将を射んと欲すれば
「記録の上では、この山を越えた先……の、さらに向こうですね」
「……ギルフォードは、どれだけの僻地に住んでいるのだ」
軍部実働部の幹部候補生、リチャードの言葉に対して、デュランは大きく溜息を吐いてそう呟いた。
総将軍であるデュランと、現在師団長補佐をしている幹部候補生――近い将来は師団長になる立場という、実働部の中でもトップに存在する二人。
そんな彼らが今、どうしているのかというと。
ギルフォードの故郷――ヘチーキ村へと向かっている。
「ここまで来るのですら、既に三日もかかっているのだぞ……」
「しかもこの先、獣道を行くらしいので……馬も使えません。山登りをするしかないみたいですね」
「……街道は整備されておらんのか」
「何せ、記録の上ではヘチーキ村の住民は、僅かに十五名だそうですからね。勿論、これはギルフォード大隊長を外して、ですが」
「……そんな場所に、十五名も住んでいる気が知れん」
「あまりに遠すぎて、ここの領主も税収を取り立てるのを諦めたらしいですよ。ヘチーキ村から税を回収するよりも、そのためにかかるコストの方が高いそうです」
リチャードの冷静な言葉に、デュランは再び大きく溜息を吐く。
先日、ギルフォードは七日ほど休暇をとっていたが、デュランが王都を出発して既に三日だ。しかもその上で、今から山を一つ越えなければならないという途轍もない道程である。
何故こんな場所に村があるのだ、と声高に言いたくなるくらいの僻地――それが、ギルフォードの出身地であるヘチーキ村なのだ。
「それで……今日中には到着できるか?」
「獣道を行かねばならない上に、かなり遠いですね。少なくとも、山の中で一泊は必要だと思います」
「……私はもう、帰りたい気持ちだ」
「僕もそうですが、総将軍が行くって言い出したんじゃないですか……」
「むぅ……」
除隊することが決まっているギルフォードだが、デュランはここで戦略を変えてみることにした。
ギルフォード本人にどれほど残留を求めても、全て突っぱねられる。妻と共に田舎でのんびり暮らしていきたいという、その想いは変わらないのだ。
だが、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ――そんな言葉もある。ギルフォード本人が頑なにきかないのであれば、まずその周りから攻めていく形にすればいい。
そこでデュランはギルフォードの妻、ジュリアから彼を説得してもらうよう、要請するつもりだったのだが。
「とりあえず、行きましょう」
「うむ……」
出張申請は出しているが、七日だ。
とても、その期間内には帰れない――そう思いながら、デュランは山へ向けて重い足を踏み出した。
「はぁ……そ、それで、軍の方が……わたしのところに?」
「う、うむ……突然の来訪、申し訳ない」
「いえ……」
ヘチーキ村、ジュリアの家。
当然ながら、デュランは先にジュリアに対して、軍の公用書面を用いて来訪の文を出した。その日付は多分三日ほどで到着するだろうと見ていたため、一昨日にはなっているものの、一応そのように手順は踏んでいた。
だが、彼にとっての誤算――それは、このヘチーキ村には年に四回ほどしか手紙が届かないということであり、デュランの出した公用書面は未だに、麓の村に存在しているということである。
そのため、ジュリアにとっては非常に驚くべき来訪となってしまった。
「改めて、私は軍部総将軍デュラン・テリオスと申します。現在、ギルフォードの上司を務めております」
「師団長補佐のリチャード・ディアスです」
「は、はぁ……ジュリアと申します」
こちらに向けて頭を下げてきた、筋骨隆々の二人――それに対して、ジュリアも頭を下げる。
総将軍、師団長補佐という役割がどのようなものかは分からないけれど、ジュリアにしてみれば現状、婚約者であるギルフォードの上司だ。とりあえず謙っておく方がいいだろう。
「本日は、奥方に対して不躾な申し出をしに参りました」
「はぁ……どういった内容でしょうか?」
「このたび、ギルフォードから軍を除隊したいという要請が出ました。だが、軍は彼を高く評価しているし、今後とも軍での活躍を期待していた人材でもあります。彼を失うことは、軍にとって百害あって一利ないと、私は将軍としてそう考えています」
「はぁ……」
先日、一時的に戻ってきたギルフォード。
何気なく置いていった金貨の袋の中には、それこそ一生食べるのに困らないだろうと思えるほどの金貨が入っていた。もっとも、ヘチーキ村には年に二度ほどしか行商人がやってこないため、金貨を使う機会というのも滅多にないけれど。
だけれど、軍はそれだけの金貨をギルフォードに与えているのだ。確かに、期待している人材であるからこその対応だと思う。
だから、ジュリアもずっと考えていたのだ。ギルフォードを、こんな村に縛り付けていいものかと。
「彼は、田舎に戻って奥方と共に暮らしていきたいと考えています。しかし彼の武勇は、このような場所で腐らせておくには、あまりにも惜しい。だから、こうして私が参りました」
「はぁ……」
「奥方には是非とも、帝都に移り住んでいただきたく思います。そのための住処は、軍の方で用意しましょう。今後、産まれてくる子供に対しても、最高の教育を受けることができる環境を用意します」
「……」
「田舎ではなく、帝都で二人で暮らせる場所を用意します。その方が、ここで帰りを待つよりも、奥方としても良いのではないでしょうか?」
デュランの言葉に、ジュリアは考える。
確かにその方が、ギルフォードにとっても幸せなのかもしれない。自分のことを正当に評価してくれる場所で、今後も働き続けた方が。
だけれど同時に、この家は、この畑は、ジュリアが両親から受け継いだものだ。この家と畑を、次代に伝えるのがジュリアの役割でもある。
そんな大事を、ジュリア一人で決めるわけにはいかない。
「わたし一人で決めるわけにはいかないので、ギルが戻ってからまた聞いてみますけど……少し、質問をいいですか?」
「ええ、何でもお答えしましょう」
「……そんなにギルは、強いんですか?」
「む?」
ジュリアからの質問があまりに意外だったのか、デュランが眉を寄せる。
「あ、いえ……す、すみません。彼の武勇と、そう仰っていたので……」
「あ、ああ……ええ、そうですね。ギルフォードは、強いです。その強さは、最早大陸では並ぶ者がいないでしょう。まさに天下無双と言って良い男です」
「……あのギルが、そんなに?」
「ははは……細君がそれを知らないとは、私としては驚きですな」
ジュリアにとってのギルフォードは、むしろ「泣き虫ギル」と呼ばれていた頃の方が印象に強い。
力比べでは村の誰にも敵わなかったし、足だって遅かった。軍に入る前までは、ジュリアの方が早かったくらいだ。今は分からないけれど。
「いえ、ギルと比べれば、村の男衆の方が強い人が多いですから……」
「えっ」
「ヘンリーおじさんはこの前、ギルを腕相撲で一瞬で倒したと言っていましたし。サムおじさんには狩りの腕では、未だに及ばないとも言っていましたし……」
「……」
そんなジュリアの言葉に対して、デュランは眉を寄せ。
そして、隣の男性――リチャードへと、何やら耳打ちしていた。
「……この村の連中を、どうにか軍に引き込めんか?」
「……少し、話を聞いてみましょうか」




