変異種
やがて空が赤み始めた頃、ケントたちは目的地であるシエナ村に到着した。
「さてと、まずは村長に会って挨拶だな」
それからリューテは、すぐさま依頼主である村長の家に向けて歩き始める。途中、すれ違う村人に挨拶を交わしながら進んでいった先には、外観こそ質素だが、村の長の家であることを示すためか他と比べてやや目立つ装飾が施されている木造の建物があった。
「失礼する。村長はいるだろうか?」
扉は開けっ放しだったため、リューテは家の中に少し足を踏み入れてから家主を呼ぶ。
しばらくすると、中から顎ひげを蓄えた落ち着いた雰囲気のある老人の男性がやって来た。
「おお、あんたが来てくれたのか!?」
その老人はリューテの顔を見て、喜びと驚きの入り交じったような表情をする。
「……っと、私のことを覚えておいでだったか」
「もちろん覚えているともさ。まだ若いおなごが、凶暴な魔物を相手に随分と勇敢に戦っておったからのう。いや、懐かしい。あれから一年は経っておるが、変わらず元気にやってそうじゃな」
「あなたの方こそ、お変わり無さそうで何よりだ」
リューテと村長は親しげに言葉を交わしてから、互いに握手をする。
「知り合いだったのか?」
「ああ。昔、何度か依頼でここに立ち寄ったことがあるからな。と言っても、もう一年以上も前の話だが」
彼女がまだ冒険者としては経験が浅かった頃、他の冒険者と共にヴィルトボアを討伐する依頼を受けてこの村を訪れたことがあった。村長の家まで淀みなく向かうことが出来たのも、そのためである。
「後ろの二人は、あんたのお仲間さんかい?」
「ああ。今回の依頼は彼らと共に受けている。冒険者としての経験はまだ私よりも少ないが、頼りになる仲間だ」
リューテは今いる場所からやや右に移動し、二人を村長と向かい合わせる。ケントはそんな彼女の意図を汲み取って、目の前の老人に顔を合わせて名を名乗った。
「俺はケント。リューテとは、まだ冒険者になりたてだった頃に鍛えて貰ったのがきっかけでよく一緒に仕事をするようになったんだ。今日はよろしく頼む」
「うむ。こちらこそよろしく頼むよ」
「ワタシはソニアって言います! 冒険者になったばかりで、ここには美味しいお肉が食べられると聞いて来ました! よろしくお願いしまーす!」
そしてソニアもまた、ケントに倣って村長に挨拶をする。
「お前な、それはここに来た目的じゃないだろ?」
「ほっほっほ、元気の良いお嬢さんだ。よろしく」
彼女の突拍子もない発言も気にせず、村長は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「それで村長、依頼の内容についてなのだが……」
「うむ。じゃが、その前にまずはあんたらに見てほしいものがある。付いて参れ」
村長はそう言うと、年相応にゆったりとした足取りで家を出る。三人はすぐにその後を追いかけていった。
村長に連れてこられた先にあったのは、村に住んでいる住民の一人が管理している畑だった。
「これは……」
目の前に広がる光景を見て、三人は一様に絶句する。それはまるで嵐でも通ったのかというほどに荒れ果てており、これが畑だったということがにわかには信じられないほどだった。無事な作物もまったくと言っていいほどなく、せいぜいかじられた跡がある残骸が少し残っている程度だった。
「酷い有り様じゃろう。昨日の夜明け前に、ボア共にやられたんじゃ」
「確かに酷いな……だけど、どうしてここまで滅茶苦茶に荒らされたんだ? あんたたちなら、あいつらの対処法も知ってるはずだろうに」
ヴィルトボアは基本的に臆病な性格であるため、いきなり大声を出すなり大きな音を立てるなどすれば、そのまま逃げ出すこともある。村人も作物が魔物の被害に遭う以上対処には慣れており、普段はその習性を利用して追い払っている。そのため、なぜこれほどまでにいいようにやられてしまったのか、ケントは疑問でならなかった。
「それなんじゃがのう。これは村の若いもんが見たっちゅう話なんじゃが、ボア共の中に一際大きな奴がいたらしくてな。そいつが、この畑をこんなにしたとか」
「……大きなと言うと、どれくらいなんだ?」
「その者は確か、こんくらいの大きさだったと言っておったな」
村長は右の手の甲を上に向け、地面と平行にしながら胸の高さまで持っていった。それを見て、ケントは目を丸くして驚く。
「そりゃ相当でかいな。だけどあいつら、普通はその半分くらいの大きさしかないぞ? 仮に大人の個体だったとして、そんなに大きくなるなんてあり得るのか?」
「いや、あり得るよケント君。そのヴィルトボアが、普通じゃないのだとしたらな」
リューテはその場でしゃがむと、土に残されている、牙によって食い荒らされ、蹄によって踏み荒らされた畑の跡をじっと見つめる。
「普通じゃない? それってまさか、変異種とかいう奴か?」
「ああ。以前ギルドの資料で見たことがある。その者の見間違いでないのなら、まず変異種と見て間違いないだろう」
ギルドには誰でも閲覧可能な魔物に関する資料が置かれており、そこには変異種についての情報も載ってある。リューテはそれを読んだことがあったため、村長の話からすぐに畑を荒らしたのは変異種のヴィルトボアではないかと思い至った。
「変異種……どこかで聞いたことがある気がしますねえ。何でしたっけ?」
「通常の個体とは異なる特性を持った魔物のことだ。君には、以前ノトスの温泉で話したことがあるが、覚えているか?」
「……おお! そういえばそんな話をしてましたねえ!」
ソニアは数日前にリューテがした話を思い出したようで、自分の手の平をもう片方の手で拳を作ってポンと叩く。
「その変異種とやらはよく分からんが、何やらワシらが思っていたより大変なことになっているようじゃのう」
「ああ。さほど難しくはない駆除依頼だと思っていたが、変異種が絡んでくるなら話は変わってくるな。このまま放っておけば、最悪この村の畑が全滅しかねん」
「なんと! ただのボアかと思っていたが、それほどまでに恐ろしい魔物じゃったか!」
ヴィルトボアの原種と変異種の違いは体格だけで、それ以外に然したる変化はない。しかし、冒険者にとっても農民にとっても、それだけで脅威度は目に見えて違ってくる。
巨体を維持するために大量の餌を求めて農村の作物を食い荒らし、駆除しようにも普通の突進ですら命取りになるため、戦闘技術のない人間には近付くことすらままならない。
冒険者であるケントたちの力なくしては解決出来ない問題だった。
「そんなことになれば村の者が皆飢えてしまう! 済まんが、一刻も早くその変異種とやらを狩ってもらえんか?」
「もちろんだ。変異種は私たちが討伐してみせよう。その代わりと言ってはなんだが……」
そこで、リューテはソニアの方をちらりと視線を向ける。
「うむ、分かっておる。狩ったボアどもはワシらで肉にしてあんたらに振る舞おう。そこのお嬢さんは、それが目当てでここに来たそうじゃからのう。それと、報酬も追加で支払おう。ギルドには、ただのボア討伐として依頼してしまったからな」
「ああ、済まない。それでは、責任を持って仕事にあたらせてもらおう」
「よーし! 世のため人のため肉のため! ワタシもがんばりますよー!」
こうして村長から話を聞いた三人は、ヴィルトボアの変異種討伐に乗り出した。
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