セレノ村Ⅱ
「はあっ、はあっ……」
一方、エリオは一匹のコヨーテと向かい合いながら、じりじりと後ずさりをしていた。
少し前、エリオとエフィが両親の墓参りを終えてシスターの元に帰ろうとしたところ、村の囲いにぽっかりと空いた穴からコヨーテが入ってくるのを発見してしまった。
そこでエリオはエフィを先に逃がしつつ、助けを求めるように伝言を頼んだのだが、その間に運悪くコヨーテに見つかってしまったのである。
「……あ、あれは!」
そこでエリオがふと辺りを見回すと、近くの小屋の壁に手頃な棍棒が立て掛けてあるのが目に留まった。
エリオは素早くそれを手に取ると、ぎこちない所作でコヨーテに向かって振りかざした。
「く、くそっ、来るなら来い! お前なんて、怖くないぞ……!」
エリオは強がりから威勢のいい言葉を放つも、棍棒を握る手は震えており、目の前の魔物に対する恐れを隠しきれていないのが見てとれる。
そしてそんなことなどお構いなしに、コヨーテは後ろ足に力を込めるとエリオに目掛けて飛び掛かった。
「うわあああっ!」
応戦しようにもエリオには戦闘経験などなく、どうすればいいかも分からず目を閉じて、叫び声を上げながら闇雲に棍棒を振り回した。
仮に相手が強力な魔物であればこの時点でやられていても何ら不思議はない素人極まりない動き。しかし、一匹のコヨーテ程度であればまぐれも起こり得る。
「グルッ!?」
エリオががむしゃらに振り回した一発が偶然にもコヨーテの横面に直撃し、コヨーテはそのまま地面に叩き落とされた。しかし大したダメージにはなっておらず、コヨーテは何事もなかったかのようにゆっくりと起き上がる。
「はあっ、はあっ……え?」
エリオが目を開けたと同時に、コヨーテは彼から距離を取るようにして動く。どういうことかと不審に思っていると、その理由が間もなく判明した。
「う、嘘だろ……」
エリオが戦っている間に、もう一匹のコヨーテが仲間の元まで駆け付けていた。そして、二匹で連携して動くための態勢を整えたのだ。
「ひっ……!」
こうなってはもはや二度目の偶然は起こり得ない。エリオはすっかり戦意を喪失して、背を向けて逃げようとする。
「うわあっ!」
しかし慌てて走ろうとしたせいで、足がもつれて派手に転んでしまった。
「そ、そんな……」
すぐに立ち上がろうとするも、転び方が悪く足を挫いてしまったため、中々立つことが出来ない。そんな絶好の機会をむざむざと見逃すはずもなく、二匹のコヨーテは唸り声を上げると、エリオに同時に襲いかかった。
「う、うわあああああっ!」
絶体絶命の状況になす術もなく、エリオは頭を守るようにして身を丸くしてうずくまる。そんな彼に、今まさに全身を切り裂かんと鋭い爪が迫り来る。
――その時だった。
「エリオさん!」
すんでのところでニュクスが到着し、エリオを庇うために横から飛び込み、コヨーテとの間に割って入った。
「あ、あんたは……」
「ぐっ……何とか間に合いましたね……」
間一髪エリオは助けられたものの、どうやら彼を庇った際に背中を爪で引っ掻かれてしまったようで、三の字に切り裂かれた傷口からはじわじわと血が流れ出ていた。
「お怪我はありませんか?」
「そ、その、足を挫いて……」
「足を……そうですか」
エリオが足を負傷している以上先に逃がすことは出来ず、そうなればここで二匹とも討伐するほかない。今この時も再び攻撃の態勢に入ろうとしているコヨーテに応戦するべく、ニュクスは立ち上がる。
「でしたら、そこから絶対に動かないようにしてください。後は私が何とかしますから」
そして振り向き様にコヨーテに向かってナイフを投げて牽制すると、右手にダガーを構えて突っ込んでいった。対するコヨーテも飛んできたナイフを避けて、これを迎え撃とうとする。
しかし、ニュクスは既にコヨーテの連携を見切っていた。一匹のコヨーテの攻撃はギリギリで躱しつつすれ違い際に膝蹴りを叩き込んで吹っ飛ばし、続くもう一匹は攻撃を外した後に地面に着地する隙を突いて首にダガーを突き立てて絶命させた。
「これで――」
そして吹っ飛ばした方のコヨーテが起き上がろうとする隙に、持っていたダガーに≪麻痺≫を付与して投げようとした。
「痛っ……!?」
しかしその瞬間、ニュクスの背中に無数の針で刺されたかのような痛みが走る。どうやら今の戦闘で動きすぎたために、背中に付けられた傷が開いてしまったようだった。
「しまった……!」
それは耐え難いほどではないにせよ、集中力を乱すには十分な痛みで、ニュクスが放ったダガーは狙いが外れて地面に映るコヨーテの影を射貫いてしまった。そしてその隙を見逃すまいと、コヨーテが反撃に出る。
「(まずい……!)」
今から他のダガーを構えるのは間に合わない。万事休すとばかりに、ニュクスは目をつぶった。
「おおおおおっ!」
しかし、その時だった。
どこからか駆けつけてきたケントがニュクスとコヨーテの間に入り、剣の鞘を上手く使って目の前の獣の攻撃を受け止めた。そして体勢を崩して地面に転がるコヨーテに、すかさず剣で追撃する。最初の一振りで胴体を深く切りつけた後、続く二振り目で首筋に剣を突き立て、コヨーテは間もなく息絶えた。
「ケントさん!」
「ふう、間一髪だったな。にしてもこいつら、あの子が言うには囲いに空いてた穴から入ったって話だけど……」
ケントはエフィから聞いたコヨーテの侵入経路を探るため、村の囲いに目を向ける。
「……ああ、あそこだな」
すると一ヶ所だけ、野生動物くらいの大きさであれば通り抜けられそうな穴がぽっかりと空いているのが見つかった。さらにケントのいる場所からは見えないが、穴の近くにはコヨーテの足跡がはっきりと残っており、そこが村の守っているはずの囲いの脆弱性を明確に示していた。
「あの穴は後で村長に報告するとして……他にコヨーテはいないな?」
「ええ。この二匹だけです……っ!」
そこまで言うとニュクスは気が緩んだのか、背中の傷の痛みを思い出して顔をしかめる。
「ニュクス、怪我をしたのか!? すぐに手当てを……」
「私は大丈夫です。それよりもこの子をお願いできますか? どうやら、足を挫いてしまっているみたいで」
「あ、ああ。分かった」
ケントは剣を鞘に納めてから、挫いた方の足を労るようにして地べたに座るエリオを背負おうとする。
「お、俺も別に大丈夫だって!」
「空元気もほどほどにしておけ。ほら」
そして村の中央の、村人やシスターたちのいる場所へと戻っていった。
ケントが村長たちの元に戻ると、すぐにニュクスとエリオは村の診療所まで連れられて手当を受けた。
「二人を助けてくださり、本当にありがとうございます。あなたたちには、何とお礼を言ったらいいか……」
「ワシからも礼を言わせてくれ。あんたらがいなかったら、村の被害も大きくなっていたところじゃったからな」
「礼には及ばないさ。これが俺たちの仕事だからな」
「それにしても、あのような場所に穴が開いておったとは。このままではまた今日みたいなことにならんとも限らんし、これを機に村の守りを固め直しておかねばな」
それからケントは、少し休んだ後に作物を馬車に積み込む作業を手伝いながら、適当に時間を潰す。そしてしばらくすると二人の傷の手当ても完了し、ようやく帰還の準備が整った。
「村の皆さんも、ご協力ありがとうございました。お陰で、子供たちに美味しい食事を作ってあげられそうです」
「うむ。また作物の収穫期になったら、孤児院に手紙を出そう。子供たちが少しでも健やかに生きられるよう、ワシらも祈っておるよ」
シスターは村人たちにお辞儀をしてから、エリオとエフィを連れて馬車に乗り込む。最後にケントとニュクスの二人が乗席したところで、操縦士の男性が手綱を振って馬に走らせるための合図を送る。
複数の村人たちに見送られながら、ケントたちは王都への帰路を辿っていった。
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