ケントの思い エルナの想い
それから翌日、ケントとエルナは出発の準備を済ませ、ラファールとフィリアの二人と共に家を出る。時間は早朝、四人は畑仕事に取り掛かろうと家を出てきた村人たちと時折挨拶を交わしながら、少しづつ活気づいていく村の中を歩き続ける。
そして村の入り口まで到着したところで、エルナの両親は立ち止まり、二人に向かい合った。
「また何かあったら戻ってらっしゃい。いつでも力になるから」
「ええ。今の件が片付いたら、また帰ってくるわ」
フィリアの言葉に、エルナは微笑みながら答える。
「この一週間、お世話になりました。ラファールさんから教わったことは、決して無駄にはしません」
「ああ。とはいえ、無茶だけはしないようにな。何事も、命あってこそだ。それだけは心に留めておいてくれ」
その傍らで、ケントとラファールも互いに話した後、固く握手を交わす。
これからの戦いがより厳しいものになろうとも、生きていることがなによりも肝要なことだと。目の前の男性の言葉を、ケントはしかと心に刻み込んだ。
別れの挨拶を済ませたところで、ケントとエルナは二人に背を向ける。
「それじゃあ、行ってくるわ!」
そして、上半身だけ振り返って二人に手を振りながら、村の外へと足を踏み出していった。
村から離れ、段々と小さくなっていく二人の姿を、ラファールとフィリアは見えなくなるまで見守っていた。
それから村を出ておよそ数十分。二人はゼピュロスの街まで到着する。行きは王都から村まで常に徒歩だったが、帰りは王都行きの馬車を利用するつもりでいた。
その他にも、王都に向かうまでに必要な物資の調達。そしてリューテに、鍛冶屋を営んでいる彼女の父親への挨拶も頼まれている。
そこで、物資の調達とリューテの父親への挨拶はケントが、王都行きの馬車の確保はエルナが、それぞれ担うこととなった。
「お待たせ、エルナ」
ケントは買い物とリューテの父親への挨拶を済ませてから、ギルドの入口前に立っているエルナと合流する。
「馬車の手配は出来たか?」
「ええ、あそこで待っててもらってるわ」
エルナが指差した先には、一台の馬車が準備万端といった様子で待機していた。
「あなたが来たらすぐに行くって言ってあるのだけど、準備はいいかしら?」
「ああ、大丈夫だ」
エルナの問いに、ケントは首を縦に振って頷く。
「それじゃあ、出発しましょう?」
そうして、ケントたちは早速その馬車に乗り込む。二人が乗ったのを確認した御者が手綱を引いたのを合図に、馬がゆっくりと歩きだす。そしてゼピュロスの外に出ると、そのまま街道に沿って目的地の村まで進み始めた。
それから街を出て、しばらく経った時のことである。馬車は魔物に襲われることもなく、広大な草原を駆け抜けていく。ゼピュロスの周囲は豊かな自然に囲まれているのが特徴だが、こうして馬車で足を休めて揺られながら見る景色は何とも穏やかなもので、二人の気分を落ち着かせてくれる。
そのような中で、ケントが何とはなしに窓の外に広がる景色を眺めていると、隣に座っているエルナが口を開いた。
「ねえケント。お父さんの修行はどうだった?」
「んー、そうだな。厳しかったには厳しかったけど、どちらかと言えば、昔リューテに剣を教えて貰った時の方が大変だった気がするな。あの時は、基礎中の基礎すらまともに出来てなかったからさ」
ケントはかつてのリューテとの修行を思い出す。何もかもが未熟だった当時と比べて、半年間の冒険者生活の中で心身共に鍛えられていたこともあり、ラファールとの修行は大変ではあったものの、血反吐を吐くような、あるいは地獄の苦しみといった表現をするほど過酷ではなかった。
「それで、修行を終えた証としてこの剣を貰ったんだ」
「あっ、それってお父さんの剣よね? 凄いじゃないケント。大切な剣を渡されるくらい認められたなんて」
目の前に掲げられた剣を見て、エルナは感心したような口調で言う。
「でも、ちょっと意外ね。お父さん、その剣を本当に大事にしてたから。誰かにあげるだなんて思わなかったわ」
「その事なんだけどな。ラファールさんに頼まれたんだよ。お前のことを守ってほしいって」
ケントの言葉を聞いて、エルナは驚いたような顔をする。
「え、お父さんが?」
「ああ。何と言うか、もしあの人がお前の側にいたら、絶対にお前のことを守ると思うんだよ。だけど、あの人はもう冒険者を引退してるから、俺たちに付いていく訳にもいかない。だから、その役目を俺に託すことにしたんじゃないかな」
「……もう、お父さんったら。何もケントにまでそんな役目を背負わせなくたっていいのに」
「そこはまあ、親心ってやつじゃないのか? 可愛い子には旅をさせよなんていうけど、心配なものは心配だろうし」
娘を一人の冒険者として見送りたいと思う一方で、自分の見ていないところでどのような目に遭うか分からないという心配もある。人の親ではないケントだが、それでも彼女の両親がどれだけ自分の娘を愛しているかはこの修行期間のうちに十分理解しており、だからこそ自分に剣を渡したラファールの心情も読み取れていた。
「そういうわけだからさ、この剣に誓うよ。ラファールさんに代わって、俺がお前を守ってみせる」
「ケント……」
真っ直ぐな言葉と眼差しを向けてくるケントを見て、エルナはふと昨晩の母親との会話を思い出してしまう。そして、段々と心臓の鼓動が高鳴っていくのを感じて、思わず俯いた。
「あ、でもあんまり期待はしないでくれよ? 俺はラファールさんみたいに強くないからな。守るっていうのは危険から遠ざけるんじゃくて、一緒に立ち向かうくらいの意味だと思っておいてくれ」
「うん。それでも、凄く頼もしいわ。ありがとう、ケント……」
しかし、まだ自分の気持ちを知られたくはない。エルナは内心の恥ずかしさを取り繕うように笑顔を浮かべ、明るい声でそう返す。
それからしばらくすると、二人は話すことも無くなり、規則正しく鳴る馬車の車輪の音を聞いているうちに、退屈も相まって自然と眠りに落ちていった。
そして夜。ケントたちを乗せた馬車は、中継地の村に到着する。今日はここで一泊し、明日に王都へと向かう手はずとなっていた。
二人は御者と別れた後で宿を探し、ちょうど空き部屋のあった宿屋を見つけて、そこで宿泊の手続きを済ませる。そして案内された部屋に向かうため、二人は階段を上がった。
「じゃあエルナ、また明日な」
無論部屋は別々のため、ケントはエルナに手を振ってから自分の部屋に向かおうとする。
「待って、ケント……」
その時だった。エルナはケントの服の裾を摘まんで引き止める。
「どうしたんだ?」
「その、少しだけお話したいなあなんて」
ケントは振り返るなり、驚いたような表情をする。エルナの顔が普段よりも赤みを帯びており、明らかに照れた様子を見せていたからだ。声もどこか弱々しげで、今にも消え入りそうなほどである。
普段も年頃の女の子らしいエルナだが、今の彼女はいつも以上に可愛らしく見えて、ケントは気恥ずかしさから目を逸らして頬を掻く。それから、彼女にこう答えた。
「あ、ああ。いいけど……」
ケントは戸惑いつつも承諾する。そして、エルナを連れて部屋の中へと入っていった。
「あー、そうだな……取り敢えず、まずは座るか……」
「え、ええ。そうね……」
ケントは荷物を下ろしてから、そのままベッドの縁に腰掛ける。その隣に、エルナもまたぎこちない動作でゆっくりと腰掛けた。二人の距離は肩が触れ合うほどに近く、その事を意識しているからか互いに緊張している様子が見て取れる。しばらくの沈黙の後、エルナは一呼吸おいてからゆっくりと口を開いた。
「その、いよいよ明日からお仕事再開ね?」
「あ、ああ。そうだな。皆の修行も、上手くいってるといいけど……」
まるで初対面のようなたどたどしい会話を繰り広げた後、二人は気まずさから再び沈黙してしまう。そうしている間にも一秒、また一秒と時間は過ぎていき、微妙な空気が流れていく。エルナは一旦落ち着きを取り戻すため、目を閉じて深呼吸する。そして、今度こそはと覚悟を決めて話を切り出した。
「ケント、一つだけ訊いてもいい?」
「もちろん。どうしたんだ? そんな改まって」
「その、ケントは私たちのこと、どう思ってるの?」
「どうって、そりゃあ掛け替えの無い大切な仲間だって思ってるけど」
「ううん、そういうことじゃないの。私が言いたいのは、その……」
そこまで言って、エルナは再び言い淀んでしまう。しかし、それも一瞬のこと。彼女は意を決して続く言葉を紡いだ。
「……女の子として、どう思ってるのかってこと」
「えっ、そ、それは……」
思いがけない質問を投げ掛けられ、ケントは戸惑いのあまり固まってしまう。
「ここまで言ったんだもの、はぐらかすのは無しよ?」
「ま、待ってくれ! 急にそんなこと言われても……」
それはケントにとって思いもよらぬ質問で、彼にしては珍しく言葉に詰まってしまっていた。考えようにも思考が纏まらず、何か言わなければという焦燥とは真逆に、彼の頭の中には何も浮かんでは来なかった。
「……駄目だ、答えられない」
「どうして?」
「なるべく考えないようにしていたんだよ。俺は、皆ともっと一緒にいたい。だけど、もしそれが下心からだって思われたら、今の関係が壊れるんじゃないかって、それが不安なんだ」
ケントとエルナ、そしてここにいない四人の仲間たち。この六人を繋げているものは友情だと、ケントはそう考えている。しかし、だからこそ自分が彼女らを異性として強く意識してしまえば、今まで築いてきた関係が悪い方向へと変わってしまうのではないかと、その事を彼は恐れていた。そして、自分の感情に蓋をするようになったのだ。
「ただでさえ、俺は皆とその……キスをしてるだろ? やましい気持ちがあるって言われたら否定し切れないし、それならいっそこのまま曖昧にしておけば、今まで通り純粋に冒険者として仲良く出来るって考えてた。だから……」
そこまで言うと、ケントはベッドの縁を強く握り、悔しげな表情で歯噛みする。それから、絞り出すような声で続く言葉を口にした。
「今はまだ、答えられない……」
「そう……」
その言葉を聞いて、エルナは俯く。そんな彼女の顔を、ケントは見ることが出来ずにいた。悲しんでいるのか、それとも怒っているのか、確かめるのが恐かったのだ。あまりの情けなさに、ケントは今すぐこの場から逃げ出したいという気持ちでいっぱいになっていた。
「最低だよな、こんなの。仲間だとか調子の良いことばかり言ってるけど、結局のところ俺は皆に幻滅されたくないだけなんだ。そのために仲間の本心から目を背けてたら意味ないって分かってるのに。今まで頑張ってきたつもりだけど、やっぱり俺は情けない人間だよ」
「ううん、そんなこと無いわ」
うなだれ、自嘲するような口調で言うケントに対して、エルナが優しく微笑みかける。その顔と声に軽蔑の色は無い。むしろ、慈しみすら感じ取れた。
「だって私も同じだもの。あなたを異性として見て、それで皆との関係が壊れたらって、そう思ってたわ。だけど、そんな風に考えるのは止めて、一歩踏み出すことにしたの。あなたから貰った、勇気を振り絞って」
その言葉を聞いて、ケントは顔を上げるとエルナの方に振り向く。
「俺から貰った勇気?」
「ええ。お母さん、ケントのこと凄く褒めてたのよ? 周りに勇気を振り撒いてくれる、本物の勇気の持ち主だって」
「それは買い被りすぎだ。俺の勇気は俺だけのものじゃない。仲間がいてくれるからこそのものなんだよ。俺自身の勇気なんて、こんなものさ」
「もう。そんなウジウジしなくたっていいじゃない。あなたが自分を否定するということは私と、あなたを見込んだ私のお母さんやお父さんのことも否定する事になるのよ? あなたはそれでいいの?」
「それは……」
言われて、ケントはハッとなる。例え情けなくとも、そんな自分に期待を掛けてくれている人がいる。その思いまで踏みにじることだけはしたくなかった。
「私には分かるの。たとえ今は勇気が出ないんだとしても、あなたはそれで終わるような人じゃないって。そんなあなたが側にいてくれたから、私も勇気を持てるようになったのよ?」
そこまで言うと、エルナは横に動いて更にケントと距離を詰め、彼の左手に自分の右手を重ねる。
「答えられないなら答えられるようになるまで待つし、もちろん誰を好きになってもいいわ。でもね」
そこで、エルナは真っ直ぐにケントの顔を見つめる。
「あなたの一番は、私がいい」
それから、左手を彼の右肩に置くとゆっくりと顔を近付けて耳元に口を寄せた。
そして――――
「好きよ、ケント」
そう囁いて、彼の頬にそっとキスをした。
「……え?」
「ふう、やっと言えたわ」
エルナはケントから身体を離すと、自身の左胸に手を当てる。その顔は耳まで朱に染まっているものの、どこか高揚したような、達成感に満ちた表情を浮かべていた。
「まだ少しドキドキするわね。でも、何だかすっきりした気分」
少しして胸の高鳴りが落ち着いたところで、エルナは腰掛けていたベッドから立ち上がる。
「ケント、覚えておいて? 私にとって、あなたは誰よりも特別な人よ? だから、あなたが私を守るって言ってくれたように、私もあなたが挫けそうなときは、いつだって支えてあげるから」
そして、ケントに振り向いてそう告げた。一方のケントは突然のことに混乱した様子で何も言えず、ただエルナの姿を目で追っていた。
「それじゃあお休みなさい。明日も早いから、夜更かししないでしっかり睡眠を取るようにね?」
それだけ言い残して、エルナは部屋から出ていこうとする。そして、ドアに手を掛けようとした、その時だった。
「……エルナ!」
ケントはベッドから勢い良く立ち上がると、そのままエルナの背中に向けて声を投げかけた。
「今はまだ、お前の気持ちに応えられない。だけど、これだけは約束する。これから先、どんなことがあっても必ずお前を、そして他の皆のことも守ってみせる。そしていつか、俺の覚悟を伝えるから!」
部屋内がしんと静まり返る。先程までの落ち込んでいた時とは違う、勇気と決意に満ちた力強い言葉だった。
ケントが今どのような顔をしているか、振り向かずとも分かる。だからこそ、彼女は背中を向けたままこう答えた。
「……ええ、待ってるわ」
それだけ言うと、エルナは静かにドアを開け、部屋を出ていった。
「……ふう」
ケントは張り詰めたものがほどけたかのように再びベッドにへたりこみ、そのまま仰向けになる。そして天井を見つめながら、頬に残る柔らかな唇の感触を思い起こしていた。
「女の子にあそこまでさせたんだ。俺も、格好悪いままじゃいられないよな」
ここで前に踏み出せないのでは、それこそ情けない人間だと仲間に軽蔑されてしまう。月の光に照らされ仄かに明るい部屋の中で、ケントは一人決意を新たにした。
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