消えぬ十字架
そして翌朝。ケントは目を覚ますと、いつものように身だしなみを整えてから寝起きらしいふわふわとした足取りで食卓のある居間に向かう。
その途中、ちょうど同じタイミングで部屋を出てきたニュクスと鉢合わせた。
「お、おはよう」
「おはようございます。ケントさん……」
二人は目が合うと共に目覚めの挨拶をするも、昨夜のやり取りが尾を引いているようで、何ともぎこちない様子だった。
それからは特に会話もなく、一階の居間に降りて先に食事の準備をしていたエルナを手伝いながら他の三人が降りてくるのを待つ。そして五分ほどが経過して全員が食事の席に着いたところで、ケントたちは目の前に並べられた朝食に手を着けた。
「ところでニュクスちゃん。昨日のことなんだが、どうだ? どちらにするかは決まったか?」
少しして、リューテは他の仲間の会話がある程度落ち着いたのを見計らってから、ニュクスにそのように尋ねた。
「……ええ。私も、異変の調査に参加しようと思います。あまり待たせるわけにもいきませんし。それにこれからも皆さんと共にいたいですから」
「ふむ……」
ニュクスが返答している間、リューテは彼女の言葉を聞きながらその目をじっと見つめていた。そしてその上で、彼女にこう返した。
「悪いが、それでは君の参加を認めるわけにはいかないな」
「なっ!? どうして……!?」
リューテの思いもよらぬ言葉に、ニュクスは動揺を隠せずにいた。
「ニュクスちゃん。これは昨日から感じていたことだが、今の君はどうにも迷いが多すぎるように私の目には映る。そのような状態では調査どころか、普通の依頼ですら支障が出てしまうぞ?」
「そ、それは……」
「君が何を悩んでいるのかまでは分からないが、少なくとも一人で抱え込むべきではない。もし、私たち全員に話すのが辛いのであれば、せめて君と特に親しいエルナちゃんやケント君に相談に乗ってもらう方がいいだろう」
すると、一連のやり取りを見ていたエルナが心配そうにニュクスに話しかける。
「ニュクス。何か悩みがあるなら、私が――」
「エルナ、ここは俺に任せてくれないか?」
そこで、ケントが横から名乗り出た。エルナはいきなりの申し出に驚いて、彼に顔を向ける。
「ケント?」
「実は色々訳あって、ニュクスの悩んでることに見当が付いてるんだ。だから、今一番ニュクスの力になれるのは、多分俺だと思う」
現状でニュクスが悩みを打ち明けられるほどに心を開いている相手はケントとエルナの二人だけで、そこはリューテの見立て通りである。そして、同じ部屋で寝ているはずのエルナが昨晩にニュクスがケントの部屋を訪ねたことを知らない様子であることを踏まえると、彼女の相談に乗るのは自分の方がより適任だと、ケントはそう考えた。
「ニュクスもそれでいいか?」
「え、ええ……」
ニュクスは首を縦に振って同意する。彼女としても、自身の胸の内を知るケントに協力してもらうのが一番気が楽だった。
「そう。それなら、あなたに任せるわ。だけど、私も力になるから、何かあったらいつでも頼ってね?」
「無論、私も協力は惜しまないつもりだ。君が話したくなった時は、いつでも遠慮せずに言ってくれ」
話がまとまったところで、ケントたちは会話もそこそこに食事へと集中する。そして食べ終わった者から食器を下げ、仕事の準備のために部屋へと戻っていった。
まだ不完全ではあるものの、今後の活動の方向性が定まった以上まずは各々が自分の為すべきことを為さねばならない。
リューテとマヤは先んじて異変の調査についての内容をギルドから聞き、エルナとソニアはCランクへの昇進を目指して行動する。
そんな中でケントとニュクスは他の仲間がギルドに行くのを見届けてから、二人で話をするべく先程まで食事をしていた席に再び腰掛けた。
「困りましたね。まさか、断られるとは思いませんでした」
リューテはケントたち六人の中では年長者で、冒険者としての経歴も一番長い。そのため、まとめ役として常に仲間に気を配っており、ニュクスが迷いを抱えていることも何となく察していた。
「なあ、ニュクス。昨日の夜、お前は命に代えてでも俺のことを守るって言ったよな? あれは本気か?」
「ええ、もちろん本気です。あなたとエルナさんには、返しても返しきれないくらいの恩がありますから」
奪われて騙されて、挙げ句の果てには人殺しにまで身を落とし、絶望の淵まで叩き落とされていた彼女を、ケントとエルナは手を差し伸べて引っ張り上げた。ニュクスにとってそんな二人は、命の恩人とでも言うべき存在だった。
「あー……気を悪くしないで聞いて欲しいんだけどさ、俺はそんなこと望んでないんだ」
そのように前置きしてから、ケントはこう続ける。
「確かに俺とエルナはお前のことを助けたけど、別にそれは借りってわけじゃない。だから、返す必要なんてないんだ。お前の命は、お前自身のために使って欲しいんだよ」
「人殺しの私にそのような資格はありませんよ。ですが、それでもせめてこの命は誰かのために使いたい。だからこそ、あなたやエルナさんが大切に思っているこの場所を守ると決めたんです。それに……」
自嘲するような笑みを浮かべながら、ニュクスは言葉を紡いだ。
「私の居場所はもう、ここ以外のどこにもありませんから」
「…………」
そんな彼女の表情を見て、さしものケントもどうすればいいのか分からず黙りこくってしまう。しかし、このままでいるわけにもいかないとすぐに気持ちを切り替えて、ニュクスにこう提案した。
「なあ、ニュクス。ちょっと外に出ないか?」
「それはまた急な話ですね。何のために?」
「このままここにいても、リューテが納得するだけの答えは出てこないと思ってな。だから気分転換も兼ねて、一緒に街を見て回らないか?」
唐突な提案に困惑しつつも、ニュクスは顎に手を添えてしばらく考えるような素振りを見せる。
「……ええ。ご一緒しましょう」
「よし! じゃあ、準備が終わったらすぐに行こう!」
何であれ次の目的が決まったところで、二人は席を立って自分の部屋に戻って外出の用意を始めた。
それから数分後、二人は準備を終えると家の門を開けて街へと繰り出す。街は既に多くの人の往来で溢れており、遊び回る子供から労働に勤しむ大人まで、あらゆる賑わいの形を見せていた。
ケントとニュクスはそんな街を気の向くままに練り歩く。仕事で使いそうな武器や道具を見て回り、どこからかやって来た旅の吟遊詩人の声に足を止め、時には胡散臭い露店の商人に呼び掛けられ、そうしているうちにすっかり昼が近くなっていた。
そして二人は休息のために、街の中心にある広場のベンチに並んで腰掛ける。
「この街はいつ見ても凄い活気だな。見てるだけでも楽しくなってくるよ」
「ええ。私も、少しですが気分が晴れました。ただ……」
「ただ?」
「結局、これからどうすればいいのかは、何も分からないままですね……」
ニュクスはやるせなさそうに脚の上で手を組むと、肩を落として俯く。外に出たものの未だ考えはまとまらず、現実に引き戻されて陰鬱とした気分が押し寄せていた。
「なあ、ニュクス。お前は自分が罪を犯したから、俺たち以外は誰も受け入れてはくれないって思ってるんじゃないか?」
「ええ、まあ」
「だから自分の命を賭してでも、俺たちがいるこの居場所を守ろうとしている。そうだな?」
「……はい、その通りです。やはり、ケントさんにはお見通しでしたか」
「これまで山ほどヒントを貰ったからな。それくらいは予想できるさ」
今のニュクスには罪悪感からくる、依存的で自罰的な自己犠牲の精神が根底にある。ここまでの彼女との会話から、ケントはそう読み取っていた。
「まあ、お前の過去を考えれば、そんな風に思うのも無理はないんだろうな」
彼もまた、初めはお金も力もなく、何より心から信用出来る人間もいなかった。その点だけで言えば、両親を失ってからのニュクスと同じ境遇である。そのため、初めての知り合いとなったエルナには当時はほとんど依存する形となっており、そういった過去も含めて彼女の心情に共感していた。
「だけどな、それは罪の意識がお前の目を曇らせてるだけじゃないかって、俺は思うんだ。お前の居場所はきっと、ここ以外にだってあるさ」
「……分かりませんね。どうしてそう言えるのですか?」
「単純な話だ。ちょっと周りを見てくれ」
ケントに言われて、ニュクスは辺りを見回す。
「たくさんの人がいるだろ? この全員がお前のことを拒絶するなんて、そんなことがあると思うか?」
「それは……分かりません。ですが人殺しなんて、普通は良い顔はされないものでしょう?」
「もちろん、中にはお前の過去を聞いたら警戒して距離を取ろうとする人もいるだろうさ。だけどな、世の中そんな人間ばかりじゃない。お前をただの人殺しじゃなくて、ニュクスっていう一人の人間として見てくれる人はいる。現に俺たちがそうだろ?」
確かにニュクスの経歴は、誰からも好意的に受け止められるようなものではない。しかし、少なくともケントたちは皆、彼女に嫌悪感を示すこともなく一人の仲間として見ている。それこそが彼女の自己嫌悪による思い込みに対する、紛れもない反証だった。
「それに居場所なんてひとまとめな言い方してるけど、実際のところ俺たちは生まれも育ちも、何なら種族すらバラバラな集まりだ。だけど、それでも皆お前の過去を知った上で、仲間として接している。それはつまり、お前を受け入れてくれる人間はどこにだっているってことじゃないか?」
ニュクスは過ちを犯したものの、そのために誰からも拒絶され、どこにも受け入れられないような人間ではない。性別や出身、身分や種族など関係なく、彼女を理解してくれる者は大勢いる。そのことをケントは伝えたかった。
「……本当に、そうなのでしょうか?」
「不安なら俺が保証してやる。例えこれから先、俺たちが離ればなれになることがあったとしても、お前は絶対に一人になんかならないし、道を踏み外すことだってないさ。だから、もう過去の罪に縛られて自分を追い詰めるな」
「…………」
いかにもケントらしい、屈託のない激励の言葉。それを聞いて、ニュクスはかつて助けられた時と同じ温かさを胸の内に覚えていた。
彼女はケントから顔を逸らすと、心の迷いを晴らすかのようにまぶたを閉じる。そして、おもむろに立ち上がってこう言った。
「……ケントさん。もう少しだけ、お時間をいただけますか? 今はまだ難しいですが、きっと自分の気持ちに整理をつけて、リューテさんが納得するだけの答えを出して見せますから」
「ああ、いつまでも待ってるよ」
たとえ歩みは小さくとも、確実に前進している。その実感を胸に、二人は帰路に着こうと歩きだす。そして広場から少し離れたところまで歩いた、その時だった。
「あ、あの……」
二人は自分たちを呼び止めたか細い声に振り向く。そこにいたのは、年齢にして七、八歳くらいに見える、痩せ細った幼い女の子だった。
「うん? 何だ?」
「これ、買ってくれませんか?」
そう言って少女は枝のように細い腕に握られている、何やら木彫りの人形のようなものをおずおずとケントに差し出した。
「これは、木を彫って作った……犬の人形か?」
「は、はい。私の兄が作ったもので……」
「へえ、良く出来てるじゃないか」
ケントはそのように言ったが、実際のところはそうでもない。造形は辛うじて犬だと分かるくらいに雑で彫りは粗く、売り物と呼ぶにはあまりにも不出来な代物だった。
「だけど君、まだ子供だろ? どうしてこんなことをしてるんだ?」
「そ、それはその……孤児院のために、お金を稼がないといけなくて……」
「孤児院? ってことは君は……」
「はい。お母さんもお父さんも、もう……」
「ああ、悪い! 嫌なことを思い出させちゃったよな?」
女の子が泣きそうな顔になったのを見て、ケントは慌てて話の軌道を修正する。
「お詫びって言っちゃなんだけどその人形、買わせてくれないか?」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。それで、いくらするんだ?」
ケントは人形の代金を支払うため、懐からお金の入った袋を取り出す。
「え、えっと……」
「……? どうした?」
「そ、その……ごめんなさい!」
女の子は突然謝ったかと思うと半歩後ずさる。すると、男の子が横から二人の間に割って入り、その袋を奪っていった。
「なっ……!?」
そして、そのままの勢いで人混みに向かって逃げていく。女の子の方もまた、その子供の後を追うようにして駆け出した。
「ケントさん! 見失う前に追わなければ!」
「あ、ああ! 分かってる!」
いきなりの出来事に呆気に取られたものの、見失わないうちに財布を取り返さなければならない。ケントはニュクスと共に急いで二人の子供を追いかけた。
「くそっ、待てガキ共!」
二人は子供らしい健脚ですれ違う人々を避けながら素早く逃げ回る。しかし、そこはケントたちも日頃から鍛えている冒険者であり、簡単には引き離されない。やがて、身体の大きさによる歩幅の差も相まって両者の距離は少しずつではあるが縮まっていく。
「ま、待って、お兄ちゃ……きゃっ!?」
すると、追いかけてくるケントたちから逃げ回っているうちに、女の子の方がつまずいて転んでしまった。
「エフィ!? 何やってんだ!」
財布を盗んだ男の子はその事に気付いて立ち止まり、エフィと呼んだ女の子に振り向く。
ケントはその隙に女の子に追い付くと倒れている所をそっと起こして、それからもう一人の子供に向かってこう言った。
「おい。この子を置き去りにして、自分だけ逃げるつもりか?」
「くそっ、卑怯だぞ! 妹を放せ!」
男の子は焦りと怒りが入り交じったような声でケントに向かって叫ぶ。財布を盗んだ方の子供は、どうやら女の子の兄のようだった。
「人の財布を盗むような奴に、卑怯だなんて言われる筋合いはないな」
「エリオお兄ちゃん、助けてぇ!」
「……何だか、これだと俺が悪者みたいに見えるな……」
実際はケントの方が被害者ではあるのだが、小さな女の子が泣きながら兄に助けを求めているその光景は端からすれば彼の方が悪者のように見え、何ともきまりが悪かった。
「何にせよ、妹を放して欲しければさっさと俺の財布を返せ」
「……くそっ!」
エリオと呼ばれた男の子はケントの元まで近付くと、しぶしぶ財布を突き出した。ケントはそれを受け取ったと同時に、彼の妹の肩から手を離す。
「うえええん! お兄ちゃーん!」
「もう少しだったのにドジ踏みやがって、エフィの馬鹿!」
「……はぁ」
ケントはため息を吐いてから、エリオに近付くとそのまま彼の頭に拳を落とした。
「いってえ! 何しやがんだ!」
「あのな、お前らは泥棒なんだぞ? 拳骨一発で済んだだけありがたいと思え」
ケントはそう言いながら膝を曲げ、詳しく話を聞くために二人の目線の高さまで腰を下ろした。
「それで、どうしてこんなことしたんだ?」
「決まってるだろ。金が欲しかったんだよ」
「だったら泥棒なんかしないで、素直にその木彫りの人形を売ればいいだろ」
「うるさい! こんなガラクタが売れるわけないだろ! あんたらだって、さっきは俺たちが孤児だってことに同情したから買おうとしただけなんだろ!?」
「いやまあ、確かにそうだけどさ……」
事実、もしその人形が子供の手ではなく普通の店に並んでいたとしたら、買うどころか興味を持ったかどうかすらも怪しい。微妙に痛いところを突かれたと、ケントは返答に窮してしまう。
「とにかく、お前たちをこのまま放っておくわけにもいかないから、孤児院まで案内してもらうぞ?」
「ふん、嫌だね。何でそんなことを……」
「そうか。だったら、お前の妹に案内してもらおうかな。この子なら、お前と違って素直に教えてくれそうだし」
ケントはそう言ってエフィの両肩に手を置く。彼女はまた人質みたいにされるのではないかと、不安げな表情を浮かべて兄の顔を見た。
「お、お兄ちゃん……」
「だーっ、もう! 分かったよ! 案内するよ! だから妹から離れてくれ!」
そしてようやく観念したのか、エリオはエフィの手を取って孤児院がある場所へと向かっていく。ケントとニュクスは、その小さな二つの背中に付いていった。
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