アデルマギアの娘
それから走ること数分。二人が牧場に近付いて来ている魔物を探していると、視線の先に複数の生き物が接近してくるのが目に入った。
「……あれか!」
それは狼のような出で立ちの魔物の群れだった。とはいえその身体は普通の狼と比べて一回りは大きく、爪と牙は人の肉体くらいであれば容易く切り裂いてしまうであろうほどに鋭く発達している。
「七、八……あの村人が言ってた通り、八匹か。大した魔物じゃなさそうだけど、数が多いのは厄介だな。ここは村まで退きながら何匹か減らして、そこから攻勢に出るのが良さそうだ。マヤ、俺が殿をするから、君は魔術で援護を――」
「ううん、ここは私に任せて」
マヤは自分の前に立っているケントの言葉を遮ると、ゆっくりと彼の前に出て、背中の杖を手にする。
「泰然たる揺籃の守り手よ。天蓋を穿つ無情の崩落。滅びを抱く慈愛の両腕。招来・砕撃・烈震・朽ちゆく哀鳴。遍く満つる破壊の力を、我が前に示せ」
「え? ちょっ、マヤ、何を……?」
「《天裂く流星》!」
そして何やら不可思議な、一聞すると呪文のような言葉を紡いだ。
すると次の瞬間、マヤの遥か頭上に巨大な魔法陣が浮かび上がり、そこからいくつもの球状の大岩が魔物目掛けて次々と発射された。
それはさながら一分の隙も無く降り注ぐ破壊の雨とでも形容すべきもので、魔物の群れは理解を超えた現象に思考を奪われたからなのか、はたまた何の前触れもなく迫り来る死に対する恐怖からなのか、まるで地に足を縛り付けられたかのように動くことなく、みるみるうちに大岩の中へと飲まれていく。
やがて大岩が消滅すると、そこには抵抗すら許されずに散っていった哀れな魔物の骸が転がっていた。
「え、えぇ……」
一網打尽という表現が何よりも相応しい、思わず息を飲むほどの圧倒的な光景。それが自分の目の前にいる少女の手によって作り出されたのだという事実に、ケントは言葉を失うほかなかった。
「……ふう。これでよし、かな?」
「あ、ああ、そうだな。もう辺りに魔物はいなさそうだ。それよりも――」
ケントは倒し損ねた魔物はいないか周囲を見回し、安全な状況になったことを確認してからマヤに向き直る。
「さっきの魔術、本当に凄かった。やっぱり、噂の女の子は君で間違いなさそうだな」
「えへへ、ありがとう! でも、噂って?」
「俺たちが護衛した商人が話してたんだよ。仲間の商人に付いている冒険者の中に、まだ十四歳なのにBランクの女の子がいるって。それでどんな娘なのか、一度会ってみたいと思ってたんだ」
当初は会って軽く話をするだけのつもりだったが、意図せずして実力を見ることも出来た。そういった意味では今回の魔物の襲来は、彼にとって有意義な結果をもたらすものとなった。
「だけど、実際に会ってみたら俺の予想以上だったんで驚いたよ。一体どうしたらその歳でそれだけの魔術を扱えるようになるんだ?」
「ええっと、それは私の――」
ケントの問いに対してマヤが何かを言いかけた、その時だった。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
「うおわっ!?」
突如として背後から聞こえた、開けた場所であるにも関わらずよく響く不用心な大声に、二人は驚いて同時に振り向く。
「……なんだ、お前か。何だか今日は会話を遮られることが多い日だなあ……」
「お待たせしました! さあ、村の平和を脅かす不埒な魔物どもを、ワタシたちでぶっ飛ばしてやりましょう!」
声の主は案の定ソニアだった。どうやら、牧場にいた村人の知らせを受けていち早く駆け付けてきたようだった。
そして到着するや否やすぐさま戦闘体勢に入って、先程まで魔物がいた方向に顔を向ける。しかし、彼女の目に映ったのは、マヤの攻撃によって既に息絶えている魔物の群れだった。
「……って、ありゃ? もしかして、もう終わっちゃいました?」
「ああ。ついさっき、この娘が全部片付けてくれたよ」
ケントはマヤの肩にポンと手を置く。
「えへへ。初めまして、獣人さん! 私はマヤ。こう見えても、魔術の腕には自信があるんだよ?」
「ほえー、そうなんですか!? ワタシたちよりも小さいのに、やりますねえ!」
マヤはソニアがケントの仲間だと分かると、物怖じすることなく話し掛ける。
互いに天真爛漫な者同士で気が合ったのか、ソニアがマヤを背中に担いだり、マヤがソニアの耳や尻尾を触ったりとスキンシップを交わしているうちに、二人はいつの間にか意気投合していた。
そのようなやり取りをしているうちに、再び後方からケントたちを呼ぶ声がした。
「おーい、お前らー!」
今度はウーノとドゥーエの二人だった。後ろにはエルナとニュクス、そしてリューテの姿もある。どうやら、牧場主の村人に呼ばれて急いで駆け付けてきたようだった。
「あ、ウーノさんにドゥーエさん!」
「魔物が襲ってきたって聞いたから来てみたんだけど……よかった、何ともないみたいね」
「な、言ったろ? この辺の魔物ぐらいなら、この娘が付いてりゃ何も心配ないって」
「私もそう思ってたけど、かと言って何があるか分からないんだから、助けに向かわないわけにはいかないでしょ?」
マヤの実力を知っていた二人はケントたちが先行して魔物と戦っているという知らせにそれほど焦っていなかったようで、着いて早々軽口を言い合う。
「まあ色々と積もる話もあるだろうが、暗くなる前にひとまず宿に戻ろうぜ? そろそろ飯も出来る頃合いだしな」
魔物の脅威は去った以上、ここに留まる理由もない。
ケントたちは会話もそこそこに切り上げて、沈む夕日を背に宿に戻っていった。
それから食事の時間となり、ケントたち一行はウーノとドゥーエ、そしてマヤの三人と席を共にし、互いに親睦を深め合っていた。
「それにしてもよかったわね、ケント。この娘の魔術を間近で見られたんでしょ? やっぱり凄かった?」
「そりゃもう、凄いなんてもんじゃなかったさ。八体もいた魔物を、魔術一つであっという間に全滅させたからな。俺の出る幕が全然なかったよ」
ケントはそこで野菜の入ったスープを口に運ぶと、ウーノたちの方に視線を移す。
「魔術師って、皆あれくらいのことが出来るのか?」
「まさか。もしこの娘が魔術師の標準だったら、他の武器の歴史なんて存在しなくなるわよ。魔術っていうのは、本来は誰でも扱えるわけじゃない高度な技能なんだから」
「初級程度の魔術ならともかく、それより上は何年何十年と鍛練を重ねてじっくりと極めていくもんだからな。だが、この娘は十四歳でその領域に踏み込んでるときた。天才どころか、精霊の寵愛を受けてると言われても信じられるくらいだぜ」
「……マヤちゃん。もしかして君は、貴族の生まれなのか? それも魔術師の家系の」
三人のやり取りが終わったのを見計らって、リューテはマヤにそう尋ねる。
「へえ、どうしてそう思った?」
「魔術の才は、血筋による所が大きいと聞く。とはいえ、いくら優れた実力を持っていても、まだ十四歳の子供をギルドが何の後ろ楯もなくいきなりBランクの冒険者に認定するとは思えない。それに、普通の冒険者にしては身なりや作法があまりにも綺麗過ぎる。となれば、この娘は魔術の才に秀でた、高貴な家柄の出なんじゃないかとな」
リューテはこれまでの話とマヤの立ち振舞いから、彼女の出自をそのように推測していた。
それに対して、ウーノは感心した様子でこう答えた。
「なるほど。随分と鋭いねえ、あんた。その通りだ。だが秀でてるなんて、そんな次元じゃないんだな、これが」
「と、言うと?」
「そうだな、クラヴィス・ウィル・アデルマギアって名前は知ってるか?」
ウーノのやけに勿体ぶったような言い回しを内心もどかしく思いつつも、リューテは彼の質問に丁寧に返答する。
「詳しくは知らないが、聞いたことはある。たしか、王国に魔術師団を設立して魔術の基礎を作り出した、この国の歴史にも残る偉大な魔術師だったか」
「あっ、私も知ってるかも。たしか、まだ小さい頃お母さんが読ませてくれた本の中に、クラヴィスっていう名前の魔術師が主人公の物語があったような……」
クラヴィス・ウィル・アデルマギア。魔術の道を志す者で知らない者はいないほどに偉大な魔術師である。
彼は二百年前、まだ魔術という概念がなかった時代に突如としてこの国に現れ、常人とは比べ物にならないほどの膨大な魔力量と四大属性全ての適性を持つ天賦の才でもって、国が総力を挙げて戦わなければならないほどに強大な龍の魔物の討伐に貢献した。多くの死者を出し、国土の五分の一が大火に焼かれるほどに熾烈を極めたその戦いは、討伐した魔物の名前を取って『スルトベルグの厄災』という名称で王国史にも記されており、数多くの物語が作られて現在でも冒険者や騎士の間で伝えられている。
そして、クラヴィスは当時の国王からその功績を称えられてアデルマギアという姓と共に爵位を与えられ、その後自身の持つ技術を後世に遺すため、魔法を研究、研鑽するための機関である魔術師団を設立した。それから彼はそれまでは魔法と呼ばれていた、魔力を用いた行動一つ一つに名称を付け、属性や習熟難易度で体系化し、更には詠唱を編み出すことにより発動を安定化させた。そうして生まれたのが、魔術という概念である。
「……まさかとは思うが、その娘は……」
「そう、そのまさかだ!」
そこでウーノは満を持してとばかりに、話題の中心となっている少女に顔を向ける。
そして全員の視線が自分に集中したのを見計らうと、マヤは胸元に手を添えてケントたちにこう告げた。
「私の本名はマヤ・ニーナ・アデルマギア。クラヴィス様は、私の遠いご先祖様なの」
彼女の口から語られたのは、自身の本名だった。
魔術の天才であり、Bランクの冒険者という幼い見た目にそぐわぬ肩書を持つ少女は、偉大な魔術師を先祖に持つ貴族の生まれだったのだ。
「なるほど。噂を聞いた時からただ者ではないと思っていましたが、まさか歴史的な名家の息女だとは。流石に驚きですねえ……」
「だが伝説の魔術師の末裔であるというならば、その歳でそれほどの技量を持っているのもうなずけるな」
「ん? だけど待ってくれ。それならどうしてマヤは冒険者になったんだ? この国のことはよく分からないけど、貴族が冒険者になるなんてことがあるのか?」
ケントの見立て通り、冒険者の大半は姓も持たない平民である。それだけに貴族の娘であるマヤが冒険者をしている理由が、彼には気になってならなかった。
「そいつは俺も気になってたんだ。貴族の家なら、普通は騎士か文官として国に仕えるだろうからな。ましてや魔術師団の設立者の子孫だってんなら、なおさらそこに所属して騎士の道を進むのが筋だろうに。わざわざ冒険者なんかやるなんざ、何か理由があるのか?」
「ええっと、それはね……」
二人の問いに、マヤは口を結んでしまう。どうやら彼女にとってあまり触れられたくない領域に踏み込んだ話題だったようで、それまでの快活な振舞いから一転、眉の端が下がりいかにも困ったというような表情を浮かべていた。
それからしばらくの間沈黙が続くと、マヤはようやく話す決心をしたようで、重々しく口を開いた。
「魔術師団の団長は代々、伝統的にアデルマギア家の当主が務めていたの。クラヴィス様の子孫なら、優れた魔術の資質を持っているはずだからって。だけど今は、それが変わっちゃって……」
「変わった? 何があったんだ?」
「クラヴィス様の子孫は私が産まれるまで誰も、クラヴィス様ほど魔術の才に恵まれなかったみたいなの。それでお祖父ちゃんの代で、他の人に変わることになっちゃったんだ……」
創設者は建国史上類を見ない程の傑物であったにも関わらず、その子孫の才能はいまいち奮わなかった。そしてそれが何代も続けば当然、アデルマギア家が世襲的に魔術師団の長を担うことに疑問を持つ者も次第に増えていく。それが決定的になったのが、マヤの祖父の代である。
彼が団長を務めていた時代には既に、アデルマギア家は周囲からクラヴィスの威を借りるだけの没落した貴族のような扱いを受けており、他の優れた魔術師の名家による派閥争いが起きるまでになっていた。
そのような中でも、彼はアデルマギア家の名誉に泥を塗るまいと自らの職責を全うしようと努めてきた。しかし結局周りの評価が変わることはなく、さらに悪いことに自身の息子、すなわちマヤの父親もまた魔術の才に恵まれなかったことが決定打となり、とうとう他派閥に後塵を拝することとなってしまった。先祖代々受け継いできた地位を失ったことで、アデルマギア家の栄光は完膚なきまでに過去のものとなったのだ。
「なるほどねえ、魔術の才は血筋だってそこの嬢ちゃんが言ったけど、必ずしも全てを受け継ぐわけじゃねえってことか」
「うん。だけど、私は違った。私に魔術の才能があるって分かった時、お父さんは奇跡だって凄く喜んでたの。没落した家を、これでようやく立て直せるって」
現に、彼女は魔術師団の間では伝説の再来とまで評されており、次代の団長として有力視する者もいる。凋落の一途を辿っていたアデルマギア家にとって、マヤの誕生はまさしく天がもたらした奇跡だった。
「そんなことがあったから、将来は私が魔術師団の団長になってアデルマギア家を再興させなきゃいけないんだけど、でもそのためには目に見えるくらいの大きな功績が必要で、だからお父さんに言われて冒険者をすることになったの」
騎士の仕事は国を守ることであり、それは税の徴収であったり人間同士の諍いの調停であったりと様々で、魔物の討伐はその一環に過ぎない。そのため、差し迫った状況でもない限り積極的に魔物の討伐に赴くことはなく、目に見えるほどの大きな功績を短期間で作ることは難しい。そして何より、当のクラヴィスが素性の不明な平民の冒険者から貴族になり、魔術師団を設立してその団長になったという経歴がある。
マヤが父親に言われて冒険者をしているのも、将来的に魔術師団の長となるに相応しい資質を持っているということを人々に大々的に示すためである。
「うーん。ワタシには難しいお話でよく分からなかったですけど……でも、マヤさんも大変そうですねえ……」
「とはいえ、血筋ではなく能力でトップを決めるというのは健全なことだとは思いますがね。そうでなければ、組織はたちまち腐敗してしまいますから」
「それでも、当人からすればそんな簡単に受け入れられるもんじゃないだろ。それまで自分の一族が務め上げてきたっていうプライドがあるだろうし」
「うん。クラヴィス様が築いてきた名誉を守れなくて、お父さんもずっと苦しんでるの。だから早く立派な魔術師になって、私がアデルマギア家の名誉を取り戻さなきゃ……!」
「…………」
ケントたちの会話を遠巻きに眺めていたウーノは、隣にいるドゥーエにしか聞こえないくらいの小さな声でひそひそと呟く。
「……貴族ってのは面倒なもんだな。自分の生き方を家だの身分だのに縛られるなんざ、平民の俺には到底理解できない話だ」
「そんなに悪く言うものじゃないわ。私たちみたいな平民とは違って、貴族には貴族の責務があるんだから、あんな小さな子供でもあんたみたいにいい加減じゃいられないのよ。ましてや伝説の魔術師の家系だっていうなら、なおのことよ」
正反対な性格の二人は、いつものように正反対の主張を交わし合う。しかし、視線は共にマヤの方を向いており、似たような面持ちを浮かべていた。
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