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獣人、ソニア Ⅲ

「着いたぜ、ここだ」


 そこは浴場だった。ただし、ただの水を沸かしただけの浴場ではなく、地下から湧き出る湯を利用した温泉である。

 ノトスは火山が近くにあるため、天然の温泉が至る所に存在する。ここは、そのうちのひとつを利用して建てた施設だった。


 ケントたちは男女に別れると、それぞれ温泉に入った。


「それにしても、だ。お前、あんな可愛い女の子たちと一緒に冒険者やってんのか? まったく、羨ましい限りだ」

「……まあ、成り行きでな」

「で、どの娘が一番好みなんだ?」

「別に誰が一番とか、そういうのはないって。みんな信頼できる、大切な仲間だからな」

「そうか。まっ、あれだけ可愛い子が揃ってんだ。一人だけ選べなんて言われても迷うに決まってるよな! ははは!」

「あのな……」


 陽気に笑いながらからかってくるハルヴァンの言葉を軽く受け流すと、ケントは熱気立ち込める温泉の中に深く身を落とす。頭からつま先まで、二日続けて歩いたことで疲弊していた身体が、まるで芯まで温まる心地だった。


「それにしても、良い所だな、ここは」

「そうか? 昼は暑いわ、水が少ないからロクに作物が育たねえわで、褒められるとすればこの温泉くらいの、生活するには何かと不便な土地だぜ? 俺たち獣人にとってはこれくらいなんてことはねえが、この街に来る行商人はどいつも口を揃えて、商売のためじゃなきゃこんなとこ来たくないって言ってるしな」

「いや。街のことじゃなくて、あんたら獣人のことだ」


 ケントは温泉の(へり)に両肘を投げ出してくつろいだ体勢を取ると、首を軽く傾けてハルヴァンの方を見る。


「何て言うか、あんたもソニアも凄く良い奴だなって思ってさ。ただの冒険者でしかない俺たちに、初対面でここまで親切にしてくれるとは思ってなかったよ」

「まあ、それが俺たち獣人の気質みたいなもんだからな」


 ハルヴァンもまた、ケントと同じ体勢になりながらそう返す。


「気質?」

「ああ、獣人は裏表のないさっぱりした性格の奴が多いんだよ。だからよそ者だろうと警戒せず、みんな友好的に接してくる奴ばかりだ。まあ、それだけに血の気が多かったり、ソニアみたいに思慮に欠ける奴もいたりするんだけどな」


 先天的に身体が丈夫で、狩猟や採掘などの肉体労働を得意とする彼らは、過酷な環境に適応するためか仲間意識が非常に強く、勇敢な性格であることが多い。しかし、だからこそ単純かつ真っ直ぐな性格になりがちなため、個人差はあるが複雑な思考を必要とする頭脳面では人に及ばないという側面もある。


「そうなのか。だけど、あんたはそうは感じないな。落ち着いていて、それに頭も切れるように見える」

「ははっ、そいつはありがとよ。実際頭が切れるかどうかは知らんが、仲間からはよく言われるぜ。お前は獣人のくせに、頭を使うほうが得意な変わり者だってな。そんでもって、どいつも人間相手の交渉とか揉め事の仲裁とかはめんどくさがってやりたがらねえからな。だから変わり者の俺がまとめ役を買って出てるってわけだ」

「なるほど」


 言われて、ケントは納得する。獣人が彼の言う通り血気盛んな部分があるのであれば、冷静そうなハルヴァンは代表として適任であると言えた。


「ところで、お前たちはこの街には旅目的で来たって言ってたが、どこか行く当てはあるのか?」

「あー……それには色々と複雑な事情があってな」


 全て話すと長くなってしまうため、ケントは自分たちがノトスまで来たいきさつを、なるべく短くまとめるようにしてハルヴァンに説明した。


「実を言うと、俺には記憶が無くてな。気が付いたら西の街の近くにある森で倒れてたんだ。だから仲間と相談してな。獣人と交流するついでに何か俺の記憶に関する手掛かりが見つかればと思って、ここまで来たんだ」

「記憶が? そりゃあ、また……」


 記憶喪失、それは言うなれば今まで生きてきた中で得た経験や人との交わりといった思い出を全て失ってしまったということであり、そのことが獣人であるハルヴァンにとっては、とても深刻なことに感じられた。


「記憶が無い感覚ってのは俺には分からねえが、自分の生まれや家族のことすら思い出せねえってのは、辛え話だな」

「ああ。目が覚めたばかりの頃は、周りには知らない場所と知らない人間しかいなくて、不安でたまらなかった。だけどあいつらと出会って、それ以上に楽しいこともたくさん経験したんだ。だから今は正直なところ、記憶が無いことをそこまで悲観していないな」

「そうか……そいつは、いい仲間に出会えたんだな」


 ハルヴァンはケントの言葉が心からのものであることを、彼の表情から読み取った。それと同時に、彼が自分の境遇に苦悩しながら、それでも前向きでいられる理由に納得していた。


「俺もそんな感じだ。鉱山での仕事は楽なもんじゃねえ。闇雲に掘って坑道が崩れないよう警戒しなきゃならねえし、石だの鉄だのを大量に運んでる最中に魔物に襲われることだってある、危険なことばかりだ。だけどそれでも、仕事終わりにエールを片手にうまい食い物囲んで仲間とバカ騒ぎやったり、こうして熱い湯に浸かったりしてると、不思議と明日からも頑張ろうって気分になっちまうんだよな」


 彼はこの街で仕事をこなし、宴の時は羽目を外して盛り上がり、そうして仲間と苦楽を共にしていた。だからこそ、自分と同じようにエルナたちと様々な経験を分かち合ってきたケントの言葉に共感していた。


「生きてりゃ辛いことも苦しいことも嫌というほどあるけどよ。そういう楽しいことが一つでもあると、不思議と世の中捨てたもんじゃねえって思えちまうもんだ」

「……そうだな。今の俺があるのは、あいつらのおかげだ」


 初めは何もできなかった自分が今では冒険者となり、まだ未熟ではあるが剣を持って魔物と戦えるまでに成長した。エルナにニュクス、そしてリューテとの出会いにどれだけ自分が救われたか。ケントはハルヴァンとの会話を通して、そのことを再認識した。




 一方その頃――


「はあぁ、気持ちいいー!」


 女湯では、エルナが片足をお湯から出すようにして上にピンと伸ばしながら、歓喜の声を上げていた。


「こんなに気持ちがいいの、生まれて初めて……」

「ええ、まるで身体だけでなく、心まで洗い流されていくようです。同じ浴場なのに、ゼピュロスのものとはここまで違うんですねえ」

「ふっ。どうやら、二人もここを気に入ってくれたようだな」


 三人が安らかな気分に浸っていると、ソニアが会話を切り出す。


「それで、皆さんは冒険者なんですよね? 良かったら面白い話、聞かせてくださいよー!」

「面白い話? うーん、一応あるにはあるけど、でもこの話はさすがに、ね……」


 ニュクスとリューテの二人も、エルナが何を考えたのかを察したようで、口を閉ざしていた。


「リューテさんなら、何かあるんじゃないかしら?」

「私か? そうだな……」


 Cランクの冒険者で、自分やニュクスよりも経験を積んでいるリューテであれば何か興味を惹かれるような話を持っているのではないかと考え、エルナは彼女にそう尋ねた。


(みな)は、変異種というのを知ってるか?」

「変異種……? ううん、聞いたことないわ。二人は?」

「ワタシも知らないですねえ」

「同じく。ただ名前から察するに、普通とは違う魔物のことでしょうか?」

「その通りだ。何らかの理由によって通常の個体にはない特性を持った魔物を、ギルドでは変異種と呼んでいる」


 かつてエルナが対峙したコボルトの群れの女王も、その一種である。彼らは雌の個体のみ、まれに図体が異常に発達し、知能も一際高くなる場合がある。

 それからリューテは、自身が遭遇した変異種について語り始めた。


「かつて私がDランクに上がったばかりの頃、オークの群れを討伐する依頼を受けたのだがな。その中に一匹だけ、魔術を使ってくるやつがいたんだ。しかも私とは相性の悪い水の魔術だったのでな。予想以上に苦戦したのを、今でも覚えている」


 彼女の話のように、オークの変異種はその身に魔力を有しており、下位レベルではあるが魔術を使うことが出来る。

 昔、ある冒険者がこの変異種のオークを捕獲し、王都にある魔物の生態や能力を研究する機関に引き渡したことがきっかけで、魔物の中には人と同じように魔術を行使することが出来る種がいるという可能性が示唆されることとなった。


「何より質が悪いと思ったのは、外見が他のオークと全く見分けがつかないということだ。滅多に戦うことはないとはいえ、あれでは駆け出しの冒険者がただのオークだと油断して返り討ちにあうということもあるだろうな」


 変異種はそれ自体が中々珍しく、そのため王都の学者に研究の材料として喉から手が出るほど求められており、もし生きたまま捕獲できればまとまった額の報奨金が貰える。もっとも、凶暴な魔物を相手を殺さずに捕獲するのは極めて困難であるため、相当に腕の立つ冒険者でなければ斡旋されることはない。


「だがまあ、魔物との戦いは往々にして予想外の事態が起こるものだ。だからこそ、そういった困難に臆せず立ち向かい、そして乗り越えた時の達成感は何物にも代えがたい。それが信頼できる仲間と共にであれば、なおのことな」

「……おお! 何か凄くかっこいいですね!」


 ソニアはリューテの話を理解したのかどうか、何とも言えないような無駄に明るい口調でそう答えた。


「羨ましいですねー。ワタシも、早く冒険者になりたいですよ」

「あら? ソニアはまだ冒険者になれる年齢じゃないの?」


 獣人の寿命は人間よりもやや長いが、年齢による発育自体は人間とさほど変わらない。そのためエルナは、ソニアを自分たちと同い年くらいだろうと考えていた。


「いえ、なれますよ? ワタシ、もう十六歳ですし」

「それじゃあ、どうして?」

「それがですね! ワタシはなりたいって言ってるのに、兄が許してくれないんですよ! 冒険者になりたいんだったら力だけじゃくて知恵も身に付けて、せめて周りに迷惑を掛けない程度には賢くならないと駄目だって言うんです! まったく、酷いと思いませんか!? ワタシは十分賢いのに!」

「う、うん。そうね……」


 ソニアが何を以って自身を賢いと評しているのかがまるで分からず、エルナはひとまず愛想笑いでお茶を濁した。


「あ、そうだ! もう一つ気になってることがあるんですけど……」

「ん? どうしたの?」

「皆さんは、ケントさんのことが好きなんですか?」

「なっ……!?」


 ソニアの突然の発言に、エルナとリューテは思わずひっくり返りそうになるほど動揺する。その拍子に温泉の湯が波紋を作り、まるで二人の現在の心情を表すかのように揺れていた。


「ど、どどど、どうしてそう思うの……!?」

「だって皆さんの中で、ケントさんだけ男の人じゃないですか。ワタシの国でも、強い男の人はたくさんの女の子に好かれてますし、皆さんもそうなのかなあって」

「べ、別にケントが強いから一緒にいるわけじゃなくて……」

「その通りだ! 私たちは冒険者として同じ志を持って集まっているのであって、決して色恋などという理由で彼と共にいるわけではない!」


 二人は必死になって自分たちがケントと共にいる理由を取り繕おうとする。顔が耳まで紅潮しているのは、温泉の熱さのせいだけではなかった。


「えー。じゃあ、好きじゃないんですか?」

「そ、それは……」

「いやいや、そういうわけではない。彼の人柄自体はとても好感の持てるものだ。ただ私が言いたいのは、男女が一緒にいるからといって、すぐに浮ついた関係を想像するのはどうなのかということをだな……」


 エルナもリューテも、恋愛の経験などこれまでの人生で皆無だった。しかし、ケントとはキスを交わす程に親密な間柄となったため、彼に関しては意識していないわけではなかった。しかしそのことを正直に言うのは気恥しく、だからといって根が正直な彼女たちは否定することも出来ず、二人はソニアの率直な疑問をはぐらかすほかなかった。


「私は好きですよ? ケントさんのこと」


 二人がどう答えればいいかわからずしどろもどろと狼狽している、その時だった。そのやり取りをしばらく眺めていたニュクスが、適当なタイミングを見計らって口を開いた。


「ニュ、ニュクス!?」

「何なら、彼が望むなら夜を共にしてもいいくらいで……」

「きゃーっ! 待って待って! それ以上は駄目!」


 エルナは手をバタバタと動かしてニュクスの口を塞ごうとする。彼女は元々ケントに対して好意を明確に示していたため、女同士のこういう場ではなおのことそれを隠そうとはしなかった。


「よ、よよよ、夜を共にだと!? ニュクスちゃん、本気なのか!?」

「本気もなにも、ここには私たちしかいないんですし、本音を隠す必要もないでしょう。それに私からすれば、ケントさんはとても魅力的な方だと思いますが」


 ニュクスはそこで会話を一旦区切ると、エルナの顔を見てからこう続けた。


「エルナさん、考えてもみてください。あの日、もしあの場にケントさんがいなかったら、私は暗殺者としてあなたを殺していたかもしれません。そうなったとしたら、私たちは今こうして楽しくお喋りが出来る仲にはなっていなかったでしょう」

「……そうね。それに、仮にあなたに殺されなかったとしても、私一人じゃあなたを救ってあげることは出来なかったと思うわ」

「それだけではありません。私もエルナさんも剣は使いませんから、彼がいなかったとしたら……」

「……私と君たちが知り合うことはなかったかもしれないな」


 リューテはケントに剣の指南をした時のことを思い出す。当時はここまでエルナたちと親密になるとは思ってはおらず、彼女の人の輪を広げたのはやはりケントの存在が大きかった。


「私たちがこうして一緒にいるのは、ケントさんがきっかけになっているんです。彼には人と人とを繋ぐ力がある。そんな気がしてなりませんよ」

「……確かに」

「言われてみれば、そうよね……」


 ケントの持つ特異な能力、そして真摯な性格は、気が付けば彼女たちの運命を大きく変えていた。それはさながら一つが回れば他の全ても回していく歯車のようで、三人は自分たちを取り巻く今の状況は、他の誰でもないたった一人の男によってもたらされたものだと、そう思わずにはいられなかった。

 三人の顔を見て、ソニアはこう問いかける。


「ふっふーん。やっぱり皆さん、あの人が好きなんじゃないですかあ?」

「そうね。好き……かどうかはともかく、大切な人よ。ケントに会ってから、毎日が楽しいことばかりだもの。これからも、彼と一緒にいたいって思うわ」


 エルナは俯き、穏やかな表情で湯面を見つめながらそう言った。冒険者になったもののそこから中々前に踏み出せずにいた彼女が変わるきっかけを作ったケントは、彼女の中で今やただの知り合い以上に大切な存在になっていた。


「……ま、まあ、私はどちらかと言えば逞しい男が好みなのだが、とはいえケント君が私が今まで出会った中で最も気になる男であることは否定するまい。冒険者としてはまだまだ頼りないが、それでも私たちのことを大切に考えてくれている、仲間思いで信頼できる男だからな。ただそれだけに、危険を顧みず無茶をするところもあるのが心配ではある。私も彼よりも先輩の冒険者として、彼が無茶をせずに済むよう精進しなければな。いやはや、刺激を与えてくれる者が側にいるというのは、素晴らしいことだ」

「(リューテさんって、やっぱり分かりやすい人ですねえ……)」


 リューテは内心の動揺を隠すためかエルナと比較して明らかに口数が増えており、それでいて早口になっていた。


「(ですが、確かにケントさんは人との繋がりを大切にするあまり、周りを省みずに無茶をし過ぎることがありますね。私としては、彼にはもう少し落ち着いてほしいところですが……)」


 それからニュクスは三人が別の話題に転換して盛り上がっているのを横目に見ながら、リューテが挙げたケントの良い所でもあり悪い所でもある点について、一人思案に暮れていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

大変申し訳ございませんが、書き溜めを行うため一時更新を休止させていただきます。

再開予定は未定ですがなるべく早い復帰を心がけて参りますので、何卒よろしくお願い致します。

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