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エルナの葛藤

 あれからしばらくして、二人は街まで帰ってきていた。


「ふう、やっと街に着いた……」


 街へと到着するや否や、ケントは膝に手をついてガックリと肩を落とす。


「ふふっ。ケント、とても疲れてるみたいね」

「そりゃあ、あんなことがあったらな。エルナは疲れてないのか?」

「ええ、私は平気よ。むしろ、依頼に行く前より身体が軽くなってるみたいだわ!」


 エルナはグッとガッツポーズをする。既に歩くことすら億劫になっているケントとは対照的にどうやら本当に疲れを感じていないようで、それも自分がキスをしたことによる影響なのかと、ケントは考えていた。


「それじゃあ、ギルドへの報告は私が行くから、ケントは先に宿に戻って休んでて? その代わり、聞かせてほしいの。私が意識を失っていた間に、何があったのか」

「……ああ、分かった」


 エルナの言う通り、ケントは途中で彼女と別れてから、一足先に宿へと向かっていった。




「ふぅ……」


 ケントは宿泊手続きを済ませてから部屋に入ると、そのままベッドに寝そべって天井を眺める。


「さて、エルナにはどう説明したもんかな……」


 人工呼吸をしたという事実をありのままに話すのはどうしても気が引けてしまう。しかし、だからといって適当にはぐらかすのを見逃してくれるとも思えなかった。

 どうするべきかと考えているうちに、聞き慣れた声と共に、扉を叩く音がした。


「ケント、入るわよ?」


 どうやらエルナがギルドへの報告を済ませてきたようで、ケントは起き上がってから「どうぞ」と言って部屋の中に入るよう促す。すると、エルナは昨日の晩と同じようにベッドの縁に腰を下ろした。


「それじゃあケント、早速教えてもらうわよ? あの時、何があったの? 気が付いたら私の怪我が治ってて、それにすごく力がみなぎっていたのはどうして?」

「…………」


 ケントは沈黙する。自分が意識を失っているエルナの唇を奪ったと伝えることで、ショックを受けるのではないか、あるいは嫌われてしまうのではないかという心理的抵抗があったからだ。だが、教えると言った以上はぐらかすべきではないと、ついにケントは腹をくくって話し始めた。


「……あの時、コボルトに突進されたことは覚えてるか?」

「ええ、覚えてるわ。私が気を失ったのも、たしかその時ね」

「お前はその後、川に落ちて流されていったんだよ。俺も川に飛び込んで何とか救助は出来たんだけどさ、陸に上がってから、お前の呼吸が止まっていることに気付いたんだ」

「え、ええっ!? 私、そんなにまずい状態だったの!?」


 流石に自分が死にかけていたとまでは思っていなかったようで、エルナは驚愕の声を上げた。


「ああ。だけど心臓は動いていたから、まだ助けられるって思ってな。それで、その……したんだ」

「した? 何を?」

「あれだ……呼吸が止まっていたから、それを何とかしようとして、その……」


 その次の言葉が、中々切り出せなかった。この先を言うことでエルナにどう思われるか、不安でならなかったからだ。それでも、もう後には引けないとケントはぼそぼそと歯切れの悪い口調で続けた。


「……人工呼吸を、したんだ」

「……え?」


 ケントの言葉を聞いて、エルナは少しの間固まる。


 そして――――


「え、ええええええええええええええええええっ!?」


 彼女はようやく自分のされたことの意味を理解したようで、顔がみるみるうちに赤くなった。


「う、嘘……それじゃあ……」


 エルナは右手で自分の唇に触れながら、ケントの方を見る。


「多分だけど、お前の怪我が治ったのも目が覚めた時に強くなっていたのも、俺が人工呼吸、というより……キスをしたからだと思う」

「~~~~~~~~~~~~っ!」


 エルナは何やら声にならないような声を出すと、たまたま近くにあった予備の枕を手に取り、口元を隠すように抱きかかえながら上目遣いにケントを見た。


「エ、エルナ……?」

「……ケント、酷いよ。私、キスなんてされたことなかったのに……」

「うっ……」


 想定していた通りの事態になり、ケントは罪悪感に駆られてしまう。

 彼は本心からエルナを救いたいと思い、彼女に人工呼吸を施した。あくまで蘇生行動ではあるが、そのために口付けをする必要があるのを、若いケントが意識しないことは難しい。そしてそれは口付けされる側のエルナに関しても同様であり、それだけに目の前の少女が傷ついている姿を見るのが彼には忍びなかった。


「本当に済まん、エルナ!」


 ケントは自分の誠意をエルナに伝えようとする。このままでは彼女との関係に修復不可能な亀裂が生じてしまうかもしれない。彼女にはこれまで色々と助けてもらってきた。それなのに、こんな形で終わるのはあまりにも不本意だと、ケントは心の底からそう思った。


「ああでもしなければ死んでいたとはいえ、お前に同意もなくその……キスをしたのは言い逃れ出来ない事実だ。俺は多分、お前にとって大切なものを奪ってしまったんだろ?」

「…………」


 エルナは無言のまま、なおも枕に顔をうずめている。それでも声は聞こえているだろうと思い、ケントはそのまま話を続けた。


「それをあくまで人工呼吸だなんて正当化するつもりはない。だから、もしお前が許さないっていうなら、気の済むまで俺を殴ってくれて構わない」

「……ほんと?」


 エルナはケントのその言葉を聞くと、少しだけ顔を上げてからそう言った。


「ああ。それで償えるっていうなら、覚悟は出来ている」

「それじゃあ、目をつぶって?」

「……分かった」


 ケントは言われたとおりに目を閉じる。右か、左か、真ん中か。本気で殴ってくるか手加減してくれるか。エルナがどうするかは分からないが、それでも彼女の拳をしっかりと受け止めようと、ケントは歯を食いしばって来るべき時を待ち構える。


 そして――――


「うぐっ!?」


 ケントはそのまま後ろに倒れこむ。飛んできたのは、予想だにしない感触だった。


「ま、枕……?」


 エルナは殴るでもなく、持っていた枕をケントに目掛けて投げつけていた。


「……うん。スッキリした!」

「エルナ……?」


 柔らかい素材とはいえ顔面に投げつけられれば多少は痛く、ケントは鼻を押さえながらエルナの方を見る。その表情は先程のまでの物憂げなものとは一転して、さながら(もや)が晴れたかのように生き生きとしていた。


「ね、ケント」

「な、何だ?」

「……ありがとう」

「……え?」


 思いがけない言葉がエルナの口から出たことで、ケントは呆気にとられた。


「私ね、あの時夢を見ていたの。どこを見ても暗くて、何も聞こえない。自分が立っているのか浮いているのかも分からなくて、動くことも出来ない。とても、怖い夢だった。だけどね、そんな時にいきなり声が聞こえたの。『エルナ、エルナッ!』って、私のことを呼ぶ声が」

「……そうなのか」

「そしたら、少しして目の前が急に眩しくなって、気が付いたら目が覚めてて、側にはあなたがいた」


 エルナはケントにゆっくりと身体を近付けていく。


「もしあなたが助けてくれなかったら、私はあの夢から覚めることはなかったと思う。今私がここにいるのは、あなたのおかげよ。だから、ありがとう」


 そして、ケントの手に自分の手の平を重ねると、ふわりと微笑んだ。


「エルナ……」

「それと、さっきはごめんなさい。枕を投げちゃって」


 エルナは小首をかしげて申し訳なさそうに眉を下げ、胸の前で両手のひらを合わせる。


「私を助けるためにしてくれたことだっていうのは分かってたの。ただ、初めてキスされたっていうのは、やっぱりそんな簡単に気持ちを割り切れるようなことじゃなくて、つい……」

「いやまあ、こっちとしては殴られても文句は言えないと思っていたから、この程度は甘んじて受け入れるさ。それに何より、お前を助けられて本当に良かったよ」

「ええ。あなたには感謝してもしきれないわ……」


 するとエルナはベッドから出て、身体の後ろで手を組んでからケントに振り返った。


「ケント。私、あなたに会えて、本当に良かった」


 そして、ケントが見た中では一番の、花のように明るい満面の笑みを見せた。


「あ、ああ……」


 これまで目の前の少女の顔をじっくりとは見たことはなかったが、改めて見るととても綺麗だと、ケントはそう思った。整った顔立ちに透き通るような白い肌、そしてさらさらとした長いブロンドの髪。窓から差し込む夕焼けに照らされたその姿は得も言われぬ美しさで、ケントは少しの間見惚れてしまっていた。

 そして同時に、彼女のことをもっと知りたい、そのためにももっと一緒にいたいと、そう思わずにはいられなかった。

 ケントは表情を引き締めてから、彼女にこう告げた。


「その、エルナ。頼みがあるんだ」

「うん? 何かしら?」

「その、もしよかったらさ……これからもずっと、俺と一緒に冒険者の仕事をしてほしいんだ。今はまだ全然役に立てないけど、これから魔物との戦い方を覚えて、足を引っ張らないようになって見せる。報酬だって、お前が昔されたような不公平な分け方なんて絶対にしない。だから……」


 ケントもまた、ベッドから降りると、エルナにしっかりと向き合った。


「……うん。いいわ」


 エルナはそんなケントの頼みを、二つ返事で快く承諾した。


「……っ! 本当にいいのか!?」

「当然よ、助けてもらったお礼だってまだしてないもの。それに……」

「それに?」

「これからもし私以外の人と一緒に依頼を受けることになったとして、その度に強くなるからなんて言ってキスしてたら、大変なことになるわよ?」

「それは、確かにそうだな……」

「強くするなんて建前でひたすら女の子とキスをする冒険者がいるなんて知られたら、女の子からはケダモノ扱いされるし、男からだって敵視されると思うわ。そして、いつか他の冒険者からはこう言われるの。『キス魔の冒険者、ケント』って……」

「……絶対に嫌だ」


 もしそうなったとしたら、恥ずかしすぎて二度とギルドに顔を出せなくなる。それどころか街を歩けなくなるかもしれない。考えうる限り最悪の結末だと、ケントはそう思った。 


「そうでしょう? だからそうならないように、私が一緒にいてあげるわ。あ、でも!」


 エルナはケントに向かって、右手のひらを真っ直ぐに突き出す。


「だからって私にならいつでもキスをしていいってわけじゃないからね!? もしするなら今日みたいに、それ以外に助かる方法がないって時だけ!」

「分かってるって」

「うん。それならよろしい!」


 そう言って、エルナは突き出した右手の平を天井に向けて、ケントに差し出た。


「それじゃあ、これからよろしくね、相棒!」

「ああ!」


 ケントもまた、差し出されたその右手に応える。

 こうして、二人はこれから冒険者として共に協力していくことを誓い合ったのだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次回更新は10月22日の夕方を予定しておりますので、今後ともお付き合いいただけますと幸いです。

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