アデルマギアの使命
それから交渉を終えたケントたちは、ランベルトによって客間へと案内された。
「ここだ」
通路にはちょうど五人分の部屋が並んでおり、ランベルトがその中の一部屋を開ける。そこには机と椅子のセットに身だしなみを整えるための鏡台、そして大きめの綺麗なベッドが用意されており、普段は冒険者宿で寝泊まりしているケントたちにとっては贅沢過ぎるほどの空間が広がっていた。
「食事の時間になったら私の妻を向かわせる。それまでは自由に過ごしていてくれ」
ランベルトはそう言い残すと踵を返し、規則的な足取りで自室に戻っていった。
彼の姿が見えなくなったところで、ケントたちは早々に自分が利用する部屋の中へと入っていく。
「よいしょっと」
ケントは部屋に入るなりすぐにベッドの縁に腰掛け、近くの壁に携帯していた武器や荷物を立て掛ける。
それからしばらくくつろいでいると、誰かが部屋をノックする音が彼の耳に届いた。
「お邪魔するわよ」
ケントが扉を開けると、そこにはエルナが立っていた。後ろにはニュクスとリューテとソニアの三人の姿もあり、全員が一堂に会することとなった。
「何というか……やっぱり皆、俺の部屋に集まってくるんだな」
「別にいいじゃない。今までもそうしてきたし、変えなきゃいけないことでもないでしょう?」
「まあ、そうなんだけどさ」
エルナたちは椅子や床など、各々適当な場所を選んで座る。
「いやあ、それにしても良かった。まさか俺の頼みを聞いてくれるばかりか、寝床と食事まで用意してくれるなんてな。見た目は厳しそうだったけど、思ったよりもいい人みたいで安心したよ」
「何だか体よく利用されている気もしますがね。まあ、ただで貰えるというのもそれはそれで怖いので、取引を介する方が安全ではありますが」
周囲が取り留めのない世間話で賑わうのをよそに、ケントは早々にベッドに横たわる。
「さてと、食事の時間になるまでまだまだ掛かりそうだし、俺は少し仮眠でもとるかな」
「えー、寝ちゃうんですか? それよりもマヤさんもここに連れてきて、皆さんで遊びましょうよお!」
「駄目よソニア。あの娘、今はお勉強中みたいなんだし、邪魔しちゃ悪いわ」
ソニアはここでも持ち前の元気さと奔放さを失わないようで、マヤの部屋まで行こうとするのをエルナに引き止められる。
「それにしても帰ってきてすぐに勉強だなんて、いくら何でも大変すぎじゃないか? あの娘も、心なしか嫌そうだったし」
「貴族は国に貢献するため、優れた能力と人格を求められるからな。そのためには子供の頃から厳しい教育を受けるものだ」
「それにしたってなあ。何にせよ、あんまり無理してなきゃいいんだけど」
それからケントたちはしばらくの間仮眠を取ったり、仲間と雑談に耽ったりと思い思いに自由に時間を潰していた。
それから何時間かすると、客間の扉が「キィ」と音を立てて開く。
「失礼いたします」
するとマヤと同じ桃色の髪を背中まで伸ばした、大人びた雰囲気の女性が入ってきた。
「えーっと……」
「ああ、いけない。紹介が遅れましたね。私はランベルトの妻、ニーナと申します。以後お見知りおきを」
ニーナと名乗ったその女性はケントが困惑しているのを見て、そこで自分が初対面であるということに気付く。そして、自己紹介をしてから優雅な所作でお辞儀をした。
「さて、食事の準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
「ああ、ありがとうございます。他の皆にも声を掛けて来ます」
「いえ、私が他の方々もお呼びしますから、先に食事部屋にお集まりいただければと」
「分かりました。では、お言葉に甘えて」
ケントはニーナに一礼すると、部屋から出ていった。
ケントが食事部屋に到着すると、そこには既にランベルトが上座に座っており、その右隣にマヤが座っていた。
「来たか。君はそこの席に座りたまえ」
「あっ、はい……」
ランベルトはマヤの正面の、その一つ隣にある席を手のひらで示す。ケントは言われるがままにそこに腰掛けた。
それから間もなくエルナたち四人もやって来て、最後にニーナがマヤの向かいの席に着いたところでランベルトが食事に手をつけ始める。
「うっはー、美味しそうなスープ! いっただっきまーす!」
それが食事を始める合図だと受け取ったソニアは、遠慮なしにスープの入った皿を両手で持ち上げ、喉に流し込んだ。
「んぐんぐんぐ……ごほぁっ!? へ、変な所入っ、ごほっ、ごほっ……!」
「おまっ、食い意地張るからそうなるんだろ!」
ソニアのその場にそぐわぬ振る舞いに慌てたケントは、むせる彼女の肩に手を置いて心配しつつも、恐る恐るランベルトの顔を見る。
彼はその様子を、眉間にシワを寄せつつ無言で見つめていた。
「あの……済みません。俺たち、こういう場での作法とか何も知らないもので」
「今のは作法以前の話だが……まあいい。元より平民に貴族の作法など求めてはいない。気にせず食べたまえ」
問題のある行動だったがひとまずお目こぼしを貰えたと、安心したケントは気を取り直して目の前にある肉料理に手をつける。
しかし食事が始まって数分。その場にいる全員がただ黙々と料理を口に運ぶばかりで、会話らしい会話がまるでなかった。
「(食事のはずなのに、空気が重い……)」
それもそのはずで、普段の食事が和気あいあいとしているのは、対等な関係の仲間と共に気兼ねのない会話が出来るからである。しかし、今のケントたちは貴族の屋敷に招かれた平民の客人で、そこには明確な序列が存在する。そして当主であるランベルトが一言も話さなければ他の者も皆遠慮してしまい、結果として部屋中にはまるで上から押し潰されるかのように重々しい空気が流れるというわけである。
ケントは何となく決まりが悪くなって、飲み物の入ったグラスに手を伸ばすついでにさりげなく仲間の様子を伺ってみる。すると、エルナと目があった。彼女もまたケントと同じ心情なのか、眉をハの字にして不安げな顔を彼に向けていた。
「(……ここは俺が何とかするしかなさそうだ。だけど、いきなり踏み込んだ話をすると図々しいと思われるかもしれないな。まずは当たり障りのない話題から……)」
この状況を変えるには自分が主体となって盛り上げていくしかない。そう判断したケントはまずは会話の糸口を探るべく、軽い話題を見繕ってからランベルトに話し掛けた。
「それにしても寝床を用意してもらえて、本当に助かりましたよ。普通の宿だとたまに人が一杯で入れなかったりするので」
「……礼には及ばん」
「いえいえ。貴方の娘さんの紹介があったとはいえ、いきなり押し掛ける形でここに来たわけですから。俺たちみたいに屋敷に人を泊めることって、結構あることなんですか?」
「あまりない。特に、平民を泊めたことは今回が初めてだ」
「へえ、そうなんですか。やっぱり、俺が持ってた本が気になったからですか?」
「そうだ」
「…………」
「…………」
「(まずいな。また沈黙が……)」
気を抜けば会話が途切れてしまうが、それでもどうにかランベルトの口から言葉を引き出すことには成功した。この流れを絶やすまいと、ケントは次にマヤの話題を切り出した。
「ああ、そうだ! 昨日のことなんですが、偶然あなたのお子さんの魔術を見る機会に恵まれまして。いやあ、びっくりしましたよ。まだ十四歳なのにあんな強力な魔術を使えるなんて、本当に凄い娘ですね」
その言葉を聞いた途端、ランベルトはケントの方を見て、すぐに視線を外す。そして、重い口を開いてこう答えた。
「……うむ。確かに娘の魔術の才はクラヴィス様の再来とまで呼ばれるほどに卓越している。アデルマギア家の背負う使命を果たす者としては申し分のないほどにな」
「アデルマギア家の使命?」
「そうだ。クラヴィス様は、人々が魔物に怯えずに生きられる国を作ることを志していた。我々は彼の子孫として、その遺志を継いでいかねばならない」
それまで最低限の言葉だけで黙々と喋るだけだったクラヴィスが、段々と語気に熱を帯び始め、更には口数も多くなっていく。
「しかし崇高な志を成すには、それに見合うだけの高い能力が必要だ。だというのに我が一族は代々、クラヴィス様ほど優れた魔術の才を持っていなかった。それ故に、アデルマギア家はここまで衰退したのだ。だが、この娘は違う」
ランベルトはそこで、マヤの方に顔を向ける。
「優れた才能を持って生まれた以上、お前はクラヴィス様の遺志を果たさねばならない。そのためにもいずれは家督を継ぎ、そして魔術師団の団長になるのだという自覚を持って、これからも精進することだ」
「うん……」
期待と重圧。父親の視線はまるで槍のように彼女の心に突き刺さり、言葉の一つ一つは鉛のように肩にのし掛かる。しかしそれを拒むことなど出来ようはずもなく、マヤはただうつむき、力なく返事をするのみだった。
「――――っ!」
そんな彼女の悲しげな顔を見かねたケントは、不意に立ち上がると激した様子でランベルトに詰め寄った。
「……さっきから聞いてれば志がどうだの使命がどうだのって、何も女の子一人にそんな重荷を背負わせることはないでしょう!?」
その声で彼らを取り巻く空気が押し潰すような重々しいものから、張り詰めたような緊張感のある空気に変わった。その変化に、その場にいた誰もが面食らった様子でケントの方を見る。
しかし、ランベルトだけはまるで動じることなく、淡々とした口調で彼にこう返した。
「ならば、誰が背負えばいいというのだ? 例えどれだけ崇高な志があろうとも、力が無ければ何も成しえない。私や、私の先祖のようにな。結局、力ある者が全てを背負うしかないのだ」
「なっ……!?」
ランベルトの主張はあくまでアデルマギア家が担う使命に固執したもので、それはマヤの意思をまるで省みていない。ケントはそのように感じて彼に憤慨した。
「そんなの、自分たちが残したツケをマヤに支払わせてるようなもんじゃないか! 才能を持って生まれたってだけで勝手に大きな責任まで背負わせるなんて、そんなの間違ってる!」
「…………」
ケントの言葉に、場の空気が一瞬だけ完全に静まり返る。それからランベルトは、呆れたようにため息を吐いてからこう言った。
「……はあ、何を訳の分からないことを。元より国の繁栄のために力を磨き、知識や教養を身に付けるのは貴族として当然の責務だ。優れた力を持つ者が、その力を振るう責任を蔑ろにすれば、この国の秩序はたちまち崩壊することになる。君の言っていることは、そういうことだ」
「だけど……!」
ランベルトの言い分に納得できないケントはなおも食い下がろうとする。一触即発な雰囲気に、誰もが食事の手を止めて仲裁に入るべきかどうか、慎重に見守る素振りを見せる。
その時だった。不意に部屋内に乾いた金属音が鳴る。その音に、その場にいた全員が振り向いた。
「ああ、失礼。つい手が滑ってしまって」
それはニュクスがナイフを床に落とした音だった。慌てた様子で床に落としたナイフを拾い上げると、彼女はランベルトにこう尋ねる。
「えっと、この場合はどうしたらいいでしょうか?」
「……ニーナ、替えのナイフを用意してやりなさい」
「はい、あなた」
ランベルトに言われて、ニーナはニュクスから落としたナイフを受け取ると、気持ち早めの足取りで厨房へと消えていく。
彼女の姿が完全に見えなくなったところで、ランベルトはケントに向かって口を開いた。
「……とにかくだ。我が家のことについて、余計な口を挟まないでもらおう」
それから間もなくニーナが戻って来たことで、食事の時間は何事もなく再開される。
ケントも幾分か頭が冷えたものの、胸の中に残るモヤモヤとした感情は拭えずにいた。
それから食事を終えると、エルナたち四人は再びケントの部屋に集まり、食事中での出来事について話し合うこととなった。
微妙に気まずい空気が流れている中、真っ先に口を開いたのはニュクスである。
「やれやれ、流石に焦りましたよ。何だか険悪な雰囲気になりそうだったのでナイフを落として私の方に意識を逸らさせてみたのですが、うまくいって良かったです」
どうやら先程ニュクスがナイフを落としたのは意図的なもので、下手に言葉を交わすよりも目立つ音を出して気を引く方が場を収めるのに有効な手段だと判断しての行動だった。
「全く、依頼主に喧嘩を売るなんて何を考えているんですか? ようやくあなたの記憶の手掛かりを見つけたのに、もしあの人の機嫌を損ねたら約束を反故にされるかもしれないんですよ?」
「……悪い。少し熱くなった。だけど、俺はあの人の考え方には少しも共感できない」
ケントはそう言うと、依然として残っている胸のわだかまりを仲間に吐露する。
「考えてもみてくれ。俺たちだって人に害を及ぼす魔物をしっかり討伐しなきゃって責任を感じることがあるだろ? だけどあの娘は俺たちよりも年下なのに国とか家とか、俺たちよりももっと大きな責任を背負わされてるんだ。あんなの、まともな精神力じゃ耐えられるとは思えない。他人事だからって見て見ぬふりをするのは、あの娘が可哀想だろ?」
「……まあ、あなたの性格は分かってるつもりですし尊重もしますが、それでもフォローするのにも限界があるんですから、今後はもう少し慎重にお願いしますよ?」
ともすれば困難な問題や他人の悩み事に対して馬鹿正直に向き合おうとし、そのために自身の置かれている状況を顧みることなく無茶をするきらいのあるケントを、ニュクスは複雑な心情でたしなめる。
「しかしあのやり取りを見る限り、思った以上に厳しい家みたいですね。それに、貴族にしてはあまり裕福というわけでもなさそうですし」
「裕福じゃない?」
「ええ。変じゃないですか? これ程大きな屋敷なのに、使用人の姿が一人も見当たらないなんて」
「確かにそうね。さっきの食事も、マヤのお母さんがニュクスの落としたナイフを替えてくれてたわ。そういうのって多分、使用人に任せるものよね」
「なるほど。言われてみればその通りだな」
外観の時点で大きい家だというのは分かっていたが、いざ中に入ってみると改めて普通の民家とは比べ物にならない、掃除をするだけで一日が終わってしまいそうなほどに大きな屋敷だと分かる。にも関わらず、これまでにケントたちが会ったのは当主であるランベルトとその妻のニーナ、そして二人の娘であるマヤの三人だけで、他には誰もいない。獣人で貴族という階級とは無縁のソニアを除いて、他の四人はそのことに違和感を覚えていた。
「恐らく、使用人を雇う余裕すら無いのでしょうね。貴族としての体裁を整えることもままならないくらい、この家は衰退してしまっていると」
「本来は歴史に名を残すほどの名家だ。周囲からは期待の目を向けられてきただろうし、それだけにその期待に応えられなかったことへの失望も大きなものだったのだろう。この家の現状は、さしずめその表れといったところか」
「偉大な先祖を持つというのも考えものですねえ。その人の血を引いているというだけで、子孫には常にその人の影が付いて回るんですから」
二人の言葉通り、現にアデルマギア家の歴代当主は皆『クラヴィスの子孫』として見られてきた。それは言うなれば彼の才と志を受け継ぐ者であるということを示す肩書であり、彼の子孫はその肩書にそぐわない自らの平凡さに苦しんできた。しかし、それでもいつかはクラヴィスの志を果たせるだけの才を持った者が生まれてくれればと次世代へと希望を託すことで何代にも渡って受け継がれてきた結果、それはさながら呪いのように今のアデルマギア家を蝕んでいた。
「(やっぱり、このままあの人からの頼み事だけこなして、それで終わりっていうのは釈然としないな。何か俺たちに出来ることはないものか……)」
ランベルトからは家のことに干渉するなと言われたが、悩んでいる様子のマヤを放っておくことも出来ない。であれば、せめて彼女の気持ちを楽にするきっかけだけでも作りたい。
それからエルナたちが各々の部屋に戻った後も、ケントはその事について考え続けていた。
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