強敵、マンティコア
早朝、ケントたちはランベルトから受けた依頼のため、アネモイから南東にあるという遺跡を目指して歩いていた。
「それにしても、何だか久しぶりに大きな依頼を受けた気がするわね」
「そうだな。彼の話の通りなら変異種か、あるいは私たちがノトスで戦ったあの大亀のような強い魔物が関わっている可能性がある。気を引き締めてかからねばな」
「まあだけど、今回はマヤがいるんだ。よほどヤバい魔物でもなきゃ、この娘の魔術で何とかなるんじゃないか? な、マヤ?」
しかしマヤはケントの呼びかけに応えず、悲しげに俯いている。
「マヤ、どうかしたか? 何だか元気がないみたいだけど」
「その……ごめんなさい、お兄ちゃん」
気になったケントが声を掛けてみると、マヤは今にも消え入りそうな声で彼に対して謝った。
「あのね、昨日お兄ちゃんが買ってくれた髪飾り、お父さんに取り上げられちゃったの。こんなものを付けて、平民に間違われたらどうするんだって……」
「えっ、そうなのか? それで、今日は身に付けてなかったのか」
「本当に、ごめんなさい……わ、私、絶対に大切にするって言ったのに……うっ、ぐすっ……」
「マ、マヤ!?」
唐突に泣き出したマヤを見て、ケントはどうしたらよいのか分からず慌てふためく。
「エルナ、助けてくれ。こういう時ってどうするのがいいんだ……?」
「と、とにかくまずは慰めてあげるのよ! それから、元気が出るようにひたすら励まして!」
「慰めてから励ますだな。よし……!」
ケントはマヤと向かい合うと、彼女と同じ頭の高さになるように膝を曲げてから、そっと肩に手を置く。
「大丈夫だ、マヤ。お前は何も悪くない。別に謝ることなんてないさ。確かにあの髪飾りを取られたのは残念だけど、それでもお前があれを大切な物だって思ってくれてるだけで、俺は十分嬉しいよ。だから、あまり自分を責めるなって。な?」
そして、エルナから受けたアドバイス通りに彼女を元気付けた。
「そうだ! この依頼が終わったら、今度は皆で一緒に街で焼き菓子を食べに行かないか? それなら髪飾りと違って見ただけじゃ分からないし、お前のお父さんの目も誤魔化せるだろ?」
「い、いいの?」
「もちろんだ。言ったろ? お前が苦しい時は、絶対に力になるって。大したことじゃないかもしれないけど、それでも出来ることはあるって、昨日分かったからな」
「う、うん! ありがとうお兄ちゃん!」
ケントが髪飾りの事情を知ってもなお変わらずに接してくれることに安心したのか、マヤはすっかり笑顔を取り戻した。
「そうと決まったら、さっさと依頼を片付けるとするか。マヤ、お前の魔術、頼りにしてるぞ?」
「えへへ、任せてお兄ちゃん! あっでも私、詠唱している時は集中しないといけないから、その間はサポートしてね?」
ケントは詠唱という聞き慣れない単語に反応して、マヤにこう尋ねる。
「詠唱って、あの魔術を使う前に何か呟いてたやつか?」
「うん。あれをやらないと、魔術を発動出来ないの」
魔術を行使するためには、基本的には詠唱が欠かせない。そして強力な魔術ほど詠唱に掛かる時間も比例して長くなり、仲間に守ってもらうことが前提となる。
もっとも、マヤほどの卓越した魔術師であればある程度の魔術は無詠唱で発動することも出来るが、その場合は威力などが弱くなるという欠点がある。
「そうなのか? でも、エルナとニュクスもたまに魔術を使ってるけど、詠唱なんてしてなかったよな? それはどうしてだ?」
「それはですね、私やエルナさんの使っている魔術はいわゆる初級魔術と呼ばれているもので、詠唱が必要ないくらい簡単なものなんですよ」
魔術に詠唱が必要なのは中級以上の魔術の話で、エルナの使う『回復』やニュクスの使う『麻痺』のような初級魔術はあまり強くはないが、その代わり詠唱自体が存在せず、習得するのもさほど難しくはない。そのため、魔術師でない者でもある程度訓練すれば扱えるようになる。
「へえ、そうなのか」
「数日前に会った二人組の冒険者も少し話していたが、魔術というのは中級以上から別次元に扱いが難しくなる。それに頑張って覚えたとしても、実戦では使い辛いんだ。詠唱に時間が掛かる上、その間は無防備になるからな。とても一人で魔物と戦えるような代物ではない。冒険者に、魔術師があまりいない所以の一つだ」
元々魔術師は冒険者よりも、騎士としての方が重用されやすい。これはマヤの先祖であるクラヴィスが魔術師団を創設したこともあるが、何より統率や集団での行動を重んじる騎士の気風が、仲間との高度な連携を求められる魔術師の性質と噛み合っているからである。
「となると、マヤが全力を出せるかどうかは俺たちの働きに掛かってるってわけだな」
「そういうことだ。この娘が存分に戦えるよう、私たちも力を尽くそうじゃないか」
いかにマヤが優秀と言えど、一人で出来ることには限界がある。であれば、彼女がその才をいかんなく振るうための鍵を握っているのは自分たちだと、その事をケントはリューテの言葉によって再認識した。
それから数時間ほど歩いて、ケントたちは例の遺跡に到着する。
「こいつは、いかにも魔物が住み着いてそうな遺跡だな」
「大昔はここに人が住んでいたのでしょうが、今は見る影もないですねえ。一体何があったのやら」
「王都からここまで街道が敷かれていなかったことを考えるに、立地が悪かったのだろう。その上で村の住民では対処できないような魔物が襲来して、村を潰されたといったところか」
まだまだ街道の整備も進んでいないほどに古い時代、人々は安全だと思った場所に集落を築き、そこを生活の拠点としていた。しかし、その中には何らかの理由で魔物に対応できずに手放した、あるいは滅ぼされたとされるような場所もいくつか存在する。ここはその中でも特に大きな跡地だった。
「問題はこの遺跡を縄張りにしている魔物が、どうしてここからずっと遠くにある街道に現れたのかということね」
「そうですね。一匹二匹ならともかく、群れ単位で縄張りから大きく離れたというのであれば、ここで何かが起きた可能性がありますね」
「私の予想では、恐らくノトスの時と同じだ。この遺跡にどこからか強力な魔物が現れて、それまで住んでいた魔物が逃げ出した」
「じゃあ、この中にあの亀みたいなやつと同じくらい強い魔物がいるってことですか?」
「断定は出来ないが、そう考えておいた方がいいだろうな」
リューテは遺跡に入る準備をしようと仲間の方に振り向く。
「さて、入る前に陣形を決めておかねばな。まず私とソニアちゃんで先頭を進んでいく。ケントくんとエルナちゃんとニュクスちゃんの三人は、後ろでマヤちゃんを護衛しつつ周囲の警戒を頼む」
先程のケントたちのやり取りにもあった通り、難しい魔術には詠唱が必要だが、その間はどうしても無防備になってしまう。そのため仲間に魔術師がいる際には、その者を守るように隊列を組むのが鉄則だった。
「では行こう、ソニアちゃん。何か違和感があったらすぐに教えてくれ」
「ふっふーん、任されました!」
リューテとソニアは先行して遺跡の中へと入っていく。
「よし、俺たちも!」
「……その、お二人は先に行っててもらえますか? 少し、マヤさんとお話ししたいことがあるもので」
「ん? ああ、分かった。リューテとソニアに追い付かないといけないし、なるべく早くな?」
「ええ、すみません」
ケントとエルナが一番前の二人を追って行ったのを見計らって、ニュクスはマヤにそっと耳打ちした。
「……え、ええーっ!? それってどういう……」
ニュクスが話したことをうまく飲み込めず、マヤは更に詳しく聞こうとする。
「おーい! まだか、二人ともー!」
「……とにかくそういうわけなので、いざという時はよろしくお願いします」
「う、うん。よく分からないけど、覚えておくね?」
しかしケントに急かされてしまったため、それは叶わなかった。ニュクスとマヤは話を止めると、他の四人に追い付くために急ぎ足で駆け出した。
遺跡内部に光源はないものの、天井に所々大きな穴が空いているおかげで外からの光が漏れており、探索に苦労はしなかった。
ケントたちは一つ一つの部屋を見て回り、時折現れる魔物を討伐しながらどんどん奥へと進んでいった。
「ふう。これで十匹目か。広い割には、魔物はあんまりいないな」
「だけど、ちょっと手強いわね。まだどれだけいるかも分からないし、あまり気は抜けないわ」
「……皆さん、気を付けてください」
するとソニアが不穏な気配を感じ取ったようで、耳をピクピクと動かしてその場で立ち止まる。
「ソニア、どうした?」
「今、この先にある部屋からここまで戦ったどの魔物とも違う足音が聞こえました。数は多分一匹ですが、足音からして結構大きそうです」
ソニアが指差した先にあるのは、一番端にある部屋である。どうやら、そこに手強そうな魔物がいるようだった。
「どうする? まずは誰か一人で偵察に行ってみるか?」
「いや、恐らく向こうもこちらに気付いているはずだ。その上でここで待ち構えているのだろう。不意打ちが通用する可能性は低い。ここは全員で同時に入ろう」
ケントたちは部屋の入り口で戦闘準備を整えると、リューテの合図と共に一斉に部屋へと入っていく。
「こいつは……」
そこにいたのは、ソニアの言葉通り一匹の魔物だった。
獅子のような雄々しい肉体に紫色の禍々しい羽、それに見合わぬ醜悪な顔をした頭部。そして何よりその魔物の脚よりも太い、まるでサソリのように長くて鋭い尻尾がケントたちの目を引いた。
「恐らくだが、マンティコアか?」
「多分、そうだと思う。お父さんから貰った魔物の資料に、あんな感じの魔物が書かれてあったから」
マヤの父親は娘が冒険者の仕事を始めるにあたってギルドからあらゆる魔物の資料を取り寄せ、それを彼女に全て読ませている。そのため、大体の魔物に関してはある程度の情報を持っていた。
「マンティコア? どういう魔物なんだ?」
「私は戦かったことはないが、Cランクの魔物の中では五本の指に入る危険な魔物として有名だ。聞いた話では、あの大きな尻尾には先端に毒があるらしい。それに、爪と牙もかなりの鋭さだと聞く。正面から戦うのは避けた方がいい」
「なるほどな。前も後ろも駄目となると、どうにかして真横から攻めるしかないか」
正面は爪と牙、真後ろは毒のある尻尾が脅威である以上、一番攻撃の手が薄い側面に潜り込むのが安全な突破口だと。ケントはそう踏んだ。
「ゴアアアアアアアアアアアアア!」
「来るぞ! 皆、すぐに構えるんだ!」
部屋中に反響するほどの大きな咆哮と共に、マンティコアはそれが戦闘開始の合図だとばかりにケントたち目掛けて突進した。
当初の作戦通り、リューテとソニアの二人が前に出て、マヤが狙われそうになった時は他の三人で陽動する。敵の攻撃はやはり激しく、ケントたちは爪の引っ掻きや尻尾の刺突を躱しながらどうにか応戦していた。
そんな中、最も近くで交戦しているソニアに気を取られている隙を見計らって、エルナが矢を射る。しかしマンティコアは気付いていたようで、すぐに尻尾を振り回してそれを弾いた。
「くっ……!」
敵の動きは中々に俊敏で、決定的な一撃を与えるチャンスが巡ってこない。ケントたちはこのまま攻め続けても埒が明かないと判断して、マンティコアから一旦は距離を取った。
「あの尻尾、かなり器用に動かせるな。まずはあれを何とかしないと、近付けそうにないぞ?」
「ならば、一度動きを止めましょう!」
ニュクスはそう言ってから、マンティコアに一本のナイフを投げ付ける。しかし、それはエルナの矢と同じように尻尾で弾き飛ばされた。
「麻痺!」
そこへすかさず、ニュクスはもう一本のナイフに相手の動きをしばらく止める魔術を付与してから、敵に目掛けて投げ付けた。
身体にナイフが刺さると、マンティコアは麻痺が効いたようで動きを止める。しかし、すぐに回復したようでその場で咆哮した。
「くっ。やはりこの程度の魔術では、あまり効き目はないみたいですね……」
「流石に、簡単には倒させてくれないか……!」
弱い魔物相手ならば十秒は動きを止められるが、相手はCランクの中でも上位クラスの魔物。下級魔術である麻痺の効果は薄く、せいぜい数秒動きを鈍らせるのが限度だった。
「皆、少しだけ時間を稼いで! ここは私が!」
マヤはそう言うと、手に持っている杖に魔力を込める。
「泰然たる揺籃の守り手よ。流動する縫縛の渦。流転を奪う干上の縄。脈動の器が抱擁に伏す」
そして、魔術の詠唱を開始した。
周囲の魔力の流れが変わったことを感じ取ったのか、マンティコアはマヤを狙って接近しようとするも、ケントたちの妨害によってそれは阻まれる。
「《捕縛する砂縄》!」
すると蟻地獄のような流砂の渦が四つ、マンティコアの足元の地面から現れる。そしてそこから砂で作られた縄が飛び出して、四本全ての脚に絡み付いた。
「グッ!? グゥオオオオオオ!」
「皆、今のうちに!」
マンティコアは拘束から抜け出そうと、身体をよじらせ必死に暴れる。しかしもがけばもがくほど、砂の縄は蟻地獄の中へと引き込むようにして四本の脚を縛り上げた。
「うおおおりゃあああああ!」
脚を封じて動きを止めても、まだ尻尾という厄介な武器が残っている。そのため、ソニアはマンティコアの頭を踏み台にして跳躍すると、そのまま尻尾にしがみつくようにして押さえ付けた。
「うぐぐぐ……リューテさん!」
「任せろ!」
次に反撃の恐れがなくなったところで、リューテは剣に炎を纏わせて尻尾の根本を斬りつけた。切断された尻尾が、持ち主の身体を離れて宙に舞う。
「オオオオオオオオオオッ!?」
マンティコアは尻尾を切断された痛みか、あるいは拘束から抜け出そうともがいているためか、なおも頭を激しく揺らして抵抗する。すると、そこに数本のナイフが突き刺さった。
「ダメ押しです。これなら、先程よりは長く痺れるでしょう」
どうやら全てのナイフに『麻痺』が付与されているようで、マンティコアはすっかり動きを止めて項垂れた。
「さあ、ケントさん! あとは止めを!」
「ああ!」
ケントは剣を構えてマンティコアの元まで距離を詰めると左前脚の付け根、すなわち心臓に最も近い部分を力の限り斬りつけた。
「うおおおおおおおおおお!」
そして素早く剣を引いてから刃を横に寝かせ、今度は先程斬った箇所に目掛けて思い切り突き刺した。何かを刺し貫いた手応えを感じて、ケントは再度剣を引き抜く。
「グ……オォ……」
マンティコアは弱々しい声と共に息絶え、そのまま流れる血だまりの中へと沈んでいった。
「……よし、何とか倒せたな」
「皆、お疲れ様!」
マヤは敵の討伐を確認して魔術を解くと、ケントたちの方に軽快な足取りで駆け出した。
「ああ、マヤもお疲れさん。お前の魔術のおかげで、誰も怪我せずに勝てたよ」
「えへへ、ありがとう! でも、私が安全に魔術を使えたのは、皆が時間を稼いでくれたおかげだよ!」
ケントとマヤは互いに労いの言葉を掛け合う。六人全員の力が合わさったことによる、危なげない勝利だった。
「依頼の内容には遺跡内部の調査も含まれている。他の部屋も見て回っ――」
「……っ!?」
その時だった。ソニアがはっとした様子で、自分の後ろに振り向く。
「ソニア? どうした?」
「今、あっちから何か聞こえたような……」
そう言ってソニアが指差したのは、部屋の入り口から見て左側の壁だった。そこでケントは、怪訝な顔をする。
「あっちから? だけど、ここって一番端の部屋だろ? この先には何もないはずだ」
「んー、ちょっと待ってくださいね」
ソニアはより正確に音を探ってみようと、壁に耳を当ててみる。それから何かに気付いたようで、壁から耳を離して他の五人の方に振り向いてこう叫んだ。
「やっぱり聞き間違いじゃないです! この向こうから、何かが動く音がします!」
「……少し調べてみよう。何か気になる所があったら、すぐに知らせてくれ」
ケントたちは手分けして部屋の壁を調査することとなった。
「皆、ちょっとこっちに来て!」
しばらくすると、エルナが何か気付いたようで全員を呼び集めた。
「どうした? エルナちゃん」
「この場所だけ、他の壁よりも叩いた時の音が違う気がするの」
エルナはその部分を指差す。リューテが試しにそこを何度か叩いてから他の部分の壁を叩いてみると、確かにそこだけ周りの壁と比べて軽い音がした。
「少し下がってくれ」
リューテは剣に炎を纏わせ、壁に思い切り叩きつける。すると壁はあっさりと崩れ落ち、中から見たことのない通路が現れた。
「ここは……隠し通路か? まさか、この先に魔物が……?」
「何か嫌な予感がする。皆、慎重に進むぞ」
遺跡内に他の魔物がいる可能性が出た以上、マンティコアを倒してもまだ終わりではない。彼らは再びリューテとソニアを先頭に、壁に隠された道の中へと入っていった。
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