白い光
西日の差し込む教室、空いた窓から飛び込んでくる運動部の掛け声。
あれから一週間。ろくな答えは出なかった。しかし、変化はあった。
白石さんが廊下であいさつをしてくれるようになった。ただそれだけだ。
今日も相談室は彼女のために開放される。
「失礼します」
前よりも軽やかに彼女は教室に飛び込んできた。先週とは違い、まだ夕日は煌々と照っている。
「どうぞ座って」
座るなり彼女はニコリと笑って
「それで、答えは出ましたか?」
威圧的な笑顔にしか見えない。
この笑顔と目を合わせているのは困難極まり無い。まるで蛇に睨まれた蛙。医師になってしまうのも時間の問題だ。そこで僕は目線を下げ、自分の無能さを詫びることにした。
「すまない、まだ……」
チラリと彼女の顔を見ると先ほどの笑顔はまだ崩れていない。
「在原くん、いいんですよ。時間はありますから、焦らないでください。それに……」
「それに……」と言いながら彼女は俯いた僕の顔を下からのぞき込んできた。
不意を突かれて僕は彼女から目を離せなくなった。
大きな黒い瞳はしっとりと濡れている。その目の中には確かに僕が捉えられていた。
「ここで在原くんと二人でおしゃべりするのも悪くないですしね」
そう言って彼女は微笑んだ。僕といることが楽しいといってくれたのは素直に嬉しかった。しかし、その気遣いが少しばかり痛いような気もした。
「そう言ってくれると助かるよ。でも、できるだけ急いで解決はする。約束だ」
いつまでも僕たち二人だけの空間に閉じこもっているわけにはいかない。早く解決出来るに越したことは無いのだ。
「もう、焦らなくていいって言ったのに」
彼女は少し顔をしかめながら言う。その仕草が普通の女の子のようで、一瞬いつもよりも多量の血液が身体の末端へと勢いよく流れ込む。その赤が透けて見えるのでは無いかと思うくらいに身体が熱い。
今になってようやく気がついた。白石さんは普通にかわいいのだ。健全な男子高校生である僕には少し刺激が強い。
ふと思い立ったように白石さんが口を開く。
「そうだ、一つ疑問だったんですけど、なんで相談室って月曜日しかやってないんですか?」
それにはちゃんとした理由がある。僕がものぐさなわけでは無い。
「それは僕が弓道部員で、月曜日は弓道部の定休日だから」
パアッと白石さんの顔がほころぶ。
「本当は弓道部だったんですか……かっこいい……」
大きな目をキラキラさせて話し続ける白石さんはまるで別人のようだ。
「憧れるなぁ、キリリと引き絞った弓、勢いよく放たれる矢、気持ちのいい音を立てる的……」
「白石さんって本当はお喋り?」
今日初めて分かったことだが間違いない。この子はきっと暗いわけでは無いのだろう。この容姿でこの可愛げがあれば引く手数多だろうにと思う。
「えへへ、お恥ずかしながら。久々に怖がらずにお話し出来る人見つけて盛り上がっちゃいました」
白石さんは恥ずかしそうにはにかむ。ほんのりと赤く染まった頬からは彼女の感情の昂りが読み取れる。
「笑ってる方がかわいいよ白石さんは」
思わず口に出してしまった。
笑っていた口元を一文字に結んで、緊張した表情で彼女は尋ねる。
「口説いてます?」
「褒めただけじゃないか」
本当にただそれだけだ。言うつもりは毛頭無かったが。
すると彼女はムッとした表情で
「私男性経験一切と言って良いほどないのであまりからかうと本気にしちゃいますよ?」
その大きな優しい瞳ではいくら睨んだところで怖くも何ともない。台詞も相まってかわいさだけが際立つ。もう少しだけからかってみても良いかもしれない。そう思った。
「本当に思ってる。からかってないよ」
「もう……」
そう言ったきり彼女は下を向いて黙りこくってしまった。気付けばもう日は沈んでしまい、完全に影に覆われた彼女の表情は窺い知れない。しかし、青みがかってきた空は帰る時間の合図だ。
「さ、そろそろ店じまいだ」
「もうおしまいですか……。残念」
「あぁ帰るぞ」
帰りながら僕たちは他愛も無い話をした。普通の友達がするような話を。知り合ってたった一週間ではあるが、彼女が言っていたように久しぶりにまともに人と話したのだろう。もともと話し好きでもあるようだし、この変貌ぶりも仕方ないのかもしれない。
ふと見上げた空には月が小さく静かに輝いているが、まだ空は青さを保っている。
ヒョイッと頭一個分下にいる白石さんが僕の顔をのぞき込んだ。
「在原くんお家この辺なんですか?」
「あぁそうだけど」
「結構近いですね」
「白石さんもお家この辺なの?」
「私のお家ここです。何なら朝もご一緒します?」
何気なしにとんでもないことを言う。無下に断るのも申し訳ないが、ホイホイついて行くのも負けた気がする。
「好きにしてくれ」
「じゃあ7時半に待ってますね」
「あぁじゃあな」
一人で残りの帰路へと着く。
既に空は真っ暗で星と月が白く輝いている。道を照らす街灯がまぶしく感じられた。
スウッとワイシャツの間を通り抜けていく風がやけに涼しくて心地良い。夜風が昼間に溜まった熱を逃がしてくれているようだ。
「さて、どうしたものか」
成り行きで登下校を一緒にすることになってしまった。仲が良いのは悪いことでは無いが、最初にはやはり女子のお友達を作ってあげたかったというのが本音ではある。男子と二人でいる女子には近寄りがたいだろう。
確かに僕は彼女に一番近い。でも僕がいなくなればそれまでになってしまう関係ではいけないのだ。近くの明かりが無くても、遠くの明かりを求めて歩けるようにしなければいけない。
彼女に必要なのは白く輝く月なのだ。
僕は月じゃない。