凶鳥再び。ノトスの危機
心ゆくまで海を満喫し、街に戻った翌朝のことである。ケントたちはいつものように、仕事のためにギルドを訪ねた。
「おや、皆さま。おはようございます」
受付にはレレミアが立っており、丁寧なお辞儀でケントたちを迎える。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「今日は調査依頼を受けようと思っているのだが、何かあるだろうか?」
「今のところ、この辺りで調査が必要そうな場所はないですね」
「っと、そうだったか」
「それじゃあ、異変の影響で増えてた魔物はもう元通りになったのか?」
「はい。皆さまや他の冒険者の方々のお陰で、街周辺は落ち着きを取り戻しました。ですので、また異変に関する新たな情報が入るまでは、ひとまず通常の依頼でも受けていただければと」
「そうだな。では、それで――」
調査依頼は無いということで、代わりに適当な依頼の話を聞こうとした、その時だった。受付の奥にある部屋の扉が開いたかと思うと別の受付嬢がやって来て、何やらレレミアに耳打ちする。そしてその受付嬢が去った後、彼女はケントたちに向き直ってこう言った。
「申し訳ありませんが、緊急召集が掛かりましたので少々席を外させてもらいます。しばらくお待ちくださいませ」
それから、受付の奥にある部屋へと入っていった。
「緊急召集か。何だか、ただ事じゃない雰囲気だな」
「そうね。お仕事を中断してまで集まるだなんて、何があったのかしら」
「もしかすると、新たな調査依頼が入ったのでは?」
「どうだろうな。だが、私もこんなことは初めてだ。何か嫌な予感がする」
「……お待たせいたしました」
しばらくすると奥の部屋の扉が開き、レレミアが戻ってくる。しかし、その顔は平常時の淡々としたものとは違い、明らかに動揺の色を含んでいた。
「レレミアさん、大丈夫? 何だか、顔色が悪くなってるような……」
「そう、ですか。申し訳ありません。あまりにも信じがたい情報が入ったもので」
「信じがたいって、一体何があったんだ?」
ケントが尋ねると、レレミアは動揺を抑えるために小さく息を吸う。そうして一呼吸置くと、重々しく口を開いてこう答えた。
「今から三十六時間前、この国の南に位置する街、ノトスが魔物の襲撃を受けたとのことです」
「……えっ!?」
それは正に晴天の霹靂とでも言うべき情報で、ケントたちは一様に目を見開いて驚愕する。そして、次の瞬間だった。
「し、襲撃ってどういうことですか!? ハルヴァン兄は、街の皆さんは無事なんですか!?」
ソニアは血相を変えて、飛びかからんばかりの勢いでレレミアの両肩を掴む。かつて自分が過ごしていた街が襲われたと聞いて、気が気でないといった様子だった。
「ソニアちゃん。気持ちは分かるが落ち着くんだ。まずは話を聞こう」
そんな彼女を、リューテが宥めてそっと引き離す。少しして場の空気が落ち着いてきたと判断したところで、レレミアが話を続けた。
「幸いなことに死者は出ていません。しかし、怪我人が十数名。そして何軒かの家屋に被害が出たそうです」
「死者はいないのか。それだけはまだ救いだな。だけど、被害自体はかなり大きいな。一体どんな魔物に襲われたんだ?」
「送られてきた情報には、Bランクの魔物、グリフォンとありました」
グリフォン。その名前を聞くと、ケントとリューテは真っ先に反応し、互いに顔を向かい合わせた。
「リューテ、グリフォンって!」
「ああ。昔、私と君とで戦ったことがある魔物だな」
今から半年以上前、ケントがリューテと共に剣を扱うための修行をしていた時のことである。弱い魔物しかいないはずの森に、突如としてグリフォンが現れた。最後はケントの能力で討伐したものの、真っ向勝負ではまるで歯が立たなかった相手である。
「それで、そのグリフォンは既に討伐されているのか?」
「いえ。どうやら討伐はされていないようです。しかし、偶然にもAランクの冒険者が滞在しておりまして、その方の働きあって被害が拡大するよりも前に追い払うことは出来たようですね」
「そうなのか。しかし、討伐出来ていないのであれば、また街を襲いに来ないとも限らないな」
「そんなっ……」
リューテの言葉に、ソニアは表情を曇らせる。慣れ親しんだ街とそこに暮らす獣人たちが未だ危機に晒されているという事実に、彼女は焦燥を隠せずにいた。
「グリフォンみたいな強い魔物が街まで降りてくるなんて、どう考えても異常事態だ。これも異変の影響なのか?」
「まず間違いないというのが、ギルドの見解です。Bランク以上の魔物が街を襲うなどというのは、二百年前の厄災以来の話になりますから」
「二百年前の厄災……」
そう呟いたのは、マヤだった。厄災というのは、今から二百年前にこの国を襲った最強最悪の魔物、スルトベルグのことである。この魔物の討伐には、彼女の先祖であるクラヴィスが大いに貢献していた。
「それで、皆さまにお願いがあります。今からノトスに向かうことは出来ますか? 急な話で申し訳ないのですが、一刻を争う事態でして、優秀な冒険者を少しでも多く派遣しなくてはなりません」
レレミアはケントたちの顔を真っ直ぐに見つめる。表情こそあまり変わらないものの、その目は真剣そのものであり、如何に状況が切迫しているかを物語っていた。
「もちろんですよ! あの街はワタシの大事な場所なんです。例え皆さんが断ったとしても、ワタシだけは絶対に行きます!」
真っ先に名乗り出たのは、ソニアだった。ノトスの存亡が関わっており、何より同族である獣人の危機ともなれば、彼女が静観する理由はどこにも無い。そのような強い意思を感じさせる言葉だった。
「何言ってんだソニア。ノトスが心配なのは、俺たちだって同じだ」
すると、ケントもまた当然とばかりに名乗りを上げる。
「俺も行くぞ。お前一人を、危険な目に合わせたりなんかしないさ」
「そうよ。そんな水臭い事を言うなんて、あなたらしくないわ。今までと同じよ。大変な状況だからこそ、皆で力を合わせなきゃ」
「今更、私たちの手に余るので諦めましょうとは言いません。出来ることは、きっとあるはずですから」
「君の兄には、この剣の恩があるからな。いつか報いることが出来ればと思っていた。それに、私もグリフォンには手酷くやられた経験がある。あの時の雪辱を果たす良い機会だ」
「ソニアお姉ちゃんが辛そうにしてると、私も辛い気持ちになるの。お姉ちゃんにはいつでも元気でいてほしいから、私も頑張るよ!」
それから、エルナたちも次々と同行の意を示す。ノトスの街を、そしてそこに住む人々を助けたいという思いは、皆同じだった。
「皆さん……」
「そういうことだ。私たちはこれから、ノトスへと向かおう」
「ありがとうございます。皆さまのご助力に感謝します。ええ、本当に……」
そう言って、レレミアは僅かに口元を緩ませる。志高く、強い絆で結ばれている冒険者たちの姿を見て、心底安堵した様子だった。
「では、よろしくお願いします。それと私的な頼み事で恐縮なのですが、向こうに着いたら私の姉のルルティエに、レレミアが心配していたと伝えてもらえますか?」
「ああ。必ず伝えよう」
そして話すべきことを全て話したところで、レレミアはケントたちに向かって深々と頭を下げる。
「それでは、くれぐれもお気を付けて。皆さまがまた元気な姿で、ここを訪れる日が来ることを祈っております」
こうしてケントたちはレレミアに背中を見送られ、ギルドを後にする。そして街でノトスへ向かう準備を済ませると、すぐさまエウロスを出発した。
それから三十六時間を掛けて、ケントたちはノトスまでの道のりを歩き続ける。エウロスから南西に進むにつれて草木といった緑の自然は少なくなっていき、代わりに砂や岩といった色褪せた大地が広がっていく。
そうしているうちにやがて、ノトスの街が彼らの視界に入り始めた。
「ようやく見えてきましたね。日の傾きを見るに、私たちがエウロスを発って一日半といったところでしょうか。ノトスが魔物に襲われたのは、今から三日前ということになりますね」
「あれから、また魔物に襲われたりしてないでしょうか……」
ソニアが不安そうな表情を浮かべて呟く。いつもの底抜けの明るさはそこになく、自慢の耳と尻尾も元気なく垂れていた。
「そう悪いように考えるな、ソニア。レレミアさんによれば、街にはAランクの冒険者が滞在してたって話だろ? これだけ大ごとになってるんだから、きっと今も街を守るために動いてくれているはずだ。それに、お前たち獣人は強いんだ。たとえ相手がグリフォンだろうと、そんな簡単にやられたりはしないさ。そうだろ?」
「ケントさん……」
落ち込んでいるソニアを励ますため、ケントは優しげな口調で語りかける。
「そう、ですよね。ワタシ、街の皆さんを心配するあまり、少し後ろ向きになってました」
ソニアは俯いていた顔を上げて、晴れやかな笑顔を見せる。先程まで力無く垂れ下がっていた耳も、今はピンと上を向いていた。
「さあて、ここまで来たらあと一息です! 皆さん、急ぎましょう!」
そしていつもの調子を取り戻したところで、ソニアは皆を先導するかのように前に出る。それに合わせてケントたちも歩調を早め、残りわずかとなるノトスまでの道を歩いていった。
それから十数分、ケントたちはついにノトスへと到着した。彼らは門を通るとすぐに辺りを見回して、街の様子をそれとなく探ってみる。ギルドの報告では何軒かの家屋が破壊されたとのことだが、周囲にそれらしき建物は見当たらない。であれば、襲撃を受けたのはここよりも南側の区域ではないかと、そう分析した。
「ようやく着いたわね」
「さて、まずはどうするか」
リューテがそう呟くと、近くの民家から一人の獣人が姿を現し、ケントたちの前を通りかかろうとする。
「ちょうど良いな。あの人に色々と聞いてみよう」
そこでケントは、街の状況を知るためにその獣人に駆け寄って話しかけた。
「なあ、ちょっといいか?」
「ん? 誰だあんた?」
「俺は冒険者だ。ノトスが魔物に襲われたって聞いて、後ろにいる仲間と一緒に来た」
「そうか。ギルドの……って、ん?」
そこでその獣人は、自分と同じ耳と尻尾を生やした少女が、ケントの後ろから近付いてきていることに気付く。
「お前、ソニアか!?」
「お久しぶりです。皆さんを助けるために、こっちに戻ってきました」
ソニアはそう言うと、ケントの横に並び立つ。
「そっか。あんたら、何ヵ月か前にハルヴァンがソニアを預けたっていう冒険者たちだったのか」
「その、ハルヴァン兄は……?」
不安そうに尋ねるソニアに対して、その獣人は気の良さそうな笑みを浮かべながら答えた。
「安心しな。あいつなら怪我はしたけど、大したもんじゃない。確か今は、ギルドで受付の姉ちゃんと話し合いをしてるはずだ」
男の言葉を聞くと、ソニアは心配事の一つが解消された安心感からほっと胸を撫で下ろす。
「ほへー、良かった。ハルヴァン兄は無事なんですね……」
すると、獣人の男はケントたちに背中を向ける。
「そんじゃあ、俺も色々とやらなきゃいけないことがあるんでな。悪いがこの辺で失礼するぜ」
「ああ。ありがとう」
そして、どこかへと去っていった。
「どうやら、ハルヴァンはギルドにいるみたいだな。怪我も大したことないそうだし、ひとまずは良かったと言うべきか」
「そうだな。後は、街の襲撃に関する問題だ。私たちも、急いでギルドに向かうとしよう」
「よーし、ハルヴァン兄! 待っててください! 今ワタシたちが行きますよお!」
こうしてケントたちはハルヴァンに会うため、そして調査依頼を受けるために、ギルドのある場所へと向かっていった。
そして歩くこと数分、ケントたちがギルドの扉を開けて受付まで向かうと、そこには先の獣人が言っていた通り、懐かしい男の姿があった。男は近付いてくる足音に気付いて振り向くと、たちまち驚きの表情を浮かべる。
「……っ! お前ら――」
「ハルヴァン兄いいいいいい!」
ソニアはハルヴァンの、兄の姿を見るや否や、全力疾走して彼に抱きついた。
「うおわっ!?」
「びえええええん! 会いたかったですよおおおおお!」
突然妹にタックルされたハルヴァンは思わず体勢を崩すが、どうにか持ちこたえる。
「お前な。久しぶりの再会だってのに、そりゃあねえだろうよ」
「だ、だってえ、本当に心配したんですもん……」
そして、胸板に顔を埋めて泣きじゃくっている妹を引き剥がすと、ケントたちの方へ振り向いた。
「お前らも久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「ああ。あんたも、両足が完治してるみたいで良かったよ」
「おいおい、いつの話してんだよ。足なんざ、とっくの昔に治ってるっての。まあ、最近ちょっとばかし、新しい傷を作っちまったんだがな」
「おや、君たちは」
そうしているうちにまたもや懐かしい、耳まで掛かるショートヘアの、眼鏡の女性が姿を現した。
「少し席を外している間に、懐かしい顔ぶれだね」
「ルルティエさん。あんたとも久しぶりだな」
その女性はノトスのギルドの受付嬢にして五人姉妹の三女、ルルティエだった。彼女は受付に立つと、早速とばかりに話を切り出す。
「君たちが今ここに来たってことは、ノトスが置かれている状況は既に把握していると見ていいのかな?」
「ああ。大体のことは、エウロスのギルドでレレミアさんから聞いたよ。あの人から、あんたを心配してるって言付けも貰ってきた」
「そうなんだ。この一件が一息ついたら、あの子には手紙を書かないといけないね」
ケントたちがノトスの状況を知った上で来たのかを確認したところで、ルルティエはいよいよ本題に入るべく口を開いた。
「よし。それじゃあまずは念のため、僕の方から改めて今までの状況を説明するよ」
情報や認識に齟齬が無いかを確かめるため、ルルティエはケントたちにこれまでの状況を簡単に説明し始める。
「この街は三日前にグリフォンという魔物に襲われた。幸いにも死者は出ていない。だけど、十名以上の怪我人が出て、建物もいくつか破壊された。ここまではいいかな?」
「ああ。それで、グリフォンはAランクの冒険者の手で追い払われたって話だよな? 俺たちが聞いたのはここまでだ」
「なるほど。どうやら、情報はしっかりと伝わってるみたいだね」
「それで、グリフォンが攻めてきたのは、その一度だけなのか?」
「今のところはね。本当はまた襲いに来る前に先手を打ちたかったんだけど、如何せん人手が足りなくてね。そこに君たちが来てくれたんだよ」
ギルドとしては住民の不安を取り除くためにも迅速に動きたかったのだが、グリフォン相手に攻勢に出るには、腕の立つ冒険者の数が不足していた。そのため、今までは街の防衛に注力するほかなかったのである。
「そういうわけで、君たちにはまず、街の安全を確保するためにグリフォンを討伐してもらって、その次にグリフォンが縄張りを離れてここまで降りてきた理由を調べてほしい。これが、今回の調査依頼の内容だよ」
そこまで言うと、ルルティエは更に付け加えるかのようにこう続ける。
「そして言うのが遅れたけど、この依頼は調査依頼の中でもかなり危険度が高いものになる。だから、さっき話に上がったAランクの冒険者が中心に動くことになっていてね。君たちには、その人の補佐を頼みたいんだ」
グリフォンが絡んでいるというだけでも、今回の調査依頼は相当な危険性を伴う。その上で更にグリフォンが人々の生活圏まで降りてきた原因を探るとなれば、最早どこまで危険なのかは及びも着かない。そのため、偶然ノトスに居合わせたAランクの冒険者が先導して今回の依頼をこなすことになっていた。
「そうだったのか。だけど、そいつは心強い話だ。もしグリフォンより強い魔物がいるとしたら、俺たちだけじゃ手に負えないかもしれないからな」
「それで、その者の名前と所在を聞かせてもらえるだろうか?」
「うん。名前はクラウディオって言って、今はここからずっと南西にある、『凶鳥の巣』って呼ばれてるグリフォンが根城にしている山にいるはずだよ。本当は他の冒険者を待ってから向かうことになっていたんだけど、彼も少し真面目というか、固いところがあってね。『ここの住人のために、せめて街を襲ったグリフォンの討伐だけでもしておきたい』って言って、今日の昼から先行しているんだ」
本来であれば依頼の危険度を鑑みて、複数人の腕の立つ冒険者を集めてから足並みを揃えて事に当たるべきなのだが、そうしている間にも街の住民は常にグリフォンの脅威に晒され続けることになる。そこで例のAランク冒険者――クラウディオは、単独で先行してグリフォンの討伐に向かうことにしたのだと言う。
「だから君たちにはまず、山で彼と合流してほしい。それから、彼の指示に従って依頼をこなしてもらいたいんだ」
ルルティエが依頼の概要を一通り話し終えたところで、リューテが頷く。
「了解した。街の平穏のため、依頼の達成に全力を尽くそう」
「ありがとう、助かるよ。だけど、今日はもう遅いし、それにエウロスからここまでずっと歩いてきたんだよね? いくら非常事態とはいえ、本調子じゃない状態で受けていい依頼じゃないから、まずはゆっくりと身体を休めてほしいな」
「宿なら、また俺の家を貸すぜ? 積もる話も聞きてえところだし、今日のところは泊まっていきな」
するとそれまでのやり取りを聞いていたハルヴァンが、かつてノトスに来た時と同じようにケントたちに自宅に来るよう勧める。
「そうだな。では、そうさせてもらおう」
ハルヴァンの提案にリューテたち六人は同意を示す。こうして依頼の手続きを終えてギルドを出た一行は、そのままハルヴァンの家へと向かうこととなった。
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