心境II
それからマヤは好奇心の赴くまま、ケントと共に街中の至る所を見て回った。
服屋でも雑貨屋でも気になる所には片っ端から立ち寄り、その後はたまたま目に留まった店で売っていた焼き菓子を買って食べ、更には大道芸人の路上パフォーマンスを一番前列で見物したりと、これまで遠くから見るだけだったり本でしか知らないような体験の連続に、マヤは終始興奮冷めやらぬといった様子で時を忘れて楽しんでいた。
しかし時間とはそのような感情などお構いなしに無情に過ぎていくもので、そうしているうちにすっかり夕暮れが近くなっていた。
「そろそろ日が暮れちゃうね……」
「そうだな。楽しい時間っていうのはあっという間だ」
二人にとってはちょっと前までは真昼であったかのような感覚。だがそんな感覚とは裏腹に、現実は少し前まで多くの人々でごった返していた通りは段々とまばらになっていき、店によっては閉店の準備を始めるところもあった。
「それじゃあ、最後にここを見てみたいな」
マヤが指差した先にあったのは、小さな装飾品店だった。二人はそこに立ち寄ってみる。
「わあっ、凄い! 可愛いアクセサリーがいっぱい!」
二人は店の中をキョロキョロと見回す。装飾品を売っている店自体はこの街にいくつもあり、中にはマヤのような貴族向けの高価な品物を取り扱っているところも存在する。
そしてここはごく普通の庶民的な店だがその割には品揃えは豊富で、手頃な値段の髪飾りにイヤリング、指輪やネックレスと大体の装飾品が置かれており、まさに穴場とでも言うべき店だった。
「そうだ。もしよかったら、一つだけ君にプレゼントさせてくれないか? 君の家には何かとお世話になってるし、個人的なお礼ってことでさ」
「本当? いいの?」
マヤの問いに、ケントは首を縦に振って肯定の意を示す。
「んー。それなら、ケントさんに選んでほしいな」
「俺が? って言っても、俺はこういう装飾品の良さとか全然分からないからなあ。マヤに似合うものを選べるかどうか」
「それでもいいよ。ケントさんが一番良いなって思ったものを選んで?」
「一番良いと思ったもの、か。うーん……」
ケントは装飾品の類にはまるで疎いため、自分でも言った通り相手に似合うものを見繕うことが出来るだけの審美眼は持ち合わせていない。そのためどれにするべきかしばらく悩んでいたところ、ふと蝶を模した、小さな羽飾りの髪留めが目に止まった。
何となくそれが気になったケントは、その羽飾りを指差してマヤに尋ねてみた。
「……それじゃあ、これなんてどうだ?」
「わあっ、凄く可愛い!」
どうやら一目で気に入ったようで、マヤは目を輝かせてその髪飾りを見つめる。
「特にちゃんとした理由はなくて、何となくこれが似合うかなって思っただけなんだけど、本当に良いのか?」
「うん! 何となくでも、ケントさんはこれが一番良いって思ったんだよね? なら、きっとその通りだよ!」
「そうか。だったら、これにするか!」
ケントはその羽飾りを手に取ると、店員の元まで持っていって会計を済ませる。そして店を出てからすぐに、マヤはケントから受け取ったそれを身に着けてみた。
「ど、どうかな……?」
「ああ、とてもよく似合ってるぞ? まあ、マヤが普段身に着けてるようなものと比べれば、流石に安っぽく見えるかもしれないけど」
「ううん、そんなことないよ。だって、これはケントさんが私のために選んでくれたものだもん。私にとっては何よりも特別なものだよ!」
マヤにとって羽飾りそのものの価値や造形はさほど重要ではない。ただ、ケントが自分のために真剣に考えて贈り物を選んでくれたという事実が、彼女には何よりも嬉しかった。
「えへへ。ありがとう、ケントさん! この羽飾り、絶対に大事にするね!」
マヤはさながら宝物であるかのようにそっと羽飾りに触れながら、満面の笑みをケントに向けた。
それからまた少し歩くと、休憩するのにちょうど良さそうな木製のベンチがケントの目に留まった。
「マヤ、朝からずっと歩きっぱなしだけど、疲れてないか?」
「あ、うん。こんなに長い時間誰かと遊んだのなんて初めてだから、ちょっとはしゃぎすぎたかも、えへへ……」
「なら、帰る前にあの辺でちょっとだけ休むか」
ケントはそのベンチを指差す。二人はそこに並んで腰掛けた。
「なあ、マヤ。一つ聞いてもいいか?」
「うん。なあに?」
「その……昨日マヤのお父さんが、『国のために知識や教養を身につけるのは貴族として当然のことだ』って言ってただろ? やっぱり、マヤもそんな感じで普段から厳しい教育を受けてるのか?」
「……うん。今は冒険者としての実績を積むために外に出ることが多くなったけど、昔はずっと家の中で本を読んだり、魔術の修行をさせられてたんだ」
「そうなのか……」
冒険者の仕事を始めてからは父親の目から離れることも増えたが、それでも依頼を受けて外に出る際には屋敷に帰るまでの日付や時間を決められており、それを過ぎた場合はその理由を厳しく追求されるなど、自由とは程遠い生活をしていた。
「どうして?」
「いやな。家にいるときのマヤが、何というか凄い辛そうに見えたからさ。本当は勉強とか訓練が嫌なんじゃないかって思ったんだ」
「ううん、それは嫌っていうわけじゃないよ? 新しいことを覚えたり、出来なかったことが出来るようになるのは楽しいから。でもね、私がどんなに頑張っても、お父さんは『クラヴィス様の遺志を継げるようこれからも精進しなさい』としか言ってくれないの。それはちょっと嫌かな……」
いかに優れた才を持っているとはいえ、彼女はまだ十四歳である。一家の当主や組織の長といった責任ある立場に就くには肉体的にも精神的にも十分に発達しているとは言えず、ランベルトとしてはそこがもどかしいようだった。
「ならいっそ、このまま家から離れて冒険者として活動し続けることは出来ないのか? クラヴィスさんの願いは、魔物に怯える人を無くすことなんだろ? だったらそれでも……」
「それは出来ないよ。だって、アデルマギア家の家督を継げるのは私だけだもん。私のわがままで、ご先祖さまが今まで頑張ってきたことを無駄にするわけにはいかないよ」
クラヴィスより後の子孫は決して才能に恵まれてはいなかったものの、それでも子を成すという形で彼の遺志を繋いできた。そうして生まれたマヤの存在こそが、彼らの行動が実を結んだ証である。そのことを彼女は若いながらもしっかりと理解していた。
「きっとね、お父さんは不安なんだと思うの。自分には家の没落を止められなくて、私に全てを託すしか無かったから。だから、私はクラヴィス様みたいな立派な魔術師にならないといけないの。それでアデルマギア家を再興させて、お父さんを安心させてあげたい。でも……」
そこまで言うと、マヤは思わず決壊してしまいそうな感情を守るように、両手で膝を抱えてうずくまった。
「でも、やっぱり辛いよ……」
「マヤ……」
貴族に生まれた者として、類まれなる才を持って生まれた者として自身の責務を果たせるよう精進し、そして父の期待に応えたい。頭ではそう思っているとはいえ、それでも父親からクラヴィスの血を引く者としての使命を背負わされることに、まだ幼い彼女は重圧を感じずにはいられなかった。
「……ううん、弱音なんて吐いちゃ駄目。私はアデルマギア家の未来を背負わなきゃいけないんだから、もっとしっかりしないと」
マヤは悶々とした気持ちをかき消すかのように首を横に振る。そして気を取り直すと、ベンチからすっくと立ち上がってケントに向かい合った。
「今日は私のお願いをいっぱい聞いてくれてありがとう! 少しの間だけど、自分が普通の女の子になれたみたいで楽しかったよ?」
「ああ。俺も楽しかった。それに、お前の気持ちを聞けて良かったよ。あと二、三日くらいの付き合いだろうけど、その間くらいはお前が本当に悩んでたり苦しい時は絶対に力になるから、あんまり一人で抱え込まないようにな?」
「本当に!?」
するとマヤは自分の足元に視線を下ろしてから、もじもじとした様子でこう言った。
「……それじゃあ、最後にもう一つだけお願いしたいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「うん? 何だ?」
「あのね、今度からケントさんのこと、お兄ちゃんって呼んでもいいかな?」
「……えっ!?」
彼女の口から出た思いもよらぬ言葉に、流石のケントも面食らってしまう。
「お、お兄ちゃん……?」
「うん。一緒に街を見て回ったりお買い物に付き合ってくれたりして、それに凄く優しくしてくれて。私、兄弟とかいないから、もしお兄ちゃんがいたとしたらきっとこんな感じなのかなって思ったの。だから、ね? お願い!」
「うーん……」
ケントは返答に窮する。年下というだけで血の繋がりがあるわけではない女の子から『お兄ちゃん』と思われるのは、何となく気恥ずかしかった。
しかし、すぐに少し前のやり取りを思い出す。目の前にいる少女は身分と才能による重責と、それに伴った厳格な教育に辛いながらも必死で耐えている。そんな彼女の精神的な支えに少しでもなれるなら、どのようなささいな願いでも叶えたいと、ケントは意を決してこう答えた。
「……ああ、いいぞ? 俺もマヤみたいないい娘が妹だったら、嬉しいからな」
「いいの!? やったあ!」
マヤは今日一の天真爛漫な笑顔をケントに向ける。それは貴族という身分や天才魔術師という肩書きを思わせるようなものはない一人の女の子としての顔で、ケントは彼女を街まで連れ出して良かったと、心からそう思えた。
「ああでも、マヤのお父さんの前では今まで通りにな? じゃないと、絶対にやばい気がするからさ……」
「う、うん。そこは私も気を付けるよ……!」
自分の娘が赤の他人を兄と呼んでいることをランベルトに知られたら、確実にただでは済まない。そこは両者とも察しているようだった。
「さて、門限に遅れちゃまずいし、そろそろ帰るか!」
「うん、行こ? お兄ちゃん!」
日が落ち始めるまでにはもう少し余裕があるとはいえ、なるべく早めに戻らなければ他の仲間を心配させてしまう事になる。
やりたいことも時間の許す限りやり終えた二人は、手を繋いで真っ直ぐに帰路へとついた。
それから地平線へと日が沈み始めた頃、ケントとマヤは待ち合わせ場所である屋敷の門前まで戻ってくる。
他の仲間は既に帰って来ており、二人が到着したことでようやく全員が合流する形となった。
「悪い、待たせたか?」
「ええ、少しね。あなたたちが帰って来なかったらどうしようって、ちょっと心配だったのよ?」
エルナは二人が刻限前に戻って来たことに安堵する。そして、ケントの少し後ろに立っていたマヤに視線を向けた。
「どうかしら、マヤ? 今日はゆっくり出来た?」
「うん! 見て、この髪飾り。お兄ちゃんに買って貰ったの!」
マヤがそう言うと、辺りにしんとした空気が流れる。どうやら、彼女の口から発せられた言葉に困惑しているようだった。
「お、お兄ちゃん?」
「えっ? あっ、その……」
なぜケントを『お兄ちゃん』と呼んでいるのか、エルナたちは理解していない。その事に気付いたマヤはあたふたとしながら、少し前のやりとりについて話し始めた。
「えっとね、今日一日ケントさんと一緒にいて、こんなお兄ちゃんが欲しかったなあって思ったの。だから、これからはお兄ちゃんって呼びたいって言ったら、いいって言ってくれて」
「あら、そうだったの? 良かったわね、ケント。こんなに慕われるなんて、ちょっと羨ましいわ」
「まあな。お前に言われた通り、ちゃんと紳士的にエスコートしたからな」
「ふーん、本当かしら? まあでも、マヤが楽しそうにしてるなら、あなたに任せて良かったのよね」
ケントが実際に紳士的なエスコートをしていたかどうかは、エルナには知るよしもない。しかし、彼と一緒にいた時間がどうだったかを知るには、マヤの満足気な表情を見ればそれで十分だった。
「そうだ! それなら、私たちのこともお姉ちゃんって呼ぶのはどう? ケントだけじゃなくて、私たちにだって甘えてもいいのよ?」
「えっ、本当!?」
「もちろんよ! だってマヤ、家にいる時よりもずっと楽しそうな顔をしてるもの。ケントも気にしてたけど、普段は家のことで大変な思いをしてるのよね? それなら、せめて私たちと一緒にいる間くらいはリラックスさせてあげたいわ」
「えへへ、嬉しい!」
マヤはその身分や才能、そしてそれに不釣り合いなほどに若すぎる年齢から、周囲に友達のような感覚で接して貰えることは少なく、どちらかといえば畏敬の目で見られることが多かった。だからこそ、自分とそこまで歳の離れていないケントたちと心の距離を縮められたことが、彼女には嬉しかった。
「さて、完全に日が沈む前にランベルトさんに帰ったことを伝えないといけないし、そろそろ中に入らないとな」
ケントたちは会話もそこそこに切り上げて屋敷の中へと入る。そして全員で戻って来たことを報告するために、自室に控えているランベルトを訪ねた。
「どうやら時間通りに帰ってきたようだな」
「はい。今日は俺の頼みを聞いていただいて、本当にありがとうございました」
「うむ。では、夕飯の時間まで自由にしているといい。以上だ」
ランベルトが机越しにそう言うと、ケントたちは彼に背を向けて部屋から退室しようとする。
「マヤ、お前は残りなさい。少し聞きたいことがあるのでな」
「え? う、うん」
しかし部屋の扉を開けようとした途端、マヤだけがランベルトに呼び止められた。そのため、彼女は元いた位置まで戻ってケントたちの背中を見送る。
そして他の全員が去って父と二人きりになったところで、マヤは父にこう尋ねた。
「……それでお父さん。聞きたいことってなあに?」
「その髪に付いている羽飾りについてだ。我が家が所有する装飾品に、そのようなものはなかったはずだが」
ランベルトはマヤの頭に付いている羽飾りを指差す。
「えっとね、これはおに……ケントさんが私たちの家にお世話になるお礼にって、ここに帰ってくる前に街のお店で買ってくれたの」
「そうか……」
それを聞くとランベルトは掛けているメガネを押さえ、そして冷たい様子でこう言い放った。
「外しなさい」
「……え?」
あまりにも唐突な父親の指示に、マヤは動揺のあまり固まってしまう。
「聞こえなかったのか? 外しなさいと言ったのだ」
「ど、どうして……?」
「見る者が見れば分かる。その羽飾りは安物だろう? そんなものを身に付けて、平民と間違われたらどうする? いついかなる時も、自分が貴族であるという意識を持てと、いつも言っているだろう」
マヤの家は没落して経済的にも相当苦しくなっているとはいえ、それでも貴族という身分を示すために衣服や装飾品に関しては高価なものを身に付けている。事実彼女の衣服や胸元のブローチと比べれば、ケントが買った羽飾りはあまりにも庶民的で、質素なものだと言わざるを得なかった。
「それに平民から施しを受けたなど、他の貴族に知られたらどのような目で見られるか……」
「施しなんて、ケントさんはそんなつもりで買ったんじゃ……!」
「あの者の意思など関係ない。ただでさえ先代が魔術師団長の座を追われて以来、他の貴族の我が家に対する風当たりは強くなっているのだ。誤解を生むような行動は控えてもらわねば困る。さあ、早くそれをこちらに渡しなさい」
「…………」
これはマヤにとって、日常的な光景だった。ランベルトの言うことに対し彼女が何か言い返そうものなら、淡々と理屈的に押し込めようとする。だが、それは娘が一人前の貴族になることを願ってのことで決して悪意があるわけではなく、それだけにマヤも反論出来なかった。
結局マヤは諦めたようで、羽飾りを外すとそれをランベルトに手渡した。
「それは、どうするの……?」
「折を見て、あの者に返却する。まったく、昨日のことといい、彼はどうにも身分の違いというものを理解していないようだな」
受け取った羽飾りを机の引き出しにしまいながら、ランベルトは神経質そうな表情でため息をつく。
「さて、話は終わりだ。彼らと共に万全な準備をした上で、息抜きに丸一日を費やしたのだ。明日の依頼、つつがなく達成することを期待しているぞ?」
「……うん」
父の言葉に上の空で返事をすると、マヤは呆然と肩を落として無気力な足取りで父の部屋を後にした。
「…………」
それからマヤは自室に戻ると、座学や読書のためにある机の前に置かれた椅子に腰掛ける。外はあんなに賑やかだったのに、家の中は時計の音すら鮮明に聞こえるほどに静かで、やはり息が詰まる思いだった。
そこで彼女はおもむろに自分の頭の、元々羽飾りを付けていた場所に手を触れる。だが、もうそこには何もない。
「ぐすっ、うぅ……」
そしてそのことを再認識した瞬間、とうとう込み上げるものを押さえきれなくなってしまった。
他に誰もいない部屋の中で、一人の少女の啜り泣く声だけが静寂にそっとこだましていた。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。
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