謎深き鏡像
ケントたちは隠し通路を抜けて、その先にある部屋まで到達した。
「隠し部屋か。魔物はどこに……」
「みんな、あれを見て!」
エルナが指を差した先には、ソニアが感知したと思しき魔物が肩を落としたような姿勢で立っている。
「何だ、こいつ……?」
しかし、その姿はどこか異質だった。体格は人型に近いが、身体はどう見ても石で出来ており、さながら石像のようだった。そして本来ならば顔があるはずの場所と両肩には鏡が張り付いており、とことんまで無機質な見た目をしている。
「…………」
魔物はケントたちの方を向いているが、表情がないため警戒しているのかも読み取れず、殺風景な部屋と相まって不気味な雰囲気を醸し出していた。
「見たことのない魔物だ。マヤちゃん。君は何か知っているか?」
「ううん。ギルドの資料に、あんな魔物は載ってなかった……」
マヤも資料に書かれている全ての情報を完璧に記憶しているわけではないが、それでもここまで特徴的な魔物であれば全く記憶に引っ掛からないということもない。
つまるところ目の前の魔物はこの場にいる全員にとって正真正銘、未知の魔物だった。
「ってことは、ギルドすらも知らない魔物なのか!?」
「分からない。でも……」
しかしそう呟いたマヤの言葉は、ソニアが前に出る足音にかき消される。
「どんな魔物かなんて、殴ってみれば分かります……よっ!」
ソニアは軽く身を屈めると地面を蹴り出し、問答無用で鏡の魔物に殴りかかった。
「はあっ!」
「…………」
鏡の魔物は自身の鏡の張り付いている頭に目掛けて飛んできたソニアの拳を、見た目からは想像もつかぬ程の俊敏な身のこなしで屈んで回避する。そして、反撃の足払いを見舞った。
「ぐっ……!」
ソニアはこれを間一髪で跳んで回避し、それからもう一度渾身の右ストレートを放つも、これも躱されてしまう。
力も早さも全くの互角。互いに攻撃しては躱すの応酬になり、最後は取っ組み合う形となった。
「ぐぬぬ、ワタシの動きについて来られるなんてやりますね。ヘンテコな見た目のくせに……!」
「ソニア、下がって!」
エルナはそう言うと、魔法弓に風属性の矢をつがえて敵の左肩に付いている鏡に狙いを定める。そしてソニアが引いたのを見てすぐに矢を射ようとした。
「……えっ!?」
しかし、その時だった。鏡の魔物は左肩に付いている鏡からエルナの矢と同じ形状の、それも同じ風属性の矢を放った。
「くっ……!」
エルナは反射的に真横に跳んでこれを回避しようとするも、不意を突かれたこともあって反応が遅れてしまう。結果として矢は彼女の肩を掠めたものの、辛うじて直撃は免れた。
「風の魔力持ちか。ならば私が!」
リューテは剣に炎をまとわせて、鏡の魔物に正面から斬りかかる。
地水火風の四大属性にはそれぞれ相性が存在する。地は水に強く、水は火に強く、火は風に強く、そして風は地に強い。そのため、相手が風の魔力を持っているならば、火の魔力を持っているリューテが有利と言えた。
「おおおおおおおおおっ!」
加えてミスリルの剣が彼女の魔力を更に増幅させ、岩をも切り裂く灼熱の刃となって目の前の敵に振り下ろされる。まともに食らえばその身を内側から焼き尽くされるであろう一撃。
しかし、そうはならなかった。
「何っ……!?」
鏡の魔物は自らの正面にリューテを捉えると、自身の腕に炎をまとわせて彼女の剣を防いだ。そこから負けじと何度も切り結ぶが、全ての斬撃が炎の腕に受け止められてしまう。
「(馬鹿な、ミスリルの剣を受け止めた? それに風だけでなく、火の魔力も持っているだと? この魔物は一体……)」
魔物の中には魔力を有し、人間の魔術のような攻撃をしてくる種も存在する。しかし、二種類以上の魔力の性質を持つ魔物というのは確認されていない。冒険者としてそれなりの知識と経験を持つリューテとしては、内心動揺を隠しきれずにいた。
しかし、今はそのようなことに気を取られている余裕はない。リューテは意識を戦闘に集中することで何とか平静を取り戻す。すると、魔物の顔に張り付いている鏡に映る自分自身と目が合った。そのことに、彼女は何とも言えない違和感を覚える。
「(何だ? この妙な感覚は。まるで、自分自身と戦っているような……)」
「リューテお姉ちゃん、下がって! ここは私の魔術で!」
接近戦では分が悪い。そう考えたのかマヤはリューテが大きく後退したのを見計らって、マンティコアの時と同じように魔術を唱えようとした。魔物の頭に付いている鏡に、彼女の顔が映る。
「……え?」
そして、その時だった。鏡の魔物が腕を高く振り上げると、周囲の床や壁が大きく揺れる。
「きゃっ!?」
「な、何だ!?」
ケントたちはあまりにも激しい揺れに立つこともままならなくなり、地面に膝を折る。そして次の瞬間、長い時の中で脆くなっていた壁や天井が震動に耐え切れず、完全に崩落した。
「う、嘘……」
「……この魔物、まさか!?」
「皆、伏せろーっ!」
ケントたちはリューテの指示通り、頭部を守るようにして地面に伏せる。直後、その場にいる全員の姿が降り注ぐ瓦礫の中に飲み込まれた。
やがて瓦礫の雨が地面を打つ轟音が収まると、マヤが這うようにして崩れ落ちた天井の中から姿を見せた。
「ううっ……」
マヤは辛うじて直撃は避けたものの満身創痍で、声を出すのも辛い様子だった。そして更に悪いことに、彼女以外の仲間は全員反応がない。どうやら、全員気絶しているようだった。
「(今のは間違いなく地の上級魔術、《咆哮する大地》だ。でも、どうして? 魔物が使えるような魔術じゃないのに……)」
そこでマヤは鏡の魔物の方を見る。顔の鏡には、ボロボロになった自分の姿が映し出されていた。
「(まさか……!)」
それを見たマヤは、ある考えに至った。
「(あの魔物は多分、鏡に映ってる人と同じ能力を使えるようになるんだ。もしそうなら、ソニアお姉ちゃんの動きも、エルナお姉ちゃんやリューテお姉ちゃんの魔力も、そして私の魔術も……)」
この鏡の魔物は高い身体能力を持っているわけでも、あらゆる属性の魔力を持っているわけでも、高度な魔術を行使出来るわけでもない。ただ単に、自分の鏡が映している者の力を真似していただけだった。
そして今は、マヤの姿が鏡に映し出されている。鏡の魔物は再び腕を振り上げた。それは先程の時と同じ、攻撃を開始する合図である。
「(何とかしないと……でも、もう身体が……)」
次に強力な魔術を使われたら、確実に全滅してしまう。しかし、どうにかしようにも身体に力が入らない。全身に痛みが走っており、気を抜けば意識を失ってしまいそうだった。
他の仲間を頼ることも出来ず万事休すかと思われた、その時だった。ふとマヤの目に、仰向けで倒れているケントの姿が映る。そこで彼女は、あることを思い出した。
「(そうだ、ニュクスお姉ちゃんが言ってた……!)」
万が一強力な魔物と戦うことになって、それでピンチに陥った場合には、いざという時の切り札があると。そしてその発動条件を、マヤはニュクスから聞かされていた。
まだこの状況を打開する方法はある。マヤは奮起し、自らの身体に鞭を打つ。腕を使って、地面を這うようにして決死の思いでケントに近付いていく。
「お兄、ちゃん……」
そして遂に彼の元へ辿り着くと、覆い被さるようして唇を重ねた。すると、ケントの傷がみるみるうちに塞がっていく。
やがて怪我が完全に癒えると、ケントは目を覚ましてゆっくりと起き上がった。
「お、お兄ちゃん……?」
「マヤ、何で俺の力のことを知って――」
ケントは何故マヤが自分の力について知っているのかを尋ねようとしたが、鏡の魔物が攻撃を繰り出そうとしていることに気付いて、すぐさま戦いに意識を引き戻した。
「いや、話は後だな。マヤ、ちょっと借りるぞ」
そこでケントは、マヤが持っている杖に触れてこう唱える。
「《逆巻く火柱》!」
すると、鏡の魔物の周囲を炎の柱が包み込んだ。
「無詠唱なのに、こんなに強い中級魔術を……ニュクスお姉ちゃんの言ってたことは本当だったんだ……」
「こうすれば、あいつから俺たちの姿は見えない。見えなければ、俺たちの力を使われることもないはずだ」
マヤからキスをされたことで、ケントは彼女と同じように魔術を扱えるようになっている。ただし詠唱の口上までは知らないため、無詠唱で発動できそうな魔術で鏡の魔物の目眩ましをして行動を封じるのがやっとだった。
そこでケントはマヤを抱き起こして仰向けにすると、彼女にそっと口付けをした。
「んっ……!?」
マヤもまた、ケントの力によって全身の傷がみるみるうちに回復していく。そして、それだけではない。今にも溢れだしてしまいそうな程に、全身に魔力が満ち溢れていた。
「ほえぇ……何だか、身体から力がみなぎってくるみたい……」
「この状態でも、上級魔術は無詠唱じゃ発動するのは無理そうだ。マヤ、後は頼んでもいいか?」
「う、うん! 任せて、お兄ちゃん! これなら、私の最強魔術で……!」
マヤは起き上がってケントから離れると、杖を正面に掲げて詠唱を開始した。
「泰然たる揺籃の守り手よ。咬砕する鮮血の牙。清廉なる無垢の爪。胎動し、うねり、這い寄り、黎明を呼び覚ます。荒廃を待つ箱庭。刹那に過ぎる悲壮の詩。恐れ、彷徨い、皆悉く塵芥に帰せ」
そして詠唱を終えると、ケントが発動した魔術が効力を失って閉じ込められていた鏡の魔物が姿を表す。その瞬間、マヤは一呼吸置いて魔術の名を叫んだ。
「≪蛇龍降誕≫!」
すると鏡の魔物の足元を中心に巨大な魔法陣が展開され、そこから毒々しい色をした巨大な蛇が現れて魔物に噛み付いた。
「何て凄まじい魔術だ。これなら……!」
蛇は鏡の魔物を咥えながら遺跡から少し離れた場所まで移動すると、とぐろを巻くように舞い上がってから魔物を勢いよく地面に叩き付ける。そして口を開くと、鏡の魔物に向かって黄土色のブレスを吐いた。それは例えるならば極めて高密度な砂嵐のようで、鏡の魔物はなす術もなくその中に飲み込まれていく。
やがて魔術が効力を終えて蛇が消失すると、そこには割れた鏡と粉々に砕けた瓦礫の破片が散らばっていた。
「や、やった……」
「まさか、俺たちの力を真似ることが出来るなんて思ってもみなかった。魔物には、あんなのもいるんだな……」
強いというだけではない。得体の知れなさでいえばケントがこれまで対峙してきたどの魔物よりも上だった。しかし、それでもどうにか倒すことが出来た。何にしてもこれで一件落着だと、ケントはほっと胸を撫で下ろす。
「……あれ?」
ケントはあることに気が付いて、自分の両手を見つめる。
「(たしか、俺が強くなる場合は滅茶苦茶疲れて動けなくなるはずだけど、どうして何ともないんだ?)」
かつてリューテからキスをされた時には、グリフォンを一人で討ち倒せるほど強くなる代償として、気を失うほどの疲労に襲われた。しかし、今回はそれがなかった。
「(そういや、昔ニュクスが俺の力は何らかの条件で変わっていってると言ってたな。もしかしてそれか?)」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「ああ、いや、ちょっとぼーっとしてただけだ。それよりも――」
まずは仲間たちの傷を治すのが急務で、マヤにも知られている以上隠す必要もない。ケントは全員に口付けをして回った。
「う、うーん……」
すると、エルナが真っ先に目を覚ます。
「私、たしか大きな地震が来たと思ったら天井が崩れて、それで――」
そこでエルナは、ハッとなってケントに振り向いた。
「あの魔物はどこ!?」
「大丈夫だ。あいつは俺とマヤでもう倒した」
そうしているうちに、他の仲間も目を覚ましてケントたちの元に集まってくる。
そして全員が揃ったところで、ケントとマヤは情報を共有するために、鏡の魔物が部屋を崩壊させた後の出来事について説明した。
「……というわけなんだ」
「なるほど。あの魔物から受けた違和感はそういうことだったのか。すまない、私がもっと早く気付いていれば……」
「いや、リューテが謝ることじゃないさ。相手はギルドすら把握してない可能性がある魔物だったんだ。危なかったけど、全員生きてるってだけでも幸運だよ」
ケントの言葉通り、相手と同じ力を使ってくる魔物の存在など予測できるはずもなく、そのために知ってさえいればいくらでも回避できた窮地を招いてしまった。
魔物との戦いは得てして想定外の事態が起こるものとはいえ、それでも情報の有無は戦いを大きく左右すると、その場にいる誰もが痛切に感じていた。
「しかし、まさかニュクスが俺の力のことをマヤに教えてたなんてな」
「ええ。マヤさんを信用のおける人物だと判断した上で話しておいたんです。あまり人に知られたくないというあなたの考えは尊重しますが、そのために私たちが命を落とすことになるのは不本意なので」
「それはその通りだけど、俺に断りくらいは入れてもらいたかったな。何でマヤが知ってるんだって驚いたぞ?」
「それは……済みません。以後気を付けます」
エルナやリューテ、そしてケント自身も未知数の力にはなるべく頼らない方針を取っており、ニュクスもそれに賛同している。しかし、その一方でそれを頑なに守って死ぬのでは本末転倒であるとも考えており、そしてケントは自分からは絶対に自分の力のことを他人に話さない。そのため、ニュクスは独断でマヤにケントの秘密を教えていた。
それが功を奏してケントたちが窮地を逃れる手助けになったものの、やはり彼らの掲げる方針に背くのは気が咎める思いがしたため、ニュクスは本人に言い出せずにいた。
「……にしても、結局あの魔物は何だったんだろうな。強いとか以前に、ただひたすらに不気味だったよ」
「あいつ、ワタシが殴りかかっても戦意とか全然感じなかったんですよ。何というか、本当に生き物だったんでしょうか」
鏡の魔物が危険な存在であったことは間違いない。しかし他の魔物のように敵意を露にすることもなく、ただ目の前にいる人間の真似をしてくるその様は、生命体というよりは無機物が動いているようにしか感じられなかった。
「とりあえず、まずは私のお家に戻るのはどうかな? お父さんなら、もしかしたら何か知ってるかもしれないから」
「そうだな。もう魔物もいなさそうだし、帰ってマヤのお父さんに報告しに行くか」
こうしてケントたちは先の地震で崩れた壁から遺跡を脱出し、ランベルトに依頼の成果を報告するべく足早に王都への帰路についた。
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