようとしたモリヒトだったが、ジュマガラの方が早い。
「―アリーエ・クティアス―
精霊の血よ/地の流れに/祝福を/与えたもう!」
ずん、と空気が重くなった。
陣が放つ光がより強くなる。
「まずい!」
クリシャが杖を振るうが、
「―スレイベレメンタル―
精霊よ/力を失え」
「あ・・・・・・」
クリシャが放った魔術がかき消え、クリシャ自身も、力を失って膝をついた。
「―レッドジャック―
・・・・・・」
モリヒトが、詠唱をしようとしたところで、
「もう、遅いのですよ」
ジュマガラは、杖を地に突き立てた。
「これで、私が死んだとしても、儀式は止まらない。・・・・・・さあ、いかがしますか?」
** ++ **
それは王都郊外で発生した。
場所は、モリヒト達が戦う、石堂の丁度真上。
アジトの入り口は王都の中にあったとしても、そこから長い廊下を抜けた先にあった石堂は、王都郊外にまで伸びていたのだ。
石堂の真上にあったのは、なだらかな丘に囲まれた小さな湖であった。
地下の石堂が崩れないようにするため、石堂を作る際に用いられた、周囲の地中の水を吸い上げて地表へと噴出する魔術の効果により、湖の水源となる湧き水は発生している。
最初の異変は、その水源からだ。
湧き出す水の色が変わった。
無色透明の水から、血のにじんだような赤へと変わり、その色は徐々にどす黒くなっていく。
湧き出していた水の勢いは、噴き出すような勢いへと増していき、湖の水位が上がる。
やがて、湖の岸からどす黒く染まった水があふれだすまでに、それほどの時間はかからなかった。
溢れ出した水は、通常の水とは違う、どろりとした粘性を持ちながら、徐々に陸地を覆っていく。
最初にそれに触れたのは、水を飲みに集まっていた鹿であった。
足先が振れた瞬間に、びくりと震え、やがて身を伏せた。
そして、全身が水に包まれ、飲み込まれたかと思えば、そこで立ち上がる。
体格は一回り大きく、角は鋭さを増し、目からは妖しい光を放つ。
そこにいたのは、鹿の魔獣であった。
鹿だけではない。
水に触れた動物は、そのまま水に飲み込まれ、水に過剰なまでに含まれた魔力を注がれて、魔獣となって立ち上がる。
元から魔獣であったものが水に触れれば、含まれる魔力を吸収して、その能力が強化され、そして、過剰な量に荒れ狂う。
やがて、そうして生まれた魔獣の群れは、水の流れに乗って、動き出す。
粘性の高い水の、緩やかな勾配を下るゆったりとした流れ。
内側に、狂う魔獣の群れを内包した、滅びの流れ。
向かう先には、王都があった。
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別作品も連載中です。
『犯罪者たちが恩赦を求めてダンジョンに潜る話』
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