王都アネモイ
そして翌日。まだ日が出始めて間もない頃から、商人とケントたちは村を出て王都までの道のりを進んでいた。
護衛にはリューテとソニア、そしてウーノとドゥーエの四人が出ており、残る四人は荷馬車の中でくつろぎながら談笑に興じている。
「へえー。ケントさん、記憶喪失なんだあ。何だかクラヴィス様みたいかも」
「……俺が? どういうことだ?」
「実はね、私のお家にクラヴィス様が生前に遺した手記があるんだけど、それによるとクラヴィス様も気が付いたらケントさんみたいに知らない所にいて、自分の名前以外は何も覚えて無かったらしいの。それで貴族になる前は、自分の記憶を取り戻すために国中を旅して回ってたみたい」
それを聞いて、ケントは目を丸くして驚く。マヤの口から語られたクラヴィスの過去は、まさに現在の彼が置かれている境遇と同じものだった。
「へえ、そりゃ確かに今の俺みたいだな。珍しい偶然もあるもんだ」
「そうかしら? もしかすると、偶然じゃないかもしれないわよ?」
「うん? どうしてそう思うんだ?」
「別に根拠って程のものじゃないけど、でも共通点はあるじゃない? こういうわずかな情報から、もしかしたら思わぬ発見があるかもしれないもの」
「まあ、確かにな。考えてみれば俺の記憶に関することって、今まで何の進展もないんだよな。手掛かりと言えるものなんて、せいぜいこの本くらいだし」
ケントは自分の所持品をしまっている袋から例の本を取り出す。すると、マヤはすぐさまそれに物珍しそうな反応を示した。
「わあっ、何だか変わった本だね」
「そうなんだよ。俺が目を覚ました時に唯一持ってたものなんだけど、何て書いてあるのかほとんど分からなくてな」
「ふーん。それ、私にも見せてもらってもいい?」
「ああ、もちろんいいぞ」
そう言ってケントが本を手渡すと、マヤはパラパラとページをめくって文字を目で追い始める。
「しかし、考えれば考えるほど奇妙な話ですねえ。武器も食糧もないのに本一冊だけ持って魔物の棲む森で倒れていたなんて、一体何があったらそんなことになるやら」
「本当ね。だけど、私たちは全然読めないのにケントは少しとはいえ読めるんだもの。きっとこの本が記憶の鍵を握っているのよね」
「読めるというよりは、正確には自然と頭に入ってくるって感じだけどな。何にしても、このままじゃ情報が無さすぎてどうしようも――」
「……あれ? この文字、見たことがあるかも……?」
「……何だって!?」
マヤの口から出た思いもよらない言葉に、ケントたちは息を揃えたかのように騒然とする。
「本当か、マヤ!? どこで見たんだ!?」
「えっと、クラヴィス様が遺した本に一冊だけ、お城にいる学者さんでも読めない文字で書かれたものがあるんだけど、それがこの本の文字と似ていたような……」
それは数年前、彼女が家の書斎にある本を漁っていたところ、他の本とは異なる文字で書かれた本が置いてあるのを発見した。
その本について気になった彼女が父に尋ねると、それはクラヴィスの遺品である本の写しであり、書いてある文字は城の学者すら解読出来ずに匙を投げたと言われたのを、マヤは覚えていた。
「ケントさん、これは……」
「そうだな。マヤ、王都に着いたら君の家に案内してくれないか? その謎の文字が書いてある本ってのを、俺にも見せてほしいんだ」
「えっ!? そ、それは……」
ケントの申し出に、マヤは困惑したような素振りを見せる。
「駄目よケント。マヤの家は貴族なんだから、会うにしてもちゃんとした手続きを踏まないと。いきなり押し掛けたって相手にしてくれないわよ」
「なんだ、そういうものなのか?」
それは知らなかったと、ケントは確認の意味を込めてマヤの方に顔を向ける。貴族については漠然と偉い身分の人くらいの認識しかないため、その辺りの作法についてはまるで疎かった。
「う、うん。一応そうなってるかな」
「それなら、まずは君から父親に掛け合ってみてくれないか? 俺たち、しばらくは王都に滞在する予定だから、今日じゃなくてもどうにか会ってくれる日を作ってくれると助かるんだけど……」
「うーん……」
通常平民が貴族と話をするのであれば書簡を送るか、あるいは村や街の代表者といった貴族と縁のある人物を介して話し合いの場を設けてもらう必要がある。
つまり娘であるマヤを介せばケントたちも彼女の父親と話が出来る可能性があるのだが、それにも何か不都合なことがあるようで、マヤは俯いて考え込んでしまう。
やがて十秒ほどの逡巡の末に、彼女は意を決したように口を開いた。
「……分かった、それならいいよ。ケントさんの話を聞いてもらえないか、帰ったらお父さんに頼んでみるね?」
「ありがとう、マヤ! 本当に助かるよ!」
ケントは内心で拳をグッと握りしめ、自分の頼みを了承してくれたマヤに礼を言う。
「思わぬ所で有力な手掛かりを手に入れましたね」
「本当、良かったわね、ケント! まだ王都に着く前なのに、凄く大きな一歩じゃない!」
「そうだな。だけど、まさか俺とクラヴィスさんにここまで共通点があるとはな。エルナの言うとおり、これは本当に偶然じゃないかもしれないな」
彼がエルナと出会った森で目を覚ましてから早数ヶ月。それまで多くの出会いはあれど、そのいずれも記憶に結び付くことはなかった。
しかし、ようやく自らの記憶に関する手掛かりが見つかった。そんな物事が目に見えて進展していく感覚に高揚を覚えつつ、ケントはまだ見ぬ王都の情景に思いを馳せていた。
そして村を出てから数時間。商人とケントたち冒険者の一行は、ちょうど昼に王都アネモイに到着した。
道中で一度だけ魔物の群れの襲撃に遭ったが、別段強い魔物でもなかったため軽くあしらい、その後は間に休憩を挟んで脚を休ませる。さしたる危険もなく、概ね順調な旅路だと言えた。
「ありがとう。ここまで乗せてってもらえて本当に助かったよ」
「なに。私たちの方こそ、君たちのおかげで大した魔物の被害に遭わずにここまで来られたんだ。ではまた、縁があればまた依頼を引き受けておくれよ」
商人たちはケントたちに頭を下げると再び馬車に乗り込み、人の行き交う広場に向かって馬を走らせる。
それから少しして、ウーノとドゥーエの二人もケントたちの元に歩いてきた。
「それじゃあ、私たちもこの辺で。マヤちゃん、またね?」
「短い間だったけど、中々楽しかったぜ? ギルドで見かけたら、いつでも声を掛けてくれよな!」
「うん! ウーノさんとドゥーエさんも、またね!」
腕を振って見送るマヤたちに対して、ウーノとドゥーエは手を振り返しながら歩いていく。
やがて二人の姿が雑踏の中へと消えていったところで、リューテがケントに顔を向けた。
「さて、まずはこの娘の家を訪ねるんだったな」
「ああ。マヤ、案内を頼めるか?」
「…………」
しかし、マヤからの返事は無かった。気になったケントがマヤに振り向くと、彼女は暗い表情でどこか遠くの方を見つめている。その視線の先には、両親と手を繋いで楽しそうにしながらどこかに出かけようとしている子供の姿があった。
「マヤ……?」
ケントが肩に手を置いて名前を呼ぶと、マヤはハッと我に帰って慌てた様子で振り向いた。
「……えっ⁉︎ あっ、ごめんなさい! ちょっとぼうっとしてて、えっと……」
「早速で悪いんだけど、君の家まで案内して欲しいんだ」
「うん、分かった。それじゃあ皆、私に付いて来て?」
マヤは身を翻して歩き出し、ケントたちもその後に続く。
こうして王都に着いて間もなく、ケントは自身の記憶探しの手掛かりを得るべく、仲間と共に彼女の家に向かうこととなった。
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