ティースプーン一杯の魔法
お友達のお誕生日祝いもかねて。
アニメイトブックフェア2021年『耳で聴きたい物語』コンテスト応募作品です。
投稿ルールが12,000文字以下なので短い作品となっています。
朗読されたいのでオノマトペが多くなっています。
午前 零時。
早めに寝ようとベッドに潜り込んだのに、明日のことを思うとどうしても眠れなかった。
時計の針がチクタクと響くのが苦手で、アナログ時計なんて部屋に一つも置いていないけれど、今日はその静けさにかえって心細くなってしまった。
もう何度目か分からない寝返りを打つ。
ウサギの形の抱き枕に足を絡ませて抱きついた。
「……」
いつもならその手触りに安心するのに、今夜はなんとなく物足りない気分になる。
ウサギを軽く殴って眠れない苛立ちをぶつけてみる。
ポスンと音を立ててベッドから落ちてしまったのが可哀想に思えた。
スマホを見ようか悩んだけれど、眠れない日にスマホを開いたが最後。ブルーライトのせいで朝方まで眠れなくなるのは確実だ。
明日はヘマをしてはいけない。寝不足でフラフラな新婦なんて聞いたことがない。
ただでさえ高いヒールに長いドレスで歩きにくいのだ。
門出を祝ってくれる人達の前でスッテンコロリなんて。そんなの、恥ずかしすぎる。前途多難すぎる。
「どうしよう」
明日は笑顔で挨拶しなきゃ。アクビなんてしちゃいけない。
写真だっていっぱい撮られるのに、クマのついた疲れきった顔を残したくない。
「もう、どうしよう…」
独り言は闇に消えていく。それがどうしても寂しい。
初夏の深夜は驚くほどに静かだ。
ふと喉が渇いたような気がした。
ベッドから起き上がってウサギの抱き枕を拾い上げてごめんねと呟く。
寝るのは少しだけ諦めて寝室を出た。
「…あれ?」
一階へ繋がる階段を下りるとリビングの明かりがついたままの事に気づく。
そっと階段を下りてリビングのガラス戸を開けると。
「ほのか…やっぱり眠れないの?」
ダイニングテーブルには母が座っていた。
「うん…どうしても、緊張しちゃって」
「明日はほのかが主役なんだから。寝不足だとお化粧のノリも悪くなっちゃうよ」
「分かってる」
まるで眠れないことなんかお見通しだったかのように、口では叱りながらも顔は穏やかに笑っていた。
その笑顔を見るとなんだかホッとして、ゆっくりと隣の椅子に腰掛けた。
長いこと使い続けた椅子はギシリと、体重が気になる女性にとってとても失礼な音を立てた。
「ホットミルク飲む?」
「うん」
私がそう答えると、母はよっこらせと立ち上がる。
私の愛用のマグカップに牛乳を注いで電子レンジに入れた。
マグカップには黄色い熊のキャラクターが描かれている。
小学校五年生のころ、友達からもらったプレゼントだ。
明日その子にはスピーチ役を頼んでいる。
ブーンという音が止み、ピーと甲高い音が鳴る瞬間、母の手が素早く電子レンジのドアを開けた。
音が鳴った瞬間に電子レンジを開けると、甲高い音が一瞬で止むのだ。
深夜にホットミルクを作る時の恒例だ。
「お父さん、起きちゃうからね」
まるで内緒で悪いことをしているかのように、母は人差し指を口に当ててシーッと言った。
目の前に置かれたマグカップの中には膜の張ったホットミルク。
シワの寄った膜がツヤツヤとして、湯気がホカホカとしている。
「ねぇ、ほのか。今から魔法をかけるよ」
そう言って母が取り出したのはティースプーンと蜂蜜。
ティースプーンで蜂蜜をすくって、母は歌うように呪文を唱えた。
「ちちんぷいぷい、るるらりららーん」
それは私が幼い頃から変わらない、おそらく母が適当に作った呪文だった。
唱えた魔法はそのままティースプーンと一緒にホットミルクの膜を破り、クルクルと溶けていく。
お行儀が悪いから人前ではやっちゃダメよと教えられたのだけれども、最後に蜂蜜の溶けきったティースプーンで、マグカップの縁をゆっくりコンコンと二回叩いた。
「どうぞ」
差し出されたホットミルクを一口飲むと、お腹の中がじんわりと熱くなって。
わさびを食べたわけでもないのに鼻がツーンと痛くなった。
初めてホットミルクの魔法をかけられたのは、小学生になったばかりの頃だった。
今思えばなんでそんな事で言い合いになってしまったんだろうと思うような事で友達とケンカになった。
担任の先生は話をろくに聞かないでどっちも悪いと怒るし、友達は『ほのちゃんなんて大嫌い!』とずっと泣き続けていて。私は友達に初めて言われた『大嫌い』にショックを受けていた。
この世界で、誰も味方がいなくなってしまったような。ひとりぼっちになってしまったような。
一年生だった私にはそれはとても怖くてしょうがない出来事だった。
その日は泣いて帰ってきて、ろくにご飯も食べられなかった。
明日からずっとひとりぼっちだったらどうしようと、また大嫌いと言われたらどうしようと。
膝をかかえてガタガタと震えて、眠たいはずなのに眠れずに泣いていた。
その夜、母は私に『内緒よ』と言いながらホットミルクを作った。
『魔法をかけてあげる』と。
ホットミルクに蜂蜜と優しさを溶かしていく魔法をかけた。
次の日、勇気を出して学校に行くと、その友達はなんでもなかったかのようにケロリとしてて。ごめんねと言い合って。
そのまま十年以上も続く親友になった。
その日から、なんとなく不安な日にこっそりと台所へ行くと、いつも母が待っていて、こっそりとホットミルクを作ってくれた。
大きくなってから、それは魔法でもなんでもなくて、牛乳と蜂蜜には睡眠促進効果があると分かってしまった。
それでも、私にとって母は偉大な魔法使いにかわりはなかった。
「ねぇ、ほのか」
思い出が頭を巡る。ツンと鼻が赤いことなんて気づかないふりをしてくれる。それが今はありがたかった。
涙はまだ明日にとっておきたかった。
「お母さんね。ほのかがこの世界で一番大好きな人を見つけてくれたこと、心から誇らしく思うの。泣き虫で、プレッシャーに弱くて、いつも眠れないって悩んでた子が、ちゃんと信頼しあえる人を見つけてくれたことが、すごく嬉しいの」
母はそっと私の膝に手を置いた。
じんわりと私の熱と母の体温が混ざり合っていくようで心地いい。
昔からいつもそうだ。
習い事の発表会の前日も。
中学校ではじめての試験の前日。
部活の試合の前日。
高校受験の夜や、合格発表の前日も。
卒業式の前の日も、入学式の前の日も。
母は眠れない私のためにこっそりと起きていて、いつもこのリビングで私を待っていた。
そしてホットミルクに魔法をかけてくれた。
『ちちんぷいぷい、るるらりららーん』と。
当時流行ってた魔法少女のパクリみたいな、でもちょっとダサいような呪文。
母オリジナルの、私へ魔法をかけるためだけの呪文。
最後には必ず、魔法のかかったホットミルクを飲む私の膝に手を置いて、根拠もないのになぜか信頼感抜群の『大丈夫』を分けてくれた。
その度に、何度も勇気を出せて、何度、前を向けただろう。何度、頑張ってこられただろうか。
「この世界で、ほのかを一番に選んでくれる人と巡り会えて、本当に良かった」
何かを言おうとすると涙も出てきそうで、熱々のホットミルクを無理矢理ゴクゴクと胸に流し込んでいった。
コトリとマグカップをテーブルに置いた。
なぜかマグカップに残る熱から手が離せない。
「結婚、おめでとう」
「……うん」
飲み干したマグカップを私の手から強引に奪うと、もう寝なさいと笑った。
母は宝物を守るように私を抱きしめた。
当たり前のように近くにあった優しさと温もりが、またじんわりと私の中へ溶けていって。
ゆっくりゆっくりと、離れていった。
「大丈夫。ほのかなら、大丈夫」
「…あ、りがと…」
震える声を押し込んでリビングを後にした。
ゆっくりと、名残惜しさを感じながら、階段を上り、涙が流れる前に部屋のベッドに潜り込んだ。
天井は暗く、初夏の深夜はやっぱり驚くほど静かで。
「…ちちんぷいぷい、るるらりららーん」
掠れた声で小さく唱えて目を閉じると、蜂蜜の甘さと胸の温かさだけが残った。
次の日、たくさんの『おめでとう』を聞いて。
滞りなくバージンロードを歩いて。
披露宴ではやっぱり泣いてしまって。
涙でグシャグシャになった私の顔を見た母は『魔法がかかったみたいに綺麗よ』と笑った。
ご覧いただきありがとうございました。
(`оωо´*)ホノチャン
お誕生日おめめめめ٩( ᐛ )و
お名前貸してくれてありがとうヾ(●´∇`●)ノ