第27話:炎の景
炎の森からは逃れた。
黒の森を照らす、赤の光は、既に何メートルかは向こうだ。
熱は吹き寄せてくるが、熱い、というほどではない。
もう魔術による制御はなく、ただ燃えているだけの火だ。
燃え尽きるか、それでもこの辺一帯を燃やし尽くすか。
それを気にする余裕は、モリヒトにはなかった。
モリヒトは、傷を負っていた。
ライトシールドの防御もなく、とっさの爆風だけで炎の中から逃れたモリヒトは、それによって木々や枝に体を打ち付け、地面に墜落し、全身に擦り傷や打撲を負っている。
それだけではなく、ミケイルが抜いたナイフもだ。
爆風で飛ぶ際に、体の一部をひっかけ、そこが切り裂かれたのを感じた。
どこに打ったか、頭からも血が流れ、左腕は折れている。
足には相変わらず力が入らない。
荒く息を吐いたモリヒトは、ミケイルを見上げる。
煤が体について、焦げている。
「間違いなく良い手だった。ぶっちゃけ、誰が相手でもどんな場面でも、あの手はある程度は刺さる手だ」
ミケイルが何か言っている。
息を吸っても、喉が痛くて酸素が吸えない。
目はぼやけ、耳は遠い。
それからも、何事かをミケイルは言っているようだった。
「殺す」
それだけが、はっきりと聞こえた。
** ++ **
炎には、いい思い出がない。
レッドジャックをセイヴからもらっておいて、炎の魔術を多用しておいて、その上で言うのもなんだが、モリヒトは火にいい思い出がない。
住処を失ったの火事だった。
あの火事から、父もいなくなった。
炎の明りを背負いながら、黒い森の中、こちらを見下ろすミケイルに、モリヒトは、何かを、思い起こした。
** ++ **
「ふむ・・・・・・?」
山頂。
洞の中にあって、黒は下界の気配を感じ取る。
そうして、黒は洞の外へと出る。
「いかがなされました?」
小屋に残っていた、守り番役の巫女が、黒に向かって首を傾げた。
「何、下で騒ぎがあるようであるな」
「はい。先ほど、大規模な炎の魔術の行使を確認しました。例の不届きものと戦闘となったものかと・・・・・・」
「モリヒトである。それはそう感じ取れた」
「それは・・・・・・」
黒の断言に、巫女は口元に手を当て、眉を顰める。
「必要ないと思ったが故、モリヒトには教えていないことがあるのだが・・・・・・」
「? 何をでしょうか?」
「何、大したことではない」
言いながら、黒が上へと腕を振り上げる。
「何を?」
「雨雲を呼んだ。あの火が、森に回っても困るのでな」
「ああ・・・・・・」
なるほど、巫女は頷く。
「これこのようにな。真龍は、ある程度、地脈の上にある自然を操れる」
「・・・・・・?」
「先ほどの、モリヒトに説明していないことだ」
「ああ」
黒がこれをモリヒトに説明しなかったのは、
「モリヒトにあるのは、あくまでも真龍の一部を受けた影響による、魔力吸収体質のみであったのでな。これはできんと思ったから、教えなかったのだが・・・・・・」
ふむ、と黒は唸った。
「どうされました?」
「いや、炎が上がっている辺り、どうも我の領域から外れている」
「え?」
「・・・・・・見誤ったか」
山頂広間の縁に立ち、黒は眼下を見下ろす。
「さて、何が起きるやら・・・・・・」
吹き上がった炎が渦を巻こうとしているのが見えた。
「・・・・・・あの炎、魔術でしょうか?」
傍らの巫女の一人が声を挙げた。
確かに、炎の動きとしては、あまりにも不自然な動きだ。
だが、黒は首を振る。
「否。あれは、自然の炎の動きだ」
渦を巻く。
その炎の中央が天を衝くように立ち上がり、まるで蛇の、いや、竜の首のように、うねった。
「!」
周囲、巫女たちが息をのんだ。
首をもたげたその炎は、そこから、眼下の森へと炎を吹き付けたのだ。
「やれやれ。これは、思ったよりも大火事になるやもしれんな」
巫女たちの焦燥を他所に、黒はそう嘆息するのだった。
** ++ **
モリヒトの意識はもうろうとしていた。
熱から遠ざかったはずなのに、熱を感じる。
それが、炎から来るものなのか、怪我から来るものなのか、判別がつかなくなってきている。
「・・・・・・まずい」
モリヒトの冷静な部分は、そう言っていた。
明らかに、自分の体が危険な状態になりつつある。
感覚が薄れてきている。
奇妙な寒気すら感じる。
「・・・・・・・・・・・・」
<だめだねえ>
モリヒトの耳が、確かにその声を聴いた気がした。
<こんなところで、死なれたら困る>
炎を見た。
夢を見る。
いつも、炎に炙られて消える、夢がある。
住んでいたアパートが火事になった時、モリヒトはそのアパートにはいなかった。
飲んだくれた父だけだったはずだった。
アパートに入る。
ゴミだらけのそこ。
片づけながら、ゴミを拾いながら。
モリヒトの住んでいたアパートは、ボロとはいえ、二部屋あった。
父は奥の部屋を占領し、モリヒトは手前の部屋で生活していた。
そこが生活スペースでもあって、モリヒトは狭い領域で暮らすことを余儀なくされていた。
夜寝ている時でも、父が起き出して出かければ踏みつけられることもあり、部屋の隅で眠るようになった。
家の外で過ごすことが多くなったのも、荷物や財産を家の外で管理するようになったのも、ある種の必然ではあった。
家の中に金を置いておけば、父が持ち出して酒に変えてしまう。
だから、いつも通帳もハンコも自分で持ち歩いていた。
必要なものは、必要になる都度引き出すようにしていた。
そういう生き方をしていたから、学費とかの大金で必要なものは、別に暮らしていた母に、すべて預けていた。
父と話をしなくなってから、どの程度経ったか。
父と顔を合わせても、互いに見ないふりをする毎日だった。
そんな環境の中で、自分が母のところに住みつかなかった理由は何だったか。
母は、違う街に暮らしていた。
母の下に行けば、今住んでいる場所から離れることになる。
それを忌避した理由があった。
その答えは、夢の最後、覚えていないあの場面にある気がする。
そうだ。
あの日は、確か通う予定になっている高校で、奨学金やらなんやらの説明を受けていた日だった。
不自然な何かを感じたのは、家の扉を開けた時だった。
靴が一つ、多かった。
家へ入った。
火が、燃えていた。
ガソリンの匂い、焼ける音。
その傍らに、父が立ち尽くしていた。
<大丈夫。わたしがいる>
モリヒトは、意識を失った。
** ++ **
炎が周囲を焼いている。
「ち!」
舌打ちとともに、ミケイルは腕を振るった。
その腕が、飛び込んできていた炎を払う。
腕を焼く熱に顔をしかめつつ、ミケイルは周囲を見回す。
いつの間にか、森の様相が一変している。
炎のまわりが早い。
周囲の木々が、いつの間にか火に包まれている。
先ほど脱した炎の森が、そのまま追いかけてきたようでもあった。
そんな中で、モリヒトが動かない。
「・・・・・・死んだか?」
ぴくりともしないのに、そう感じたミケイルがつぶやくが、
「・・・・・・いや、まだだな」
自分の体の感覚で分かる。
身体強化は弱化し続けている。
近づいたことで、身体がどんどんと弱まっているのを感じる。
このままだと、ミケイルと言えど、炎に巻かれて死ぬか、身体改造の副作用で死ぬかのどちらかだ。
時間がない。
だが、
「ああ?」
炎が、立ちふさがる。
「魔術か。・・・・・・じゃあ、ねえよなあ?」
おかしい。
周囲に残る火は、モリヒトが起こした魔術が、森の木々に燃え移ったものだ。
それが、まるでミケイルに敵対するように、モリヒトを守るように、動いている。
「どういう手品だ?」
襲い掛かってくる炎は、腕を振るえば払える程度のものだ。
やはり魔術の炎ではない。
だが、
「くそ、近づけねえ!!」
モリヒトと隔てるように、炎の壁が立ちふさがる。
「誰だ!? 誰かいやがるな?!」
こんな不自然な現象は、魔術でなければ起こりようがない。
モリヒトに動いている素振りがない。
そうである以上、誰か、別の誰かがいる。
<帰れ。今は、お前の相手をしてる場合じゃない>
「あ?」
炎が、立ちふさがる。
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別作品も連載中です。
『犯罪者たちが恩赦を求めてダンジョンに潜る話』
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