背徳のひと時
それから、四人は朝食を摂るために酒場へと足を運んだ。そして空いている席に座ると、リューテが近くにいた酒場の従業員に声をかけた。
「酒を頼む。それも強めのやつをな」
「おや、今から強めのお酒なんて飲んで、いいんですか?」
「ああ、あんなことがあった後だからな。今日はとにかく飲んで、ゆっくりと休みたい気分だ」
どうやら本当に今日一日は何もする気がないようで、リューテは武器も防具も家に置いてきていた。
「なるほど、では私もそうしましょう。お二人はどうしますか?」
「私は、どうしようかしら……」
朝一番からそのようなものを飲んではまともに仕事が出来なくなると、エルナは悩んでいた。
「まあまあ、折角リューテさんが仲間になって、ケントさんが戦う術を身に着けたんです。今日くらいはお仕事を休んで、お祝いも兼ねて飲みませんか?」
「うーん……それもそうね!」
「俺は遠慮する。強い酒は苦手だし、それにここにいる全員が酔っ払ったら収拾がつかなくなるからな」
ケントはそう言って、普段飲んでいるエールを頼むことにした。
こうして四人はパンとスープ、そしてケント以外は度の強いエールを注文する。しばらくすると、最初に四人分の飲み物が運ばれてきた。
「さて、では飲みながら少し話し合いませんか?」
「ん、何をだ?」
「もちろん、あなたの能力についてですよ」
ニュクスはテーブルに肘をつくと、手のひらを上に向けてケントを指差す。
「なんでも昨日、リューテさんがキスをしたら、あなたの方が強くなったとか。そして、あなたがリューテさんにキスをした時は、リューテさんの傷が回復したと……」
ニュクスは運ばれてきた酒器に口をつけると、少し飲んでからこう続ける。
「これは私の推測ですが、あなたの能力は最初の時と今で変化してきているのでは?」
「……? どうしてそう思ったんだ?」
「私が初めてあなたにキスをした時のことを覚えていますか?」
「……ああ。そういえばあの時は普通にお前の怪我が治って、強くなっていたな」
ケントはかつてニュクスに襲われた時のことを思い出す。
「そうです。そしてあなたは、私がナイフに仕込んだ麻痺の魔法で動けなかった状態から回復しました。つまり、私の時とリューテさんの時で、キスをした際の効果が変化しているんですよね」
「たしかにそうだな……」
ただでさえ謎の多い能力であるというのに、そのうえさらに変化までするのかと、ケントは自分の能力に底知れぬものを感じていた。
「でも仮にそうだとして、いつどういう条件で変わるのかしら?」
「そこまでは分かりませんね。それに推測するにしても、今のままでは知らないことが多すぎます。なので……」
そこでニュクスは残っていたお酒を一気に飲み干すと、三人に向けてこう言った。
「この後もう一度ケントさんの部屋に集まって、色々と調べてみましょう」
「……え?」
三人は同時に固まって、酒を飲む手を止めた。
「え? 調べるって、まさか……」
「ええ、そのまさかですよエルナさん。私たちで、ケントさんとキスをするんです」
「なっ……!?」
キスという言葉を聞いて、リューテは椅子から飛ぶようにして立ち上がった。
「ケント君とキスをもごっ――」
ニュクスは驚きのあまり大声を出そうとしたリューテの口を手で覆う。
「リューテさん、声が大きいです」
「あ、ああ、すまない……」
リューテは平静さを取り戻して、再び席についた。
「しかし、何も三人でする必要はないんじゃないか……?」
「いえ、ケントさんの能力は周りに知られないようにしているとはいえ、これからも利用していくのであれば私たちはその仕組みを把握しておくべきです。なので、お二人にも参加してもらわなければ」
「それは、そうだが……」
キスをするのには抵抗があるとはいえ、ニュクスの言葉にも一理ある。魔物との戦いは何が起こるか分からない。昨日のグリフォン戦のように、いざという時はケントの能力に頼ることを考えれば、自分も能力のことを詳しく知っておく必要がある。悩んだ末に、リューテは腹を決めた。
「……分かった、協力しよう」
「リューテ、いいのか?」
リューテの性格的にこのような話は頑として断るだろうと考えていたため、ケントは念のため彼女にそう聞いた。
「ああ。正直恥ずかしくて仕方がないのだが、君には借りがあるからな」
「そ、それじゃあ!」
そこへ、エルナが食い気味に三人の会話へと混ざる。
「私も参加するわ! ケントがキスにかこつけて二人に変なことをしないか、見張る必要があるもの!」
「おいおい……」
エルナの言い分に不満の声を漏らすも、実際のところ自分にはかつてエルナに能力を調べる口実にキスを迫った前科があるため、それ以上強くは言えなかった。
「よかったですね、ケントさん」
全員の意見がまとまったあと、ニュクスはケントにひそひそと耳打ちをする。
「な、何のことだ……?」
「私だけでなく、お二人にも来ていただけるみたいですから、嬉しくないですか?」
ニュクスは小悪魔的な笑みを浮かべてケントを見る。
「お前、何だか楽しんでないか……?」
「ふふっ、さあ、どうでしょう?」
やがて注文していたパンとスープが運ばれてくると、四人は会話を歓談に切り替えながら食事をした。
そして四人は朝食を済ませてから、ケントが借りている宿の部屋へと戻ってきていた。
「お、おい……みんな大丈夫か……?」
ケントは三人の顔を見る。彼女たちは度の強い酒を飲んだためか、正気は保っているものの心なしかぼーっとしているように見えた。
「まあまあ、飲んでからそこまで時間は経っていないですし、大丈夫ですよ。多分」
「多分って……」
「ふふふふふ……さて、それでは始めましょうか」
そう言いつつニュクスは口調と表情は、いつにもまして怪しくなっていた。
「というわけで、最初はエルナさんからお願いします」
「わ、私から……!?」
自分が指名されるとは思っていなかったようで、エルナは驚いたような声を上げた。
「ええ。リューテさんの話から、私はケントさんの方が強くなる条件は、『ケントさんが相手の方からキスをされること』だと考えました。エルナさんにはそれを確かめてもらいたいんです」
「で、でも……」
エルナは何やら戸惑うような素振りを見せる。
「エルナ、嫌なら無理しなくたっていいんだぞ?」
「ち、違うわ! その、恥ずかしいけど、でもあなたとはもう何回もキスしてるし、嫌ってわけじゃないの! ただ、たしかあなたはその能力で強くなった後、急に気を失ったのよね? だったら、私がキスをしたら……」
また激しい疲労に襲われて気を失うのではないかと、エルナはそういった理由でキスすることを躊躇っていた。
「そういうことなら別に死ぬわけじゃないし、心配しなくても大丈夫だ。それに俺も、自分の能力がどういうものか知っておきたいからな。気絶くらいどうということはないさ」
「そう……そういうことなら、分かったわ……」
エルナはケントが腰を下ろしているベッドに移動すると、彼の胸にそっと両手を添えて顔を近付ける。
「それじゃあケント、動かないでね?」
「あ、ああ……」
ケントは思わず声を上ずらせてしまう。今のエルナは酒が入っているためか顔に赤みがさしており、切なげな表情も相まって絶妙な色っぽさを醸し出していた。そんな彼女を見て、ケントは心臓の鼓動が高鳴るのを感じずにはいられなかった。
「んっ……」
そして、二人はとうとう口付けを交わす。そこから何秒か経って、エルナはゆっくりとケントから唇を離した。
「どう、ケント?」
「そうだな……やっぱり俺がキスをされると、俺の方が強くなると考えて間違いなさそうだ」
ケントはリューテの時と同じで、身体から力がみなぎるのを感じていた。
「ケント君、すまないがひとついいか?」
すると、リューテが訊きたいことがあるというようにして、二人の会話に入ってきた。
「君はあの時、私と同じ炎属性の魔力を使っていたのだが、今はどうだ? 何か魔力を感じるか?」
「……ちょっと待ってくれ」
ケントは自分の魔力を探るためエルナに振り向くと、彼女にこう尋ねた。
「エルナ、前に魔力を確かめるために使ったあの紙、持ってるか?」
「あ、うん」
エルナが例の紙を一枚ケントに手渡す。ケントはすぐにその紙を指で挟むようにして持ってから、指先に力を込める。すると、紙の色が緑色に変化した。
「これは……たしか、風属性の魔力を示す色だったな」
「それじゃあ、やっぱり……」
「なるほど。どうやら、キスした相手が最も得意とする属性の魔力を扱えるようにもなるみたいですね」
「……ん?」
その時だった。ケントは身体から力が抜けていくのを感じて、自分の両手のひらを見る。
「おや、どうしました?」
「何というか、身体からさっきまであった力が抜けていった感じだ」
だが、リューテの時にはあった虚脱感は全くなく、ケントは気を失うこともなく平然としていた。
「ケント君、平気なのか?」
「ああ、何も問題は無い。大丈夫だ」
「そうか……もしかして私の時に倒れたのは、力を使い過ぎたからか?」
たった今ケントがエルナにキスをされてからほとんど何もしていなかったこと、そして自分の経験を踏まえたうえで、リューテはそのように考察した。
「でもそれなら、私たちが強くなった時は特に疲れたりしないのは変じゃないかしら?」
「……いえ、そうでもありませんよ」
そこへ、ニュクスはこれまでのやり取りから自分が推測したことを、三人に話す。
「恐らくですが、私たちが強くなる場合は元々ある力を引き上げるだけなので、疲労はせずにすむのでしょう。ですがケントさんの場合は、今のように本来は使えないはずの力を行使するので、その分効果が切れた際に激しい疲労に襲われるのだと思います」
「なるほど……」
そういうことであれば辻褄が合うと、三人は納得した。
「それじゃあ、余程のことがない限りは私たちの方からキスをするのは避けた方がいいってことかしら?」
「そういうことになりますね」
回復や身体能力の向上だけではなく、キスした相手の技能までも模倣することができる。つまりケントはリスクこそあるものの、理論上すべての武器や魔法を使えるということになっていた。
「では、次は私の番ですね」
「なっ……!?」
驚いたような声を上げるケントを尻目に、ニュクスはエルナと入れ替わるようにして、彼の正面に座った。
「どうしてお前にも……」
「だって、エルナさんだけでなく、私たちにもしなければ不公平になるじゃないですか」
ニュクスは蠱惑的な笑みを浮かべると、ケントの首の後ろに両手を回して彼に顔を近付けた。
「それに私、ケントさんの方からキスされたこと、ないんですよ?」
「──っ!」
そんな彼女の表情を吐息を感じられるほど間近に見たことで、ケントの理性に小さな亀裂が入った。
朗らかで優しい性格のエルナを日だまりに咲く可憐な花だとするならば、ニュクスはまるで夜に咲く花だった。甘い蜜で花弁をしとどに濡らし、濃厚な匂いで獲物を誘う、美しくて危険な花だ。
その誘惑に抗えず、ケントは引き込まれるようにして目の前の少女に口付けを施していた。
「んっ、ちゅっ……」
ニュクスは身体から力が湧き上がるのを感じつつも、そのままキスを繰り返す。やがてそれは音をたてるような激しいキスになり、まるでケントの舌という誘いこまれた獲物を自身の舌で絡めとるかのようだった。
「ん……ぷはっ……」
そしてしばらくしてから、ニュクスはケントとの間に口内で混ざりあった唾液でアーチを描きながら、そっと唇を離した。
「どうやら、キスをするのとされるのとで効果が変わるという予想は間違って無さそうですね」
ニュクスは恍惚とした表情で、抱き締めるようにして自分の腕を掴んでいる。
「それにしても……ふふっ、やっぱりこの感覚、癖になってしまいそうです……」
そして、ニュクスは興奮冷めやらぬままにリューテへと振り向いた。
「さて、最後はあなたの番ですね」
「あ、ああ……」
リューテはおずおずとした様子で、伏し目がちにしてケントの正面に座る。
「……いいのか?」
「ああ。ただ、私はこういったことは慣れていないんだ。だから、その……君の方から……」
「ああ、分かった」
ケントはリューテの肩に手を置くと、彼女に優しくキスをした。
「んっ……」
小鳥のついばみのような、触れるか触れないかといった柔らかなキスを何度も繰り返す。そうしているうちに、リューテの呼吸は段々と荒くなっていった。
「うぅ……」
その光景を、エルナはモジモジとしながら見つめている。そんな彼女の様子を、ニュクスは見逃さなかった。
「おや、エルナさん。何やら落ち着かない様子ですが?」
「え……!? い、いえ、そんなことは……」
エルナの動揺を察知して、ニュクスは不敵に微笑む。
「ふふっ。まあ、見ているだけでは退屈ですよね。ですから……」
「な、何……んむっ!?」
突如、ニュクスはエルナに唇を重ねた。
「二人が終わるまでの間、私がお相手しましょう」
「え、ええええっ!?」
自分が何をされたのか理解して困惑しているエルナを、ニュクスはゆっくりと押し倒していった。
「はあっ、はあっ……ケント、くん……」
その一方で、リューテの感情の昂りは最高潮まで達しようとしていた。
「ケント君っ!」
そしてリューテは唇を離すと、ケントをひしと抱き締めた。
「……んっ?」
現在、リューテはケントがキスをしたことによって強くなっており、そのうえで彼を抱き締めている。ケントはエルナの時にも似たようなことがあった気がすると、何となく既視感のようなものを覚えた。
そして、次の瞬間――
「がっ……!?」
リューテは尋常ではない力で、ケントの身体をギリギリと締め上げた。
「ま、待てリューテ! 今のあんたは俺のキスで……」
「もう駄目だ……気持ちが溢れて、抑えきれないんだ……」
そのことを示すかのように、彼女のケントを抱き締める力は段々と強くなっていく。
「はあっ、はあっ……ケント君……!」
「お、おい! 本当に待て! このままだと死ぬ! 死ぬって!」
そう言っている間にも、ケントの背骨はミシミシと悲鳴を上げていた。
「エルナ! ニュクス! 助けてくれえええ!」
救いの手を求めて、ケントは二人の方を見る。
「ふふっ、本当に綺麗ですねえ、エルナさんは」
「ひゃあっ!? ニュクス、そこ、だめぇ……!」
しかし、二人は二人で盛り上がっている最中だったため、ケントたちのことが視界に入っていないようだった。
「ああ、これは……死んだかも」
もはや限界だと思った、その時だった。
「……あれ?」
突然、リューテの腕が緩み始めたかと思うと、ケントに体重を預けるようにして倒れた。
「すぅ……すぅ……」
見ると、リューテは寝息を立ててすやすやと眠っていた。どうやら、興奮のあまり朝に飲んだ酒の酔いが回り過ぎたようだった。
「た、助かった……」
ケントはリューテを隣に寝かせると、自分もそのままバタリとベッドに横になった。
「駄目だ、何だかどっと疲れた……」
そしてとうとう、ケントはまどろみの中へと意識を委ねていった。
「……うん?」
ケントが目を覚ます。外の景色は全体的に赤みがかっており、どうやら夕方になっているようだった。
「ああ、そうだ。俺はあれから眠ったんだったな……」
すると、彼の隣で眠っていたリューテも目を覚ました。
「ん、私は一体……はっ!?」
そして少し前の自分の痴態に気付いたようで、ケントの肩をがしっと掴んだ。
「うわっ!? 何だ……?」
「ケント君。さっきのことは忘れてくれ。あれはただ悪酔いをしてしまっただけなんだ。本当の私は、あんなふしだらな女ではない。だから、絶対に忘れるんだぞ!? いいな!?」
「あ、ああ……」
その時ケントの耳に、聞き慣れた二つの声が聞こえた。
「うーん……」
どうやら、床に倒れていたエルナとニュクスが起き上がったようだった。
「っと、お前らも目を覚ましたか……って!?」
しかし二人の姿を見て、ケントは驚いた。
「何で裸なんだ!」
「えっ……きゃあああああっ!?」
エルナはケントに指摘されて、初めて自分が生まれたままの姿を晒していることに気付いた。
「な、何で……どうして……?」
エルナは両手で胸を隠すと、涙目になってその場にうずくまる。
「ああ、すみません。それは私のせいです」
同じく裸になっているニュクスが起き上がると、近くの床に無造作に置かれてあった自分の服を身に着けながらそう答える。
ケントがリューテとキスを交わしている間、二人もまた互いにキスを交わしていた。だが、酔っ払っていたため歯止めがきかず、いつの間にやらこのようなことになっていたのだった。
「でも凄かったですよ? エルナさんのあの乱れようといったら、思い出すだけでも……ふふふっ」
ニュクスは頬を赤らめると、人差し指の関節を唇に付けて太ももを擦り合わせた。
「も、もう、なんなのよおおおおおお!」
「……はあ、昨日の疲れを取るつもりが、余計に疲れてしまった……」
これからはお酒はほどほどにしようと、エルナとリューテは心からそう誓ったのであった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回以降の更新ですが、事情により一時投稿を休止させていただきます。
詳しくは活動報告に記述いたしますので、お手数ですがそちらをご覧いただけますと幸いです。




