交戦、エントドレイク
それから二時間、ケントたちは途中の平原を魔物に襲われないよう警戒しながら抜けて行き、そしてついに依頼にあった森へと到着した。
「この森の中にいるらしいけど、どこにいるのかしら?」
「割りと大きな魔物みたいだし、入り口の近くにはいなさそうだな。もっと奥の方の、開けた場所を探そう」
この森には冒険者が魔物の討伐のためにしばしば訪れるため、すぐに見つかるような場所に魔物は潜んでいない。そこでケントたち一行はどこかにいるであろうエントドレイクを探すため、森の更に奥へと進んでいった。
森の中は生い茂る植物の数々で鬱蒼としており、自然の息吹を飽きるほどに感じられた。四方八方どこを見ても草木に囲まれている代わり映えしない光景に方向感覚を狂わされそうになりながらも、彼らは目的の魔物を探して前へ前へと歩を進めていく。
そんな調子で更に歩き続けると、ケントたちは木があまり生えておらず、広範囲に渡って土が露出している開けた場所を発見した。
「あれは……」
そしてそこで何かを発見して、近くの茂みまで移動してから脚を止める。
それはケント二人分ほどの体長はある、四足歩行の巨大な生物だった。胴体の部分は何枚もの分厚い樹の皮のようなもので覆われており、さながら大樹のような佇まいだった。
「ギルドの資料に載ってた絵と同じ姿……間違いないわ。あれがエントドレイクね」
「あれが龍か、たしかに強そうだな。だけど、あいつを倒せばCランクに昇格出来るんだ。ここは気合いを入れて――」
その時だった。エントドレイクがケントたちが潜伏している茂みの方向に振り向いたかと思うと、まるで大地を割って這い出るかのように低く、重厚な咆哮を響かせた。
「ゴオオオオオォ!」
「くそっ、気付かれてたのか。思ったより感が鋭いな」
こうなってはいち早く動いて先手を打つ他ない。ケントたちはエントドレイクの正面に立つと、武器を構えて戦闘態勢に入った。
「それじゃあ作戦通り、まずはワタシが様子を見てきましょう」
まずはソニアが、自身の武器であるクローを手にはめてから一歩前に出る。
「いいか、ソニア。あいつの攻撃手段は資料を読んで少しは分かってるとはいえ、実際に見るのはこれが初めてだ。少しでも危ないと思ったらすぐに下がれ」
「はい、了解です……はああっ!」
ソニアは両足でしっかりと地面を踏みしめて身を屈めると、勢いをつけて真っ直ぐ敵に突っ込んでいく。
「ゴオオオオオォ!」
しかし、敵も呆然とこれを待ち受けたりはしない。
エントドレイクが吼えると同時に、身体を覆う樹皮から形も大きさも違ういくつもの鋭い枝がペキペキとでもいうような音を立てて伸び始める。そして、それは一斉にソニアに目掛けて放たれた。
「っと……!」
そのまま突っ込んでは木の針に全身を刺されてしまう。そう判断したソニアは素早く横転して攻撃を躱す。そして、二撃目が来る前にケントたちの元まで後退した。
「今の攻撃、思っていたより早かったですねえ。あともう少し反応が遅れていたら、危ないところでした」
「鈍重なのは見た目だけってことか。どうやら、大きな隙を作らないと接近戦はまともに仕掛けられそうにないな」
挙動自体は緩慢なものの攻撃は機敏かつ正確で、簡単には近付く隙を与えさせてくれない。何より、目の前の敵はまだ手の内の一つを見せたに過ぎず、他の攻撃にも警戒する必要があった。
「であれば、もう少しあの魔物の攻撃パターンを見極めた方がいいですね。次は私たち全員で攻撃してみましょう」
「それなら、私とニュクスで敵を引き付けるわ。二人はいけると思ったら近付いて攻撃して!」
そう言い終えるのと同時に、エルナは敵に目掛けて風属性の魔法矢を何発か撃ち込む。
「ゴオオオオオッ!」
しかし、これに対しても敵は即座に対応する。
エントドレイクが再び咆哮すると、今度は身体を覆っている樹皮が一回り大きくなる。そして、どうやら硬度も上がっているようで、エルナの矢は刺さったもののまるでびくともしていない様子だった。
「固い……!」
「それならばこれで!」
硬質化したのは樹皮に覆われた身体の部分だけで、頭の方は何も変わっていない。ならば≪麻痺≫で動けなくしてから、急所や眼のような柔らかい場所を狙って攻撃する。対魔物における、ニュクスの常套戦法だった。
しかし、その目論見はあえなく阻止される。
「なっ、効いてない……!?」
エントドレイクは身を少しだけ捩って、飛んできたナイフを樹皮で受け止める。本来ならばこれで痺れて動けなくなるはずなのだが、目の前の魔物は何事もなかったかのようにのしのしと動いていた。
かつて相対した、Cランクでも最上位クラスの魔物であるマンティコアですら、ほんの数秒程度ではあるが動きを止められた。そして目の前の魔物はそのマンティコアよりは弱く、であれば効果があるはずだと踏んでおり、それだけにニュクスは驚きを隠せずにいた。
「ソニア!」
「はい!」
敵がエルナとニュクスに気を取られているうちに、ケントとソニアが息を合わせて接近して攻撃を仕掛ける。しかし、切れ味の鋭い二人の武器であっても結果は奮わず、ただ樹皮の表面を削るのみだった。
「駄目だ、俺たちの攻撃も通らない……」
反撃が来る前に、ケントとソニアは急いでその場を離れる。そして、次の動きを考えるために四人で集合した。
「どうやらあの状態になると、凄まじく固くなるみたいですね。それに、≪麻痺≫も通じていなかった。恐らくですが、初級程度の魔術なら遮断することが出来るのでしょう」
「だけどあの防御も、さっきの木の枝を飛ばす攻撃も、恐らく魔術の類いだ。であれば、同時には使えないはず。もう一度皆で攻撃して、あいつに防御に集中させよう。そうすれば――」
「ゴオアアアアアアッ!」
ケントたちが次の作戦を練っていると、エントドレイクが突如としてこれまでにない、まるで大気を震わすかのような低い雄叫びを周囲の森に轟かせた。
「な、なんだ……?」
何か恐ろしいことをしようとしている。ケントたちはそれを理屈ではなく肌で感じて警戒する。そして次の瞬間、いくつもの数の長くて太い枝がエントドレイクの樹皮から生え、四人に襲い掛かってきた。
「これは……まさか私たちを捕らえて……!」
「くっ……エルナ、俺の後ろに!」
一本、また一本と絡まってくる枝を、ニュクスは素早くダガーで切断する。ケントは弓で手が塞がっているエルナを庇うようにして、迫ってくる枝を片っ端から切り伏せた。
「うぐぐぐ……どりゃあっ!」
ソニアは自分に向かって伸びてくる枝を掴んでは、力ずくで次々とへし折っていく。
切れども折れども自分たちに目掛けて伸び続ける何本もの枝に誰もが手こずっている、その時だった。
「皆、あの魔物を見て!」
エルナがエントドレイクの方向を指差す。見るとエントドレイクを覆う全身の樹皮が、まるで光を集めているかのようにまばゆく輝いていた。
「あれはまずい……!」
それを見てケントは、すぐにエントドレイクが何をしてくるかを悟る。そして枝による猛攻が収まるとすぐに、全員に指示を出した。
「みんな、すぐに離れろおおお!」
そう叫んだ直後、エントドレイクは口を開け、そこから自分の頭ほどもある太さの光線を放った。それは見てから回避行動を取るのでは間に合わないほどの速度で真っ直ぐに飛んでいき、ケントたちのいる場所に着弾すると轟音と共に砂煙を巻き上げながら消えていく。
「ぐっ……」
やがて砂煙が晴れると、そこにはよろよろと立ち上がるケントたちの姿があった。どうやら早めに敵の攻撃を察知出来たお陰で辛うじて回避が間に合ったようで、全員が擦り傷程度で済んでいた。
「なんて威力なの……まともに食らってたらひとたまりもなかったわ……」
「俺たちのこれからの戦いは、こんなのが当たり前になるのか……っ!」
そこまで言うと、ケントは背中に焼けるような痛みが走るのを感じて、思わず前のめりになる。
「ケント!? あなた、怪我を……!」
「いや、大丈夫だ。皮膚の表面を掠っただけで、大した怪我じゃない」
エントドレイクが攻撃を放った瞬間、ケントは左方向に跳んで避けようとものの少しだけ踏み込みが浅く、紙一重で光線が背中を掠めてしまっていた。しかし怪我自体は比較的軽いため、ケントは痛みに若干顔を歪めながらも真っ直ぐに立ち上がり、敵を見据える。
するとエントドレイクは樹皮から何本もの枝を伸ばし、攻撃の予備動作に入った。
「また枝を飛ばす攻撃か! すぐに避けて――」
それから数秒もしないうちに、エントドレイクの身体から枝の棘が放たれる。しかし、ケントたちがこれを躱すのは容易なことだった。それというのも、枝の飛んでくる速度がかなり緩やかだったのだ。
「なんだ? 今の攻撃、さっきソニアに向けて撃った時には、もっと数が多くて早かったはずだ。それに、よく見ると枝も小さい。これは……」
敵の放った攻撃は最初の時のものよりも明らかに弱く、なんなら避けるまでもなく剣で叩き落とすことすら出来たと思える程である。大技を避けるために態勢を崩したケントたちに追撃を加える絶好の機会にどうしてこのような他愛のない攻撃をしたのか、その場にいる全員が疑問に考えていた。
「ケントさん。もしかするとですが……」
「ああ。どうやらさっきの攻撃、強力な分撃った後に反動があるみたいだな。なら……!」
今のエントドレイクは魔力を消耗したため、しばらくの間は大した攻撃はしてこない。攻めに転じるならばこのタイミングしかないと、四人は武器を構えて態勢を整える。
「皆、今が反撃のチャンスだ! まずは俺とソニアであいつを引き付けるから、二人は準備を頼む!」
「了解です」
「ええ、分かったわ!」
エントドレイクが樹の魔物だとギルドの資料で知った際、ケントたちはすぐに火が弱点になるだろうという考えに至った。よって火の魔術を扱えるリューテかマヤがいるのであれば話は簡単なのだが、今回は四人がCランクに上がるための昇格依頼であり、彼女たちは同行していない。そこで、彼らは二人がいなくとも火の魔術を行使するため、前日に市場である準備をしていた。
「行くぞ、ソニア!」
「はい!」
先程と同じように、ケントとソニアは二手に別れて接近する。対するエントドレイクはこれを迎え撃つため、樹皮を大きくして硬質化させる、防御の魔術を発動した。
消耗している状態でも防御力だけは健在のようで、二人の攻撃はまたもや鋼鉄のように硬い樹皮に防がれる。
「よし、これでもう攻撃系の技は使ってこないはず。後はどうにか隙を作れば……」
しかし、それは二人の計算のうちである。樹皮を利用した攻撃が出来ないこの状況では、精々巨体を生かした物理的な攻撃くらいしかエントドレイクには出来ない。そしてその予想通り、エントドレイクは前脚を振り上げると、それを勢いよく地面に振り下ろした。
さながら巨大な鉄槌のように重厚感のある、渾身の一撃。しかし、振り下ろされた前脚には何の手ごたえもなく、ただ虚しく地面を打ち鳴らすのみだった。
「ソニア、ここだ!」
「はい!」
そして、二人は素早く懐から何かを取り出し、それをエントドレイクの背中目掛けて全力で叩き付ける。それは、油の入った瓶だった。瓶は粉々に割れ、中身の油が背中一面に広がって樹皮に染み込んでいく。
「二人とも、今だ!」
「はい!」
「ええ、分かったわ!」
ケントとソニアが急いでその場を離れたのを見て、エルナとニュクスもまた、懐から不思議な模様の書かれた小さな紙のようなものを取り出す。
これは魔符と呼ばれるもので、武器に張り付けてから魔力を通すと、しばらくの間その魔力の属性を魔符の属性に変換するという道具である。
ケントたちは下準備のために市場を訪れた際、たまたまこれが売られているのを発見し、この戦いで役立つだろうと判断して二枚だけ購入した。そして、離れた場所から攻撃出来るエルナとニュクスに持たせていたのだ。
「うん、ちゃんと火の魔力になってる。これなら……」
二人は自分の武器がしっかりと本来の属性から火属性に変わっていることを確認してから、エントドレイク目掛けて同時に攻撃した。そしてエルナの矢とニュクスのナイフが敵の巨大な体躯に刺さった次の瞬間。火属性による攻撃が油に引火し、その全身がたちまち燃え盛る炎に包まれた。
「ゴアアアアアアアアッ!」
「よーし、決まりました! これなら……」
「……!? いや、待て!」
これで終わりかと思ったその時、エントドレイクの身体を覆っていた樹皮が一枚、また一枚と、まるでかさぶたの様にボロボロと剥がれ落ちていく。
「まさか、身体から生えている樹皮を、自分で切り離したのか……?」
これはエントドレイクという種が持つ、生存のための特性である。何らかの要因で樹皮に火の手が回り、かつ近くに川の水などの消火手段がない場合、エントドレイクはこうしてトカゲの尻尾のように自ら樹皮を身体から切り離すのだ。
やがて周囲に落ちた樹皮が燃え尽きて無くなると、エントドレイクはよろよろとした足取りでケントたちに向き直る。黒焦げになることだけは免れたものの、生身の肉体の方も炎によって著しく損傷しており、最早脚で身体を支えることすらままならないという様子だった。
「本当に、今までの魔物とは訳が違うわね。完全に弱点を突いたはずなのに、決めきれないなんて……」
「ですが、あの魔物はこれまであの樹皮を通して魔術を使っていました。であればあれは自分の身を守るためにやむを得なかった、言わば最終手段のはず」
「つまりあいつは今、魔術を使えないってことですか?」
「ああ、そう見てもいいだろうな」
事実、敵の攻撃は巨体を生かしての踏みつけ以外は全て樹皮を介したものだった。それを封じた今、戦いの趨勢はケントたちの方へと大幅に傾いている。
「行こう! あともう少しだ!」
ここまで来れば勝利は目前である。ケントたちは一気呵成に攻撃を仕掛け、各々が持つ自慢の武器で敵の身体を斬り、撃ち抜き、殴り、確実に損傷を与えていく。
「ガ、アアアアア……ッ!」
エントドレイクには最早まともに反撃するだけの力も残されてはいない。しかし、それでもこの魔物は龍である。コボルトやコヨーテのようなDランク以下の獣型魔物とは決定的に違う、海の様に深く果てしない生への執着があった。
そして、エントドレイクはわずかに残った灯火ほどの生命力を振り絞り、前脚を上げて目の前に立っていたソニアを踏み潰そうとした。
「ふっ!」
しかし、そのような瀕死の身体から繰り広げられた隙だらけな動きを、ソニアは見逃さない。エントドレイクが前脚を振り下ろした瞬間、彼女は持ち前の動体視力と身体能力でこれを回避し、両脚が地面を打ち鳴らすより早く敵の顎を打ち抜いた。
この上なく綺麗なカウンターを食らったエントドレイクは一溜まりもなく、短い呻き声を上げて仰向けに地面に倒れ伏した。
「ケントさん!」
「よし、後は任せてくれ」
最後はただ、一思いに息の根を止めるだけである。
そしてその役目は四人の中で最も切れ味がよく、かつ心臓まで確実に到達する長めの武器を持っているケントが適任だった。
「これで……終わりだ!」
剣の切っ先をエントドレイクの左胸に向けると、ケントは勢いよくそれを突き立てる。それから時間にして三秒にも満たない静寂の後、ケントは手応えを感じて敵の身体から剣を引き抜く。そこに残されたのは、樹皮のみならずとうとう命までもが燃え尽きた、一匹の龍の姿だった。
リューテとマヤの助力はなく、ケントは例の力を使えないという条件下の厳しい戦いを制し、四人は遂に昇格依頼を達成した。
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