ソニアの初仕事
ケントたちがノトスを発った次の日、彼らは新たな仲間、ソニアと共に夕暮れには無事にゼピュロスまで帰ってきていた。
そしてそれから丸一日休息を挟んだ二日後の朝。ケントと同じ冒険者宿に泊まっていたソニアは、目が覚めるなり身支度を整えてから真っ先にケントの部屋へとやってきていた。
「ふっふっふー。とうとうやりましたよ!」
ソニアは前の日にゼピュロスのギルドで受け取った冒険者証を高く掲げて見せる。そこには、冒険者としてのランクを表す「D」の文字が刻まれていた。
ケントやエルナたちと違ってEランクからのスタートではないのは、彼女の実力について把握しているリューテが同行して、リリエッタに頼んで便宜を図ってもらっていたためである。
「これでワタシも、晴れて冒険者の仲間入りですね!」
「ああ。よかったな、ソニア。俺も嬉しいよ」
ケントと行動を共にすることになる冒険者はこれで四人目となり、賑やかで頼もしい仲間が増えたことを、彼は手放しで喜んでいた。
「はい! ということでケントさん。早速、今から一緒にギルドで依頼を受けに行きましょうよお!」
ソニアはベッドの縁に腰かけているケントの腕を、グイグイと引っ張る。
「おいおい、随分といきなりだな」
「そりゃあもう! 折角念願の冒険者になれたんですから。今すぐにでもお仕事がしてみたくてうずうずしてますよ!」
そんな自身の気持ちを分かりやすく示すかのように、ソニアはそわそわと落ち着きのない様子でその場で何度も小さく足踏みをしてみせる。
「……まあ、昨日は十分に休んだしな。腕が鈍る前に魔物退治の依頼を受けた方がいいか……よし」
ケントの方も決心がついたようで、ゆっくりとベットから腰を上げる。
剣を握るようなってからというものの、鍛錬にしても仕事にしても剣を振らなかった日はほとんどない。それ故に最近では一日でも怠けてしまうと勘が鈍ってしまうのではないかと思うようになってしまっていた。
「分かった、俺も付き合うよ。初めての依頼だし、どうせなら誰かと一緒に楽しくやりたいもんな」
「やったあ! さっすがケントさん! 話が分かるぅー!」
ケントが乗り気になったのを見て、ソニアは喜びを表すかのようにして尻尾をぱたぱたとはためかせた。
「とは言え、俺も冒険者としてはまだまだ未熟もいいとこだし、一人じゃ少し不安だな……他のみんなも誘ってみるか」
そう思い立ったケントは、近くに立て掛けてある剣などの仕事道具一式を担ぐと、エルナたちのいる部屋へと向かっていった。
「エルナ、ニュクス、いるか?」
「あら、二人とも。おはよう」
ケントが扉を開けると、そこにはエルナとニュクスがベッドの上で隣り合って談笑している姿があった。
「私たちに何か用かしら?」
「ああ、実はだな……」
ケントは自室でのソニアとのやり取りを二人に話す。
「ごめんなさい。手伝いたいのはやまやまなんだけど、今日は私たち二人で依頼を受けることになってるの」
エルナは申し訳なさそうに両手のひらを重ねる。二人はケントが休んでいた昨日のうちにギルドに行って、依頼を受注していた。
「っと、そうだったか。せめてもう一人くらいは来てくれればと思ってたんだけど……」
「そういうことでしたら、リューテさんを誘ってみてはいかがです? あの人なら面倒見も良いですし、事情を話せばきっと付いて行ってくれると思いますよ?」
エルナたちを誘おうとしたものの当てが外れて困っている様子のケントに、ニュクスが助け舟を出す。
「そうだな。ここはリューテに頼んでみるとするか」
次の行き先が決まったところで、ケントはソニアを連れて退出しようとする。
「それじゃあ、邪魔したな。依頼、頑張ってな?」
「ええ、ありがとう。あなたたちの方も、上手くいくよう祈ってるわ」
「ここ最近は魔物の動きもおかしくなってるとのことですし、くれぐれもお気を付けて」
二人に見送られながら、ケントとソニアは部屋を後にした。
「さてと、この時間なら多分あそこにいるかな……」
二人は宿を出ると、リューテがいるであろう場所まで真っ直ぐに進んでいく。
街はこれから魔物を討伐に行こうと武器を携えて息巻いている者、母と共に市場で食料品を買おうとしている子供、様々な人々の喧騒で溢れ帰っており、その中を通り抜けて二人はリューテの自宅である鍛冶屋の裏にある広場へと到着する。
そこにはケントが予想していた通り、剣の鍛練をしていたリューテの姿があった。
「リューテさーん!」
「ん? ああ、君たちか」
リューテは呼ばれたことに気付くと、訓練用の剣を鞘に納めてから二人の元まで歩いていく。先程までずっと素振りをしていたのか、その額にはじんわりと汗がにじんでいた。
「私に何か用か?」
「ああ、あんたに頼みたいことがあってな」
ケントはエルナとニュクスにしたのと同じ相談を、彼女に持ち掛けた。
「……ということなんだ。もし手が空いていたら、協力してくれないか?」
「なるほど、そういうことなら構わない。今日はこれといった予定もないからな、私も同行しよう」
ケントの頼みを、リューテは二つ返事で快諾した。
「わーい! リューテさんもありがとうございますー!」
「悪いな。助かるよ」
「なに、礼には及ばないさ。困ったときはお互い様だ。それに、私も剣の素振りでは物足りなくなっててな。そろそろ実戦をと思っていたところだ」
そして、広場の端に置いてあった胸あてを着け直す。彼女もまた、ケントと同じく勘を鈍らせないようにと考えていた。
「では、早速ギルドに向かうとしようか。もたもたしていたら、他の冒険者に報酬の羽振りが良い依頼を取られてしまうからな」
「ああ、そうだな」
「よーし! それじゃあ、しゅっぱーつ!」
リューテが加わったことで、他に同行者を加えるという当初の目的は達成された。
こうして三人は依頼を探すべく、ギルドに向かっていった。
「さて、と……」
ギルドに到着したケントたちは、すぐさま受付前の掲示板へと足を運ぶ。
既に何人もの冒険者が目ぼしい依頼がないかと我先に目を光らせている中で、三人は貼られている依頼書の中から手頃そうなものを探していった。
「どうだ? ソニアちゃん。何か受けてみたい依頼は見つかったか?」
「うーん。どれも面白そうなんですけど、いっぱいあってどれにすればいいのか分からないですねえ……」
「それなら、これとかいいんじゃないか?」
ケントは両端に別の依頼書が被さるようにして貼りつけられていた、一枚の依頼書を指差す。
「ほう。シエナ村の付近に出没する、ヴィルトボアの討伐か」
ヴィルトボア。猪のような魔物で、村の畑に生えている農作物を食い荒らすことがある。警戒心は強いが気性は荒く、一度武器を持たない人間は怖くないと学習してしまうと手がつけられなくなるため、農民からすればこの上なく厄介な魔物である。
「ヴィルトボア? 聞いたことない魔物ですねえ。強いんですか?」
「いや、Dランクでも下位の魔物だ。君にとっては物足りないかもしれんが、どうだ?」
「うーん。ワタシとしては、出来れば強い魔物と戦ってみたいですかねえ」
「ふむ、そうか……」
ソニアは冒険者としての経験に乏しいためDランクとして扱われているだけで、単純な実力で言えば既にCランク相当である。
そんな彼女の実力に見合った強さを持つ魔物の討伐依頼を探そうと、リューテは他の依頼リストにも一通り目を通す。だが、結果は振るわなかった。
「残念ながら、その条件だとどれも遠出をしなければならなくなるな。近場で済ませられるのはこれくらいだ」
「そうですかあ……折角の初仕事なのに、討伐のしがいがない魔物と戦うだけなのは、ちょっと残念ですねえ……」
「いや、そんなことはないさ。確かにヴィルトボアは強さで言えば大したことはないが、それでもとても討伐のしがいがある魔物だよ」
リューテは気落ちしているソニアに対して、少しでも興味を持ってもらおうとそのように答えた理由を説明する。
「例えば、毛皮は衣服や防寒具の素材になるし、牙や骨は武器や装飾品に加工出来る。冒険者にとって、これほどありがたい魔物もそうそういないだろう」
「へえ~、そうなんですか?」
冒険者とは何も魔物を倒すだけが仕事と言うわけではない。倒した魔物の身体の一部は人々の生活において様々な面で有効に活用することが出来るため、それらを持ち帰ることも重要な仕事となる。
その中でもヴィルトボアは身体のほとんどの部位が素材になり、その上数が多く人々の生活圏にもたびたび出没するといった理由で、遭遇したならなるべく積極的に討伐するよう推奨されているほどである。
「ああ。それに、図体がでかい分肉も多くとれるしな」
「肉!? お肉が食べられるんですか!?」
肉。その言葉を聞いた瞬間、ソニアは目をらんらんと輝かせた。
「ん? ああ。少々固いが、中々に食いごたえがあってな。私がまだ子供だった頃は、よく父に取ってきてほしいとねだったものだ」
「今すぐ行きましょう! ヴィルトボアの討伐に!」
そして先程まで気が沈みかけていたのが一転、まるで発破でもかけられたかのようにキリッとした表情になっていた。
「そ、そうか。なら、この張り紙を受付まで持っていくといい」
「はーい!」
ソニアは依頼書を剥がすと、今にも踊り出しそうな軽快なステップを踏みながら、受付に依頼を受注した。
「あいつ、絶対肉が食べたくて受けただろ……」
「いや……まあ、それでやる気が出るならば問題はないだろう……多分」
依頼は滞りなく受理され、三人はシエナ村に向かうべくギルドを後にした。
「ふんふんふ~ん♪」
空は雲も少なく、冒険者にとっては絶好の依頼日和である。
ソニアは鼻歌を歌いながら軽快な足取りでシエナ村までの道のりを歩く。
「ソニア、随分とご機嫌だな」
「そりゃあもう! 冒険者になって初めてのお仕事ですから!」
元から明朗快活な性格の彼女だが、今は普段より輪をかけてはつらつとした調子だった。
「それにワタシ、この国に来てからはずっとノトスで暮らしてましたから他の街の景色とか全然見たことなくて、これからはそういうのもいっぱい見られると思ったら、楽しみすぎてもういても立ってもいられないですよ!」
「へえ……凄いなソニアは、そんな風に考えられるなんて。俺なんか知らない場所に行くってなったら、真っ先に不安な気持ちになるってのに」
最初に目が覚めた時は記憶がなく、全ての人と場所が初めて見るものだった彼にとっては、未知というのはそれだけで殊更に不安な感情を掻き立てるものだった。
「その割には、ノトスに行くときは結構楽しげだったように見えたが?」
「いや、俺一人だったら二の足を踏んでいたさ。そうならなかったのは、みんなが一緒にいてくれたからだ」
街の外というのはいつ魔物に襲われるかも分からず気を抜けない環境であるため、ケントでなくともそうなるものは少なくない。
自分に信じられる仲間がいるということの心強さを、彼はノトスでの経験で改めて実感せずにはいられなかった。
「だからソニアも、これからは俺たちと一緒に色んな場所に行って、色んなことを知ることが出来たらいいな」
「はい! そのためにも、まずは今日の依頼を頑張ってこなさないとですね!」
今回の依頼も自分がこれから広い世界を見て回るための第一歩だと、そう考えるソニアの表情は、晴れ渡る空にも負けないくらい生き生きとしたものになっていた。
「そ・れ・に~。これから戦う魔物を倒したら、お肉が食べ放題ですからね! 今から気合いが入りまくりですよ!」
「……さっきまでのやり取りが台無しだ。と言うより、リューテは別に食べ放題なんて一言も言ってなかっただろ……」
「うおおおおお燃えてきましたよー! お・に・く~! お・に・く~!」
目的地に着くのが待ちきれないようで、ソニアは二人に先駆けて走り出す。
「二人も早く来てくださいよー!」
「お、おい! ちょっと待て! 何が起こるんだか分からないんだから、ちゃんと俺たちと足並みを揃えて……」
「あっ」
ケントが話し終えるその瞬間だった。
「うぎゃあああああああ!」
ソニアは特に凹凸のない平坦な地面で何故か足を滑らせると、顔面から盛大にヘッドスライディングを決めた。
「うわーん、何もないところで転んだー……」
「ほら言わんこっちゃない……」
ソニアが起き上がろうとするのを、ケントとリューテは遠巻きに見つめる。
「全く、跳んだり走ったり転んだり、本当に忙しない奴だな」
「……まあ、それだけ元気が有り余っているということだろう。いざ魔物との戦いになったら、きっと上手くやってくれるさ……きっとな……」
二人は彼女の自由気ままな、そしてどこか抜けている一面に若干の心配を覚えつつも、それを一旦心に閉まっておいて歩くのを再開し始めた。
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