塹壕掘り
一つ掘っては父のため。
二つ掘っては母のため。
三つ掘っては友のため。
四つ掘っては国のため――。
そんな数え歌が響いているのは、カウル平野の最前線だ。
誰が何のために歌い出したのかはよく分からないけれど、なんとなく部隊の皆が口ずさんでいる。ちなみに、俺は歌っていない。正直、この歌が何なのか分からないし。
そして俺たちが何をしているのかというと、塹壕掘りである。
塹壕というのは、つまるところ戦地にある穴だ。
ただ兵士が突っ立っているだけでは、容易に矢に射られる。そのため、身を隠すために腰ほどまでの穴を掘るのだ。そして、こちらから攻撃できる場合には立ち上がって矢を撃って、再び塹壕の中に身を隠す――そういう穴である。
さらに、それに加えて堀も作っている。
あくまで空堀だが、空堀でも敵軍の動きというのは阻めるものだ。騎馬兵は空堀を越えられないし、歩兵も越えるには時間がかかる。純粋に、長期戦を行う際における野営地の備えだ。
この塹壕掘りをやって、既に七日。
今のところ、敵軍に動きはない。斥候にやってきた兵は、今のところ一人も逃がしていないため、向こうに情報は流れているまい。
五つ掘っては腰が病む。
六つ掘っては泥まみれ。
七つ掘っては腕が病む。
八つ掘っても儲からぬ。
九つ今宵は酒飲もか。
酒でも飲んで忘れよか。
周囲から聞こえる数え歌に、小さく嘆息。
ここから誰かの「ヨーイ!」という合いの手が入り、一つに戻る――それがこの数え歌の流れらしい。正直、後半ネガティブにも程がある。
まぁ実際、塹壕掘りって腰痛いし腕痛いし泥だらけになるけど。あと、一応毎日一定量のワインは支給されるため、今宵は酒を飲もうという言葉も間違ってはいない。
「はー……なんつー歌だよ」
「あれ? 隊長知らないんすか?」
「は?」
何気なく呟いた一言に、そう反応してくるのはマリオンだ。
俺てっきり、誰かが勝手に作った歌だとばかり思っていたんだけど、どうやら存在する歌のようだ。一体、誰がどういう目的でこんな歌を作ったのだろう。
「あれ、農家の歌っすよ」
「農家の歌?」
「そっすよ。畑を耕すときに、ああして皆で歌うんすよ。一つ掘っては父のため、二つ掘っては母のため、三つ掘っては友のため、四つ掘っては国のため、って」
「そうなのか」
「つっても、農家なんて収穫のほとんどを持ってかれちゃいますから、まともな暮らしもできないんすよ。うちの実家も農家っすけど、オレの仕送りでどうにかなってますし。ですから、腰も痛ぇし泥だらけになるし腕も痛ぇのに儲かりゃしない、ってディスってんす」
「……」
まぁ、分からないこともない。
俺だってヘチーキ村の農家の出だし、農家の暮らしが苦しいのは分かっている。それに加えて、これだけ戦争が続くとなれば、その負担も大きいだろう。
とはいえ、ガーランド帝国は兵農分離をしているため、専業軍人ばかりだ。だから他国に比べると兵士の数こそ少ないけれど、その分農村の働き手のことを気にせず、年中戦うことができるという利点があったりする。
「ふーん……だから全員、ああして歌ってんのか」
「ああいう歌を聴くと、いかに国民に対して負担を強いているか分かりますね」
「だな。あと、いつからいたレイン」
「つい先程来たところです」
極めて自然に会話に入ってきたレインに、思わずそう突っ込んだ。
ちなみに、俺もマリオンもシャベルを持って塹壕を掘っているわけだが、レインは丸腰である。何故なら、こいつは塹壕掘りに参加していないからだ。
『切り込み隊』の頭脳として、作戦会議に参加するように俺から言ったのだ。まぁ、分かりやすく言うとそれを方便にして、休ませているだけである。さすがに、塹壕掘りは男の仕事だと思うし。
「んで、何か進展はあったのか?」
「予定の塹壕は、まだ二割も掘れておりませんので頑張ってください」
「嫌な報告をありがとよ。今後の予定とか、そういうのは決まったのか?」
「ええ。ひとまず、ライオス帝国に対してはかなり長い戦いを行っていく予定だそうです。少なくとも、次の冬までかかります」
「マジかよ」
思わず、俺のシャベルを動かす手が止まる。
塹壕掘りとか空堀作りとかしてるから、かなり長期戦になるだろうとは思っていたけれど、まさか次の冬までを想定してるとか。
それまでずっと、俺らここで防衛しろって? さすがに交代要員来てくれるよな?
「季節ごとに、部隊を入れ替えていく形らしいです。夏には我々も、帝都に戻れますよ」
「ああ、そりゃ朗報だ」
「ひとまず、夏までに野営地の塹壕、ならびに空堀の作成を終わらせるとのことでした。いや、レインは疑っていましたけれど、思っていたより総将軍は考えていたみたいです」
「それが俺には分かんねぇんだけどよ」
先日、マティルダ師団長とレインが妙に納得していたけれど、俺はまだ分かっていない。
実際、こうして長期戦の構えをしているわけだけれど、長期戦をすることでどんな利があるのかも分からないのだ。
しかしレインは、不思議そうに首を傾げた。
「隊長、分かっていなかったのですか?」
「ああ」
「まぁ、だとしても別に大丈夫です。隊長が分かっていなくても、大局に変化はありませんので」
「殴るぞコラ」
レインの言葉に、俺は拳を握る。
まぁさすがに女を殴る拳は持っていないから、あくまで脅しだ。レインもそれを分かってか、苦笑と共に話し始める。
「まぁ端的に言うと、ライオス帝国に対しては、かなり長期を見据えた戦略をとっているんです。ライオス帝国は、ガーランドのように兵農分離をしていませんので、二十万の兵とはいいますがほとんどが農村の若者です」
「ああ」
「そんな兵を、農村から離れさせます。その上で、前線で糧食が必要な状態にします。そうすれば自然と、ライオス帝国側は生産力が下がります。そして、備蓄も失われます」
「ほう」
「ライオス側が気付いて、こちらに攻め込んできても、こちらは盤石の姿勢で迎え撃つという次第です。空堀の後には、野戦砦も建設予定ですよ」
「……」
「つまり、かなり長期的に見た兵糧攻めなんですよ。ガーランド側は幸い、陥落させた三つの国の備蓄も十分にありますから。ですから、少しでも敵兵が減ったらこちらから攻め込むことも辞さないとのことでした。」
「……」
「隙を見せれば、すぐに襲いかかってくる敵軍が近くにいる状態で、下手に兵の数も減らすことができません。そうすれば、生産力が下がることは間違いありません。そして生産力が下がれば、軍は維持できません。そういう流れに持っていく作戦ですね……隊長?」
「ぐぅ」
「寝るなら最初から聞かないで下さい」
ああ、寝てた。
やっぱ俺、難しい話聞くと眠気が堪えらんねぇわ。




