旅路 Ⅱ
その後は何事もなく、一行はマグヌス村へと続く広い平原を足を止めることなく進んでいく。
「ケント君、そっちはどうだ?」
「問題なし。遠くに何体かいるけど、あれは放っておいても大丈夫そうだ」
ケントとリューテが周囲を警戒するも、魔物の姿はほとんど見あたらない。時折見かけることがあっても気付いていないのか、あるいは敵意を持っていないのか、襲いかかってくるということも一切ない。どうやら、人の手によって整備された道には近付かない方がいいと理解しているようだった。
何時間か移動したところで、商人は空を見上げて日の位置を確認する。見ると日は頂点まで昇っており、すっかり昼を回っていた。
「よし……皆、いい時間だ。ここいらで一度休むとしよう」
商人は後ろを向いてケントたちにそう伝える。
この数時間、ずっと歩き続けていたが、目的地の村までまだ半分以上は距離がある。体力的には十分余裕は残ってはいるが、それでも休めるときに休んでおいた方がいいと判断し、一同は軽い休憩を取ることにした。
「この辺りで良さそうだな」
商人が馬の調子を確かめている間に、ケントたちは彼らの前にここを利用した冒険者が残していったであろう薪の跡を囲んで腰を下ろす。
「ここまで魔物にも出会わなかったし、順調な旅路だな」
「そうだな。とはいえ、これを振るう機会がやってこないというのも、少し残念ではあるが」
リューテは剣を腰から外すと、地面に横たえる。新しく手に入れた剣の力を試そうと意気込んでいただけに、やや不完全燃焼といった様子だった。
「そうそう、ソニアちゃん。次は君が外に出て護衛をする番だからな。今のうちにこれを渡しておこう」
それから気を取り直して、背嚢から何やら武器を取り出す。それは先のシエナ村にて討伐した変異種のヴィルトボアの牙から作り上げた、ソニアのための籠手だった。
「おや? これは確かこの前に行った村で倒した……」
「ああ。鉄にも劣らない硬さを持つ、変異種ヴィルトボアの牙を加工して作った籠手だ。まずは着けてみてくれ」
「分かりました! よいしょっと……」
ソニアはそれを受けとると、早速両腕に装着してみる。
「どうだ?」
「うーん、何だか手が重くなりましたねえ……」
しかし、あまり気に入ったという様子はない。というのも、素手で戦っていた頃にはなかった、拳全体を覆う籠手から感じる重量に違和感を覚えているようだった。
「これじゃあうまく戦えるか不安ですよお……」
「まあ、最初のうちはそうだろうな。だがそれは、これからはその武器の重さが君の拳に乗るようになったということだ。これまで素手で戦ってきた君には慣れない感覚だろうが、扱いこなせれば君は間違いなく今より強くなれるさ」
「本当ですか!? あのハルヴァン兄にひどいことをした大きな亀みたいな奴も、この前戦った猪みたいな奴も、みんな倒せるようになるんですか!?」
「勿論だ。私が保証しよう」
元々ソニアの身体能力は五人の中でも群を抜いて高く、そのうえで武器の扱いを身に付ければさらに強くなるだろうと。リューテはそう考えていた。
「よーし、分かりました! これからじゃんじゃん戦って、すぐに使いこなせるようになってみせますよ!」
その時、ちょうど馬の整備を終えた商人が後ろからケントたちに声を掛けた。
「盛り上がっているところ失礼するよ」
そして、ケントとリューテが間を空けたのを見て、そこに入るようにして座り込む。その手には何やら中身の入った袋が五個、指の間に挟むようにして握られていた。
気になったケントが、それを指差して尋ねてみる。
「その袋は?」
「ただ報酬代わりに馬車に乗せるだけというのも何だからな。君たちに渡そうと思って持ってきたんだ。さあ、受けとってくれ」
そう言うと商人は、一人ずつその袋を配って回る。
全員に行き渡ったところで、五人は袋を縛る紐をほどいて開けてみる。すると中から甘いにおいが広がり、五人の鼻をくすぐった。
「わあっ、いいにおい! それに、凄く美味しそう!」
「これは……焼き菓子ですか」
「うむ。目的地はまだまだ遠いからな。移動中にでも食べて、英気を養っておくといい」
「わーい! いただきまーす!」
ソニアは間髪入れずに上を向いて口を空けると、手に持った袋をひっくり返した。落ちていく焼き菓子が、まるで我先にとでもいうようにみるみる口の中へと吸い込まれていく。
「おい早いな!? もう食べるのか!?」
「もぐもぐ、むしゃむしゃ……おいひい! おはありくらはい(おかわりください)!」
「はははっ! いい食べっぷりじゃないか! ただ、あいにくと今君たちにあげた分で終わりなんだ。済まないね、お嬢ちゃん」
それから商人は水の入っている革袋に口を付ける。辺りに一瞬だけ沈黙がよぎったタイミングを見計らって、リューテが会話を切り出した。
「それにしても、まさか私たちを護衛として雇ってくれるとは意外だったな」
「ほう、そうかい?」
「ああ。命あっての物種だからな。この手の依頼は多少値が張ろうとも、ある程度腕の立つ冒険者を雇うはず。ましてや、あなたは利に聡い商人だ。なおのことそうすると思っていたのだが」
「いやまあ、普段他の仲間と行動するときはそうしているよ。ただ今回は私個人の依頼だからね。こうして若い冒険者と交流を図る、いい機会と思ったんだ」
「何のために?」
わざわざ腕の立つ冒険者ではなく、自分たちを選んだのはなぜか。リューテは少し興味があった。
「なんてことはない。ただ、初心を忘れないようにするためさ。そのために、時折君たちのような若い者の持つ情熱やひたむきさに触れて、昔の自分を省みるようにしているんだ」
すると、商人は自分の過去について語り始めた。
「私も君たちくらいのころは商人見習いとして色々と勉強していてな。あの頃は勘定でも交渉でも仕入れでも、幾度となく失敗をしていたものだ。自分には商才がないんじゃないかと、毎日のように思っていたよ」
冗談めいた、しかし一方で昔を懐かしむかのようなしんみりとした口調で、商人は話を続ける。
「だが、それでもめげずに前を向き続けて、今では商人としてかれこれ二十年、何だかんだでうまいことやれている。成功だけではない。失敗もまた、人を支える柱になるのだと。そのことをこれからも忘れないようにしたいからね」
失敗を成功への足掛かりだと信じ、若さに任せてひたすら熱心に仕事をこなしてきたからこそ、今の自分がある。そして年を重ねた今、自身の経験から得た教訓を疎かにしないよう常に心を若く保つというのが、彼の信条だった。
「なるほど、いい話を聞けた。私もいずれは、失敗も含めて自分を誇れるような人間になりたいものだ」
「うむ。若いというのはそれだけで多くの可能性に満ちているものだからね。君たちが成功も失敗も、様々なことを経験して成長の糧にしていけるよう願っているよ」
「(……失敗が人を支える、ですか)」
リューテと商人のやり取りの一方で、ニュクスは寂しげに自分の手を見つめて、先程の商人の言葉を頭の中で反芻していた。
その様子に気付いたエルナが、さりげなく彼女に尋ねてみる。
「ニュクス、どうかしたの?」
「……! い、いえ何でも! 少し、ぼうっとしていただけです」
すると、ニュクスははっと我に返り、内に秘めた感情を誤魔化すかのように慌てて首を横に振った。
「そう? ならいいのだけれど」
「……ああそうだ。若いと言えばもう一つ、君たちが興味を持ちそうな話があるな」
そこで、商人はふと何かを思い出したとでもいうような表情を浮かべて、再度口を開いた。
「先に行った私の仲間にも護衛の冒険者が付いているわけだが、その中に凄い女の子がいると仲間の一人が話していたな」
「凄いって、どう凄いんだ?」
「それがまだ十四歳らしいが、既にBランクの冒険者として認められてるらしい」
「…………何だって!?」
その言葉を聞いた瞬間、その場にいる全員が大なり小なり困惑と驚嘆の混ざったような表情を浮かべて商人の方を見た。
「じゅ、十四!? 本当なのか!? 二十四とか三十四の聞き間違いじゃなくて?」
「いや、私も最初はそう思ってそいつに尋ね直したんだが、どうやら本当に十四歳の小さな女の子だそうだ」
「それはたしかに、凄いなんてものじゃないわね……でも、その年齢でBランクだなんて、一体どうやって?」
「詳しいことまでは分からん。ただ、何でも名だたる魔術師の家の生まれで、稀代の天才魔術師と言われているとか。もしかしたら明日、村に着いた時にでも会えるんじゃないかね」
そこで、話したいことは一通り話終えたとでもいうように、商人はおもむろに立ち上がる。
「さて、私は先に馬車に戻るとしよう。準備が出来たら、いつでも声を掛けてくれ」
そして、出発の準備を整えるために一足先にケントたちの元から去っていった。
「何て言うか……まだ王都に着いてもいないのに、凄い情報を手に入れたわね」
「そうですねえ。本当かどうか、にわかには信じがたい話ですが」
商人の言葉に嘘はないのだろうが、それでも情報が情報なだけに自分の目で確かめるまでは鵜呑みには出来ないと。ニュクスはそんな様子だった。
「あの人は目的地の村まで行けば会えるかもしれないって言ってたし、着いたらその子を探してみるのも良さそうだな」
「おや、流石はケントさん。早くもその女の子を手篭めにしようと画策中というわけですか」
「いや、そういう意味で言ったんじゃないって!」
ケントがややムキになったような反応を示すと、ニュクスは予想通りの反応とばかりにクスクスと彼に笑いかける。
「単純に興味あるだろ? 俺たちよりも年下の女の子が、Bランクの冒険者だって言うんだから」
「そうね。私ももし会えたら、一度話をしてみたいわ」
Bランクまで到達できる冒険者の数は決して多くはないが、稀有というほど少ないわけでもない。とはいえそれが十代半ばでとなれば、この国の歴史で見ても両手の指で数えられるかどうかという程である。
最早珍しいを通り越して非現実ともいえるような天才少女の存在に、その場にいる誰もが関心を持っていた。
「いいですねえ! もし仲良くなれたら、その女の子もワタシたちと一緒に来てもらいましょうよ!」
「それはどうでしょう。ねえ、ケントさん?」
「何でそこで俺に振るんだよ……」
意味ありげなウィンクを向けてくるニュクスに、ケントは困ったように苦い顔をする。
「まあだけど、本音を言うと仲間になってもらいたくはあるな。俺たちの中に魔術師はいないから、一緒に来てくれるんなら絶対心強いだろうし」
「確かにその通りではあるが……これ以上君の毒牙にかかる女の子を見るのは、心が痛むな」
「まったくよ。女の子ばかり仲間にして、ほんとは下心もあるんじゃないの?」
リューテとエルナは目を細めると、冷ややかな視線をケントに送る。
「いや、毒牙って……エルナもリューテも、何もそんな色情魔みたいに言うことはないだろ」
「あら、言うじゃないケント。今あなたの目に映っている女の子たちにしたことを、まさか忘れたなんてことはないわよね?」
「うっ……」
無論、忘れたことなどありはしない。経緯はどうあれ、異性と口付けを交わしたことを忘れるというのは、まだ年頃の少年である彼にはあまりにも早すぎることだった。
完全に痛いところを突かれたケントは、返答に窮してその場で固まる。
「さあ、もう一度さっきと同じ言葉を言えるかしら?」
「うぐぐぐぐ……」
「まあまあ、いいじゃないですか」
事実なだけに返す言葉もないと唸っているケントに救いの手を差し伸べたのは、意外にも先程まで彼のことをからかって遊んでいたニュクスだった。
「リューテさんは毒牙と言いましたが、毒というのは使い方次第では薬にもなるものです。だからこそ、お二人もケントさんに付いてきているのでは?」
「なっ……!?」
まるで彼女の得物であるナイフのような鋭い切り返しに、エルナとリューテは動揺をあらわにする。
「べ、べべ、別にそういうのじゃ……」
「おや、そうでしたか。でしたらお二人の身体を回っているのは毒か薬か、果たしてどちらなのでしょうねえ?」
「ぐっ……」
不敵に笑うニュクスを前にして、二人はいたたまれずに勢い良くその場から立ち上がった。
「よし、そろそろ出発しようか! 日が沈む前に、出来るだけ進んでおきたいからな! エルナちゃんもそう思うだろう!?」
「そ、そうね! 明日までにマグヌス村に行かないといけないもの! さあ、ニュクス、ソニア? 次は私たちが護衛の番よ? 頑張っていきましょう?」
「ええー! ワタシはもう少しお喋りしてたいで――」
「頑張っていきましょう!? ほら、ニュクスも立って!」
「ええ。では、参りましょうか」
エルナに半ば無理矢理促されるまま、ニュクスはゆるりと腰を上げる。
「(ですが、薬も過ぎれば毒になるものです。ケントさんがそのことを失念して、必要以上に他人に入れ込みすぎなければいいのですがねえ)」
自分はケントの善意によって救われたが、一方で善意のつもりで取った行動が事態をより悪化させてしまうということも十分にあり得る。
毒牙とは上手く言ったものだと、ニュクスは内心でそう独り言ちた。
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