獣人、ソニア
夜が明けると、四人は火の始末を終えてから再びノトスへ向けて歩き始める。
「どうしたの、ケント? 何か気になる?」
辺りの様子ををキョロキョロと窺っているケントに、エルナが声をかける。
「いや、こうして歩いていると、街の外ってのは意外に平和なんだと思ってな。もっとこう、凶暴な魔物がうじゃうじゃといて気の抜けないものだと思ってたんだが」
「ふふっ、まあケントは記憶を失ってるし、そういう風に考えるのも無理はないわね。でも、周囲に危険な魔物がいないからこそ街を造ることが出来たんだもの、実際はこんなものよ」
「確かに、言われてみればその通りか」
魔物にも縄張りがあるため、そこに侵入しないよう整備された道を通ればそうそう襲われることはない。そのため食糧を積んだ荷馬車などでも、護衛として冒険者を雇えばほとんど被害を受けることなく移動できる。
「それに、魔物とて生き物だからな。全てがというわけではないが、基本的には普通の動物と同じでむやみやたらと人に襲い掛かったりはしないものさ。例えば、あれだ」
リューテはそう言うと、自分の左方向を指差す。そこには牛のような見た目の魔物が数頭、のっそりと歩きながら野草を食べている姿があった。
「あれは魔物にしては気性が穏やかで、下手に刺激しなければ向こうから襲い掛かってくることはない。そして肉が中々に美味くてな、だから昔はあれを家畜にしようという動きもあったそうだ。まあ、結局断念したみたいだが」
いくら穏やかな気性といっても、やはり魔物なだけあって一度暴れれば牛や豚よりもはるかに危険で、武器を持たない農民には手がつけられない。そのため、家畜化はあえなく失敗に終わったという歴史がある。
「何にせよ、油断は禁物ではあるがそれでも適度に警戒しておけば問題はないさ。あまり気を張り過ぎると、いざ戦いになった時に全力を出せなくなるからな」
「分かった。ノトスに到着するまでまだ時間が掛かりそうだし、そうすることにするよ」
それからも、四人は他愛のない会話を交えながら歩き続ける。数時間も歩いていると周囲に生えていた草木は段々と少なくなっていき、代わりに砂の大地と岩山が広がるようになる。やがて夕方になる頃には、辺りは緑がほとんど存在しない荒廃した地形になっていた。
「あの、皆さん。何だか段々と暑くなってきてる気がしませんか?」
「ニュクスもそう思う? もう日も沈みそうなのに、心なしかお昼の時よりも暑くなってるような……」
エルナは煩わしそうに額の汗を拭うと、飲料水の入った革袋に口をつける。
「ノトスは街から更に南に行ったところに火山があるからな。それに、水源も少ない。暑いのはそれが理由だろう」
「ってことは、街には順調に近付いているってことか……ん?」
その時だった。岩陰から三匹の、トカゲのような頭をした二足歩行の魔物がケントたちの行く手を遮るようにして立ちはだかった。
「リザードマンか。どうやらこの辺りは奴らの縄張りだったようだな」
「リザードマン?」
「コボルトに近い特徴を持っている魔物だ。だが、奴らの方が知能が優れている分、群れると少し手強い。私たちなら問題なく倒せるだろうが、少し前に言ったように……」
「油断は禁物、だろ? それじゃあ――」
ケントたち四人は各々が持っている武器に手を掛け、即座に臨戦態勢を取ろうとする。
その時だった――
「待てえええええぇぇぇい!」
何やら素っ頓狂な叫び声が、辺りに響き渡る。ケントたちが声のした方向に顔を向けると、そこには犬のような耳と尻尾を生やした獣人と思しき一人の少女が、リザードマンのすぐ近くにある切り立った大岩の上で仁王立ちをしている姿があった。
「とーうっ!」
すると、少女は自分の身長の三倍はあるであろう大岩の上から飛び降りる。
「……あれ? 何か思ったよりも高……だああああああああっ!?」
そして、まるで地面を叩き割らんとするような勢いで踏み鳴らして着地した。彼女の周囲に大量の砂ぼこりが舞う。
「……あいつ、はっきりとは見えなかったが、獣人だよな? いきなり出てきたと思ったらすごい高さから飛び降りたけど、大丈夫なのか?」
「さあ……?」
唐突に現れて戦闘の空気を破壊した珍入者を、四人はただ呆然と見つめていた。
「痛ててて、失敗失敗……」
その獣人の少女は気を取り直すと、足のつま先で地面を何度か叩いてから、リザードマンに振り向く。
「さーて、善良な旅人を襲う不埒な魔物どもめ! このワタシ、クー・ソニアが相手をしてやりましょう!」
ソニアと名乗った少女は、拳を構えると真っ直ぐリザードマンの群れへと突っ込んでいった。
「あいつ、まさか一人で戦う気か!? 俺たちも加勢に――」
「いや、待つんだケント君」
少女の様子を見て何かを察したのか、リューテは剣を抜こうとするケントの腕を掴んで引き留める。
「どりゃああああああ!」
勝負は一方的だった。少女はリザードマンの攻撃をまるで予測でもしていたかのように紙一重で避けると、すかさず拳を振り上げて顎を正確に打ち抜く。
「まだまだぁ!」
残る二匹も、連携の隙を突いて一匹を蹴り飛ばし、もう一匹は横っ面に拳を叩き込んだ。
三匹いたはずのリザードマンの群れは、たった一人の少女の手によって一分も経たないうちに地面に倒れ伏した。
「ふぅ、口ほどにもないですねえ……あっ!」
戦いを終えると、少女はすぐさまケントたちの元へと駆けていった。
「旅の人! お怪我はないですか!?」
「あ、ああ。えっと……」
「よくぞ訊いてくれました! ワタシの名前はソニア。この近くにある街、ノトスに住んでいる獣人です!」
「いや、まだ何も言ってないけど……」
すると、ソニアは今度はエルナたちの方に振り向く。
「ところで、皆さんはノトスに向かう途中なんですか?」
「ええ、そうよ」
「それは奇遇ですねえ! ワタシも、今からノトスに帰るところだったんですよ!」
目的地が同じだということが分かると、ソニアは頭から生えている耳をピコピコと動かしながらこう続ける。
「ここで会ったのも何かの縁。折角ですし、ワタシと一緒に行きましょう!」
そして、一足先に街に向かって駆け出していった。
「……何というか、元気の良い子ね。一緒に行こうって言ったのに、先に行っちゃったわ」
「ええ。元気というか自由というか、まるで風のような方ですね」
「まあ、悪い子ではなさそうだ。それに、また魔物に襲われでもしたら面倒だしな。ここはあの子に付いていくとしよう」
ケントたちは先行するソニアの後を見失わないよう、急いで追いかけていった。
「えっと、ソニアだったか?」
「はい! 何でしょうか?」
「さっきはありがとな。助かったよ」
色々とバタバタとした状況に遭遇したため助けてもらったお礼をまだ言ってなかったと、ケントは改めて感謝の言葉を述べる。
「それにしても、獣人って本当に身体能力が高いんだな。まさかあのリザードマンの群れを一人で、それも素手で倒したのには驚いた」
「いえいえ、ワタシはたまたま通りかかっただけですから。それに、あれくらいじゃまだまだ獣人の力を十分に発揮したとは言えませんよ?」
「そうなのか?」
「ふっふっふ。では試しに、ワタシを殴ってみるというのはどうですか? 一人の攻撃くらいなら、全部避けてみせますよ!」
ソニアはフットワークの軽さを示すように、活発な印象を受ける無造作にはねた栗色の髪を揺らしながらその場で何度か小さく跳んで見せた。
「いや、いくら獣人が相手だからって、女を殴るってのはな……」
「大丈夫ですよ。絶対に当たらないですから! それとも、当てられる自信が無いですか~?」
「……そこまで言うならやってみよう。ただし、当たっても文句言うなよ?」
ケントはそこまで乗り気ではないものの、試しにソニアに目掛けて拳を突き出す。しかし、何度やっても拳が肌に触れるかどうかのところで避けられ、一発たりとも命中しない。申し訳程度にフェイントをかけたり攻撃のタイミングを変えたりしてみるも、拳はただ虚しく空を切るのみだった。
「凄い! 本当に全部避けてるわ!」
「完全に見切られてますね。しかしあれだけの運動能力、私でも当てられるかどうか……」
「ふはははは! 遅い遅い! 止まって見えますよお! そんなんじゃ一日やっても当たらな──え?」
その時だった。ソニアはケントのフックを後ろに跳んで避けたと思いきや、着地した先の地面から生えていた石を踏んで足を滑らせる。
「ギャーーーーーーーーッ!」
そして、後頭部を地面に強かに打ち付けた。
「うう、何でこんなところに石ころがー……」
「ええ……」
後頭部をさすりながら起き上がるソニアに、ケントは困惑の表情を浮かべる。
「なあ。この獣人、もしかして……」
「……注意力はないのかもしれませんね」
「だ、駄目よそんなこと言っちゃ! たまたま運が悪かっただけかもしれないでしょ!?」
その後もケントたちは、ノトスまでの道のりを偶然に出会った一人の快活な獣人の少女と共に歩いて行った。
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