新たなる門出
そして翌朝、ケントは起床するとすぐに屋敷を出発するのに備えて武器などの荷物をまとめる。そして丁度準備を終えた頃、誰かが部屋の扉を叩いた。
「おはようございます、ケントさん」
「お、おはようございます……」
入ってきたのはニーナだった。二人は顔を合わせてから互いに挨拶を交わす。
「主人がこれから、昨日の話の続きをしたいとのことです。他の皆様には声をお掛けしましたので、あなたも主人の部屋まで来ていただけますか?」
「あっ、はい! すぐに準備します!」
「それと、もうひとつ……」
そこでニーナは、ケントに恭しく頭を下げた。
「昨日は大変申し訳ありませんでした。私たちの家の問題で、あなたには不快な思いをさせてしまいました。そのことを、主人に変わってお詫びいたします」
「え? えっと、ニーナさん……?」
思いもよらぬ謝罪の言葉に、ケントは困惑する。それからニーナは悲しげな表情を浮かべてこう続けた。
「あなたが主人に言ったことは、本来ならば私が言うべきことでした。ですが、出来なかったんです。あの人が自身の凡庸な才に苦しみながら、それでも先祖代々受け継がれてきた使命を真摯に全うしようとする姿を見てきたから」
魔術の才には恵まれず、父の代から魔術師団の一団員に成り下がったことで周囲からは冷ややかな目で見られようとも、ランベルトは決して腐ることなく自分の責務を全うしてきた。ニーナはそんな真面目で危うげな彼の姿をまだ婚約者だった頃から見てきており、それで妻として彼を支えていこうと決意していた。
「ですが、あなたは数日前、マヤが俺たちと一緒に街に出かけるのを認めるようランベルトさんに頼んでましたよね? あれは、あの人の意思に反していたのでは?」
「私としても、ただ厳しくするだけではあの娘にとって良くないのではと危惧しておりました。ですので、あの時のようになるべくあの娘の心が休まる時間を作るようにはしていたんです。ですが、その程度では不十分でした。たとえあの人と対立することになるのだとしても、私はもっとあの娘の味方をすべきでした。母として、自らの至らなさを恥じております」
ランベルトの理想を尊重し過ぎていたことで、マヤに対して十分な精神的ケアをしてあげられなかった。自分がもっと娘の側に寄り添うことが出来ていたならば問題がここまで大きくなることはなかったのではないかと、そのことをニーナは悔いていた。
「……どうか、頭を上げてください。俺のしたことだって、正しかった訳ではありませんから……」
仮にどのような正当性があったとしても、あのようなやり方では理解など得られようはずもない。ケントは自身の軽率さにすっかり意気消沈していた。
「先にあの人の所まで戻っていてください。準備が出来たら、俺もすぐに行きますので」
「はい。それでは、また後程」
ニーナは再びお辞儀をすると、そのまま部屋を出ていった。
それから少しして、ケントはニーナに言われた通りランベルトの部屋を訪ねる。部屋内には既に昨日の晩と同じように全員が集まっており、その中でマヤは父親が座っている長椅子の横に立ちながら、ケントや父のことを不安げに見守っていた。
「えっと、おはようございます……」
「うむ。では、そこに掛けるといい」
ケントが気まずそうに挨拶をすると、ランベルトは普段通り淡々とした口調でそう返す。
昨日の件が尾を引いていて機嫌が悪いのではないかと不安だったが、見る限りではそうでもなさそうだと。ケントは内心胸を撫で下ろしながら彼の正面の長椅子に腰掛けた。
「さて、早速だが昨晩の話の続きをしよう」
「あの、その前に昨日のことを謝らせてもらえますか?」
ランベルトが話を切り出した所で、ケントが昨晩の件について謝罪しようと頭を下げた。
「先日は本当にすみませんでした。そちらも色々と複雑な事情を抱えているのでしょうが、それでもマヤが辛い思いをしているということだけはどうしても分かって欲しくて。ですが、少なくともあんな言い方はすべきでなかったと、反省しています」
「……いや。私の方こそ、昨日は平静さを欠いてしまった。この娘が大きな責任を背負っているという考え自体は、今も否定するつもりはない。しかしそれでも、せめて親としてこの娘の心の拠り所となれるよう努めねばならなかった。そうしなかったのは、他ならぬ私の落ち度だ」
アデルマギア家当主として貴族の責務や先祖から託されてきた遺志を重んじるあまり、マヤの心情を慮ることを怠ってしまっていた。娘が次期当主として自分の理想を継いでくれることを願うのであれば、どちらも蔑ろにすべきではなかったと。ニーナに諭されたことでようやくその事に気付いた。
「マヤ、今まで本当にすまなかったな。家柄や過去の名誉に固執したばかりにお前の苦しみを理解しようともしなかった愚かな父を、どうか許して欲しい」
「ううん。お父さんがこの家のために凄く頑張ってきたことは、私も分かっているつもりだから」
ランベルトの謝罪を、マヤは穏やかな心持ちで受け入れる。年齢不相応に掛けられる重圧を苦痛に感じることはあれど、父の力になりたいという気持ちもまた彼女の本心だった。
「私はあまりにも凡庸な人間だ。それゆえに先祖の威光を振りかざして、私の使命感にお前を巻き込んでしまった。だからマヤ、今こそ聞かせてくれないか? 他の誰でもない、お前自身の意思を」
ランベルトにそう尋ねられると、マヤは頭の中の考えをまとめるかのように目を閉じてうつむく。そして、強い決意に満ちた顔でこう答えた。
「私の意思は、これまでと変わらないよ。いつかは魔術師団の団長になって、お父さんを安心させたい。だけどそのために今の私に必要なのは、クラヴィス様みたいにもっと色々な場所に行って、たくさんの人と出会って見識を深めることだって、そう思うの。だからお願いします、お父さん」
そこでマヤは畏まった口調で、ランベルトに頭を下げる。
「しばらくはケントさんたちに同行して、冒険者の仕事に専念させてください。この人たちとなら、私は魔術師として、そして人としてもっと成長出来る。そんな気がするんです」
マヤの提案は予想だにしていなかったようで、ケントたちは一様に驚いた顔を浮かべる。
ランベルトは少々考えるような素振りを見せてから、彼の斜め後ろで恭しく立っているニーナに顔を向ける。そして彼女が優しく微笑んで頷くと、ランベルトはマヤに向き直ってこう返した。
「……分かった。お前の願いを聞き入れよう」
「本当!?」
「正直、手放しに認めることに抵抗がないわけではない。だが、そうすることが自分の成長に繋がるとお前が判断したのであれば、私はそれを信じよう」
「ありがとう、お父さん! 私、絶対に今より立派な魔術師になって帰ってくるね!」
マヤは自分の本心を打ち明け、ランベルトはそれを受け入れて理解を示す。二人のわだかまりが完全に解消された瞬間だった。
それから、ランベルトは再びケントに向き合う。
「さて。紆余曲折はあったが、君たちには何かと助けられた。その礼や詫びとして、改めて君に例の物を譲ろう」
ランベルトがそう言うと、ニーナはすぐさま彼の後ろにある机に置かれている一冊の本を手に取る。そして、それをケントに手渡した。
「この本、もしかして……!」
「うむ。クラヴィス様が所持していたという謎の言語で書かれた本、その写しだ。もっとも、今まで誰一人として解読出来ていない以上、それが君の記憶を取り戻す一助になるという保証まではしかねるが」
「それでも十分です。本当に、ありがとうございます!」
ケントは受け取った本を大切そうに懐に抱える。仲間の頑張りを無駄にしなくて済んだこと。そして自分の記憶の手掛かりを手に入れたことに、彼は喜びを隠せずにいた。
「そしてマヤ、お前にも渡さなければいけないものがある」
ランベルトは懐からある物を取り出して、それをマヤに手渡す。
「お父さん、これって……!」
「しばらくは貴族としてではなく、冒険者として振る舞うのだ。であれば、これは返すのが筋というものだろう」
それは、二日前にケントがマヤのために街で買った髪飾りだった。
「それとだ。三日前の食事の折、君たちは宿を取るのにも不自由していると言っていたな?」
「ええ、まあ。冒険者向けの宿が埋まっていた場合、どうにかして民間の宿を探すことになるので」
「ならば、この街の離れにクラヴィス様の別邸がある。しばらくは君たちに貸し与えるから、そこを活動の拠点にするといい」
「え、ええっ!?」
流石にそのような提案は誰も予想だにしなかったようで、ケントたちは目を丸くして驚く。
「そんな……いいんですか? 建物まで借りてしまって」
「構わない。クラヴィス様の遺したものとはいえ、一年ほど前から管理もままならなくなっていてな。いっそ我が家の資金繰りのために売却してしまおうかと悩んでいたところだ。君たちが活用してくれるというのなら、それもいいだろう」
高貴な身分の者が財政難のために家屋を手放すというのは、あまり外聞の良いことではない。ランベルトは貴族としての威信を損なわず、ケントたちもマヤが冒険者として修行を終えるまでとはいえ仲間と共同の住まいを確保出来る。双方にとって利のある話と言えた。
「では、お言葉に甘えてお借りします」
「うむ。マヤ、後で別邸の鍵を渡す。この家を出たらすぐに、彼らを案内してやりなさい」
「うん、分かった!」
マヤは元気そうに頷く。その表情は昨日までのどんよりとした暗いものから一転、すっかり本来の年相応に明るい笑顔を取り戻していた。
「それでは、少しだけ客間で待機していてくれ。マヤの準備が整い次第、また君たちを呼びに行こう」
こうして話し合いは無事終了するも、急遽決まったマヤの旅支度をする必要があるため、その場は一旦解散となる。
ケントたちはゆっくり立ち上がると、ランベルトの指示通り元々自分たちがいた部屋へと戻っていった。
それからマヤの用意が整ったところで、ニーナが朝の時と同じようにケントたちを呼びに行く。
五人が屋敷のエントランスまで向かうと、そこには戦闘用の杖や旅立ちにあたって必要な荷物が入った袋を背負ったマヤが立っていた。その傍らにはランベルトもいる。どうやら、ケントたちと娘のことを見送りに来たようだった。
「お世話になりました、ランベルトさん。いきなり押し掛けてきた上に色々と迷惑をかけたにも関わらずここまで親切にしていただいたこと、本当に感謝しています」
「うむ。どうかマヤをよろしく頼む。私に代わってこの娘に、多くのことを経験させてやってほしい」
「お任せください。マヤには俺たちに付いていったことを、絶対に後悔させませんから」
ケントとそのようなやり取りを交わした後、ランベルトは自分の側にいるマヤの方へと顔を向ける。
「マヤ。忘れ物はしてないな?」
「うん、ばっちり!」
「そうか。お前にはこれまで、多くの我慢を強いてしまったからな。彼らと共に、自由にこの国を見て回るといい。とはいえ、これは修行の旅だということも忘れずにな?」
「分かってる! しばらくの間は冒険者だけど、だからって貴族の心構えを忘れたりはしないよ!」
「後は、見知らぬ人を簡単に信用して付いていったりしないように。世の中の誰もが、彼らのように実直だとは限らない。お前はあまり人を疑うことを知らないから、そこだけは心配だ」
「う、うん……」
それまでの厳格で融通の利かない人物像から一転。まるで普通の親かのようにあれこれと娘に気を揉むランベルトの姿に、マヤは困惑する。そんな夫を流石に見かねたようで、ニーナは彼をたしなめた。
「あなた。それくらいにしないと、マヤも困っているではありませんか」
「分かってはいるが、当分は家に帰ってこなくなるのだ。今のうちに言いたいことは言っておかねばな。それと最後に……」
そこまで言うとランベルトは、おもむろに口角を上げる。それは彼が数年振りに娘に見せた、自然な感情からわき出てくる笑みだった。
「いずれまた、家族三人で食事が出来る時を楽しみに待っている。その時は、彼らとの旅の話を聞かせてくれ」
「……うん!」
その顔を見たマヤは、心の底から嬉しそうな顔で頷いた。
「それじゃお父さん、お母さん。行ってきます!」
まるで今まで噛み合わなかった歯車がようやく噛み合って回り始めたように、マヤは家族に手を振ってケントたちと共に新たな一歩を踏み出した。
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