色づく世界
西日の差し込む教室、空いた窓から飛び込んでくる運動部の掛け声。いかにも青春的であるが一人で過ごす放課後の教室には少々そぐわない。
「眩しい、うるさい」
容赦なくカーテンを閉める。そしてイヤホンをつけてお気に入りの音楽を流せば完璧だ。あとは紙面に綴られたフィクションの世界に没入するだけ、というわけにもいかない。
「春先に比べてだいぶ人は減ったけど、7時までおとなしく待つか」
いくら来訪者が少ないとはいえ、いつ人が来るともしれない状況で自分の世界に閉じこもれるほど心臓は強くない。とはいえ暇は暇だ。この場所の説明でもしよう。この場所は通称「相談室」文字通り悩みごとを聞く場所だ。生徒、教師問わずどんな悩みでもここでは受け付けている。この部屋に一人で居座る男は「在原彩飛」。
「やっぱり春は人間関係に悩む季節ってことか」
持ち込まれる悩みで一番多いのは人間関係の悩みだ。先輩後輩、友人、恋愛、教師の好き嫌い。人に相談してどうなるのだろうと僕は個人的に思うのだが、ただ口に出してしゃべるだけでも気持ちが楽になるらしいので聞くことにしている。つまり、ここに持ち込まれる悩みは基本的にそんな大した悩みではない。人に相談できる悩みなんてそんなものだ。本当は自分の中で答えが出ているけれど、それを肯定してもらうために口に出すのだ。たまに、「サスペンスドラマか?」と思うような悩みを持ち込む輩もいるが、基本は他愛もないものだ。つまり世の中の人々はそんなに悩んでいないということだ。だからこうやって暇を持て余している。
フィクションの世界に注がれていた視線をふと持ち上げる。
外の光を遮るはずのカーテンを貫いて差し込む夕暮れの明かりが包むように教室を照らしている。蛍光灯の白は完全に塗りつぶされてしまっていた。
開けた窓から風と共に流れ込んでくる蝉の声と運動部の掛け声。蝉の声がやや優勢といったところだろうか。
いかにもな風情を感じる。夏の放課後とはこうでなくてはいけない。
「すっかり夏だなぁ」
少し感傷に浸りたくなってカーテンを開け外の風景を眺めることにした。
煌々と光る夕日は空を独占していた。青も白もすべて赤く染めながらも水彩絵の具のように細やかなグラデーションを呈していた。
夏の夕暮れ時というのは嫌いだ。なぜなら何もかもが懐かしく思えるから。夕日の光が強すぎてその向こうに見える思い出はすべて白黒だ。もう取り戻せないのだと強く実感する。その瞬間がたまらなく嫌いだ。でも僕はその思い出を見たくて何度も目を凝らす。目が焼けて現実が眩んでも。
そうしている間に見えていた思い出は沈んでしまって手に入らないまま夜を迎えるのだ。その空虚な時間は忌々しいくらいに愛すべきで、だけど死にたいくらいに嫌いなのだ。
「失礼します」
ガラリと扉の開く音で現実に引き戻される。
女子生徒のお客様だ。校章を見るに学年は同じようだ。
「どうぞ座って」
少しうつむき気味に肩を縮こまらせて座っている。ここに来る人はみんな悩みを抱えている。明るい面持ちで現れる人間は少ない。
外は少しずつ日が沈んできたようで室内灯の白が教室の中を占拠し始めていた。
「僕は2年5組の在原彩飛。まずは自己紹介をしてもらってもいいかな?」
「2年3組の白石真尋です」
黒く長い髪の毛に顔が隠れて見えないが、覗く目の大きさや鼻筋からするに見た目は悪いわけではないだろう。ちなみにこれは立派なプロファイリングだ。見た目がいい女子というのは恋愛ごとの悩み相談が多い。前もってどのような悩みを抱えているかを推測することによって迅速な対応を図ろうとしているだけだ。決して美人だからと言ってどぎまぎしているわけではない。決して。断固として。神に誓って。
「白石さんは、今日何の相談に来たの?」
ただでさえうつむきがちだった視線をさらに下げて彼女は言う。
「私見えるんです」
スピリチュアル系のお悩み相談。恋愛ごとなどではなかった。
心霊系のお悩み相談というのも珍しいわけではない。「どこそこのトイレで声がした」、「夜中の体育館でボールの弾む音が聞こえる」、「誰もいないはずの階段で誰かに押された」、挙げればキリがないが、どれも古臭くて日焼けしてしまった写真のようなエピソードだ。まともに取り合うだけ無駄だろうと思ってはいるが話を聞くだけ聞いて落ち着いてもらうことにしている。
「なにが?」
ためらいながらも振り絞った声が紡いだ言葉は想像の斜め上を行く言葉だった。
「色が」
「色……?」
色、色と言ったのかこの子は。色が見えるというのはどういうことなのだろう。数字やアルファベットに色がついて見えるというのは聞いたことがある。どうやらそういう訳でも無いようだ。眼の病気や精神的なものが原因であれば、ここは保健室や病院ではないのでそういったお悩みは受け付けていないと言いたいところなのだが、生憎『どんなお悩みでも』と銘打っているので聞かないわけにはいかない。
「なんていうか、その人が発した言葉とか、書いた文字とか、そこに込められた感情が見えるというか、それに色がついているように感じるんです」
さらに斜め上を行く真実が暴露された。
「ということは実際に見えるわけじゃないんだね?」
「はい、頭に色がぼうっと浮かんでくる感じです」
「君がどう感じたかではなく、その書いたり喋ったりした人の真意が?」
「はい……」
彼女がどうだったのかは十分聞くことができた。後は、彼女がどうなりたいか。この手助けこそが僕の仕事だ。
「それで、白石さんはどうしたいのかな?」
ようやく信用してもらえたらしく、白石さんは顔をぱっと上げ僕の目を見据えて、力強く言った。
「それで、私は今まで本当の友達というのができたことがありませんでした。相手の心が見えてしまうから、どうしても相手に合わせてしまって、嫌われこそしないけど、人といると疲れちゃって……だから、私は友達が欲しいんです」
すぐに解決できる問題ではない。まだ調査が必要だ。
「また来週来てもらってもいいかな。ちょっと考えさせてほしい」
彼女は大きくうなずいた。沈んだ夕日の残り香が彼女の顔を淡く照らしている。
「分かりました。また来ます」
にこりと微笑んだその顔はもはや悩みなんてないような晴れ晴れとしたものに見えた。
入ってきた時と同じようにガラリと音を立て、ドアが閉められた。
一人残された教室で僕は状況を整理する。
「こりゃ久々の大仕事だ」
話聞いた限りの半分以上は正直信じがたい。オカルト、と呼ぶのが正しいだろうか。はっきり言って超常現象だ。そんなことがあり得るとは思えない。
しかし、彼女がそれで悩んでいるという事実は存在する。
本当の友達がいないというのも事実だろう。それは解決すべきである。
その悩みを解決する手助けをするのが僕の役目だ。