目醒めのキス Ⅱ
「はっ……はっ……」
二人の距離はやや開いてはいたものの、ケントが比較的迅速に水に飛び込む判断をしたため、追いつくのにそこまで長く時間は掛からなかった。
「よしっ!」
ケントはエルナの腕を掴むと自分の肩に回して、そのまま残る体力を振り絞るようにして陸まで泳いでいった。
「はあっ、はあっ……」
そして陸に上がると、すぐにぐったりとしていたエルナを仰向けにして、地面に寝かせる。しかし、そこで彼はあることに気付いて愕然とした。
「エルナ……?」
エルナの表情が不自然なほどに青白くなっている。気を失った状態でずっと流されていったため、彼女は呼吸が止まってしまっていたのだ。
「エルナ、エルナッ!」
ケントは大声で彼女の名前を呼ぶ。しかし、当然返事はない。目の前にいる少女の命の灯火が今にも消えようとしているというこの状況に、ケントの心臓はまるで鼓動の音が口から漏れていると錯覚しそうになるほどに早鳴っていた。
「待て、落ち着け。違う、こういう時は……」
ケントは冷静さを取り戻すために、深呼吸をする。そして、エルナの左胸に耳を近づけた。
「良かった……まだ動いてる……」
彼女の心臓は「トクン、トクン」と、弱々しくはあるが確かに動いていた。だがそれも時間の問題で、このまま放っておけばいずれは活動を停止してしまう。
「呼吸が止まってからまだそこまでの時間は経っていない。ならば……」
ケントは左手でエルナの頭を固定してから、右手で顎を持ち上げた。
「よし、後は……」
そこでケントは、エルナの唇を見てから、少しだけ逡巡してしまう。だが、すぐにかぶりを振って雑念を取り払い、頭を押さえていた左手で彼女の鼻をつまんだ。
「ごめん、エルナっ!」
そして、深く息を吸ってから、自身の唇を彼女の唇に重ねて、ゆっくりと呼気を送り込んだ。その動作を都合三回繰り返した後、ケントは彼女から唇を離す。
――――その時だった。
「……っ!? 何だ!?」
彼女の身体がビクンと軽く跳ねたかと思うと、顔色が生気を取り戻したかのように急激に良くなっていった。それだけではない。少し前に木の枝に引っ掛かった際に負った腕や脚の傷も、みるみるうちに塞がっていった。
「な、何が起きているんだ……?」
明らかに人工呼吸によるものではない。ケントが目の前で起こっていることが理解できずに困惑していると、とうとうエルナが目を覚ました。
「うっ……ごほっ、ごほっ……! うぅ……」
飲み込んでいた川の水を吐き出すと、エルナはゆっくりと起き上がる。
「エルナ!」
ケントは彼女の両肩をがっしりと掴んで、身体を自分の正面に向けさせた。
「エルナ、俺が分かるか……!?」
「ケント……?」
「良かった……本当に、良かった……」
エルナが意識を取り戻したことが嬉しく、ケントは安堵のため息をつく。エルナは、そんな彼の腕にそっと触るとこう言った。
「ねえ、ケント。私、どうなってるの……?」
「え……?」
「なんだか、身体が熱いの……」
見ると、彼女の顔はそのことを示すように紅潮しており、視線も微妙に定まっていなかった。
「まさか、川に流されていたせいで風邪を……?」
「ううん、違う……熱いんだけど、嫌な熱さじゃないの。それになんだか、身体が軽い……」
すると、先程のコボルトの群れが再びケント達の前に現れた。どうやら、においを辿って二人を追いかけてきたようだった。
「……っ! あいつら、まだ追って来るのか……!」
ケントはエルナを守るために彼女の前に立とうとするが、不意に後ろから腕を掴まれる。
「……エルナ?」
「ケント、私の後ろに下がって」
エルナはそう言ってゆっくりと立ち上がったかと思うと、コボルトの群れに向けて弓を構え、魔力の矢を生成し始めた。
「待て、エルナ! あの数相手じゃ……って、え……?」
ケントは自分の目を疑った。今エルナが生成している矢は、先程の交戦で放ったのものよりも圧倒的に大きく、そしてまばゆい光を放っていたからだ。
「はああああああああああっ!」
そして、エルナが矢から指を離す。
――――次の瞬間だった。
放たれた矢が一瞬にして見えなくなったと思うと、大気を震わせるほどの轟音と共に烈風のような凄まじい衝撃波が巻き起こり、コボルトの群れが瞬く間に薙ぎ払われていった。しばらくすると、二人の周囲は本来の静寂を取り戻した。
「……え?」
「……え?」
ケントはもちろん、エルナでさえ何が起こったのかが分からず、二人は顔を見合わせる。
目が覚めたかと思えば身体中に力がみなぎっており、いざ矢を放ってみると思いがけない破壊力でコボルトの群れを一網打尽にした。あの女王ですらも、破壊の奔流とでもいうべき衝撃波をまともに受けて、全身を切り刻まれ肉体があらぬ方向に捻じ曲がって絶命していた。
「ねえ、ケント……私の身に、何が起きたの?」
「……いや、まさか、な……」
少し前にエルナに人工呼吸を施した際に、突然彼女の怪我が全て完治し、その直後に意識も取り戻した。そして、この凄まじいまでの一撃を繰り出した。であるならば、彼女の身に起こった変化の原因は間違いなく自分である。そう考え至るのは、彼にとってはそう難しいことではなかった。
「(もしかしてエルナが強くなったのは、俺がキスをしたからなのか……?)」
だがそんな心の声を伝えることは出来ず、ケントはエルナと共に目の前の光景を呆然と見つめていた。
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次回更新は10月20日の夕方ごろを予定しております。