初陣
それから時は流れ、ケントの特訓が始まってからとうとう一ヶ月が経過した。
「よし、ここまで!」
日が暮れるのを見計らって、リューテはケントにそう告げた。
「よく頑張ったな。特訓を始める前と今では、素振りの動作もまるで別人のようだよ」
「ああ。きつかったが、なんとかやり遂げたな……」
ケントは達成感を噛みしめるようにして、しみじみと自分の手のひらを見る。幾度となく剣を振り下ろした彼の手はマメが潰れて所々血がにじんでおり、努力の証を明確に表していた。そして、限界を超えた走り込みを何度も続けたことで体力も顕著に伸びており、初日は特訓が終わった後は意識が遠のきそうになるほど疲労困憊としていたのが、今では多少息が上がる程度で済むようになっていた。
「人間ってのは、多少の無茶なら自然と慣れるもんなんだな」
「ふっ、そうだろう。よし! では明日、君にはオーク討伐の依頼を受けてもらう。そこで鍛錬の成果を私に見せてもらおう」
初めて聞いた魔物の名前に、ケントはどういった魔物なのかという意味を込めて聞き返す。
「オーク?」
「ああ、コボルトよりも大きく、より人型に近い魔物だ。この街の近くにある平原に広く生息している」
「じゃあそのオークを倒せたら、晴れて訓練は終了というわけだな?」
「そうだ。それが出来れば、少なくともあの娘たちと一緒に依頼を受けても、足を引っ張るということはないだろう」
「よし!」
今から腕が鳴るとでもいうように、ケントは自分の手のひらに勢いよく拳を打ち付けた。
「だが一つ、約束してほしいことがある」
「ん、何だ?」
リューテは急に神妙な面持ちになると、ケントにこう告げる。
「戦いになったら、魔物にしっかりととどめを刺してほしい」
「……? ああ、分かった……」
彼女の言葉の意図は分からなかったが、ひとまずケントは頷いた。
そして翌日、ケントはリューテと共にギルドで依頼を受けてから、目的地の平原へと足を運ぶ。
十五分も歩くと、二人はようやく全身が緑色の皮膚に覆われ、醜悪な顔をした一匹の魔物――オークを発見した。
「こいつがオークか。たしかに、コボルトよりも人型に近いな」
「だろう? だが、魔物だ。容赦なくこちらを襲ってくるぞ?」
リューテの言葉通り、目の前のオークは二人の存在に気付くと、即座に臨戦態勢に移行した。
「あれはコボルトよりも鈍いが、力は強い。動きをよく見て、確実に対処するんだ。それと……私が昨日言った約束は、覚えているか?」
「ああ。きっちりととどめを刺す、だろ? 分かってる」
ケントは腰に差した剣を抜いてから構えると、オークにより接近していく。すると、まるでそれを宣戦布告の合図とでも受け取ったかのように、オークは唸り声を上げながら爪を立てると、間髪入れずにケントに襲い掛かってきた。
「……っ!? これは……」
それを見て、ケントは驚いた。敵の動きが迅速で、恐ろしかったからではない。むしろ逆、彼の予想以上に遅く、単調に見えたからだ。
「っと……!」
ケントはオークの引っ掻く動作を見切り、そして余裕をもって躱す。その後も立て続けに攻撃をされたが、それらも全て難なく回避した。
「いける……これならっ!」
初めてコボルトと対峙した時、ケントは未知の存在に動揺していたということもあったが、それを差し引いてもまるで手も足も出なかった。
だが今は違う。一ヶ月にわたる過密な特訓により身体能力が向上したこと、そして何より戦いに対する心構えができたことによって集中力が増し、相手の動きが手に取るように分かっていた。
「まだだ、もっと引き付けて……」
ケントはその後も相手の攻撃を避けながら、動きを慎重にうかがう。闇雲に攻撃をするのでは決定打を与えることは難しく、徒に体力を消耗してしまう。確実な隙をついて、戦闘不能になるほどの致命的な一撃を食らわせるのが彼の狙いだった。
「グ、ゴオオオオオォォォ!」
すると、攻撃が当たらないことに対する苛立ちと焦燥からか、オークはこれまで以上に大きく腕を振りかぶり、咆哮と共にケントへ襲いかかった。
「……っ! ここだ!」
ケントはそれを躱すと、一気に懐まで肉薄して剣を高く掲げる。
「うおおおおおおおおおおおおっ!」
そして、無防備になったオークの身体を、袈裟懸けに切り裂いた。
「グオオオオオオォォォ!?」
オークはその場に崩れて絶叫し、斬られた箇所から血しぶきを上げながらのたうち回る。
「ケント君、とどめを!」
「ああ、分かってる!」
リューテに言われた通り、ケントはとどめを刺そうとオークに詰め寄り、おもむろに剣を振り上げる。
「オ、オオォ……」
「……っ!?」
だが、彼は振り上げたままの姿勢で固まってしまった。
「(そうか……こういう、ことだったのか……!)」
苦しそうなうめき声を上げながら、おびただしい量の血を流してピクピクと痙攣しているオークを見て、ケントはようやく昨日リューテが言った、約束してほしいという言葉の意味を理解した。
「ハァーッ……ハァーッ……!」
ケントは息の詰まるような恐怖を覚え、剣を持つ腕をガタガタと震わせる。魔物か人かの違いなだけで、いま自分が奪おうとしているのは紛れもなく命なのだと、そのことに気付いた彼は段々と動悸が激しくなっていき、汗が止まらなくなっていた。
「――――っ!」
そして、とうとう彼は掲げていた剣を下ろしてしまった。
「…………」
リューテはそんな彼の背中を黙って見守っている。だが、しばらくしてこれ以上は待てないと判断したのか、彼女は剣を抜くとじりじりとオークの元まで歩を進めた。
「……っ! 待ってくれ!」
ケントはリューテが後ろから自分の元へ向かってくるのを察知し、振り向かずに手だけで制する。
「俺がやる……やらなきゃ、いけないことなんだろ……?」
ケントはどうやら覚悟を固めたようで、ゆっくりと深呼吸をしてから、剣を逆手に持って再び高く振り上げる。
「――――っ!」
そしてオークの左胸を真っ直ぐと見据えて、身体の奥まで深く突き立てた。
戦いが終わった後、二人は他の冒険者や旅人が利用していたと思しきキャンプ跡地を見つけて、そこで休憩していた。
「…………」
ケントは自身の震える両手をじっと見つめる。先程の戦いで体感した凄惨な絶叫、流れる血、剣を伝う命の感触。その全てが彼の頭にこびりついて離れずにいた。
「よく、やったな」
リューテはそんな彼を労うようにして、そっと肩に手を置く。
「その、大丈夫か?」
「……あまり、大丈夫とは言えない。だけど、あんたが何を伝えたかったのかは、理解できたと思ってる」
ケントはゆったりとした動作でリューテに振り向く。
「あんたはこの依頼を通して俺に、命を奪うということがどういうことかを知ってほしかったんだろ?」
「……ああ、その通りだ」
ケントの言葉を聞いて、リューテはそっと俯く。
「少しだけ、聞いてほしい」
そして、そのように前置きしてからゆっくりと口を開いた。
「今から三年前、私が冒険者になって初めて討伐依頼を受けることになった時、私も父にこう言われたんだ。『絶対に魔物にとどめを刺せ』、とな。そして、君と同じようにとどめを刺すのをためらってしまった」
リューテは自身の過去を語り始める。どうやら、先程までのケントの姿に、かつての自分の姿を重ね合わせていたようだった。
「自分のしていることは命を奪うことなのだと、それを理屈ではなく肌で感じて、震えが止まらなくなった。結局、私はその魔物を殺すことが出来ず、失血で弱って死んでいくのをただ眺めるしかなかった」
それまで彼女は、冒険者になるべく鍛えてきた剣の腕をようやく魔物にぶつけられると思い、意気揚々としていた。だが、いざ父親の言葉通り魔物の息の根を止めようとすると、殺すことの恐怖を知って身体が動かなくなってしまっていた。
「帰ってその事を父に伝えたら、父は今までに見たこともない剣幕で私を怒った。『お前のしたことは命を持つものに対するこの上ない侮辱だ』、と。その言葉を聞いて、私はとんでもないことをしたのだと気付いた。自分の精神力の弱さをひどく恥じたよ……」
一思いに死ねず、激痛の中で悶え苦しみながらただただ死を待つしかない。自身の手で命を奪うことを恐れるあまり、魔物が相手とはいえそのような苦痛を味わわせてしまったことを、彼女は何より悔いていた。
「だから、済まなかったな。君には酷な真似をさせたと思っている。だが、冒険者として生きていくなら、これは絶対に乗り越えなければならないことだ」
冒険者であれば魔物を討伐する機会はこれからも幾度となく訪れるため、殺すことに忌避感を持ったままではそれが隙となり、逆に自分が殺されることになりかねない。それ故に、自分が相手の命を奪う覚悟を身に着ける必要がある。
だが同時に、奪う命に対して敬意を払わなければならない。それをしなければ精神は退廃し、命の尊さを忘れ、愛情を忘れ、最後は「人間」である意味を忘れることになるからだ。
彼女があえて魔物の中でも特に人型に近いオークを討伐対象に選んだのも、命を奪うということをより強く実感させることで、それらのことを心身共に深く刻み込んでほしいと考えてのことだった。
「これからも魔物を戦うことになった時には、苦しませないようしっかりととどめを刺してほしい。それが、食うか食われるかの世界を生きる彼らに対しての、せめてもの礼儀だ」
「……ああ」
ケントは意気消沈といったように、力なく頷く。
「……大丈夫だ」
そんなケントを励ますように、リューテは笑顔で彼の背中を優しく叩いた。
「正直、初めは君の冒険者としての才を疑っていた。訓練も、途中で根を上げるのではないかと考えていた」
幼い頃から鍛練をしてきた彼女にとって、魔法が使えず、かといってこれまで武器すら持ったこともないような人間が冒険者を目指すというのは、だいぶ荒唐無稽なことのように思えていた。
「だがそんな私の予想に反して、君は最後までやり遂げた。そして今、かつての私が出来なかったことをやってみせたのだ。だから君はいずれ、私以上に立派な冒険者になれるだろう。立ち直るのは大変だろうが、これから頑張ってほしい」
「リューテ……ああ、ありがとう!」
リューテの言葉で、ケントはこれまでの努力が彼女に認められたのだと実感し、少しではあるが元気を取り戻した。
その時だった。二人の元へ、再び別の個体のオークが迫ってくるのが見えた。
「……っ! 新手か……!」
傷心が癒える間もなく憂鬱な気分が拭えなかったが、それでもケントは戦うために立ち上がろうとする。
「いや、さっきの今だ。君はここで休んでいて構わない」
だが、そんな彼をリューテは手で制すると、代わりに剣を抜いて立ち上がった。
「リューテ?」
「折角だ、ここは私の剣技を見せてやろう」
リューテは剣を握る手に力を込める。すると彼女の剣の刀身が、瞬時に赤々とした炎を纏った。
「な、なんだ……!?」
驚きの声を上げるケントを尻目に、リューテは真っ直ぐと敵の方へ向かっていく。
「炎龍……一閃!」
そしてそのように叫ぶと、オークの攻撃にカウンターを合わせるようにして、横一文字に切り払った。その瞬間、斬撃と同時に炎がオークの身体を焼き尽くす勢いで広がっていく。
「す、凄え……」
全身を炎に包まれたオークは、断末魔の声を上げる間もなく絶命する。ケントはその光景を、座ったままでの姿勢で見つめていた。
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