獣人、ソニア Ⅱ
二日に渡る旅路の末、ケントたちはとうとう鉱山の街、ノトスに到着した。
「ここがノトスか。外の景色もそうだったけど、街並みもゼピュロスとは全然違うんだな」
街の景観というものは、その街の周囲の環境を反映したものであることが多い。例えば、ゼピュロスは付近が豊かな自然に囲まれているためか、他の街に比べて木造の建築物が多い。それと対照的に、ノトスは砂や岩が多い殺風景な土地であるため、全ての建物が石材で出来ていた。
ケントたちは街の中央に向かって歩を進める。街の中にはリューテの話通り数多くの獣人がおり、ある者は石材を荷車に乗せて運び、またある者は露店で行商人らしき人間を相手に値切り交渉をしたりと、普通の人々と何も変わらない生活の光景が広がっていた。
「あ、ハルヴァン兄ぃー!」
すると、ソニアは右腕を上げてぶんぶんと横に振りながら、離れた場所にいる一人の獣人の男に向かって叫んだ。
「おう、ソニアか」
ハルヴァンと呼ばれたその男性は自分を呼ぶ声に振り向くと、落ち着いた足取りでソニアの元へ歩いていった。
「随分と遅かったじゃねえか」
「はい! 実はこの方々が魔物の群れに襲われそうだったので、助けてからここまで一緒に来たんですよ!」
ケントたちは目の前の男獣人が自分たちを一瞥したのを見てから、軽い会釈を返す。
「そうか……って、ソニア。お前、川まで水を汲みに行ってたはずだろ? 水瓶はどこにやったんだ?」
「え? あ……」
ハルヴァンに言われて、ソニアは頼まれていた仕事を忘れていたことに気付く。彼女は川の水を汲んでから街に戻る途中、ケントたちがリザードマンの群れに襲われそうになっていたのを発見した。そして、その際に助けに入るため、背負っていた水瓶を下ろしたのをそのままにしてしまっていたのだ。
「そういえば、道端に置いてきたのを忘れてました……」
「今すぐ取ってこい! このアホ!」
「うわああああああああああああああん!」
ソニアはリザードマンと戦った場所までの道を、全速力で戻っていった。
やがて彼女の姿が見えなくなると、男はケント達の方に振り向いてから再び口を開いた。
「……さて、待たせて悪かったな。俺はハルヴァン。あいつの兄で、この街に住んでいる獣人のまとめ役をやってる」
ハルヴァンはケントたちに、改めて自身の名を名乗る。その見た目は妹のソニアと同じ栗色の髪。ケントよりも背が高く屈強な体躯はいかにも獣人らしく、それでいて飄々としていながらもどこか理知的な雰囲気のある風貌をしていた。
「お前たちのその身なり、冒険者だろう? ここには依頼で来たのか?」
「いや、確かに俺たちは冒険者だが、ここには旅目的で来たんだ」
「そうだったか。まあ、何にせよ歓迎するぜ」
ハルヴァンは気さくに笑いかけると、自分の後方を親指で差す。
「そうだな……今すぐこの街の案内をしてやりたいところだが、今日はもう遅い。案内は明日にして、ひとまず俺の家にでも来ないか?」
「それはありがたい申し出だが、いいのか? たった今この街に来たばかりの、それも初対面の相手にそこまでして」
「ああ、全然構わねえよ。ソニアが世話になったみたいだしな。それにここで会ったのも何かの縁だ。俺でよければ、もてなしをさせてくれよ」
「そうか。なら、お言葉に甘えさせてもらおう。皆もそれで良いか?」
そこで、ニュクスが怪訝そうな顔をしてエルナとリューテにひそひそと耳打ちをする。
「いいのでしょうか? 経験上いきなり親切にされると、何か裏があるのではと思えてならないのですが」
「いや、安心していい。彼は本当にこの街の獣人の代表だ。直接話したことはないが、顔は知っている」
「そういえば、リューテさんは昔ここに来たことがあるんだっけ? それなら……」
「ああ、彼は信用できる」
リューテは過去の依頼で他の冒険者と共にノトスまで行ったことがあるため、ハルヴァンのことを既に知っていた。そのため、彼の厚意に預かっても問題は無いと判断した。
意見がまとまった三人はケントにそのことを伝える。
「決まりだな。それじゃあ、こっちだ。付いてきてくれ」
全員の合意を得たことを確認したハルヴァンは、ケントたちを連れて自宅と歩き出した。
「遠路はるばるご苦労さん。少し狭いだろうが、ゆっくりしていってくれ」
「ああ、ありがとう」
それからハルヴァンの家に上がり込んだケントたちは、石床の上に敷かれているカーペットに腰を下ろしてから、各々楽な体勢をとってくつろぐ。
「長い道のりだったが、ようやくまともに休めるな」
「ええ、かれこれ二日は歩きましたからね。私も、もうクタクタです」
「……あら?」
その時、エルナの目に大切そうに飾られている石が留まった。
「ねえ見て、ニュクス。あそこに置いてある石、凄く綺麗じゃない?」
「おや、本当ですね。少々色が暗いですが、銀でしょうか?」
「ん、それか? 確かに銀に似てるが、そいつはミスリルっていう、銀よりも貴重な鉱石だ」
ハルヴァンの貴重という言葉通り、質素な調度品に囲まれた家の中でそれは一際異彩を放っていた。その大切な石に目を付けたエルナたちに、彼ははこう続ける。
「俺たち獣人がこの街で何をやってるかは知ってるか?」
「ええ、知ってるわ。鉱山で採掘をしているのよね?」
「そうだ。そいつは俺がこの街に来て、初めて鉱石を掘りに行った時に偶然見つけた物でな。縁起がいいって思ったんで、売らずに記念に飾ることにしたんだ」
「ほう、ここらの鉱山はミスリルも採れるのか。この街には何度か来ているが、それは知らなかったな」
リューテは立ち上がると鈍い輝きを放つミスリルに近付いて、食い入るようにしてそれを見つめる。
「しかし、見ただけでも良い石だというのが分かるな。もしこれで剣を作ったとしたら、どれだけの業物が出来るだろうか……」
「……やらんぞ?」
まるで市場で好きな食べ物が売っているのを見つけて目を輝かせる子供のようにしてミスリルに興味を示しているリューテに対し、ハルヴァンは苦笑交じりにそう言った。
「い、いや、分かってる! ただそのように考えただけだ!」
ミスリルは加工こそ難しいが、鋼よりも軽く、それでいて頑丈という武器にするにはこの上なく理想的な石である。そのため、冒険者であり鍛冶屋の娘でもある彼女にとって、目の前のそれは非常に魅力的なものに映っていた。
「ところでソニアの奴、お前らに迷惑掛けなかったか?」
「いや、むしろ助けられたくらいだ。迷惑なことなんて何もなかった」
「そうか。ならいいんだが」
「……? どうかしたのか?」
「いや、な……」
数秒程間を置いた後、ハルヴァンはケントたちに神妙な面持ちでこう告げる。
「……お前たちも薄々感じてるかもしれんが、あいつはな……底無しのアホなんだ」
「あー……」
ソニアと知り合って間もないケントたちですら、ハルヴァンの発言を裏付けるだけの心当たりが有り過ぎた。それ故に、その場にいる全員が、彼の言葉を否定出来なかった。
「俺ら獣人ってのは元々頭よりも身体を動かす方が得意な奴の方が多いんだが、あいつはまさにそういうタイプでな。だから俺が見てないところで、何かやらかさないか心配なんだよ」
ハルヴァンは額に手を当て、小さくため息を漏らす。その姿は、手の掛かる妹を見続けてきた兄としての哀愁がそこはかとなく漂っていた。
「魔物相手の戦いだったら、この街に住んでる獣人の中でも一番腕が立つんだがなあ……」
「ふぃ~、さすがに疲れました……」
すると、噂をすればとでもいうようにソニアが肩で息をしながら家の中に入ってきた。
「おうソニア。やっと帰ってきたか」
「水瓶は裏に置いておきましたよ~……」
「ご苦労さん。それじゃ全員揃ったことだし、そろそろ飯にすっか!」
ハルヴァンはかまどに火を入れてから料理を始める。時間と共にぐつぐつとスープを煮込むにおいが立ち込めるようになり、その場にいる全員の鼻孔をくすぐる。しばらくすると、ケントたちの前にパンと塩漬けされた肉、そして色とりどりの野菜が入ったスープが運ばれてきた。
「これは……美味いな」
「本当! いつも酒場で食べてるご飯よりも美味しいわ!」
「確かに。私が以前この街に来たときに、酒場で出されたのは硬いパンに焼いただけの肉と微妙な味のスープだったから、なおさら美味しく感じるよ」
「そうか、折角の客人だからいつもより腕によりをかけてみたんだが、気に入ってもらえたようで何よりだよ」
ケントたち四人は、テーブルに並べられた料理に舌鼓を打つ。
ノトスは気候柄、農耕には一切適していない土地である。そのため、食糧は王都からの配給や行商人から購入することになるのだが、いずれにしても保存性が重視されるため味は二の次になる。にもかかわらず、ハルヴァンはそれらの決して上等ではない食材を、見事に調理してみせていた。
「ハルヴァン兄は獣人なのに、料理が凄く上手なんですよ!」
「獣人なのに? なんだ、獣人は料理が出来ないものなのか?」
「んー、まあ獣人ってのはおおらかっつうか、悪く言やあ大雑把な奴が多いからな。あんまそういうのは向いてねえんだよ」
「そうそう。みんないい加減で、筋肉でものを考える連中なんです。まったく、少しは兄を見習ってほしいものですよ」
「……お前がその最たる例なんだけどな」
それから全員が食事を終えたのを見計らって、ハルヴァンがある提案をする。
「そうだ。お前らこの街まで歩いて来たってんなら、まだまだ疲れてるだろ? だったら、今からいい所に連れていってやるよ」
「この街のいい所と言うと、あれか。確かに、今の時間なら丁度良いな」
「リューテさん、あれって?」
「行ってみれば分かるさ。今は彼の言う通り、いい所とだけ言っておこう」
こうしてハルヴァンに誘われるまま、ケントたちは彼の家を後にした。
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