神立図書館へ行くためには
シリアスだしバッドエンドだし、物語のきっかけは伝染病だし。苦手な方はご注意下さい。
大気に魔素が満ち、人々は体に取り込んだ魔素を魔力へと変換して魔法を当たり前に使い、魔素や魔力を動力源とする魔道具が生活必需品として溢れている世界。
かつて魔法は混沌とした創設時代では身を守る術であった。しかし国が興り、文明が発達し、戦争も魔物も驚異ではなくなった現代。保身の為だった魔法は物を手元に取り寄せたり、魔道具を起動させたり、生活における些細なことでも使われることが多くなった。
時代を経る毎に発達する魔道具は、夜を照らし、言葉の通じない種族間の意思を疎通させ、人を遠くへ時間をかけることなく運ぶことすらした。
魔素と魔力があれば生きて行くのに不自由な事は、ほぼ無い。この世界の人々はすっかり魔法と魔道具に依存しきった生活をしていた。
そんな世界で唯一、魔素が存在せず立ち入れば生き物だろうが魔道具だろうが内包する魔力が霧散してしまう場所がある。
魔力が生命活動の源である魔族や魔物は生存することは不可能であることから、彼らから搾取される立場であった血肉が生命の器である種族は『聖域』と呼んでいる。
聖域には、この世界を創った神様の『最後の贈り物』とされている建築物がある。
その建物はこの世界で起きた全ての事象が記された『本』が収蔵されている。それは国の歴史であったり個人の一生であったり、世界の創造についてだったり。本の内容は全て『真実』のみである。
本は神様以外の何者も干渉することは叶わない。故にその建物はこう呼ばれている。
『神立図書館』と。
真実を求めて神立図書館を目指す者は多い。しかし図書館はまるで隠れ鬼をしているかのように見つけることが困難である。運が良ければ数日、長ければ数年辿り着くまでかかるという。
さらに魔力を奪われ、魔道具も使い物にならない聖域は深い森林をたたえており、図書館まで己の力のみで踏破しなければならない。
魔法や魔道具に慣れきったほとんどの者は、すぐに音を上げ辿り着くことない。
――――― 『神立図書館』であれば解決の糸口が見つかるのではないか。
十年ほど前から国境付近の小さな村から発生したという病は、死に至らしめることは滅多にないが、発熱や倦怠感をもたらし、まともに動くことが難しくなる。罹患すれば長いと数年経っても症状が改善せず、ゆっくりと、確実に国を、国民を疲弊させている。
原因不明の伝染病に母国が覆い尽くされそうなとき、王国騎士団長であり、私の伯父でもある王弟が口に出したのは『神立図書館』の存在だ。そこは真実のみが綴られた本が収蔵されていて、かつては多くの人々が真実を求め、その図書館を目指したという。
某国の陰謀の解明や、怪奇事件の解決、はては親子関係の証明など目的は多岐に渡ったという。そして目指す者は多けれど、聖域の奥深くに存在する図書館へ到達できた者は少なかったとされる。
それでも図書館が伝説や噂の産物とならなかったのは、幸運にも辿り着けた者が持ち帰った『複製品』があったからだ。複製品とは言え、それは決して魔力の干渉を受けず、内容を改変することは叶わない上、破ることも燃やすことも出来ないのだ。紙もインクも何の素材で出来ているか現代でも解明されていない。それ故、複製品は人智が及ばない神の産物であるとされ、その内容は世界最大の証明であり、紛れもない真実であるとされるのだ。
しかし、時代の流れとともに魔道具が発達し、具体例としては録画や録音、血縁関係を調べるなど魔道具の性能があがり、偽造防止の魔法も精度が向上すると次第に神立図書館を目指す者は少なくなっていった。
父王は国中の魔術師、魔法医術師、魔道具技師、魔女や町薬師に至るまで協力を求め病の治療方法と原因究明に尽力しているが、未だに光明は見えない。
しかし伯父が言うように『真実』のみが収められている神立図書館であれば何か見つかるのではないだろうか。
早速、父王に神立図書館へ向かう許しを乞いに行った。この国の第二王子であり、最高魔力保持者で名実ともに最強の騎士でもある私なら図書館を見つけられる可能性が高い。母国の危機である今、王族の一人として民を救う働きをせねばならない。
父は私が行くことを渋った。国防の要でもある故のことであろうが、その点は騎士団長を勤める伯父と王位継承第一位である兄がいる。魔力量でいえば私に次ぐ第二位と三位であるし、なにより二人とも人望が厚い。
私一人が留守にしたところで、関係が悪い隣国に遅れを取ることはないだろう。
伯父も私が行くことを後押ししてくれたこともあり、五年ならばと、父の了承を得ることが出来た私は秘密裏に国を抜け出し、聖域に存在する神立図書館到達へ挑戦することとなったのだった。
神立図書館の情報はすぐに手に入れられるものは口伝や子供向けのおとぎ話程度しかない。最も信頼のおける情報は国家が管理する図書館に秘蔵されている記録であるが、我が国の神立図書館に関する最後の公式な記録は二百年以上前のものだ。しかも他国への情報漏洩防止のため記録書にかけられた古い保護魔法の解除には少なくても半年以上の時間か掛かるという。事態は一刻を争う故、記録書の保護魔法の解除は宮廷魔法師に委ねることにし、神立図書館の探索はほとんど手探りの状態でのスタートとなった。
魔素が一切存在せず、魔力も霧散してしまうという聖域に足を踏み入れた途端、なるほど体内の魔力が抜けて行く感覚がする。連れてきた部下二人に至っては、二人とも数刻の内に魔力がほとんど霧散してしまうし、念のため探索に必要として持ち込んだ魔道具もあっという間に使い物にならなくなった。乗ってきた騎乗魔獣は徐々に制御が出来なくなり、半日ほどで魔力により繋がれた絆が解けて逃げてしまった。
絆が解ける前に騎乗魔獣に乗せていた物資を下ろすことが出来たのは僥倖であったが、それらを己が背負うことになるとは想定外だ。普段、騎士として体は鍛えているものの、魔力による筋力強化で動きを補助していることが多い。供に連れてきた二人の部下は、使い物にならない魔道具は捨てたとはいえ大荷物を背負っての、しかも魔力無しでの行軍に、一時間も歩かないうちに息が上がってしまっていた。
聖域といえどもここは森林の中だ。魔力を持たない獣も多く生息する。中には魔獣よりも気性が荒い肉食獣も生息しているらしいから、徐々に減りゆく魔力は無駄に使えない。いずれ己が内包している膨大な魔力も自然霧散してしまうだろう。自分自身の脚力で進むしかない。
図書館の何の手掛かりも見つからないまま一週間経った頃、部下の一人が探索離脱を申し出てきた。部下の中でも胆力が強い者だったが、肉体的疲労といつ見つかるとも知れない建造物の捜索、唐突に襲ってくる肉食獣の存在が精神を疲弊させてしまったらしい。
持ち込んだ食料も尽きてきた頃だ。一度、聖域外の人里まで物資供給も兼ねて戻ることとなった。
そこでもう一人の部下も離脱を申し出た。
私が言えた事ではないが、やはり魔法と魔道具に囲まれて育った彼らには、それらを一切使えない環境は相当堪えたらしい。
だが無理強いは出来ない。彼らの状態を見るに、いずれ精神に害が出るだろう。実際、魔法が自由に使えたなら決して遅れを取らないであろう小さな獣でさえ強敵となったのだ。どうにか翻したものの、初めて対峙した時は私も久しく感じなかった命の危機に情けなく体が震えてしかたがなかった。
忠義を果たせなかったと嘆く彼らに、物資の定期供給、母国からの繋ぎ役と聖域周囲での情報収集の任務を与えた。もともと極秘の任務であり、最低限の部下しか動かしていなかったので、それはそれで良い選択であったと思う。
そうして、私は一人聖域へと再び足を踏み入れていった。
一週間を目途に聖域の内と外を往復する生活が一年続いた。相変わらず聖域内で図書館は手掛かりすら見つからないし、母国の伝染病も改善の兆しが見えたという情報はもたらされない。
我が国に残っていた神立図書館の情報も、記録書にかけられた古い保護魔法が想定以上に複雑で、宮廷魔法師の手に負えないという。かといって、もし強力な魔力で無理矢理解除しようとすれば廃棄魔法が作動して記録書は崩壊してしまうため、専門外の私が協力することは出来ない。もちろん魔法学に精通している伯父や兄に協力を求めることも出来ない。二人とも私の神立図書館探索を叶えるため、国政に国防に奮闘しているのだから。
それに原因不明の伝染病が国を侵している状況下で、これ以上貴重な宮廷魔法師の手を割くことは得策ではないだろう。解除を依頼していた宮廷魔法師にここまで尽力してくれた事への感謝と、今後は伝染病の解決へ協力するように言付け、己の力での神立図書館の発見に決意を新たにした。
この一年で変わった事もある。伯父の計らいで、物資供給と情報収集にと諜報活動に長けた者に変わった。私の部下も良くやってくれていたが、より円滑に探索が出来るようにと手練れの伯父の部下を寄越してくれたのだ。本当に伯父には頭が上がらない。
伯父からは、国内のことは気にせず私にしか出来ないことを果たすように、と激励の言葉も伝えられた。
約束の期限まで、あと四年ある。わずかでも国に貢献できることを成し遂げよう。
探索も二年を越えた頃、聖域で人が暮らす集落を見つけた。魔力に頼らずとも長距離を歩けるようになった分、聖域のより奥深くまで進むことが出来るようになった結果だ。
その集落では当たり前だが、魔力にも魔道具にも頼らない生活を送っていた。集落の外から人が来るのはかなり久しぶりだったそうだが、集落の人々は私を受け入れてくれた。
集落の長老の話では、かつては図書館を目指す者が訪れ、探索の拠点としていたとのことだ。だからよそ者を集落へ入れることに抵抗が無いのだろう。
その集落からさらに聖域の奥へ進める可能性を見い出した私は、残りの三年間を聖域内で過ごすことに決めた。聖域の外へ物資供給をしに行く時間も惜しいのだ。
時折、聖域外で伯父の部下伝手で受ける情報では父王と兄上の尽力で王都の伝染病蔓延は最小限に食い止められているそうだ。懸念していた隣国も伯父が攻め込めぬよう睨みを効かせているとのこと。
私も負けてはいられない。
伯父の部下には残りの三年間は聖域から出ないことを伝え、私は聖域の集落へ戻っていった。
集落に滞在する対価は労働だったことはありがたかった。自給自足で生活している集落では世界共通通貨ですら流通していないようだったし、秘密裏に動いている以上聖域の外から対価となり得る物を手配することも憚られる。
労働、とは畑の手伝いだったり、狩猟の手伝いだったり多岐に渡った。その中で聖域の森で手に入る食料や罠の仕掛け方、原始的な武器の作り方や弓矢の扱い方などを学ぶことができたのは、より聖域の奥へ進む力なった。魔法を使わずとも、増して魔道具が無くともここまで人の営みが出来るとは驚くばかりである。
加えて集落では神立図書館の話も聞くことができた。驚くことに男衆が狩りの為に聖域の森の中を歩いていると時折見かけるのだという。見かける、という表現が指すように、神立図書館は気付くと最初からそこに存在していなかったように姿を消すらしい。数日同じところに在ることもあれば、ほんの数刻のうちに姿を消してしまうこともあるとのことだ。図書館が出現する法則性はまるで無く、まさに神出鬼没。そのため図書館を目指す者が訪ねて来ても集落の者が案内することは出来ない。
であればただ只管に、直向きに聖域を進むしか方法は無いのだ。
集落の者の中に図書館へ入ったことがある者はいないのかと尋ねたことがあった。答えは長老が生きている中でも一人も居ない、とのことだ。理由は、入ればそのまま図書館に『連れ浚われてしまう』から。確かに、出現する時間も場所もまるで統一性が無いのだ。建物に入っている間に見当も付かない場所へ移動されてしまえば、集落へ二度と帰れない可能性があるのだから。集落では幼い頃に決して建物の中に入ってならないといい気かされて育つのだという。
だが集落の誰もが口にする理由は、自分達には必要の無いものだから、だった。
深い森の中、突然そこだけ木々が無くなり、ぽっかりと拓けた空間に静かに佇むそれは、真っ白な外壁に大きな玄関、等間隔に並んだ窓がいくつも付いた横に長い箱のような形をしていた。大きさは王都の中流貴族のタウンハウスほどと言ったところだろうか。
いきなり現れた、とも言えるその建物に一瞬、迷い人を誘い込み餌としてしまう魔族の話を思い出し警戒をしてしまったが、ここはその魔族が生きられない聖域であったと思い返し頭を振った。
建物に近づきいくつも並ぶ窓の一つを覗くと、不思議なことに内部が全く見えない。かといって真っ暗でもなくカーテンが引かれているわけでもなく。
魔力がすっかり霧散して三年。魔法で中を透視することも出来ず安全の確認も困難であるが、間違いなくそれは神立図書館であると本能が、いや魂が感じている。
神立図書館の探索を開始して五年目、ついにその建物を見つける事が出来たのだった。
ようやく見つけた図書館だ。集落の人々の間では『彷徨う箱』とも言われている図書館を見失わないうちにと、逸る気持ちを抑えてその玄関を潜った。
建物の中に入ると、驚いたことに前後左右、それどころか見上げる程の天井高くまで本棚が詰まっていた。そして左右の奥行きは端が見えない。外見の規模と中身が全く一致しない様は正に神が建立したといって間違いないと体が歓喜に震えた。
しかしこのおびただしい量の本から、母国を救う手立てを見つけるにはどれだけの時間が掛かるというのか。
高揚した気持ちは一気に沈み、途方に暮れかけたとき、私に声を掛ける者があった。
何をお探しですか?と少年とも少女とも取れる声に振り向くと、いつの間にか私の背後にスラリとした人物が立っていた。それは建物の外壁のような真っ白な長い髪に白い肌、神官を思わせるようなこれまた真っ白な服装をしていた。目元は白い布で覆われて見ることは叶わない。
神立図書館の司書だという人物は、まるで生気が感じられない。呼吸音も聞こえないどころか胸が空気を取り込むための運動をしていない。しかし死人、と言うには清浄な空気を纏っているように感じる。やはり神の建造物に使える者もまた、人では無いのだろう。
とにかく司書が居てくれたのはありがたい。早速とばかりに、十年、いや十五年前から発生している母国を襲う伝染病にまつわる本を希望した。
司書は一つ頷き、ではあちらの閲覧席でお待ち下さい、と言うとスルスルと図書館の奥へと消えていった。彼(彼女かも知れないが)が示した場所は先ほどまで何も無かったはずなのに、シンプルな作りの机と椅子が鎮座していた。魔力が無いはずなのに不思議なことだ。
建物の中程に突如として現れた閲覧席に着ついた次の瞬間、目の前に『オタニア王国・第四巻』と銘打った本が目の前に現れた。驚き顔を上げると先ほどの司書が立ち、本を一冊差し出している。
こちらがオタニア王国の十五年前についての記述が含まれた『本』です、と言われ受け取った本は題名の下に『創世歴八七四二年~八八一七年』と書かれていた。
私が望んだ本を持って来てくれた司書はいくつか図書館の利用規則、注意などを説明したあと、再び音も無く図書館の奥へと消えて行った。八七四二年は建国三百年の年であり八八一七年は今年だ。これが第四巻というならおそらく国家の『本』は百年単位で増刊していくのだろう。
いや、そのような推測は今はよい。母国を救う手立てを早く見つけ、一刻も早く国に帰らなければならないのだ。興奮に奮える手を動かし、いよいよ『本』を開く。
そうして『本』が教えてくれた真実は、十五年前に発生した伝染病は隣国の魔術師が作り出した新種の呪いだったこと。国境の村にその呪いを振りまく事を手引きし、事実を偽造する為に魔道具や魔法を操作したのが国防情報管理の責任者である王弟だったこと。王弟は最高魔力保持者である私を追いやるために『神立図書館』の話を持ち出したこと。聖域から流れ出る魔力を検知出来なくなった私を死んだものと断定し、王弟が王位簒奪のためクーデターを起こしたこと。王と王太子が二年前にクーデターの末、王弟に討たれたこと。同年、隣国の侵攻があったこと。翌年、王弟が王位簒奪のため手を組んだ隣国にあっさり裏切られ処刑されたこと。
そして、愛する母国、オタニア王国は滅亡していた、ということ、だった。
母国が滅んでいることが記された最後のページの最後の行は、『完結』で結ばれていた。
――――― 現在の利用者はゼロです。
かつて人が願ったから設立されたのに利用者があまりいないのは寂しいことです。ですが、毎日館長から送られてくる『新書』の整理で忙しく過ごしているので、そう思うことも実は少ないのですが。
利用者は一年に一人いれば多い方でしょうか。百年の間いらっしゃらないこともありますから。
皆さんここまで来るまでにずいぶん苦労されているようですが、立地条件を考えればもう少し簡単に来られるはずです。
魔素排除地域にわざわざ創設されたのは、この図書館が『魔力持ち込み禁止』だからです。神様は世界創設時代、間違った事実が歴史になりませんように、という人の願いを叶えるため国や文明、一個人に至るまで偽りのない事実を『本』という形にして誰でも閲覧できるようにと『図書館』を創ることとされました。そのため魔力に『本』が干渉されないように魔素排他領域を選ばれたのです。もしも本の改変に手を加えられる程の魔力保持者がいらしても、当館へお越しになられる前に魔力を削ぎ落としてしまえるように。
ですから利用者が来館を叶えるには魔力の一切を落として来る必要があります。
しかし、個体が内包する魔力はなかなか落ちきらないもの。特に膨大な魔力を保持できる個体はすっかり魔力が無くなるまで数年かかってしまいます。万が一の事を考え、わずかな魔力であっても保持していたら図書館に入れる訳にはいきません。
ですが当館は辿り着いた利用者の入館を拒否することは規則として認められていません。苦労して辿り着いた利用者は公平に扱いましょう、とは神様が決められたこと。
ですから魔力が落ちきっていないモノが近づくと、やむを得ず図書館は移動するしかないのです。
とは言っても、本に干渉するほどの魔力の持ち主は当館創設以来一度も現れていませんが。
え?図書館の移動に魔力は使われていないのかって?それはもちろん。なんたって神様の建物ですから。
先ほどまで数日に渡り熱心に本を読んでいた利用者さんは数冊の本を何度も何度も読み返し、最後に追加した本に目を通したところで図書館をあとにしました。ずいぶん根を詰めていたようですが、求めていた真実は知れたのでしょうか。
彼が問い合わせた本は追加したものも合わせて、母国の歴史書、隣国の歴史書、彼の父、兄、伯父、伯父の本の中にあった登場人物、自身の本でした。
図書館の本は如何なる理由があろうとも持ち出し禁止です。一冊につき一ページ分までの複製は当館のサービスとしてありますが、それ以外は館内で読むしかありません。
そして当然飲食禁止です。そのため休憩のため外に出たら図書館は移動してしまって、閲覧途中の本を読み切れなかった、という利用者もいらっしゃいます。
その辺りは利用者の方々の間で情報共有されているようで、ここ数百年の利用者は必要だと思われる本を数点司書に問い合わせ、寝食もせず数日間本を読みふけるという読み方をされます。
中には本の内容を嘘だと言ったり知りたい答えが書いていないと騒いだりと、困った利用者もいらっしゃいます。そんなことをおっしゃられても当館の本は過去の出来事の嘘偽りの無い真実のみですし、未来に真実を求めていたとしてもそんな不確かなものは取り扱っていません。そもそも詳細な未来の事など、神様ですら分からないことです。分かるのは各本の『完結』までのページ数だけです。
一部の行儀の悪い利用者は問答無用でつまみ出しますが、その他の多くの利用者さんは本を読み終えると赤い目をしてふらふらと退館していきます。その表情は歓喜、希望、悲観、絶望など様々です。
返却箱にすら本を返さず、図書館を去った彼の表情はどうだったでしょうか。きちんと見えてはいませんでしたが、明るいものではなかったと思います。
利用者が散らかした場を整えるのも司書の仕事です。でもまあ最低限のマナーは守っていただきたいところですが。
ふと残された本の一つに目が留まりました。そこそこ厚みがあるその本は、まだ百分の一程しか中身が埋まっていない『未完本』です。せっかくなのでこの彼の『本』は完結するまで司書室に置いておきましょう。好きなときに、とはいきませんが、本をいくらでも読み放題というのは司書の仕事をしている醍醐味です。
彼がそのままにしていったいくつかの『完結本』の結末を見るに、あと少ししたら新しく入る本も減りそうです。今より本を読む時間も多少は増えることでしょう。
こうして『本』同士の結末や成り立ちなど内容をすり合わせて『未完本』の続きを推測することも、神立図書館の楽しみ方の一つと言えます。
人間種の寿命はせいぜい百年程度。ところが彼の『本』は人間を凌駕するほどの厚みがあるので、これから記入される続きはとても多く、様々な展開を想像することができます。これから紡がれる彼の『本』の結末は果たしてハッピーエンドかバッドエンドか。とても楽しみです。
――――― 創世歴八七九四年 濃緑月 十二日 オタニア王国生まれ マルクス・ダウ・オタニア
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――― 魔素排除地域(俗称:聖域)から出たマルクスは三年間魔素を体内に取り込んでいなかった反動により、元の許容量を大幅に超える魔素を吸収した。それに伴い大量に急激に体内で生産された魔力はマルクスの精神に作用し、敬愛し最も信頼していた騎士団長であり王弟でもあるフェリクスの裏切りへの憎悪をより醜悪なものとした。
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――― 隣国ガヴェイン帝国の領土の一部と成り下がった祖国へ文字通り舞い戻ったマルクスは、王弟フェリクスを唆し、現オタニア領の領主となった魔術師ツェガーバルを弑する。ツェガーバルの首を刎ねると一瞬マルクスの心に隙が出来た。
ツェガーバルはオタニア王国攻略の功績から領主の座を授与された後、欲望のままに元オタニア国民から多くを搾取した。抵抗する者は容赦なく嬲り殺され、後に残るのはツェガーバルに対する、そしてかの状況を招いたフェリクスと防げなかったオタニア王族への怨念を帯びた黒い魔力だった。黒い魔力は死者が遺したものだけでなく、呪いによる病で疲弊し、さらに容赦なく搾取され貧困にあえぐ生者からも湧き出る。オタニア王家の血に引き寄せられた黒い魔力はマルクスの精神に同調して彼の中へ易々と入り込み、かつては清廉潔白であった精神をさらに堕としていった。
マルクスに流れ込む黒い魔力は留まる事を知らない。やがて制御不能なほどの多すぎる魔力はマルクスの魔力暴走を引き起こし、元王都一帯を吹き飛ばした。そこに住まう民を道連れに。
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――― 何度も魔力暴走を繰り返し、その度、突然命を奪われた人々の黒く染まった魔力を取り込んだマルクスはやがて人ではなくなった。残虐な思考に囚われ、それを象徴するかのように変貌した容姿から人々はいつしかマルクスをこう呼ぶようになった。
『魔王』と。
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