第28話:ジュマガラ
黒い本。
どこから取り出したか分からない、分厚いそれは、辞典のようにも見えるが、ジュマガラが持っていたもう杖のように、どこまでも不気味な雰囲気が漂っている。
「・・・・・・なんだ・・・・・・?」
その不気味さの由来を、モリヒトは考える。
さっきの杖は、奇妙にねじくれていた。
赤と黒で構成されたねじくれた造形に、全体的に浅黒い色。
先端の歪んだ球体とそこからこぼれるような繊維状のもの。
どこかやせた人間の死骸を思わせるその造形に、気味悪さを感じるのは、自分でも納得できるものである。
だが、あの黒の本は何なのか。
分厚い本。
表面は黒く、艶のある素材を編んで作られた布か何かでカバーとなっているようだ。
そのカバーに、白い線が入っている。
中に綴じてある紙が何なのかはわからないが、どこか赤身がかっているのは分かる。
ただ、遠目に見る限りでは、それほどおかしなものには見えない。
だからこそ、その不気味さがきにかかる。
「この本が気になりますか?」
ジュマガラが、モリヒトの視線が手に持った本に向いているのを察知したか、そう言った。
それに対し、モリヒトは警戒を解かないままに、ジュマガラに向かい合う。
「明らかに武器、発動体だろそれ。この状況で出してきたものを、警戒しない訳があるかよ」
背後の状況を確かめたいが、目の前の相手から目を逸らすのは嫌だ。
「ええ。確かにこれは発動体ですね」
ジュマガラの頷きは、どこかできの悪い生徒をほめるような、上からの目線を感じさせる。
表情も声も平坦で感情が見えないのに、態度がそう感じさせる。
接したことのないタイプだ、とモリヒトは眉をしかめた。
「銘は『教え導かれし人』と言います。私が手に入れた発動体の中では、なかなかに出来がいい」
「手に入れた・・・・・・? 作ったんじゃないのか?」
「まさか。いかに私といえど、このような発動体は作れませんよ」
「へえ? 案外、腕がないのか?」
モリヒトの言葉に対し、ジュマガラはわずかに片眉を上げる。
「どれほどに腕があったとしても、こんな発動体は作れません」
「・・・・・・? 発動体ってのは、人が作るもんだろ? 腕があっても作れないって、なんだそれは・・・・・・」
発動体の制作現場を見たことがあるわけではないため、確かなことは言えないまでも、発動体には、その制作を専門とする職人がいる、というぐらいは聞いている。
素材の質などで、品質に影響が出るにせよ、職人の腕もまた、重要なファクターである。
それが、腕とは関係なく、だがいい出来であるとは、どういうことなのか。
「確かに、世に出回る発動体の多くは、それを手掛けた職人がいるものです。ですが、希少ではありますが、作成者のいない、すなわち、自然とその形となった発動体、というものも、世の中にはあるのですよ」
ジュマガラは、得意げに声を上げて語った。
希少で、しかも性能が高い、発動体。
例えば、真龍の住まう領域の麓。
森の中で、特定の条件を満たして生えた樹木。
例えば、極限となる環境。
火山や雪山など、そう言った環境でできた結晶が、何かしらの理由で別のものと溶け合った結果、自然とそうなったもの。
例えば、魔獣。
魔術に似た力を使用する魔獣は、時にその死骸から発動体と同じ働きをする器官を採取することができる。
「あるいは、ウェキアスなどもそうです。あれも、人の手によらず、発動体となるもの」
例を挙げてみれば、案外にそういったものはある、とジュマガラは言う。
話が長い、と思いつつも、モリヒトとしては、止める、という選択肢はなかった。
背後で、ナツアキやクリシャが動いているだろう。
人質の救助のためには、いくら時間が会ってもいいだろうし、そもそも入り口からこのアジトを制圧を進めているアトリ達も、時間が経てばここまで到達するはずだ。
足元にある光を失った陣が示す通り、ジュマガラが行おうとしていた儀式は、すでに破綻しているはず。
だったら、時間はこちらの味方だ。
長い話だろうが、興味のない話だろうが、向こうから時間を使ってくれるというなら、そのまま引き延ばして損はない。
「この杖、『精霊殺し』などは、それを目指してみたものの、結局は自分で加工をした品でしてね」
杖を引っ張り出してきたジュマガラは、やれやれと首を振る。
「見てわかるでしょうか。これは人の死体を使っています」
なんでもないことのように言うために、一瞬聞き逃しそうになって、モリヒトは気づき、顔をしかめた。
やせた死体のようだと思っていたそれが、言われてしまうともう死体にしか見えない。
手足をそぎ落とされた人の死体だ。
「魔獣は、魔術を使う。人だって、魔術を使う。だったら、魔術を使うのが上手い混ざり髪の肉体に、韻晶核と発動機を接続してやれば、うまいこと生きた発動体にならないか、という実験の結果生まれた、副産物のようなものです。・・・・・・そう。クリシャさんですよ」
ジュマガラは両手を広げ、浪々とうたうように口にする。
「クリシャさんの魔術の使う様を見ましたか? あれは、彼女自身が、発動体であるが故に行えるものである、と私は見ているのです。人間の死体は発動体の触媒として利用できる。発動機も、人体の構成物から作成可能です。足りないものは韻晶核だけ!」
だったら、
「だったら! 足りないのならば、韻晶核を体内に埋め込んでやれば、ただの人間でも、クリシャさんのような魔術行使が可能となるはず、という実験だったのですが・・・・・・」
はあ、とジュマガラはため息を吐いた。
「失敗でした。肉体の一部を発動機として組み換え、韻晶核を埋め込むところまではうまくいくのに、いざ魔術を詠唱させると、魔力を制御できず肉体が死ぬか、体内を流れる魔術の感覚に耐えきれず精神が発狂するか・・・・・・。どうしてもうまくいかない」
顔をしかめたまま、モリヒトはジュマガラの独白を聞いていた。
ぶっ飛ばしてしまいたい、と思うが、時間稼ぎ、と思うと、このまましゃべらせておいた方がいい、という気がする。
どんな隠し札を持っているか、分かったものではないのだ。
「・・・・・・とはいえ、決して得るものがなかったわけでもない。確かに全身を発動体とするのはうまくいきませんが、体の一部を本体から切り離して発動体とするのは、なんとか可能になりました。・・・・・・まあ、私が求める水準には、遠く及びませんがね」
は、とジュマガラは吐き捨てる。
「・・・・・・・・・・・・ずいぶんだな? なんだ? 自分は案外、研究者としては無能だ、という自嘲か?」
どこかいら立つ心に、モリヒトがそのいら立ちのままに口にすれば、ジュマガラは一瞬きょとん、という顔をして、ああ、と頷いた。
「申し訳ありません。前置きが長くなりましたね。本題は、この『教え導かれし人』が、人の手によらない発動体である、という話でした」
これはいけない、とジュマガラは杖を後ろに回し、両手で黒い本『教え導かれし人』を前へと突き出した。
「この本がなぜそうなのか、という話でした」
ジュマガラは、黒い本を、ぱら、ぱら、ぱら、とめくる。
「この本はですね。自然と本になったのです」
「・・・・・・ウェキアスか?」
「いいえ? これはウェキアスではありません」
はっきりと首を振って、ジュマガラは否定した。
「これはですね。混ざり髪です」
「・・・・・・その杖みたいに、死体を使ったって話か?」
人の皮を使った本とか、なんかで聞いたことあるなあ、とは思う。
趣味が悪いとは思うが、ミュグラ教団はそういう集団らしいし、気にしても仕方がない。
「いいえ。そんなことはしていませんよ?」
「あ?」
「昔、とある混ざり髪を保護したことがありましてね」
保護、とモリヒトは口の中だけでつぶやいた。
それがどういうことなのか、きっと、想像よりマシな目になんて遭ってはいないだろう。
「その混ざり髪に対して、いくつかの実験をしたのですよ。主に、精神に作用するように」
拷問めいた実験か何かだろう、というのは、容易に想像がつく。
少なくとも、人権を無視した何かだろう、と。
「いやあ、なかなかに大変でしたよ。保護した時は子供だったというのに、この本が生まれるころには、それなりに育っていましてね」
「・・・・・・・・・・・・」
もう反応も返さなくなったモリヒトを気にもせず、ジュマガラは続けた。
「とにかく、その保護した混ざり髪に対し、繰り返し、クリシャさんのことを語って聞かせたのです」
「・・・・・・?」
それがなんだというのだ、とモリヒトは思うが、
「クリシャさんは、ミュグラ教団にとって、極めて重要な意味を持つ人物です。彼女に憧れさせ、彼女に近づくための実験を行い、そしてミュグラ教団として、混ざり髪として、よりふさわしい形を教え込む」
はあ、とジュマガラは吐息した。
「今でもあの日を思い出します」
その表情に、恍惚が乗った。
「ある日、彼女を起こしに行った私は、彼女に連れられ、彼女の日課としている祈りを行う場へ向かいました。そして、彼女は、祈りをはじめ、祈りが終わるころには、そこにこの本があったのです」
ふふふ、と笑いながら、ジュマガラは本の表紙を撫でる。
「・・・・・・実に、実に美しい本だ。この本は、ウェキアスではない。ですが、ウェキアスなどよりも、よほどに美しい」
ジュマガラは顔を上げ、モリヒトを見た。
その目は平静だ。
昂揚はあっても、狂気はない。
だが、その目を見たモリヒトは、思わず武器を構えていた。
「何をした?」
「いいえ? 何も? 何も、私はしていませんとも? 言ったでしょう? この発動体の作成に、他者の手は関わっていません。・・・・・・すべて、自身の手で行われたのですよ」
言葉の意味を理解する。
すなわち、ジュマガラの言う混ざり髪は、自らの手で、自分の体をえぐって、あの書物を作った、ということだ。
そうなるように、ジュマガラが誘導した、という意味だ。
それのどこが、人の手の加わっていない発動体だというのか。
だが、ジュマガラにしてみれば、それは人の手の加わっていない発動体、ということなんだろう。
そういう男なんだろう。
「・・・・・・おっと、ついつい話し込んでしまいましたね」
一方的に語っていただけだろうに、とは思うが、こうくるということは、話題が変わるということだ。
「儀式の続きをしなければなりません。申し訳ありませんが、どいていただきますよ」
そう言って、ジュマガラは、本を開いたのだった。
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別作品も連載中です。
『犯罪者たちが恩赦を求めてダンジョンに潜る話』
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