女剣士リューテ
次の日の朝、ケントは酒場で食事を済ませてから、自室で鍛冶屋の親方が言っていた娘が来るのを待っていた。
「失礼する」
しばらくすると、何者かがケント部屋の扉をノックした。
「ちょっと待っててくれ」
ケントはすぐに扉を開ける。すると、そこには長く赤い髪を後ろで結わえた、スラッと背の高い女性が立っていた。
「ケントという名の冒険者を訪ねてきたのだが、君で間違いないだろうか?」
「ああ、そうだけど……」
「そうか、よかった」
女性は微笑み、堅苦しい面持ちを若干崩してからこう続けた。
「私はリューテ、君と同じ冒険者だ。父から、君に剣の手ほどきをするように言われてここへ来た」
そう言って、リューテと名乗ったその女性は冒険者の証であるペンダントを取り出す。その裏には、「C」の文字が刻まれていた。
「そうか、あんたが……」
すると、エルナとニュクスの二人が、ケントの部屋へと入ってきた。
「おはようケント、あら……?」
二人は見知らぬ女性と話しているケントを見て足を止める。しかし昨日の鍛冶屋でのやり取りと、腰に剣を差しているその姿から、すぐに目の前の女性が何者かを察したようだった。
「もしかして、あなたが鍛冶屋の親方さんが言ってた人?」
「そうだ。君たちのことも父から聞いている。たしか、彼と一緒に冒険者の仕事をしているという女の子だろう? 私はリューテだ、よろしく頼む」
「あ、うん! 私はエルナよ、よろしくね!」
「ニュクスと申します。以後お見知りおきを」
三人は軽く自己紹介を済ませると、互いに握手を交わした。
「君たちとも話をしたいところだが、あいにく今日は先約があるのでな。またいずれ、私の方から伺わせてもらおう」
それだけ言うと、リューテは用向きを済ませるかのようにケントに振り向く。
「では、私は宿の入り口で待っているから、準備が済んだら来てくれ」
そして、彼女は踵を返すと部屋から出ていった。
「リューテさん、ですか。なんだか大人びていて、真面目そうな方でしたねえ」
「ええ、いつかゆっくりお話しできるといいわね」
リューテの背中を見送ってから、エルナとニュクスは会話を交わす。短い時間しか話せなかったが、二人は彼女にそのような印象を抱いていた。
「それじゃあケント。私たちは、一足先に討伐依頼を受けて来るわね?」
「ああ、久しぶりの討伐依頼だろうが、怪我だけはしないようにな?」
「ありがとう。あなたも特訓、頑張ってね!」
エルナはケントを鼓舞する言葉を送ると、ニュクスと共にギルドに向かうべく彼の部屋を後にした。
「悪い、待たせたな」
「……む、来たか」
あれからすぐに準備を済ませると、ケントは宿の入り口付近に待機していたリューテに声をかけた。
「さて、早速特訓を始めよう……と言いたいところだが、その前に一つ君に訊きたい」
「なんだ?」
「君は魔物と戦ううえで、何が重要だと考える?」
「重要なこと? そうだな……」
戦術的な意味なのか、それとも精神的な意味なのかが分からず、ケントはしばらく考えてからこのように答えた。
「色々あるんじゃないのか? 例えば、事前準備を怠らないこととか、仲間と協力することを心掛けることとか」
「そうだな。たしかに重要なことは色々ある。そして、一流の冒険者を目指すのであれば、それらすべてを疎かにすべきではない。だが、もし一つだけ選べと言われたなら、私は体力だと考える」
そう言うと、リューテは続けてそのように考える理由を説明した。
「体力の消耗は集中力の低下に繋がる。そうなれば注意力や判断力も鈍って、万全の状態でなら勝てるはずの魔物にも遅れをとることになりかねない。そうならないためにも、私が新人冒険者を鍛えることになった時には、まず体力を養ってもらうようにしている」
体力は目的地までの移動や魔物との戦闘など、すべての動作において消費し続けるものである。つまり体力の増強を疎かにするということは、依頼の遂行ににおいてあらゆる面で大きな支障をきたすことに繋がるということになる。そのことを、リューテは伝えようとしていた。
「だから君も、まずは基礎体力の向上を優先する。それと合わせて剣の素振りも行い、剣を振る感覚を身体に染み付けていく。それを一ヶ月も続ければ、Eランクの討伐依頼ならば受けても問題ないくらいにはなるだろう」
「一ヶ月か……長い道のりだな……」
自分も出来るだけ先に討伐依頼を受けている二人に加わりたいと考えていたため、仕方がないはいえ鍛錬に時間を掛けなければいけないということが、ケントはもどかしかった。
「当然だ。聞けば君は戦うどころか、武器すらまともに握ったことがないそうじゃないか。そんな右も左も分からないままで剣だけ持って戦っても、魔物どころか自分の足を切り落とすのが目に見えているからな。だったらまだ丸腰の方がマシだというものだ。そうならないよう、まずは徹底して基礎を叩きこむ必要がある」
そこまで言うと、リューテは街の出入り口がある方角へと身を翻す。
「そういうことだから、まずは私と一緒に走り込みを始めようじゃないか」
「よし、分かった」
リューテの言葉を聞いて、ケントは身体をほぐすために伸脚と屈伸を何度か繰り返す。
「それで、いつまで走るんだ?」
「無論己の限界の、さらにその先までだ」
「……え?」
あまりにも大雑把過ぎではないか。どれだけ走らされるのだろうか。そして限界のその先とは一体なんなのか。ケントの頭の中に多くの疑問が湧きあがった。
「さて、時間が惜しい。お喋りはこのくらいにして、そろそろ始めるぞ! 遅れないように付いてくるんだ!」
「いや、もっと具体的に答えて……って、ちょっと待ってくれ!」
だが、それを問う暇もなくリューテは先に走っていったため、やむを得ず後を追いかけるようにして走り出した。
そして、ケント街を出るとリューテの背中を追うようにして一心不乱に走りに走り続け、遂には普段エルナと薬草を採取しに行く森まで来ていた。
「はあーっ……はあーっ……」
ケントは膝に手を置き、生まれたての小鹿のように震える脚で辛うじて身体を支えながら、肩どころか全身で息をしていた。
「どうした? 段々と遅れてきているぞ?」
それとは対照的にリューテは息一つ乱していないようで、走り始める前と何も変わらないほど平然としながら、ケントに話しかけた。
「げほっ……いや、待ってくれ……もう、ほんとに……足が、動かない……」
「ふむ。まあ、最初ならこんなものか」
もはや喋ることすらままならないというように何度もむせているケントを見て、リューテは足を止めてケントのいる場所まで引き返す。
「よし、ならばここで一旦休憩にしよう」
「良かった……やっと、休める……」
もしあと三十秒でも休むのが遅れていたとしたら、朝に食べたパンとスープが逆流して、そのまま地面に栄養を与えることになっていた。ケントは間に合ってよかったと安堵の息を吐くと、その場に大の字になって寝そべった。
「さて……」
そんな彼の姿を見届けると、リューテはケントに背中を向けて歩き出した。
「ん? どこか行くのか?」
「ああ。ちょっとした野暮用だ。すぐに戻るから、君はそのままここで休んでいて構わない」
彼女はケントにそう言い残すと、そのまま茂みの中へと入っていった。
「…………」
リューテが姿を消してから十分が経過した。しかし、彼女が戻ってくる気配は一向にない。
「遅いな、リューテ……」
すぐに戻ると言っていたこともあり、ケントは彼女の身に何かあったのではと不安になる。
「……ちょっと探しにいってみるか」
まだ少し膝が震えていたが、休んだおかげで歩けるくらいには体力が回復していたため、ケントはリューテを探そうと立ち上がり、彼女と同じように茂みの中へと入っていった。
しばらく進むと、さらさらとした川のせせらぎの音がケントの耳に入る。
「この音……近くに川があるのか?」
ずっと走り続けていたことで喉が渇いていたケントは、ひとまず水分を補給しようと考え、音を頼りに川のある方へと進んでいく。そうしているうちに、やがて開けた場所へと出た。
「……なっ!?」
そこで、ケントは思わず声を上げて驚く。そこには、リューテが一糸まとわぬ姿で川で水浴びをしている姿があった。近くの木には、彼女が身にまとっていた衣服と下着が掛けられており、その根元には装備の剣と身を守る防具である胸当てが置いてある。
彼女はまだケントには気付いていないようで、水を手ですくっては腕や脚をさするようにして身体を清めていた。
「野暮用って、これのことだったのか……」
ケントは何の気もなしに、近くの茂みに隠れてリューテの様子を観察する。
彼女はエルナやニュクスと比べると長身で、全体的に引き締まった身体付きをしている。しかし、それでも出るところはしっかりと出ており、これまでケントに見せていた男性的な雰囲気とは裏腹に、とても女性的な肢体を外部にさらけ出していた。
しばらくすると、リューテは水浴びを終えたようで川から上がり、近くの木に掛けてあった下着に手を伸ばす。
「……っ!? まずい! ここにいたら覗いてたと思われる! いや、実際覗いてたわけだけど……とにかく急いで戻らないと……!」
ケントは見惚れている場合ではないと、その場を後にしようとする。その時だった。
突然辺りに強い風が吹き、リューテの衣服と下着を吹き飛ばした。
「うおっ……!?」
吹き飛んだ方向は、奇しくもケントのいる方向だった。彼はそれを半ば反射的にキャッチしようとして、茂みから飛び出してしまう。
「あっ」
そして、とうとう飛ばされた衣服と下着を追いかけようとしたリューテと目が合った。
「なっ……!?」
彼女はケントがこの場にいるとは思っていなかったようで、心底驚いたような表情をする。
「えっ……あ、いや待て、これは……」
「~~~~~~~~っ!?」
リューテは今の自分の姿に気付いて局部を手で隠すと、羞恥やら何やらで真っ赤になった顔でケントを睨みつける。
「こ、この……」
「お。落ち着け! 違うんだ! 俺はただあんたを探しに……」
「この、痴れ者があああーーーーっ!」
彼女はそう叫ぶと、近くに置いてある胸当てをケントに目掛けて思い切り投げつけた。
「どわああああああああっ!?」
飛んできた胸当ての直撃を受けて、彼はそのまま地面に倒れ伏した。