氷結の巨人
それから休憩を終えた後、ケントたちは洞窟内の探索を再開する。フロストコヨーテと戦って以降、魔物と遭遇することもなく彼らは順調に奥の方まで進んでいく。そしてしばらく歩いたところで、再び壁や地面から水晶が生えている、開けた場所が彼らを迎え入れた。
「これはまた、一段と広い所に出たな」
「ソニア、近くに魔物はいるかしら?」
「うーん……いえ、それらしき気配はないですねえ」
ソニアが耳に意識を集中させて気配を探ってみるも特に足音などはせず、辺りは魔物の縄張りとは思えない静けさに包まれていた。
「かなり奥の方まで来たと思うけど。特に変わった魔物はいなさそうね」
「異常がないならそれが一番とはいえ、肩透かしな感は否めませんね」
「まあ、ギルドが依頼したのはあくまで調査だしな。調べた結果何もないってことだって普通にあり得……ん?」
そこでケントが近くにあった大きな水晶に手を付くと、妙に冷たい感触がしたのが気になったようで、ふとそちらの方を見る。
「うおわああっ!?」
すると不意に叫び声を上げ、腰を抜かして尻餅をついた。
「ちょっ、ケント! そんな大声出したら、魔物が寄ってくるかもしれないじゃない!」
「いや、だってエルナ、これ……」
ケントが困惑と驚愕の入り交じった表情で何かを指を差したのを見て、エルナはそこに視線を移す。
「え……きゃっ!?」
すると、彼女もまた短い悲鳴を漏らし、反射的に口元を手で押さえて後ずさる。
そこにあったのは水晶などではなく、巨大な氷塊だった。それも、ただの氷塊ではない。中に魔物が閉じ込められており、大口を開けた状態で固まっていた。
「こ、これって、氷漬けの魔物……?」
「この魔物、ニヴルレオだな。しかし、どうしてこのような姿に……」
その魔物の正体は、この洞窟内で最強の魔物と目されているニヴルレオだった。
ケントたちは、氷漬けになったニヴルレオの元まで近付いてみる。
「リューテお姉ちゃん。この氷、溶かしてみる?」
「ああ、そうしよう。皆、万が一この魔物が動き出した場合に備えておいてくれ」
リューテとしては目の前の魔物が生きているとは思っていなかったが、念には念を入れる必要がある。
そして、ケントたちが武器を構えて戦闘態勢に入ったのを確認したところで、マヤは杖を掲げて魔術を唱えた。
「行くよ……≪火球≫!」
唱えたのは火属性の下級魔術、火球だった。いくつもの火の玉がニヴルレオを閉じ込めている氷塊目掛けて飛んでいき、みるみるうちに溶かしていく。
「どうだ……?」
そして氷塊が完全に溶かされた瞬間、ニヴルレオはぴくりとも動くことなく、まるで抜け殻のようにその場に倒れ伏した。
「どうやら、既に死んでいるようだな」
「みたいだな。だけど、あんたの話じゃこいつはこの洞窟で一番危険な魔物なんだろ? それがこんな風になるなんて、一体何があったっていうんだ?」
「まずはこの魔物を調べてみましょう。そうすれば、何か分かるかもしれません」
何故ニヴルレオ程の強力な魔物が氷漬けなどという状態で死んでいたのか。それを知るためにケントたちは、各々目の前の亡骸を観察した。
「これは……」
一通り調べ終えたところで、ニュクスが結論を出す。
「少なくとも、これをやったのは人ではなさそうですね。あちこち出血の跡は見られますが、欠損してる部位はないですし、それに死骸をわざわざ氷漬けにしたまま放置するというのも不可解過ぎます。十中八九、魔物同士の縄張り争いによるものと見ていいでしょう」
「そうなんだろうだけど、縄張り争いにしては何か違和感があるよな……」
「君もそう思うか、ケント君」
これが人間の仕業ではないことには全員の意見が一致しているが、それと同時にただの縄張り争いで終わらせるには、皆違和感を拭えずにいた。
「リューテ。こいつは水の魔術を使いながら、この鋭い爪と牙で襲い掛かってくるって感じの敵でいいんだよな?」
「ああ。その通りだ」
「だけど、この死体には噛み痕や爪痕らしき傷が一つも見当たらない。仮に同族間で争ったんだとすれば、そういう傷が付いてるはずだ」
「そうだな。それに、ニヴルレオの魔術はそこまで強力なものではない。少なくとも、このような巨体を丸々氷漬けに出来るとは考えにくい」
「それじゃあ、これって……」
エルナのその呟きに、全員が無言で頷く。その先の言葉を聞かずとも、彼女が何を言おうとしているのかを察していた。
「異常がないのが一番と言った矢先にこれとは、ままならないものですねえ……」
「いるとしたらこの先だな。恐らく、そう離れてはいまい。皆、用心していこう」
本来ならばここにいないはずの魔物が、この先にいる。それが判明した以上、その魔物の正体を確かめなければならない。先程までの緩みかけた雰囲気からは一転、ケントたちは慎重な足取りで歩き出した。
それから歩くこと五分、彼らは警戒を張り巡らせながら進み続け、とうとう洞窟の最奥まで到達した。
「あれは……」
ケントたちが予想していた通り、そこには一体の人型の魔物が待ち構えていた。
全身が白い体毛で覆われており、体長はかなり大柄で、ケントと比べると頭三つ分ほど高い。頭からは角が生えており、髪で隠れてはいるが一つ目である。そして何より、丸太のように太い腕に、深い海を思わせる青色の石が埋め込まれた石棒が握られているのが目を引いた
「やはりというか、見たことのない魔物だ。マヤちゃん、君は知っているか?」
「ううん、私も知らない。だけど、体格的には多分オークの仲間じゃないかな?」
目の前の魔物が何者かは分からないものの、二足歩行で人に近い骨格をしていることから、マヤはオークの近縁種ではないかと推測した。
「だとすると厄介だな。あの種は魔物の中では高い知能を持っている。それにニヴルレオを凍らせたのが奴だとすれば、恐らくかなり強力な水属性の魔術を使って来るはず。ここはまず――」
「ヴオオオオオオ!」
リューテが話し終えるよりも先に、魔物は地の底から這い出るような低い雄叫びを上げながら石棒を振りかざす。すると、石棒にはめ込まれている青色の石が淡く光り、ケントたちの頭上に巨大な氷の塊が形作られた。
「なっ、まさか……!?」
「全員、前へ出るんだ!」
リューテの指示を聞いて、ケントたちは一斉に前方に向かって駆け出す。それと同時に先程まで彼らの頭上にあった氷塊が落下し、出入口を塞いでしまった。
「くっ、退路を塞がれたか……」
「俺たちを逃がさないつもりか。こいつ、かなり好戦的な魔物みたいだな」
魔物とて生物であり、無用に命を危険に晒すような真似はしない。しかしこの魔物は、始めからわざわざケントたちの逃げ道を潰し、自分と戦うように仕向けた。どうやら、自分の縄張りに踏みいった侵入者を許さず、確実に仕留めるつもりのようだった。
「こうなっては奴を倒すほかないな。皆、覚悟を決めてくれ」
目の前の魔物は既に臨戦態勢で、いつ攻撃を仕掛けてくるかも分からない。これでは目の前の魔物に対処しつつ氷を壊す余裕はないと、リューテはそう考えた。
「いつも通り、ワタシが行きますか?」
「いえ、相手は少なくとも魔術を使えると見て間違いありません。となれば、迂闊に接近するのは危険です。ここはまず私が……」
ニュクスは他の仲間の一歩前に踏み出すと、敵に目掛けて数本のナイフを投げる。
「(さて、どうします? 避けるか、それとも魔術で防ぐか……)」
「オオッ!」
これに対して、魔物は右手に持っている石棒を一振して、飛来してくるナイフを全て打ち落とした。
「(普通に防いだ。あの程度なら魔術を使うまでもないということですか……)」
「ウウウ……」
続けて魔物は、おもむろに石棒を両手で掲げる。すると次の瞬間、石棒にはめ込まれている青色の石がまたもや淡い光を帯び始めた。
「あいつ、何かする気だ!」
「エルナちゃん、マヤちゃん! 攻撃を!」
「ええ!」
敵は明らかに魔術を発動しようとしており、すぐに食い止めなければ取り返しのつかない事態になりかねない。そうなる前に、エルナとマヤが妨害のための攻撃を行う。
「はあっ!」
「≪石弾≫!」
二人の放った矢と魔術が、魔物目掛けて飛んでいく。威力は控えめだが、それでも直撃すれば魔術を阻止することは出来る攻撃――そのはずだった。
「……え?」
なんと二人の攻撃は、魔物の身体に命中する前に凍り付き、そして消滅してしまった。
「一体何が……」
「うおりゃあああっ!」
それと同時に、ソニアが魔物の懐に飛び込むと、クローをはめた腕を振り上げて渾身の一撃を見舞おうとする。しかし彼女の武器もまた、敵の身体に触れた途端にたちまち凍り付き、そして先端からボロボロと砕けてしまった。
「なっ!?」
「オオオッ!」
魔物はここぞとばかりに、ソニアを叩き潰そうと手にした石棒を振り上げる。
「ぐっ……!」
上段に構えてからそのまま真っ直ぐ振り下ろすだけの、その気になればカウンターも狙えるくらい単調な攻撃。しかし敵の攻撃の正体が掴めないため迂闊な反撃は出来ず、ソニアは自分の頭上に迫り来る石棒を躱して、ケントたちの元まで後退した。
「ソニアちゃん、無事か!?」
「ワタシは大丈夫です。ただ、武器が砕けてしまいました……」
ソニアはようやく手に馴染み始めていた自分の武器の、変わり果てた姿を悲しそうに見つめる。
かつて相対した変異種ヴィルトボアの牙を加工して作った、鉄にも引けをとらない硬度を持つクロー。それがまるでガラス細工のように容易く砕けてしまっていた。
「あいつ、何をしたんだ?」
「恐らくだが、奴の周囲の物質や魔力を凍らせて無力化する。そういった類いの魔術か?」
エルナ・マヤ・ソニアの三人の攻撃が全て凍らされたことから、リューテはそのように分析した。
そこで、試しにエルナがもう一度魔物に矢を射掛けてみる。すると、やはり矢は魔物に届く前に凍てつき、そして消滅した。
「駄目ね。やっぱり半端な攻撃じゃ、あの魔物に届く前に凍らされるわ」
「となると、ちょっとやそっとじゃ凍らないような、出来る限りでかい一撃を叩き込むしかないな。マヤの上級魔術なら、あいつにも通用するか?」
「うん、いけるはずだよ。だから皆は、しばらく時間を稼いで!」
そこまで言うとマヤは杖を構え、魔力を練って魔術を唱える準備を始める。
「ひとまず方針は定まりましたが、問題はどう時間を稼ぐかですね」
「そうだな。あいつの魔術はソニアの武器すら防いで壊すくらい強力だ。接近戦が難しいとなるととても……」
「いや、どんな技にも必ず弱点はある。私の火の魔力とこの剣ならば、凍らされることなく奴を斬れるはずだ」
そこで名乗りあげたのは、リューテだった。彼女は氷を溶かす火の魔力に、魔力を増幅するミスリルの剣を持っている。その事を踏まえると、目の前の魔物とまともに戦えるのは彼女だけだった。
「君たちはここで待機だ。万が一奴がマヤちゃんを狙ったら、魔力を練るのを妨害されないよう守ってほしい」
「……分かった。こっちは任せてくれ」
「よし。では……行くぞ!」
リューテは剣を抜くと、勇ましい足取りで魔物に向かって行く。そんな彼女の背中を見て、エルナは弓を持つ拳をきつく握ってこう呟いた。
「……悔しいわね。リューテさんだけに一番危険な役割を任せて、ここで見てるしか出来ないなんて」
「正直、今回ばかりは役に立てそうにありません。ワタシたちも、強くなってるはずなのに……」
「そうだな。だけど、今は自分の役目を全うしよう。悔やむのはその後だ」
この数ヶ月間、彼らは大きく力を付けてCランクの冒険者と認められるまでに成長した。しかしいざ調査依頼を受けて未知の魔物との戦闘になってみると、あまり戦力になれず、結果としてリューテやマヤに大きく依存することとなっている。そのことに、四人はまだまだ力不足を痛感せざるを得ないと、歯がゆさを感じていた。
しかし今は戦いの最中で、雑念に心を乱されている余裕などない。ケントたちは気を取り直すと魔物を真っ直ぐに見据え、盾となるようにマヤの正面に立った。
「はああああっ!」
その一方で、リューテは魔物との交戦を始めていた。
「(思った通りだ。やはり火の魔力とミスリルの剣の組み合わせなら、簡単には凍らない!)」
火の魔力ならば対抗出来るという読みは正しく、ソニアの時とは違って剣が敵の石棒に触れても全く凍る気配がない。戦局は彼女に有利に動いていた。
やがて思うように戦いを進められないことに業を煮やしたのか、魔物は渾身の一撃を見舞おうと、武器を大きく振り上げる。
「そこだ!」
その隙だらけの予備動作を、リューテは見逃さない。敵が石棒を振り下ろした瞬間、その側面に剣を叩き付けてから、滑らせるようにして攻撃を受け流す。
そして、体勢を崩したところで、素早く脇腹の部分を切りつけた。
「(入った。だが、浅いか)」
切った部分から血が滲み、足を伝って地面を赤く染めるも、決定打には程遠い。もう一度攻撃を加えようと、リューテは一度距離を取ってから剣を構え直す。
――その時だった。
「くっ、何だ? やけに寒気が……」
リューテは異様な寒さを感じたようで、剣を持つ手をカタカタと震わせる。
「何か嫌な感じがする。ここはマヤちゃんの魔術を待たずに、私が倒すくらいのつもりでいかなければ」
幸い攻撃自体は通用するため、致命的な一撃さえ与えればそれも不可能ではない。リューテは再び剣に炎を纏わせ、魔物に切りかかる。対する魔物もそれを迎え撃とうと、石棒を高くかざす。すると、いくつもの小さな氷塊が魔物の周囲に現れ、リューテ目掛けて飛んでいった。
「この程度!」
リューテは剣を横に薙いで自らに向かってくる全ての氷塊を炎で消滅させ、そのまま足を止めることなく敵の元まで駆けていく。
「はああああっ!」
そして攻撃が当たる距離まで肉薄したところで剣を振り上げ、渾身の力で振り下ろす。魔物はそれを、石棒で普通に受け止めた。
「何っ!?」
その瞬間、剣から発せられる炎の勢いが、じわじわと弱まっていった。その光景を見て、リューテは驚愕する。
「(馬鹿な、私の炎が押され始めているだと? 一体何が……)」
すると彼女の身体を、再び異様なまでの寒気が襲う。まるで身体の内側を這い上がるかのような悪寒。そこでリューテはある一つの考えに至り、一度魔物から距離を取った。
「まさか、奴の魔術は時間が経つにつれて強くなっていくものなのか? ならばこの寒さは気のせいではない……っ!?」
リューテはあることに気付いてハッとなり、慌てて後方にいるケントたちの方に振り返る。
「まずい! 皆は!?」
仮にこの寒さが部屋全体を覆っているのだとしたら、他の仲間もただでは済まない。そして最悪なことに、その予感は的中していた。
「さ、寒い……何なの、これ……?」
「このままでは凍死してしまいます。早く、何とかしなければ……」
「マヤ、魔術の詠唱は……」
「だ、駄目。寒すぎて、これじゃうまく魔力を練られない……」
寒さは既に防寒具程度でどうにかなるようなものではなくなっており、ケントたちは最早武器を握ることすらままならなくなっていた。
そして肝心のマヤも集中力を乱され、魔力を練ることが出来なくなってしまっていた。
「オオオオッ!」
魔物は好機とばかりに、リューテに向かって石棒を振り下ろして襲いかかる。リューテはそれを、剣を使って真っ向から受け止めた。
「……何っ!?」
その瞬間、剣を纏う炎は先程よりも急速に弱まっていく。時間と共に強くなっていく魔物の魔術は、ついに魔力を増幅させるミスリルの武器であっても防げなくなっていた。
「くっ……うおおおおおっ!」
リューテは持てる力を振り絞って剣に魔力を込める。それにより剣を覆う炎が一時的に大きくなったことで魔物を退かせることは出来たものの、彼女も既に寒さにあてられて限界だった。
「はあっ、はあっ……何という……魔術だ。武器はもっても、これでは私自身がもたない……」
「駄目……もう、意識が……」
「……くそっ、こうなったら!」
万事休す。その言葉が頭をよぎったケントは、意を決してマヤの元まで駆け寄っていく。
「お、お兄ちゃん……?」
「マヤ、顔を上げてくれ。ここは俺の力で切り抜ける!」
ケントはマヤの肩を掴むと、膝を曲げて身長を合わせてからそっと唇を重ねる。普段はもう少し躊躇うものだが、この時ばかりは迷っている暇はなかった。
「どうだ、マヤ?」
「……その力、やっぱり凄いね。さっきまでの寒さが、嘘みたいに無くなっちゃった。それに、魔力もみなぎってきてる。これなら……」
ケントの力によって完全に調子を取り戻したマヤは、再び杖を構え直すと即座に魔術の詠唱に入る。
「豪放たる始原の破壊者よ。歩みを阻む焦熱の刻印。青天鎖す紅蓮の檻。燐烈煌々、赫灼の果て。集いて瞬き、灰と為せ」
そしてそこまで唱え終えると、一呼吸置いてからその魔術の名前を口にした。
「≪燼滅の炎獄≫!」
その時だった。魔物を中心とした巨大な魔法陣が地面に出現し、その外周部分から八本の火柱が巻き起こる。火柱は猛烈な勢いで魔物のいる中央へと向かっていき、そして完全に集束した瞬間、一本の巨大な火柱となって魔物の身体を完全に覆い隠した。
「ゴオオオオオ!」
敵の凍らせる力がいかに強力であろうと、火属性の上級魔術にケントの力による強化まで加わればなす術はない。火柱の勢いはいささかも衰えることを知らず、生き物のように魔物を飲み込みながらうねりを上げて舞い上がるその光景は、まさに地獄の業火とでもいうべき様相を呈していた。
やがて魔術が効力を失って消滅すると、そこには原形が分からないほどに全身が黒焦げになった哀れな魔物の姿があった。
「……やったのか?」
「ああ。あれだけ強力な魔術をまともに食らったんだ。それに何より、先程までの異様な寒さが薄れてきている。まず即死と見ていいだろう」
気付けば辺りの気温は段々と元に戻っていき、十数秒が経過したところで防寒具一つで耐えられる程度の、本来の気温まで落ち着いていく。
「危なかったわ。まさか、周囲の気温を下げる力を持つ魔物がいるなんて……」
「下手すれば全滅もあり得た。間違いなくBランク級の魔物だったな……」
六人全員でかかってもなお、ケントの力が無ければ勝利を掴みとることは出来なかった。Cランク以下の魔物とは別次元の強さを目の当たりにして、彼らは生き残ったという安心以上に今後も戦っていけるのかという不安を感じずにはいられなかった。
「……ん? あれは……」
そこで、ケントは黒こげになった魔物の側に何かが落ちているのを見つけて、やや急いだような足取りでその場所まで拾いに行く。それを見た他の仲間も、彼の後を追いかけた。
「ケント、どうしたの?」
「いや、何か落ちてるなと思って」
ケントは落ちていた物を手に取ると、天井に向かってかざしてみる。それは魔物の武器にはめ込まれていた、青色の石だった。
「この石、たしか魔物が持ってた武器に埋まってた物だよな。あんな凄い魔術に巻き込まれたってのに、無事だったのか」
「お兄ちゃん。その石、ちょっと私に見せてくれる?」
「うん? いいぞ、ほら」
ケントが持っている石をマヤに差し出すと、彼女はそれを色々な角度からまじまじと眺める。そして少ししてから、驚いたような表情を浮かべてこう呟いた。
「……やっぱり、これってサファイアだ」
「サファイアって、宝石の?」
「うん。この魔物が魔術を使った時にこの石が光ってたのを見て、もしかしたらって思ったんだ。サファイアには水属性の魔力を増幅させる性質があるから」
「へえ、そうなのか。じゃあ、この魔物の魔術がやたら強かったのも、この石があったからってことか」
ケントのその言葉を聞いて、マヤはきょとんとした顔をする。
「そうなのかって、お兄ちゃん、サファイアを知ってるのにどうしてその事は知らないの?」
「え? いや、どうしてって言われてもな。それにサファイアなんて、別に誰でも知ってる有名な宝石だろ?」
「…………え?」
ケントがそう言い放つと、彼らの間にまるで幽霊でも通ったかのような、しんとした静寂が流れる。そんな気まずい沈黙を破るように、エルナが困惑したような愛想笑いを浮かべつつ口を開いた。
「えっと、ケント? 私はサファイアなんて、見たことも聞いたこともないわよ?」
「……へ?」
「私も、聞いたことがありませんね。これまでの話から察するに、かなり希少価値の高い石であることは間違い無さそうですが」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
自分が知ってて当然だと思っていたことが、全くそんなことはなかった。まさかの事態にケントは動揺するも、そこであることを思い出してソニアの方を見る。
「ソニア。お前が住んでたノトスって、色んな鉱石が採れる街だっただろ? だったら、サファイアを知ってるんじゃないか?」
「いえ、知りませんねえ。少なくとも、ノトスでサファイアなんて名前の石が採れたなんて話は聞いたことが無いですし」
「それもそのはずだよ。だって、サファイアが採れるのってここ、ボレアスだけだもん」
すると、ノトスが話題に上がったことでふと昔の記憶を思い起こしたようで、リューテも会話に混ざり始めた。
「そういえば、何年か前に商人の護衛の依頼を受けてノトスに行った時に聞いたことがあるな。あの街の鉱山には、火属性の魔力を増幅させるかなり珍しい赤色の石があって、ミスリルよりも高値で取引されてるとか。あれも、サファイアと同じ類いの石ということか」
「あ、それなら聞いたことがありますよ! えーっと、何て名前でしたっけ……?」
「……なあ。もしかしてだけど、ルビーって名前だったりしないか?」
ケントがそう問い掛けた瞬間、マヤはとうとう返答に窮したようで、得も言われぬ曖昧な笑みを浮かべてこう答えた。
「あはは……お兄ちゃん、その通りだよ」
「あー、やっぱりそうなんだな……」
サファイアの話をしているところに赤色の石と聞き、即座にルビーを頭に思い浮かべた。だが、本来それらの石の名前はマヤのような魔術に関する事柄に精通している者や商人、石マニアでもなければ知り得ないことである。それを何故ケントが知っているのか、それでいて何故魔力を増幅させる性質については知らないのか。あまりにも謎が深すぎるためか誰も何も言えず、気付けば全員が無言になってしまっていた。
「うーん、どういうことなんだろ。石の名前は知ってるのに性質を知らないなんて、記憶喪失にしてもそんなことあるのかなあ」
「俺自身、何が何やらさっぱりだよ。自分のことながら、おかしなこともあるもんだ」
サファイアやルビーを知っているマヤからしても、それらの石を知らないエルナたちからしても、ケントの知識はあまりにもちぐはぐであったため、いたずらに混乱を招くこととなった。しかし、本人も分かっていない以上考えても詮無きことだと、彼らはここで話を切り上げる。
「まあ何にせよだ。とりあえずこいつは持ち帰ろう。ロロアさんに見せれば、もしかしたらこの魔物について何か分かるかもしれないしな」
「ふむ、そうだな。では、街へ戻るとしようか」
そして再び隊列を整えると、一際静かになった洞窟を引き返していった。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。
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