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前夜

ギルドでの受付を済ませた後、ケントはエルナと共に街にある酒場で食事をしてから、冒険者のための宿を借りていた。


「はあぁ、疲れた……」


 溜まった疲労を絞り出すかのようにため息をついた後、ケントはに横たわる。

 目が覚めたと思ったら記憶がないうえに魔物に襲われ、エルナと名乗る少女に助けられて街まで案内してもらい、ギルドで冒険者登録をする。

 時間にして半日にも満たない出来事であるはずなのに、とても重厚な一日であったと、ケントには感じられた。


「それにしても、こんな場所もあるんだな」


 エルナによると、ここはギルドと提携している宿のようで、冒険者であることを証明すれば格安で泊まることが出来るとのことだった。

 もっとも、現在ケントはお金を持ち合わせていないため、明日に受ける予定の依頼の報酬から少し前に酒場でとった食事の代金も含めて差し引く形で、エルナに立て替えてもらっている。


「よし、今のうちに地図を確認しておくか」


 ケントは、ギルドで冒険者登録をした際に貰ったアストリオス王国の地図を懐から取り出すと、それを眺める。


「えーっと、真ん中にあるのが王都アネモイで、ここにあるのが今俺がいる街、ゼピュロスか。なるほど、エルナが西の街って言ってたのはこういうことだったのか」


 アストリオス王国の中央に位置する王都、アネモイ。ゼピュロスはそこから西に位置する街であるため、人々には「西の街」という名称で呼ばれることがある。そして、西があれば当然東にも、さらには北と南にも街がある。地図上には、東・北・南の順に、それぞれ「エウロス」・「ボレアス」・「ノトス」と、街の名前が書いてあった。


「ま、地図はこれくらいでいいかな。後はこの本でも……」


 大まかな地理を把握したところで、ケントは地図を近くの机に置く。そして代わりに自分の唯一の所持品である謎の本を手に取った。


「……はあ。何で俺は、自分が読めないような本なんか持ってたんだ?」


 何度読み返そうが中身は相変わらず不可解な文字の羅列で、ケントはいよいよ面倒になったのか寝そべりながら本を顔の横に置き、流れ作業のように一枚一枚適当にページをめくっていく。


「……え?」


 しかし、その時だった。ケントは飛び上がるようにばっと起き上がると、本の中のある一文にそっと指を這わせる。


「なんだこれ……ここだけ、書いてあることが読める……?」


 何と、他の部分は全く読めないにも関わらず、そこだけは頭の中に入ってくるように自然と理解できたのだ。

 不意の出来事に困惑しながらも、ケントはぼそぼそとその部分を読み上げた。


「大いなる生命の力持ちて理を歪めし大樹に到るべし。双世の選択、ここにあり……?」


 しかしいざ読んでみたものの何のことかはさっぱり分からず、ケントは怪訝(けげん)そうな顔で首をひねる。


「何だこりゃ。一体どういう意味――」

「ケントー! いるかしら?」


 その時だった。ケントの耳に自分を呼ぶ声と扉をノックする音が聞こえる。


「ああ、ちょっと待っててくれ」


 ケントは本を読むのを中断すると、すぐさま起き上がって扉の前まで足を運び、ドアノブに手をかける。キィィ、という木製の扉が開く音と共に、エルナが姿を見せた。


「ごめんなさい。こんな夜遅くに」

「いや、大丈夫だ。それで、どうかしたか?」

「うん、寝る前に明日の依頼の確認をしておきたくて。部屋に入るわね?」


 エルナはそう言って部屋に入ると、さっきまでケントが寝そべっていたベッドにゆっくりと腰掛ける。それを見てケントも、彼女の隣に腰を下ろした。


「まず依頼の内容だけど、今日あなたがいた森に行って、薬の材料になる野草をいくつか採取することよ」

「採取か。それなら俺でも何とか出来そうだな。だけど、俺には野草の見分けが付かないな」

「そこは私が分かるし、あなたにもしっかりと教えるから安心して? ただ、薬になる野草にもいくつか種類があるから、あなたには明日の依頼のうちにそれを覚えてほしいの。まずは簡単な採取をこなせるようになることが、冒険者見習いを卒業するための第一歩よ」

「分かった。それと……」


 ケントは明日の依頼を受けるうえで気になっていたことを、エルナに尋ねた。


「もし魔物に遭遇したらどうする? 悪いけど、俺は戦う手段を持ってないから……」

「それは多分大丈夫よ。あそこの森で魔物が出るのは、本当はもっと奥の方だから。万が一魔物に出会うことがあったとしても、あの時みたいにコボルト一匹とかくらいなら私が何とかするから、心配しないでいいわ」

「そうか、本当に悪いな。お前の負担を増やすようで」

「ううん、気にしないで?」


 エルナは構わないといったふうに、首を横に振る。


「ただ冒険者を目指すなら、ゆくゆくはあなたも戦えるようになってもらわないといけないわよ?」

「ああ、それはいずれなんとかしてみせるよ」

「…………」

「…………」


 一通り話し終えたようで、二人は沈黙する。流石にこの時間帯にもなればあれだけ大勢の人で賑わっていた街も落ち着きを取り戻し、今は虫の鳴き声が聞こえるばかりとなっており、それが二人の間に流れる静寂を殊更に強調していた。


「…………」


 ケントは若干の気まずさを感じて、隣に座っているエルナを横目に見る。すると、どうやら彼女もケントと似たような気持ちになっているようで、そわそわと落ち着かない様子だった。

 ただ、まだ自分の部屋に戻ろうとは思っていないのか、長い髪の毛をくるくるといじりながら、伏し目がちにして時の流れに身を任せていた。ケントはそんな彼女の様子を見て、どうにかしてこの場を少しでも盛り上げようと頭を働かせ、そしてようやく思いついた話題を口にした。


「そうだ。そういえばこの本なんだけど、少しだけ読める箇所があったんだ」

「え、本当!?」

「ああ。ほら、ここ」


 ケントは本を手に取ると、その部分を指差しながらエルナに向ける。


「ここの部分だけなんだけど、何となく読めたんだよ」

「……えっと、ケントにはそこが読めるの? 私には何も読めないのだけど……」

「へっ? エルナは読めないのか?」

「ええ。一体、何て書いてあるの?」


 なぜ自分には読めてエルナには読めないのか。ケントは戸惑いつつも、目の前の少女にそこに書かれている内容を伝える。


「って、書いてあるんだけど……」

「うーん、何のことかさっぱりね」


 しかしやはり理解できないようで、エルナは首を横に振る。解読した本人にすら分からないことを、読むことすら出来ない人間が知っている道理はなかった。


「やっぱりそうか……」

「でも、もし本当にあなたにだけ読めてるのだとしたら、やっぱりその本があなたの記憶の手掛かりなのよ。いつかそれが役に立つ時が来るかもしれないし、大切に持っておいた方がいいわ」

「そうだな。今はそうするしかないか」


 これ以上の情報は得られなさそうだと。そう判断したケントは本を閉じ、先程置いた地図の上に乗せるようにして置く。

 そして、今度はエルナのことを聞こうと考えて彼女にこう尋ねた。


「そういや話は変わるけど、エルナは今までにどれくらいの依頼をこなしてきたんだ?」

「えっと……まだ二十回くらいね。私も、つい最近冒険者になったばかりだから」

「ああ、そういえばそんなことを言ってたな」


 ケントは、冒険者登録の際にあったリリエッタとエルナのやり取りを思い出す。


「それなら、魔物の討伐依頼も受けたりしてるのか?」

「……ううん。魔物の討伐依頼を受けたのは今までで一回だけ。後は全部採取依頼なの」

「えっ、そうなのか!?」


 意外なことだと、ケントは驚いた。最初に会った時、コボルトの急所を一発で正確に射抜いていたため、それなりの場数を踏んでいるものだとばかり思っていたからだ。


「理由を聞いてもいいか?」

「別にいいけど……大した理由じゃないわよ?」

「ああ。それでもいいから聞かせてほしい」


 ケントがそう言うと、エルナはあまり気乗りしないといった様子で重々しく話し始めた。


「その……討伐依頼は一人だと、やっぱり不安なのよ」

「不安?」

「ええ。ほら、魔物の討伐って採取よりも危険が多いから、戦えるといっても一人だと心細くて……」

「それなら、誰かと一緒に引き受ければいいんじゃないのか?」

「本当ならそれが一番いいのだけど、そうすると報酬の取り分で揉め事が起こりやすくなるのよ」

 

 同じ依頼を一度に複数人で受けた場合、報酬の配分については冒険者の裁量に委ねられている。この時、大体の場合は活躍に応じて分配するということになるのだが、その活躍の基準というのが曖昧で人によって違うため、時として言い争いになることがあるのだ。


「私もそのたった一度の討伐依頼を何人かの冒険者と一緒に引き受けたんだけど、その時に見習いだからって理由だけで一方的に報酬を減らされたの。その時に魔物に止めを刺したのは私だったのに、自分たちが新米のお前のためにサポートして見せ場を作ってやっただけだなんて、言いがかりをつけられて……」


 エルナは悔しそうに歯噛みしながら、膝の上で拳を固く握る。冒険者は決して人格者ばかりの職業というわけではない。基本的には腕自慢の者がなることが多く、そのためか横暴でならず者まがいなことをする者も少なくはなく、彼女もまたその被害者だった。


「そんなことがあってから、誰かと一緒に依頼を受けるのが嫌になって、魔物討伐も一人でこなせればって思うようになったの。だけど、そんな力も勇気もなくて……」

「そうだったのか……」

「はぁ……やっぱり駄目よね。こんなんじゃ、いつまで経っても一人前の冒険者になんてなれないのに……」

 

 エルナはどうしようもない自己嫌悪に陥って、深いため息をこぼした。


「エルナは一人前の冒険者を目指してるのか?」

「ええ。そういえば、ケントにはまだ話していなかったわね」


 エルナは気を取り直して、ケントの質問に答えようとする。


「私のお父さんとお母さんも、昔は冒険者だったの。二人ともとても強くて、特にお父さんはAランクの冒険者にまでなったのよ?」

「へえ、それはすごいな。たしかAランクっていったら、知らない人はいないってくらい有名な冒険者だったっけか?」

「そうね。って言っても、もう随分と昔の話だから、私たちくらいの歳の冒険者にはあまり知られてないんじゃないかしら? だけど、本当にすごい人なの! これは私が子供の頃に聞かされた話なんだけどね、自分の十倍くらいは大きな身体の魔物に気付かれないくらいの速さで一瞬で近づいて、そのまま剣で首を切り裂いて倒したことがあるらしいわ!」

「そ、そうなのか……」


 その場面を想像するもあまりに非現実的に思え、本当かどうか怪しい話だと困惑しつつも、ケントは何も言わずに彼女の言葉に耳を傾ける。


「それにお母さんもすごいの! Bランクの冒険者で、三つの的を三本の矢で同時に射抜いたり、人が小指くらいの大きさに見えるほど遠い距離にある的の真ん中に何度も正確に命中させることが出来る弓の達人なの! 私の弓も、お母さんから教わったのよ!」

「(二人ともすごいを通り越して人外な気が……)」


 エルナは先程までとは打って変わってパアッと明るい表情になり、話し声もいつもの元気を取り戻していた。

 彼女にとって、優れた冒険者である父と母は何よりも自分の誇りで、そのことを他の人に知ってもらえるのが嬉しいといったようだった。


「いつか二人みたいな立派な冒険者になって、故郷の村に帰るのが私の夢なの!」

「ん? エルナはこの街の生まれじゃなかったのか?」

「ううん、生まれはここよ。ただ十七年前、私が生まれた時にお父さんもお母さんも冒険者を辞めて、この近くにある村に移り住んだの」

「なんでまた? 二人とも、優秀な冒険者だったんだろ?」


 折角苦労して手に入れたであろう地位や名声を何故捨ててしまったのかと、ケントは疑問に思った。


「優秀だったからこそよ。AランクやBランクにもなると引き受ける依頼はどれも危険なものばかりになるから、私を育てるためには冒険者は続けられないって辞めたみたい。今は、二人とも村でのんびりと畑を耕してるわ」

「……なるほど、そういうことか」


 冒険者としてではなく、親として生きる道を選んだのだと、ケントは納得した。

 実際に高位のランクまで上がった冒険者の中には、何らかのきっかけで自ら冒険者としての道を閉ざす者も少なくはない。それはエルナの両親のように子供が生まれたからであったり、あるいはそれまで苦楽を共にしてきた戦友の死であったりと、様々である。


「強くて、優しい両親なんだな」

「うん。本当に、尊敬してる……」


 エルナは心の内から湧き上がる幸福な気持ちを乗せるようにしてそう呟く。その表情からは、最早少し前の陰鬱とした面影は少しも見えなかった。


「ふふっ、ごめんなさい。依頼の確認のつもりだったのに、すっかり話が変わっちゃっていたわね」

「いや、エルナの話が聞けて良かった。楽しかったよ」

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」


 そう言って、エルナはベッドから立ち上がる。


「それじゃあ、明日から一緒に冒険者として活動していくから、くれぐれも寝坊しないように!」

「分かってるよ。じゃあ、おやすみ」

「ええ、おやすみなさい」


 エルナが部屋から出たのを確認すると、ケントはランプの灯りを消して、再びベッドに横たわった。


「(今はまだ何が出来るってわけじゃないけど、それでも明日は頑張らないとな……)」


 そのようなことを考えながら、ケントはゆっくりと瞼を落とす。明日、自分が持っている能力に気付くことになるとは、この時の彼にはまだ知る由もなかった。

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